竜、困る
ホルトがその『竜の愛し仔』について竜から聞かされたのは、もう7、8年ほども前のことだろうか。
これまで『竜の愛し仔』がいなかった東の国で幼い女の仔が育っているのだという。
「女の仔?ほんとか?」
ホルトは最初にこの話を聞いたとき、まず耳を疑い、驚き、それから心配になった。
竜たちも同じだ。
竜にとって、自分たちの卵から生まれたこどもは、竜の形であれ人の形であれ、全力で守り愛すべき存在なのである。
『体ノ下ノ方ノ皮、膨ランデル。雌ダ。』
「皮?それ、スカートだろう。服だよ。皮じゃない。」
ホルトは自分の上衣を引っ張って見せた。
『アノ中デ卵、育テル、違ウ?』
ホルトは笑って手を振った。
「違うよ。人は卵を産まない。」
『産ムカモシレナイ。雌ノ仔ダ。』
そう言われれば、ホルトも何とも言えない。
あまり知られていないことだが、竜は雌も雄も卵を産む。
そこから生まれたこどもの竜がつがうことで、初めておとなの竜になる。
『竜の愛し仔』を成すときは、女人が雄の卵を飲んで男の仔を授かるものなのだが、女の仔が産まれたということはその母が雌の卵を飲んだということなのだろうか。
このあたりで、雌の卵を飲むことは昔からの禁忌とされている。
雄の卵は竜の魂を、雌の卵は竜の体を生むものだから、人の体に竜の体を宿したこどもが生まれれば、その生い先がどうなるのか、竜でさえ知らないという。
人の体に竜の魂を宿して生まれる男の『竜の愛し仔』は、人と竜の間で魂と体の均衡を保って生きていけるが、ふたつの体を持つことになるその娘の将来が案じられた。
「その仔、今は人の姿をしてるのかい?」
『形ハ人間。デモ、竜ノ匂イ。』
「親はどうしてる?」
竜に聞く「親」とは卵の親である竜のことだ。
『殺サレタ。親無シ卵ノ仔。』
ホルトは悲しそうにため息をついた。そうか、その仔も親無しなのか。
竜の言葉を誤って伝える者があり、一部では『親殺しの卵の仔』などと剣呑な名で知られているが、実際には『親が死んでしまった卵から生まれた仔』というのが意味として正しい。
竜は仔煩悩だ。
仔がいれば、群れ全体で愛し育てる。
だが、卵の産みの親の世話なしに、竜のこどもは一人前に育たない。
卵が孵るまではひとときも側を離れずに卵を見守る。
見守るだけでなく、何か目には見えぬ特別な「育児」をしているらしく、殊に人の腹で育つ卵が人の体とうまく折り合いをつけるには、この「育児」が欠かせない。
ホルトの場合、卵の親は母に卵を託した後に、急な病で死んでしまったのだと聞かされていた。
そのためか、ホルトは全ての感覚が竜に寄りすぎている。
今も、人としての生活に必要な物は村へ行って手に入れているので人と会うことはあるが、何度会っても人を「仲間」だと思えない。
15歳まではホルト自身も産みの母親のいる家で家族と一緒に暮らしていたが、それでもなお、彼らと自分を同類と感じられない違和感がある。
人とはもちろん言葉も通じるし、見た目も自分と同じだけれど、竜に対して感じる兄弟のような親しさを、人に対してついぞ感じることがないのだ。
無論、人間の娘を可愛いとか綺麗だとか思うこともない。
かといって、竜の雌を見てつがいたいとも思わない。
心と体の均衡を著しく欠いているのだと、ホルト自身も思う。
だから、いくら竜に愛されて竜に囲まれて生活していても、自分は独りだ、という想いがいつも胸を去らない。
同じ思いをその見も知らぬ少女も抱えて生きていくのだとしたら、気の毒にな、と思う。
「その仔はどうするんだ?ここへ連れてくるのか?」
竜にとって、『親無し卵の仔』を人の世界に置いておくという選択はありえない。
ホルトもここへ連れてこられたばかりの時は、岩山での独り暮らしというあまりに寂しい環境に、人としての家族と一緒に暮らしてもいいじゃないかと抗議したこともあったが、竜としてはそんなこと、可哀想で可哀想でできないのだとそれは悲しげに説得されて、結局ホルトが折れるしかなかった。
竜はとにかく、親を亡くした可哀想な仔に、よってたかってその分の愛情を注ぎこまねばならないと思っているのだ。
今になってみれば、人といるより竜といる方が自然だと思える自分は、やはりこうして人里離れて住むのがお似合いだとは思うが、相手が幼いこどもだと聞くとやはり胸が痛む。
だが、竜はその仔はここへは連れてこないと否定の意志を示した。
『雌、雄トツガウ。ツガウト卵産ム。デモ、ソノ雌ノ仔ノ体、人間ト竜混ザル。ツガウ、卵産ム、体壊レルカモシレナイ。』
なるほどな、と竜の懸念に納得する。が、思わぬことを言われてホルトは目を丸くした。
『オマエ、雄ノ仔。ツガウカモシレナイ。』
「いやいや、だってその女の仔は何歳なんだよ?」
『8ツ前ノ春ニ産マレタ』
「いくら何でもないだろ。」
当時ホルトはすでに20歳を過ぎていた。
何歳離れてると思ってるんだ。
呆れて肩をすくめたが、竜はホルトから視線を外さない。
『コドモ、イツカオトナニナル。』
予言めいたその言葉にも、ホルトは再び肩をすくめてみせる以外にどうしようもなかった。
それからも、竜はその女の仔の様子を見守り続けていたらしい。
「らしい」というのは、竜がホルトにはあまりその話をしないからだ。
話さないものを、わざわざ聞きだしたりもしない。それが彼らの流儀だ。
ホルトは岩穴に暮らし、時に狩りをし、魚を獲り、それらを焼いて食べ、拾った竜の鱗が溜まる頃になると、それを持って村へ行き、穀物や衣類、生活用品などをもらってくる。
誰よりも竜との付き合いが深いホルトは、時に『竜の愛し仔』を望む女性と、卵を譲ってもいいという竜の雄とのつなぎをつけたりもするが、人々の暮らしに深くかかわることはほとんどない。
自分が生まれ育った村ではあるが、誰が今何をしているのかも良く知らない。
自分の産みの母親ですら、自分からは用がなければ会いに行くこともない。
ホルトは岩山で、竜と暮らした。その日々は単調ではあったけれど、平穏で満ち足りたものだった。
◆
だが、竜は突然その女の仔を連れてやってきた。
竜の背に乗せられて弱弱しくすすり泣く少女はどう見ても十かそこらだ。
竜の背から抱き下ろし、そのまま腕に抱いてあやすように背を軽くたたいてやると、気が緩んだのか大きな声で泣き始めた。
その細い背中を撫でてやりつつホルトは竜を非難がましい目で見返すが、竜自身が少女の泣き声にも扱いにも困り果てているのが判って、口に出しかけた文句をそのままひっこめた。
「何でこんなことになってるんだ?」
それでもそう問わずにはいられない。
少女は服も顔も薄汚れて、髪に至っては絡まりもつれて、どうしてやればいいのか見当もつかない。
髪を引っかけないようにしながら、ホルトは自分の肩口に顔をうずめている小さい少女の背中を、しばらくの間は黙って撫でてやった。
少し落ち着いたところで、地面に抱き下ろし、とりあえず水瓶から鉢に水を汲んで差し出すと、ひきつけたような泣き声の合間におずおずと手を伸ばし、最初は恐る恐る口を付けたが、一口飲むとその後はごくごくと勢いよく飲んだ。
その様子を見て、今度は岩穴に蓄えていた木の実やパンを持ってきてみると、泣くのも忘れたように夢中で食べた。
「食べ物もないところに放っておいたのか?」
どうしても責めるような口調になってしまう。
『食ベ物、渡シタ。デモ、食ベナイ。』
「だって、ウサギや鳥なんて!」
少女は怯えたように竜に答えたが、竜に対して怯えているのではなく、きっと竜が狩ってきたウサギや鳥の姿を思い出しているのだろう。
やはりこの仔は竜の言葉が判るのだな、と納得したところで、はたと気付く。
「まさか、ウサギや鳥をそのまま渡したのか?生で?」
『生、一番オイシイ』
『オマエ、イツモ喜ブ』
ホルトは目を閉じて大きくため息をついた。確かに俺は、竜からもらった獲物を喜んでもらっているけれど。
「俺はあれをさばいて、焼いて食ってるんだ。」
少女はきっと、肉をさばくことも火をおこすこともできなかったのだろう。
『竜、獣焼カナイ』
「――知ってるよ。」
竜に他意はない。
だが、薄汚れてはいてもどうやら仕立ての良さそうな乗馬服のこの少女は、世話を焼いてくれる人が周りにいる生活をしてきたのだろう。
でも、『親無し卵の仔』なら、いつかこうして人の暮らしを離れて竜と暮らすことになることは知っていたはずではないのか。
「君は『親無し卵の仔』なんだろう?産みの親から何も教わってこなかったのか?」
少女は干し果実をつまむ手を止めて眉根を寄せた。
「『親無し』?何のこと?」
「え、だって『竜の愛し仔』だろう?もしかして、自分の生まれのこと、何も聞いてないのか?」
少女の怪訝そうな顔が、はっと不安な表情になる。
『竜の愛し仔』。
幼い日に、見も知らぬ老人が語った言葉。両親を変え、自分の生活を変えたあの日に聞いた言葉。
だが、今の状況がよく理解できていない少女の様子がホルトの疑念を確信に変えた。
この仔は何も知らずに育ってきたのだ。つまりは――
「――もしかして、人の産みの母親にも黙って連れてきたんじゃないだろうな?」
竜に視線を戻す。少女を乗せて飛んできた竜は得意げに翼を広げる。
『卵ドロボウ、竜殺シノ人間カラ、コノ仔、助ケタ。』
ホルトは盛大にため息をついた。
「卵、泥棒?」
剣呑な言葉に少女が竜を振り仰ぎ、次いで「あ、痛」と顔をしかめた。
服についた飾り釦に、髪の先がもつれて引っかかっていた。
「髪――」
少女は再び泣きそうだ。
指で解きほぐそうとしても、土やほこりで所々固まっているらしくどうにもならない。
竜のいる場所なら水場のひとつもあっただろうが、自身で髪を洗ったりまとめたり、そういったことが一人ではできなかったのが見て取れた。
ホルトは少女にも小さくため息をついた。
竜の決めたことを変えることはできない。となれば、この少女には竜のやり方を理解して慣れてもらうしかない。
「きっと君は元いた暮らしには戻れない。これからは竜と暮らすことになる。自分で手入れできないなら、その長い髪は切るしかないよ。」
少女は身をこわばらせた。元いた暮らしに戻れないと言われたことより、髪を切れと言われたことの方が胸に刺さった。
美しい母と唯一同じこの髪。
一筋の乱れもない髪は自慢だったけれど、それは侍女の手間を惜しまぬ手入れがあったからこそだったのだと、今にして分かった。
今はあちこちで引きつれ、頭のあちこちが痛い。でも、切るなんて――。
逡巡しているうち、近づいてきた男が草刈り鎌を手にして自分の髪を見下ろしているのに気付いたとき、少女は再び大声で泣きだした。




