Xポストへの感想文的なアレ。
追放ザマァに対しての我が道を照らしてくれた偉大なる魚類作家様からの課題。
気になる方は右薙光介先生の1月11日19時10分のXポストをご覧になってください。
まず、追放、ザマァ、追放ザマァが全て別のビルド──つまりは違う構成要素であり、複合されたものが俗に言う「追放系」であると言う話。
これに関してはその通りで、改めて言われてみて考えてみたが全てが同じ章内で完結する必要も無ければセットにしなければ成り立たないわけでも無い。
例えば、白米良先生の「ありふれた職業で世界最強」なんかは最初はクラスメイトの悪意により地下に落ち、生き残るためになりふりまわずにしたことから力を得、そして性格が変わるほどに人生観も変化した結果積極的なザマァ展開にはならない。
と言うか追放ですらなく殺人未遂に遭った後生還してるから追放では無いかもしれない。
また、どちらかと言えば直に復讐するでもなく、結果的にザマァが達成される形だった気がする(若干記憶は曖昧だけど)
対して、我らが右薙光介先生のバール無双なんかは主人公のバールは手にした武器の影響もあるが復讐心バリバリのシーンが描かれている、結果は相手によって違うものの積極的な復讐を含むとも言える。
一見して「結果的に復讐自体は果たされるじゃん、同じでは?」と、言いたくもなるのだけどタイプは様々に派生すると言える。
ザマァの流れだけ見ても、いくらかパターンがある。
「成長結果ザマァ」
ひ弱だった主人公が急成長等する事で古巣の嫌われ役(勇者とかリーダー)が焦りから自滅するタイプ。
これは直接介入はほぼ無く、主に心優しいヒロインなどにより心救われてそれまで発揮できなかった、見えていなかった能力を開花させて成功。
嫌われ役もそこそこ悔しがったり足掻いたりはするが大抵は仲直りしたりする。
右薙光介先生の作品の多くはザマァ対象はしっかり落ちぶれたりしてはいるがこれに近い。
「新たな力で復讐ザマァ」
これはまさに読んで字の如く得た力を使い嫌われ役を完膚なきまでに叩きのめしたり、○したりして悪役がプライドを叩きおられながらタヒんだり、没落したりするタイプ。
とはいえ最終的な回答としてはほぼ全てに共通するのは「弱かった、ないしは不当に虐げられていた主人公が新たな力、環境を得たことで成功していくサクセスストーリーだと思う。
そして、それを上手く書いている人はこれらを使いその中にキャラクター達の人間ドラマをもりこみ、山場を作る。
要素は抑えているのに面白くない、と言う作品はきっと要素しか抑えられておらずほかに足りないもの、ないしは表現するまでの道のりに無理があるのだと思う。
例えば、最初のインパクトの有無。
例えば、自分だけ満足するものではないのか。
例えば、必要以上に説明していないか。
など多くてキリがない。
右薙先生も「それ故に追放だったり、ざまぁだったりを描くことだけにこだわってはいけない。それではただのツールの紹介文になってしまう。」
と仰っている様に要は全ては物語のパーツなのだ。
あまりに軽い結論で申し訳なくもあるが、創作論など普段述べるような立場でもないのであくまでも一要素としてこれが自分が感じた追放ザマァにおける読者が楽しむ要素では無いかと言う感想です。