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竜の愛し仔  作者: miyabi
7/12

新しい生活

 マルグリットは自分でも驚くほど、この新しい生活にすぐに馴染んでいった。

 ここには世話を焼いてくれる侍女どころか、やわらかい寝台も料理人が用意してくれる食事もない。

 だが、日の光に目覚め、川の水で身を清め、森の恵みを食する生活は、これまで心にたまった澱を洗い流してくれるようだった。


 マルグリットが16歳だと知ってからも、結局ホルトのマルグリットに対する扱いは何一つ変わらなかった。

 というより、そもそも人としての常識的な距離感というものが育っていないのだということは、数日のうちにマルグリットも知るところとなった。


 まず、だいたい距離が近い。

 道具作りや料理の仕方など、何かを教わっているときに隣にいるのは判るが、休憩がてら木の実をつまんでいるようなときにも、ホルトはすぐ隣で、空いている方の手でマルグリットの頭を撫でていたりする。


「ちょっと、近いわよ!」


 不機嫌を装って押しのけ、少し距離を取ってみても、ホルトは何のことか判らないようなぽかんとした顔をして、空いた手で今度は近くの竜の頭を撫でてやっている。


 そういうことか。


 竜は、特にこどもの竜は、基本的に群れで行動する。

 互いに触れ合うほどの距離で寄り添っているのはいつものことだし、マルグリットも竜と会えばいつもそのひんやりとした体が腕や足元にまとわりついてきたものだ。

 彼女自身も、肌に他の竜の気配や存在を感じていると落ち着くし安心する。

 それは竜のこどもの本能なのだ。


(同じなのね)


 だが、竜なら何とも思わないことも、この大男にいつもついて回られるのは、何というか――


(嫌、というわけではないけれど)


 ちょっと、接し方に困ってしまう。


 今まで当たり前だった希薄な人間関係や、幼い頃教えられた礼儀作法も妙に邪魔をして、嫌でもないのに不機嫌な顔をして時々押し戻す、という、それが二人の日常になっていった。

 ホルトは不思議そうな顔をしながら、どこか面白がっている風で特に気にする様子もない。

 ホルトが気にしていないのなら、と、マルグリットは一貫性のない自分のふるまいを許すことにしている。


 今日も風はかぐわしく、竜は優しく、ホルトはそばにいる。


 それだけで、十分に幸せだった。



 日々の暮らしの中で、ホルトは多くのことを教えてくれた。生活の術はもちろんだが、竜のことや、自分たちの出自のことも。



 初めて竜や自分たちの体について話を聞いたのは、村に下りて髪を切った三日ほどあとだったろうか。


「竜は雄も卵を産むの?」


 目を丸くするマルグリットに、笑顔で竜の幼体とたわむれながらホルトは「そうだよ」と答える。


「雄の卵からは雄のこどもが生まれるし、雌の卵からは雌のこどもが生まれる。『竜の愛し仔』も、雄の卵を飲めば男の仔が授かるし、雌の卵を飲めば女の仔が、ってことだ。でも、」


 少し気遣わしげにマルグリットを見やって、ホルトは続ける。


「女の『竜の愛し仔』というのは、俺も竜も聞いたことがない。このあたりでは、家を継ぐのは男だから、みんな男の子を欲しがるしな。それに、雄の卵の方が魂の比重が大きいから、人間の体にも馴染みやすい。」


 今、ホルトにじゃれているのが雄のこどもだということは、すでに聞いて知っている。

 生まれたての時は雄も雌も水と空気の間のように頼りない竜のこどもも、15年が経つ頃になると急に成長が早くなり、それと同時に雄と雌とで違いがはっきりしてくる。

 雄は小さい頃と変わらず岩も木もすり抜ける半透明な体のままだが、雌は徐々に鱗が生え揃い竜らしい姿に変わってゆく。


「マギーが年より小さいのは、竜の体を濃く受け継いでいるせいだと思う。雌の卵は竜の体に育つものだからな。そうだとするなら、急に成長し始める時が来るのかもしれない。」


 世の中から切り離されて暮らしていたマルグリットだったが、さすがに12歳を過ぎる頃には、いつまでも母や侍女に背の届かぬ自身の体の異変に気付き始めた。


(おかしいとは思っていたけど)


 顔を合わせる人が極端に少ない生活。おかげで、本は身の回りにたくさんあった。

 だが、本に描かれる娘たちの年齢と自分の背格好がどうにも一致しない。

 物語の中ではみんな背が高いのだとか大人びて描かれているのだとか、侍女や母も苦しい言い訳をしてはいたが、彼女は決して愚かな娘ではなかった。


 マルグリットは問わずにいられなかった。

「私は、病気なの?」と。そして、誰もその問いに答えてくれる者はいなかった。


 今でも、その答えは手に入らない。

 ホルトも竜も、初めて目にする女の『竜の愛し仔』のことは判らないのだから、仕方ない。

 それでも、知っていることを真摯に話してくれようとし、知らないことは知らないと正直に話してくれる。


「マギーの中で竜の体が目覚めたとき、それが人間の体と共にどう育つのか、誰も判らない。――俺も竜も、マギーが心配なんだ。」


 くるみの殻を割る作業をしていたマルグリットは平静を装って「そう」とだけつぶやいたが、狙いが外れてくるみが弾け飛んだ。

 ちょうどホルトの足元に転がり、投げて返された実をマルグリットは器用に捕まえて、再び岩の上に乗せる。


 きっと両親はそのことも知っていたのだ。

 いつか竜に連れ去られ、恐らくは長くも生きられない娘。

 だから父は興味を失い、母は好き勝手させてくれた。

 なのに、肝心の真実をその当人であるマルグリットに隠し続けた。


 今はこの身がどうなるかということより、両親や城の人たちに腹が立った。

 荒っぽく槌を当てたせいで、くるみの核も粉々になった。


「ホルトや竜みたいに、何でも話してくれたらよかったのに。」


 竜は隠し事をしない。何でも伝える。竜の魂を持ったホルトもそうだ。

 だが、人は面倒くさい。

 思いやったり慮ったり裏と表を使い分けたり。


 主語を省いたマルグリットの静かな憤りにも、ホルトは質問を返しはしない。ただ、こう答えた。


「俺たちは一緒にいる。」


 だがそれに、竜が口をはさんだ。


『雄ノ仔と雌ノ仔、イツカツガウ。離レテ暮ラス。竜ハ一緒。』


 おいおい、と呆れた顔で、ホルトは竜を眺める。


「前も言ったろう。いくつ違うと思ってる。マギーだってまだこんなに小さいのに。」


 マルグリットは眉をひそめて首を傾げた。


「今、竜は何て?雄と雌が何とかって――?」


 マルグリットも小さい頃から竜の言葉を聞いて育ってはいるけれど、竜の言葉を理解できる大人が周りにいなかったので、正しく理解できない言葉も多い。

 ホルトは肩をすくめた。


「マギーと俺がつがうといけないから、離れて暮らせとさ。」

「な――!」


 マルグリットは思いもよらぬ内容に、顔を真っ赤にして竜に詰め寄った。


「そんなわけないでしょ!だって、ホルトはおじ――」


 おじさん、と言いかけ、慌てて口をつぐんでホルトを見やる。


「マギーから見りゃ、そうだよ。間違ってないから。」


 そう言うホルトの笑顔は、さすがに少し苦い。


「ホ、ホルトが早くお嫁さんをもらえばいいんじゃない。」


 話を逸らそうと赤い顔のままでマルグリットは言うが、ホルトは結婚かぁ、と空を見上げ、頭を掻いた。


「俺の弟も含めて、里の『竜の愛し仔』は普通に結婚もするけど、俺は人間の女も竜の雌も魅力的だと思わないんだよな。『親無し卵の仔』はそういうものらしいよ。」


 だから心配するな、と言ったホルトの寂しい笑顔が胸に刺さり、マルグリットは何と返せばいいのか判らなかった。



 その夜、マルグリットはなかなか寝付けなかった。

 いつか自分の中の竜が目覚め、この皮膚を破って現れるのかもしれない。

 自分は死ぬのだろうか。

 あるいは、異形の者となって生き永らえねばならないのだろうか。

 どちらも恐ろしいことに思えた。

 そして、ホルトが人にも竜にも魅力を感じないと言っていたように、自分も誰かを愛することなく生涯を終えるのだろうか。


 自分の人生とは何なのだろう。母にとって、父にとって自分は何だったのだろう。


 日の光の下では気にならなかった様々なことが、夜の闇の中で次々にマルグリットを苛む。

 きっと竜とだってこの悩みを分かち合うことはできない。

 だが、同じ『親無し卵の仔』であるホルトと自分を、竜は引き離そうとしている。

 竜はこうと決めたら譲らない生き物だということは、マルグリットも良く知っている。


 不安と寂しさで涙がこぼれた。


「眠れないか?」


 少し離れたところで横になっていたホルトが声をかけてきた。涙を拭ったときの身じろぎに気付いたようだ。

 昼間は淡々と話をしていたように見えて、実際はホルトも眠れなかったのかもしれない。


「別に、ちょっと木の実を食べすぎて胸やけしただけよ。」


 強がって見せたが、少し鼻声なのは隠せない。

 城にいた頃はこんな時竜の幼体が寄り集まってきてくれたが、ここではみな森のねぐらへ帰ってしまう。

 ホルトが起き上がる気配がして、背を向けたままのマルグリットに寄り添うように横になると、細い肩を優しくさすった。


「マギー、ここは竜の世界だ。強がる必要はないよ。何でも素直に吐き出せばいい。」


 マルグリットは背を丸め、押し殺したようにすすり泣いた。

 素直に泣けない少女の肩を、ホルトはその涙が止まるまで優しくさすっていた。

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