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竜の愛し仔  作者: miyabi
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竜、さらう

 マルグリットは護衛と共に抜け道を通り抜け、『西の端山地』の岩山に囲まれた小さな小屋にたどり着いていた。


 今ではここに小さいながらも馬をつないでおく小屋があり、馬番が小型の馬のくつわを取って領主の一人娘を待っていてくれていた。

 鞍には水筒のほか、途中でつまめるように干し果実や木の実の入った小さな袋もくくりつけられる。

 ここまで来ると小さな竜たちは遠慮なくマルグリットの周りに寄り集まってくる。

 始めのうちはこの先の乗馬にも護衛が付いていったのだがどうにも護衛と竜との折り合いが悪く、竜に勝る護衛はいないのだから心配ない、と領主の姫に諭されて、彼はこの小屋でマルグリットの帰りを馬番と共に待つことになる。

 小さな総領娘は身軽に馬の背に飛び乗ると、馬の腹を蹴って山道を駆け上ってゆく。


 体が小さいとはいえ、マルグリットの身体能力は非常に高い。

 16歳という年相応に体の使い方は判っているし、それ以上に竜の力を秘めたその体は俊敏で、感覚も鋭い。

 竜に留まらず様々な生き物の気配や心情を読み取るのも上手いので、馬を駆る速度はとても小さな子供の体で御しているものとは思えない。

 幾度か岩を回り込み人の目がなくなると、やがて大きな竜も親しく馬と頭を並べてくる。

 最初に竜が近づいたときには驚いて棹立ちになった馬も、最近では慣れたもので竜と競うように崖伝いの道を軽快に駆けてゆく。


 見晴らしの良い高台まで上がってきたところで、マルグリットは手綱を引き、馬を降りた。

 皮を張った簡易の器に水を入れてやると、しっとりと汗をかいた馬はおいしそうに水を飲んだ。


「よしよし、あとでたっぷり飲ませてあげるからね。」


 そういって馬の首を撫でてから、自分も水筒の口を開け、水を含む。

 風が冷やしてくれた水はほてった体に心地いい。

 いつもは袖口までとめている袖や襟の留め具を外し、肌を風にさらす。

 竜が近くにいる今は、城で感じる心もとなさを肌に感じることもない。

 その腕や首元を、竜がふわり、ふわりと撫でて飛びすぎてゆく。


『楽シイ――嬉シイ』


 周囲に寝そべる竜たちが喉を鳴らし、鱗を震わせて喜びを表している。

 竜にとって飛ぶことは喜びなのだと、マルグリットは竜から教えられた。

 だから、こうして竜を伴って馬に乗るのはマルグリットにとっても喜びだ。


「この嬉しい気持ち、お母さまにも聞いてもらえたらいいのに。」


 岩に腰を下ろし、ため息をつく。


 母は、マルグリットが竜と仲良くするのを喜ばない。

 本当はこうして竜に会いに来るのも、母にとっては嬉しくないに違いないのだ。

 けれど、竜は城に出入りしない代わりに、毎日『竜の愛し仔』と会わせるように、と竜はマルグリットを通じて両親に約束させた。


 あの時の、母の怯えた表情は忘れられない。

 そして、「家族と毎日会うのは普通のことでしょう?」と問うたマルグリットに、「竜は家族ではありませんよ」とこわばった顔で答えた母。

 けれど、マルグリットにとって母が母であるのと同じように、竜も家族なのだ。


 父とは、あの老いた旅人が会いに来た日を境に、ほとんど顔を合わせることがなくなってしまった。

 それまでは父と母も仲が良かったはずなのに、父が母を見る目は冷ややかになり、マルグリットのこともまるでいないもののように扱っている。

 幼い頃は総領娘と呼ばれていたはずだったのに、いつの間にか家庭教師もいなくなり、気付いたときには顔を合わせるのは母と、母の昔馴染みの侍女、それにいつもここへ連れてきてくれる護衛と馬番、その4人しかいなくなっていた。


 いつの間にか小さく狭くなってしまった世界について、誰もマルグリットに説明をしてはくれない。

 あの老人が口にした『竜の愛し仔』だの『卵殺しの仔』だの、それが原因なのだと薄々気付いてはいるが、問えば母が悲しい顔をする。マルグリットはすっかり、作り笑いがうまくなってしまった。



 本当のことを言えば、竜といる時の方が心は自由で、この世界が自分の居場所だと信じることができる。

 竜は偽らない。飾らない。

 慮ることもしないから傷つくこともあるけれど、それでも何も教えられずに何を考えているか判らない人々と生活するよりずっと清々しい気分でいられる。

 それに比べ、城の人々との暮らしは一枚の薄布を通して見る世界のように現実味がなく、マルグリットはいつも孤独だった。


「なんで私、こんな風なのかしら。」


 母譲りの白金の髪が風にあおられ、それを片手で抑える。両親はマルグリットに、彼女の出自の秘密を打ち明けていないが、それでも館に隠されるように育てられていることも、竜がこれほど身近に姿を現すことも、常ならぬことだということはマルグリット自身も知っている。

 しばらく休んでから、来た道を戻ろうと立ち上がった時、思った以上に気が重いことに気付いた。小さくため息が出る。


 いつまでこうして暮らしていくのか。


 母は優しく、マルグリットが望むことならたいてい何でも許してくれた。

 だが、それは裏を返せばマルグリットに何も期待していないようにも思える。16歳ともなれば、普通なら結婚相手の話が出てもおかしくない年頃のはずなのに、そんな話も出ない。

 それどころか、総領娘であるはずの自分に満足な教育の機会も与えられていないことに、聡いマルグリットはとうに気付いている。

 美しい自慢の母は、あの日からふさぎがちになってしまった。父はもう、自分をろくに見てもくれない。


 私は、必要とされていない娘なんだろうか。いてはいけない娘なんだろうか。何かが欠けた娘なんだろうか。


 ほろりと、涙の粒が頬を伝って、マルグリットは慌てて手のひらでそれを隠した。


『悲シイ』

『寂シイ』


 竜はマルグリットの周囲を、気遣わしげに飛ぶ。マルグリットは少し無理して笑顔を繕うと「大丈夫」と言ったが、竜にはうわべだけの笑顔などすぐに見破られてしまう。


『大丈夫ジャナイ』

『悲シイ』

『寂シイ』


 竜の思いはいつもまっすぐだ。人間のように、本音と建前を使い分けたりしない。

 だから、竜の前では素の自分でいられる。

 マルグリットはしばらく目を閉じて、混沌とする心の中を竜のまっすぐな思いで洗い流そうとしているようだった。


『一緒ニ、飛ブ』

「――え?」


 突然かけられた言葉に、マルグリットは目を丸くする。今、竜は何と言った?


『背中ニ乗ル。一緒ニ飛ブ。』


 大きなおとなの竜が、その頭をマルグリットの横に差し出してきた。

 竜が自分を背に乗せてくれるなど、そして飛ぼうと言ってくれるなど、これまで一度としてなかった。

 その誘いに、体中の血が興奮で沸き立つようだった。


『鱗、危ナイ。人ノ皮、切レル。』


 それはマルグリットも体験済みだ。

 初めておとなの竜を間近に見たとき、鱗のあまりの美しさについ手が出て、鋭利なその縁で指先を切ったことがある。

 でも、今なら乗馬用の皮手袋もしているし、膝まである長靴も履いている。

 マルグリットは頭の中で、竜の背になど乗らない理由をいくつも並べてみた。

 けれど、それは竜と共に飛ぶという抗いがたい魅力の前には無力だった。


 マルグリットは竜の背に手をつくと身軽にその上に飛び乗った。

 手袋と長靴で守られた箇所以外では鱗に触らぬように慎重に姿勢を低くすると、すねで大きな背をはさみ、たてがみを握る。

 心が高揚し、何も怖くなかった。周囲には竜がはしゃぎ、喜ぶ音が満ちている。


 竜はそのまま、滑るように飛び立った。


 大きな体の重さは一体どこに溶けてしまったのかと思うような滑らかな離陸で、マルグリットは竜の背で少しの不安もなかった。

 旋回して高度を上げると、今まで立っていた高台の平場がどんどん小さくなる。

 置いてけぼりをくらった馬が、今はもう小さな点になっている。

 護衛を置いてきた小屋が木立に隠れるようにあり、やがて高度を増すにつれて岩陰に隠れていた領主の城が見え、さらに山すその街の姿も見えてくる。

 だが、それらもまるで小人の国のように小さい。

 強い風がマルグリットの頬を吹きすぎてゆくが、その風は彼女の心の中も清々しく吹き抜けてゆくようだった。


「気持ちいい!」


 誰に聞かれる心配もなく、マルグリットは大きな歓声をあげ、そして笑い声をあげた。

 こんな風に笑うなど久しく記憶にない。

 今、竜の背の上で、マルグリットはこれまで感じたことのない喜びに浸っていた。


 しばらく喜びに酔ったように空の散歩を楽しんでいたマルグリットだったが、ふと眼下を見下ろすと、いつの間にか父の城もふもとの街も見えなくなっていた。

 所々に緑を隠す岩山が幾重にも重なるばかりだ。

 マルグリットは困惑したように竜の背を叩いた。


「待って、どこまで行くの?」


 だが竜は答えず、少女を乗せたまま竜の隊列は、山地の奥へと消えていった。

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