第10章【1】
魔法実習の時間は、イリーとリッツは講師役を務めることになる。一年生で合格基準を満たし、新一年生たちの実習を見るのだ。フローティアが別の班になることで、イリーは若干、がっかりしていた。
実習場に出ると、リティカとセシリアが自然とイリーとリッツのところに集まった。
「イリー先輩、リッツ先輩。よろしくお願いします!」
リティカは明るい笑みで拳を握り締める。その瞳は輝いていた。
「気合い充分だね」
「はい! 魔法が使えるなんて楽しみです!」
転生者であるリティカもセシリアも、魔法の存在しない世界で生きてきた。この世界の体は魔法を使える。それはイリーもわくわくしたものだ。
「いままで魔法の練習をしたことはないの?」
リッツの問いに、リティカは少し困ったように頬を掻く。
「両親に止められていたんです。光の魔法は希少だから、周りに知られるのはあまりよくないって」
「なるほどね」イリーは頷く。「私は気にしたことなかったな」
イリーは王立魔道学院に入学する前から、マッケンロー伯爵邸で義兄マルクを相手に魔法の練習をしていた。目標のために魔法の制御を早めに覚えなければならなかったからだ。
「失礼」
淑やかな声に四人は振り向く。歩み寄って来るのはドロテアだった。
「ご一緒してもよろしいでしょうか」
「もちろんです!」リティカが興奮気味に言う。「ドロテア様とご一緒できるなんて嬉しいです!」
ドロテアは薄く微笑む。イリーには、リティカに心を開こうとしているように見えた。
しかし、その和やかな雰囲気は周囲の空気によって掻き消される。ドロテアを横目で見遣り、周囲の生徒がひそひそと囁き合っていた。闇の魔法を持つドロテアを敬遠しているような眼差しだ。
イリーが思っていた以上に、ドロテアは周囲から浮いている。入学式のときに一緒にいた取り巻きの女の子たちも、フローティアの取り巻きの令嬢たちのように常にそばにいるわけではないようだった。フローティアとはまた違う孤立。
(生まれ持ったものは、ドロテアのせいじゃないのに……)
イリーは歯痒い気分だった。だが、ドロテアは気に留めずに冷静な表情をしている。
そのとき、近くの班にいたフローティアが軽く咳払いをした。それにより、囁き声は波を打ったように静かになる。イリーは小さく息をつき、リッツにウインクをして見せた。リッツも優しく微笑む。やはりフローティアは、淑女の手本のような少女だった。
講師の合図で実習の授業が始まる。イリーとリッツは、現在の三人の実力を把握する必要があった。
「じゃあ、まずはセシリア」イリーは言う。「あの的に向かって火球を打ってみて」
「はい」
セシリアは落ち着いて杖を振る。充分な大きさの火球が、確実に的を捉える。
「安定しているわ」と、リッツ。「威力も申し分ない」
「よく鍛錬を積んでいるね」
セシリアは安堵したように微笑む。魔法一族として安定した地位を持つカールストン男爵家の娘として、よく努力をしているようだった。
「じゃあ、次はリティカ」
イリーの言葉に頷いたリティカは、緊張した面持ちをしている。彼女にとって、これが初めての魔法の練習となる。初めて練習したときのことはイリーもよく覚えている。失敗したら、と考えると少し怯んでしまうのだ。
「冷静にね、リティカ」イリーは言う。「あまり力みすぎないで」
「はい……!」
リティカが杖を構えると、温かい風が辺りに流れ始める。四人がその空気に触れる中、リティカは杖を振る。イリーの予想を上回る形で、セシリアの倍以上の火球が爆音とともに的を木っ端微塵にした。周囲にいた生徒たちが驚いて振り向く。
「あれー……?」
リティカが肩を落とすので、イリーは励ますように笑みを浮かべた。
「初めのうちはこんなもんだよ。これから練習していこう」
「はい……」
イリーは、以前の自分を見ているようで懐かしかった。
次に、新しく用意された的を見据えるドロテアが火球を打つ。美しい姿勢が放つ魔法は安定し、手本のような威力だった。
「よく制御できてるわ」リッツが言う。「さすがの安定ね」
「恐れ入ります」
闇の魔法は使い方を誤れば危険なものとなる。ドロテアは周囲を危険に晒さないために厳しい訓練を続けていたことだろう。イリーは、ドロテアの努力がよく見えるようだった。
しかし、また周囲から囁き声が聞こえ始める。手本のような魔法だったにも関わらず、ドロテアを見てひそひそと囁き合っているのだ。ドロテアは気にしていないような、冷静な表情をしている。
「あ、あの……ドロテア様。気にしないでくださいね」
意を決したようにリティカが言った。
「悪口は実力で黙らせればいいんです!」
真剣な表情のリティカに、ドロテアはふっと優しく微笑む。
「ありがとう。でも、大丈夫ですわ。慣れていますもの」
「……慣れてるからって、傷付かないわけじゃないですよね」
リティカは眉尻を下げる。ドロテアは困ったような表情になった。それからリティカはハッとして、軽く頭を下げる。
「すみません、出過ぎたことを言いました……!」
「いいえ。わたくしを思ってくれた言葉ですもの。嬉しいですわ」
ドロテアが穏やかに微笑むと、リティカは安堵の息をつく。イリーから見て、ふたりは良い友達になれそうだった。
「リティカの言う通りだよ。きっとこれから、みんなはもっと伸びる。一緒に頑張ろうね」
「はい」
三人は揃って頷く。新一年生たちの瞳は希望に満ちていた。
* * *
放課後になると、イリーとリッツは生徒会室へ赴く。メンバーが揃うと、アルヴァルドが口を開いた。
「学園祭では、各クラスが出し物を催す。まずはその希望を取るところからだ」
アルヴァルドはそれぞれに数枚の紙束を配った。それぞれクラス番号が記入されている。出し物の希望を書いて提出する用紙だ。
「なるべく被らないように第三希望まで出してもらう。最初の仕事はその集計を取ることだ」
学園祭が行われるのは二年に一度。イリーは最初の学園祭を心から楽しみにしていた。四年に進学するかはまだ決まっておらず、三年で卒業することになれば学園祭に参加できるのは今年だけ。全身で楽しみたかった。
「一年はリッツ、ドロテア、エンリケに任せる。二年はイリー、リティカ、セシリア。三年はそれ以外のメンバーで希望を集めてくれ」
それぞれが頷く中、リティカが遠慮がちに手を挙げた。
「四年生以上の先輩方は出し物をしないのですか?」
「そうだね。出し物をするのは三年までだよ」
王立魔道学園では、三年で卒業するか四年に進学するかを選ぶ。いまの二年生は出し物をする唯一の機会となるのだ。
「生徒会も出し物をするのが恒例だ。どんなことをしたいか考えてみてくれ」
リティカとセシリアも楽しみにしているようで、明るい笑みで頷く。
生徒会室を出ると、イリーはわくわくする心が抑えきれずに言った。
「学園祭、楽しみだな~。学生生活と言えば学園祭だよね」
「どんな感じになるのかな」と、リッツ。「私は初めてだわ」
「準備は大変だけど、とにかく楽しいよ。良い思い出作りになるし」
イリーの学生生活は散々なものであったが、文化祭は数少ない友人たちと心から楽しんでいた。準備をしているあいだは、学生たちは浮ついている。何より文化祭に力を注ぐ学生が多かったものだ。
「イリーと一緒なら、きっととても楽しい思い出になるんでしょうね」
明るく微笑むリッツに、イリーも満面の笑みで頷いた。親友と学園祭を楽しむことができること、イリーにとってそれがとても嬉しいことだった。
「イリー」
呼び掛ける声に振り向くと、フェリクスが歩み寄って来るところだった。
「フェリクス様、ごきげんよう」
「時間あるかな。少しお茶をしないかい?」
イリーはほんの少しだけ警戒していた。だが、拒む理由はなかった。
「お茶だけならいいですよ」
少し唇を尖らせて言うイリーに、フェリクスは困ったような、安堵したような笑みになる。先に部屋に戻っているわ、とリッツはふたりをあとにした。
フェリクスはイリーをテラスに連れ出した。カウンターで紅茶を受け取り、席に着く。辺りは楽しげなお喋りで満ちていた。
正面の椅子に腰を下ろしたフェリクスに、イリーは少々身構える。フェリクスは相変わらず、何を考えているかわからない微笑を湛えている。
「イリー。事を性急に進めすぎたことは謝るよ」
穏やかに話し始めるフェリクスに、イリーは様子を窺いつつ首を振った。
「フェリクス様とリッツの判断は正しいと思います。私の魔法は有用性が高い。知られれば悪用されることもあるかもしれません」
イリーは生まれながらにして聖女である。聖属性の魔法は光魔法より希少で、その力を支配することでどんな悪事にも利用できるだろう。イリーを手中に収めれば、有用な力を手に入れることができるのだ。
「でも、私はそんな悪意に負けることはありません。フェリクス様には、もっと相応しいお相手がいるはずです」
イリーは伯爵令嬢であるが、伯爵家の養女であり、出身は平民だ。それに対してフェリクスは名門である宰相の一族。その身分差は天と地ほどの存在だった。
「……僕は、何もその能力のためだけに婚約を申し込んだわけではないんだよ」
真剣な表情で言うフェリクスに、イリーは首を傾げて次を促した。
「きみは、これまで出会って来た女性たちとは違う」
それはそうだろう、とイリーは心の中で独り言つ。親友のリッツですらイリーを「変人」と称する。他の貴族の女性とは一線を画しているだろう。
「僕は未来の宰相。確かな地位と優れた血筋で、トロジー家も名門中の名門。擦り寄って来る女性はいくらでもいるし、見合いの申し込みだって山ほどあるよ」
「事実ですけど、他に言える人のいない台詞ですね」
目を細めるイリーに、フェリクスは困ったように笑う。
「けど、きみは僕に興味を示さなかった。自分で言うと嫌なやつだけど、そんな女性はいままでにいなかったよ」
イリーはフェリクスを隠し攻略対象だと知っていた。その上で、親友の兄として接して来たのだ。興味がなかったわけではないが、結ばれる相手ではないと思っていた。
「だから興味が湧いたんだ。この子と一緒にいたら面白いかもしれない、ってね」
「…………」
「実際、きみは突拍子もなくて、その言動を予測できたことがない。退屈することがないんだ。だから、この婚約は能力のためだけではないんだよ」
イリーは、少しだけ顔が熱くなる感覚になった。フェリクスの優しい視線が、まるで自分を射抜いているように感じられる。
「……でも、もっと地位の高い家柄のほうがいいんじゃないですか?」
「家柄は関係ないよ。きみがいいと思ったから婚約を申し込んだんだ」
イリーは今度こそ顔が上げられなくなった。イリーは恋愛経験がほとんどない。こんなとき、どういった顔をすればいいのかわからなかった。
「返事は焦らなくていい。伯爵もイリーの意思を尊重するそうだ」
「……ソウデスカ……」
「僕なら結婚してもいいと思えるまで、じっくり考えてみてくれ」
イリーは小さく頷くことしかできなかった。こんな視線を向けられたことは、きっといままでで初めてだ。なんと言えばいいのかわからず俯くイリーに、フェリクスはただ優しく微笑んでいるだけだった。




