総領娘の秘密
『西の端山地』の東端、そそり立つ白い岩壁に抱かれるように建つ石造りの城が、ダグラール領の領主の城だ。
今日も領主の夫人であるアレクシアは、頑丈なかんぬきのついた厳めしい扉の前に立ち、娘のマルグリットが護衛に伴われてその先に続く暗い通路に姿を消すのを見送った。
華奢な身体に沿うように誂えられた服の袖や首元はただでさえ幼いその体をより以上に細く見せ、大柄な護衛の隣に立つと一層はかなく見える。
護衛が掲げる灯に照らされた母譲りの白金の髪が暗闇の中で一度ひらめき、娘は母を振り返って無邪気に手を振った。
アレクシアも微笑み返して手を振ると、マルグリットは再び前へと歩き出し、やがて角を曲がり見えなくなった。
母は装っていた笑顔を消して、ため息をつく。
この通路は城から裏手の岩山へと続く抜け道で、その昔このあたりでも戦が絶えなかった頃は、城主やその家族が秘密裏に脱出するのに使われていたらしいが、アレクシアの知る限りはこの領地にもこの国にも、そんな血生臭い話はしばらく聞いたことがない。
その通路を今またこんな風に使うことになるとは、歴代の城主も思いもしなかっただろう。
たった一人の総領娘が、誰にも見つからないように竜に会いにいくために使うことになるとは。
マルグリットは16歳。だが、その姿は今でも10ばかりにしか見えないほどに小さい。
知恵も心も年相応であるのに、体だけが成長を拒んでいるかのようだ。
マルグリットを授かったことは悔いたことなどないが、どうしてこんなことになってしまったのか。
ダグラール領主夫人であるアレクシアは18の歳に王家からこの地に嫁いできた。
常であれば王家の姫君がこのような山がちで辺鄙な領主の許へ嫁いでくるなどありえないことだったが、当時の国王は妃の他にもあまたの側室がおり、その間にもうけた16人もの姫君の嫁ぎ先を探すのに皇宮職の高官たちは大変な骨折りだったそうだ。
中でもアレクシアは最初の嫁ぎ先となるはずだった貴族の青年に、婚約してわずか3日で死に別れる不運に見舞われ、その後も不吉な姫君だと噂されてなかなか輿入れ先が決まらず、やむなくこのダグラール領の領主である、ファビアンの許に嫁ぐことが決まったのだった。
そんないきさつで決まった結婚だったが、30歳を過ぎても嫁の来手がなかったファビアンは大変喜んだ。
しかも大変美しい姫君だ。白金の髪には一筋の乱れもなく、青い瞳は透けるように白い肌に置いた宝玉のようであった。
アレクシア自身が側室を母に持つ第13皇女でもあれば政治的な利などないに等しかったが、それでもファビアンと領地の人々は新たな女主人としてアレクシアを歓迎し、アレクシアもそれに応えようと慣れぬ辺境の生活に馴染む努力を怠らなかった。
山あいにあれば災害も多く、肥沃な畑地にも恵まれぬ領地での暮らしは楽ではなかったが、王城で腹の探り合いをしながら暮らすより領民のために働く生活はアレクシアの性に合った。
おおむね、領主夫妻の結婚生活は幸せだった。
ただひとつ、跡継ぎになかなか恵まれなかったことの他は。
ダグラール領がいかに山あいの領地とはいえ、跡継ぎがないのは領地を守るうえで大きな問題だ。
ファビアンも夫人を娶る前は親戚筋から養子を迎える心づもりでいたが、結婚したからにはできるならば自身の子に跡を継がせたい。
それは心情的な理由もあったが、いらぬ争いを領内に引き起こさないためにも必要なことだった。
養子を迎えた後に実の子が産まれるようなことがあれば、実の子に跡を継がせたいと思うのが親心というもので、ファビアンもそういった跡目争いは嫌というほど見てきた。
だが、あと1年、もう1年、とその判断を先延ばしにすることが、夫人であるアレクシアを追い詰めていたことに、無骨な山あいの領主は気付かなかった。
アレクシアは王女ではあったが、大きな後ろ盾も持たぬ側室の娘にとって王宮が『家』であったことはついぞなかった。
今の幸せを離れてあの場所に戻ることなど考えられない。だが、このままでは――。
アレクシアは子宝に利益のあると言われる様々な神に願をかけ、まじないや薬の類もひそかに人をやっては手に入れ、試みた。
時には一時的に健康を損なうことさえあったが、それでもアレクシアは藁にもすがる思いで、様々な方法を試した。
その甲斐あってか、結婚6年目にしてやっと総領娘となるマルグリットを授かり、夫妻は共に涙を流して喜んだ。
だが、マルグリットが5歳のころ、ある日を境に竜が幼子の側に頻繁に姿を現すようになった。
いくらこのダグラール領が竜の住まいと言われる『西の端山地』のすぐ山すそに位置しているとはいえ、その山地の奥深く住まうと言われている竜の姿を見ることはごく稀なことで、その上人間の暮らす場所にかほどまで彼らが近づいてくることなど、これまで聞いたことがなかった。
竜は謎に満ちている。
小さなうちは光を透かすばかりにたよりない体をしているが、人の大人の背丈ほどまで成長すると徐々に全身に硬い鱗をよろうようになり、その牙と爪とでついには生態系の頂点に立つ。
だが、人里を襲うという話は聞いたことがなく、その姿を見せることさえ極めて少ない。
それゆえ、竜を見ることは本来瑞兆とされていたが、これほどの頻繁に娘にまとわりつかれては、まがまがしい気配にならざるをえない。
娘の身を案じた領主ファビアンは方々に遣いを出して竜を知る者を探させた。
だが、旅に暮らす賢人を見つけ出し領主の館に招くまでに、実に3年の月日がかかった。
その間にもマルグリットは8歳の誕生日を迎えていたが、この頃にはマルグリットの成長は同じ年頃の子供たちに大きく後れを取るようになっていた。
また、肌をさらす服を好まず、袖の短い服など着せれば夜具を引きかぶり、細い声で竜を呼んでしまう。
周囲の大人はなるべく竜を呼ばないように少女を説き伏せ、代わりにいつも袖の長い、肌をぴたりと覆うような服を着せた。
年の割にはあまりに小さく、また不思議な服をまとうその姿を、両親はなるべく人目につかぬようにしながらも、ただ一人の愛娘として城の奥で大切に育てていた。
他の者の前にはあまり姿を現さなくなった竜ではあったが、マルグリットの部屋には常に小さな竜が出入りし、最近ではおとなの竜が遠巻きに館の近くを飛んでいる姿も、頻繁に見られるようになっていた。
館に招かれた老賢人は、名をラグドという。
「ラグド殿。娘の身に何が起きているのか、もし理由をご存じであればお聞かせ願いたい。」
総領娘であるマルグリットが何か悪い病気なのではないか、竜から害をなされるのではないかと、夫妻はずっと気を揉んできたのだ。
マルグリットの母であるアレクシアは、心労で一回りもやせ細ってしまった。
話を聞いたラグドはしばらくあごひげをしごきながら黙って領主夫妻の間に座るマルグリットを見つめていたが、やがてアレクシアに視線を移すと、やや低い声で問うた。
「むすめごは、『竜の愛し仔』ではないのですかな?」
「竜の――なんですと?」
領主のファビアンは面食らったように賢人と妻を交互に見つめた。
アレクシアも戸惑ったように夫を見返す。賢人は続けた。
「『竜の愛し仔』、つまり、竜の卵を飲み込むことで授かったお子のことです。お心当たりはござらぬか。」
ひゅっと、アレクシアが息をのむ音がした。
元々白い肌が、血の気を失って青ざめている。
息をすることも忘れたように体をこわばらせた妻を、ファビアンがいぶかしげに見やったが、またすぐに賢人に向き直る。
「竜の卵だと?そんな風にして子が授かるものなのか?」
「遠く西の国では、そのような風習もあるのです。だが、『竜の愛し仔』はおのこばかりだと思っておりました。おなごを見るのは私も初めてですな。」
アレクシアの様子を見て確信したのだろう、賢人はマルグリット誕生の秘密を、それ以上問いただすようなことはしなかった。
内心でうろたえたのはファビアンだ。自分の知らぬところで、妻は一体どのようにして娘を授かったというのか。
だが、それを妻に尋ねる前に、アレクシアが賢人の前にひざまずいた。
「どうぞお教えください。その『竜の愛し仔』というのは、普通の娘と同じように育つものなのでしょうか?竜はあの子を傷つけたり連れ去ったりはしないでしょうか?」
「わからぬ」というのが、賢人の答えだった。
「私が知る『竜の愛し仔』は、竜から卵を譲り受けることで、竜の魂を宿した人の子を授かるもの。だが、私が知る限り『竜の愛し仔』はおのこばかりで、特段育ちが遅いという話も聞かぬ。竜の魂を宿して生まれるとはいえ、彼らは人の子と同じく育ち、暮らすものと聞いておる。」
「ならば、あの子も竜の魂をその身の内に抱えているというのですか?」
賢人は首を振るばかりだ。
「わからぬ。そもそも『竜の愛し仔』については詳しい話は部族のうちに秘されていてな。だが、おのこばかりであることには、何か理由があるのだろう。おなごの場合、何か障りがあるのかもしれぬ。」
アレクシアは賢人の足元に座り込んだまま、混乱したように頭を振った。
「あの子は、あの子は人の子です。私と同じ白金の髪と、ファビアン様ゆずりの褐色の瞳を持つ、私たちの娘です。確かに育ちは遅い方ですが、それを除けば普通の子供と違うところなどひとつも――」
「だが、かほどに竜に愛されておる。」
今日はラグドも領主夫妻もいるので竜も部屋の中には入ってこようとしないが、それでも窓の外から中を覗き込むように、ゆっくりと白い影が幾度となく横切っている。
空の高いところにはおとなの竜が4、5頭旋回していて、ここからは黒いこよりのように見えている。賢人は視線を領主に戻した。
「もう、むすめごは、竜の言葉も理解しているのではないのか?」
そう言われ、領主は言葉に詰まったように口を引き結んだ。
娘は時折「竜がね、今日は雨で嬉しいのだって」などと両親に語って聞かせることがある。
てっきり、それはままごとの延長の作り話だと思っていたのだが。
「何の助言もしてやれないが――」
一度言葉を切り、ラグドは改めて領主夫妻に視線を送る。
「いずれにせよ、覚悟はしておくことですな。」
普通の娘と同じように背丈が伸びないのも、恐らくは『竜の愛し仔』としての生まれが影響しているのだろう。
もしかすると、娘は人として育たぬ定めなのかもしれない。
いつかはその命さえ危うくする事態が起きるのか――アレクシアはたまらず、細い泣き声をあげて両手に顔をうずめてしまった。
その妻を、何か見知らぬ者を見るような視線で見つめていたファビアンは、ややあってその視線を引きはがすと「ひとつ教えてほしい」と賢人に尋ねた。
「『竜の愛し仔』を生み育てている国があると仰るが、その国では竜も人も立ち混ざって暮らしているのか?」
「私が知る『竜の愛し仔』は竜と近しく付き合いながら、人里で暮らしておりました。竜とは、そう、遊び仲間のような関係だとでも言えばいいでしょうかな。ただ、竜を殺して奪った卵から生まれた仔は、竜が連れ去り人の世には戻さないと聞いておる。『親殺しの卵の仔』と呼ばれるらしい。よもや」
顔を両手で覆ったまま細かく震え始めた夫人に、賢人は確信を持った疑惑の目を向けた。
「そなたの娘も『親殺しの卵』で生を受けたのではあるまいな?」
見知らぬ老人と両親との間にただならぬ空気を感じながら、マルグリットは不安そうに両親を見つめていた。




