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竜の愛し仔  作者: miyabi
3/12

ホルト

 ダグラール領からさらに西、彼らが『西の端山地』と呼ぶ山塊を越えた山あいに、一人の青年がいた。

 名はホルト、短めに刈り込んだ黒い髪にも素朴な装いにも華はないが、濃い蒼色の瞳は澄んで優しく穏やかだ。

 周囲には村もなく人影もないが、岩山にうたがれた岩屋で寝起きする彼には仲間がいた。


「やあ、おはよう。」


 そう言って、腰ほどの高さにもなる大きな竜の頭を撫でた。

 竜の頭頂部には少し長いたてがみが生えていて、そのあたりを強めにゴリゴリと掻いてやると、気持ちよさそうに目を細めてグゥゥと喉を鳴らす。


 ホルトは『竜の愛し仔』、しかも『親無し卵の仔』だ。


 一部の国では竜の言葉を誤って伝えられて『親殺しの卵の仔』などという剣呑な名で呼ばれているらしいが、実際には『親が死んでしまった卵から生まれた仔』というのが意味として正しい。

 今も人としての産みの母は近くの村に暮らしているが、ホルトはここで竜と共に暮らしてもう随分になる。

 確か、岩山で暮らし始めたのは15歳の頃からで、もう10年以上になるだろうか。


 普段は人里離れて暮らしているとはいえ、ホルトも人としての生活に必要な物は村へ下りて分けてもらっているので、人との交流が全くないわけではない。

 村に行くときはお金の代わりに竜から剥がれ落ちた鱗を集めて持って行くが、竜の鱗は武具や装飾品の材料として高値で取引されるらしく、おかげで村でのホルトの待遇も決して悪くない。


「そろそろ村から食料をもらってこないと。明日から雨だろう?」


 さきほど頭を撫でたのとは別の、もう一回り小さな竜が鱗と翼を震わせて答えた。

 ホルトには『嵐、クル』と聞こえている。


「嵐か。なら、岩穴の入り口を塞いでおかないとな。悪いけど、あいつらどかしてくれる?人んちの前でつがわれてもなぁ。」


 そう言って頭をかきながら、岩穴の方を振り返ってあごで指し示す先には、あざなった縄のように絡まり合った2頭の竜が、じっと動かないまま横たわっている。


 今朝起きて岩穴を出ようとしたら、ひと(ひろ)ほどに育ったこどもの竜2頭が、まるで通せんぼするように岩穴の前に転がっていたのだ。

 太さは両の手で十分につかめるほどだから、またいで通る分には岩穴への出入りにば影響はなかったが、穴の入り口に嵐を防ぐための戸板をはめるにはちょっと邪魔になるし、かといって自分で動かそうとすれば鋭利な鱗で手を切るだろう。

 もうちょっと場所を選んでくれればいいのに、と思うのだが、以前そう文句を言ったら『ツガウ時、突然クル。終ワルマデ動ケナイ』と竜に教えられ、こればかりは竜の生態としてどうにもならないことなのだと理解はしている。

 理解はしているが邪魔なので、さきほどの大きな竜に頼んでズルズルと脇に押しやってもらう。


 一度つがい始めると、竜は決して互いを離さず1日か2日はそのまま動かないしほぼ意識もないようだから、押しやっても転がしても気遣うには及ばない。

 そもそも目の前の2匹は、今ではだいぶ雄の方が雌の体に溶け込んでいるから今更離れることもないし、明日の朝には一頭の立派なおとなの竜になっているだろう。


「お前の顔を見れるのも、今のうちか。」


 つがっている雄の竜の頭を、指先でなでてやる。霞のようにたよりないその体は普通の人の手なら触れることさえかなわないし、木も岩も通り抜けてしまうくせに、今は雌の首筋にがっちりと噛みついている。

 紅斑が出ている喉元からは『シャワシャワ』という泡がはじけるような音をたてており、口元はすでに雌が鎧う鱗の表面に半分ほど溶け込んでいて、見慣れたこの顔を見られるのもあとわずかだ。


『魂、消エナイ。ナンデ寂シイ?』


 ホルトが雄の竜の姿を惜しむ気持ちは、どうも竜には理解しがたいらしい。

 ホルトも、自身が竜の魂を持つ身であるから、姿が消えてもこの雄の竜の魂は、きっと感じることはできる。


「でもさ、こうやって顔を見られなくなるって、やっぱり寂しいんだよな。」


 それは、やはり自分が竜ではないから感じる感覚なのだろうか。

 自分の手のひらを見つめて、竜の魂と人の体をもって生まれてきたわが身を改めて思い返す。

 きっと自分は竜に囲まれ、里と交流を続けながらも、誰ともつがわず、誰ともつがえず、こうして見知った顔を見送りながら寂しく生きていくのだろう。


「俺はこのまま、ここで独りで暮らしていくんだろうな。」

『竜、ソバニイル』


 そうだな、とつぶやいて、ホルトはそう言ってくれた竜の頭を掻いてやった。



 村まで行くのに、人の足では険しい岩山を登って丸一日はかかる。

 だが、ホルトはいつも竜の背に乗せてもらって最短距離を飛んでゆくので、あっという間だ。


 竜の鱗は鋭いので、竜の背に上るときは獣の皮で作った丈夫な騎乗用下衣と手袋は欠かせないが、それだけ忘れなければ竜の乗り心地は抜群だ。

 竜は空を滑るように飛び、空から見下ろす景色は地に足をつけていては決して見ることのできない絶景だ。

 山も道も村も絵の中に描かれているように小さく見え、それを見ると自分の悩み事も小さなことに思えて心が軽くなる。


 竜は『竜の愛し仔』以外の人間をその背に乗せることはないが、ホルトが頼めば竜はいつでも快くその背を貸してくれる。

 竜にとって『竜の愛し仔』は兄弟と呼ぶべき存在で、一緒に飛ぶことは遊びの一環らしい。

 『キョウダイ、遊ブ。楽シイ。』というのが竜の言い分だ。

 



 村から帰ってくる頃には、気の早い雨粒が空から落ち始めていた。

 竜は雨が好きだから嵐の中でも楽しく遊びまわるのだろうけれど、ホルトはその仲間には入れない。


 かといって、数日ぶりに下りた人里で顔見知りに会っても、どこか自分とは違う生き物だという気がする。


 (竜が俺のことを『カワイソウ』って言うのは、そういうところなんだろうな)


 嵐に備えて岩穴の入り口に板戸をはめ、暗い岩屋に籠ると、孤独感がひたひたと寄せてくる。

 こんな時には寝るに限る。

 ちょうど村人からいい酒も分けてもらったし、ついでにわけてもらった猪肉の炙りと一緒にいただこう。

 猪肉は少し冷めてしまったが、閉じた岩穴の中で火を焚くわけにもいかない。

 この季節の雨なら、恐らく明日一日の辛抱だ。


 ホルトはそんなに酒が強くないが、こんな時は少しの酒で酔える体質をありがたく思った。

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