序
マルグリットにとって、初めての竜の記憶は、虫の羽音のような細い『声』だ。
その夜、自分の部屋で一人眠っていた5歳のマルグリットは、何か不快な感覚に襲われて目を覚ました。
体を起こして、夜着の短い袖から出ている腕をさすってみる。
寒いような、何か不快な感覚が全身を覆っていた。その時のマルグリットはその感覚を「寒い」としか感じることができなかったが、一番近い言葉を探すとすれば「心細い」だったのではないか、と後年、マルグリットは思った。
これまでそんなことを感じたことは一度もなかったのに、頼りなく薄い夜着の裾や袖からのぞく足や腕の皮膚が、空気にさらされているのがとても不快だった。
手でさすってみるだけでは足りず、上掛けを肩からかぶって、ぎゅっとその身に巻き付けると少し気持ちが落ち着いたが、それでもどこか落ち着かず、寝台の上でゆらゆらと体をゆすったり、燭台の火影に鈍く照らされた壁の織物や絵に目を移してみたりしたものの、わけもわからぬ寂しさに押し流されるようにして、ついにはうめくように泣き出してしまった。
夜は静かに過ごすものだと教えられていたから大きな声を張り上げはしなかったけれど、自分一人が世界から切り離されて、この部屋の扉を開けたら、そこにはもう暗闇ばかりで誰もいなくて何もないのではないかと、そんな恐怖が押し寄せてきた。
どれほど一人で泣いていただろう。
しばらくして、何か空気を震わすような細い音が鳴っているのに気が付いた。
羽虫のたぐいかとも思ったが、その音には不愉快な響きはみじんもなく、もっと親しいもののように感じられた。
涙でいっぱいだった目を拭ってみると、薄暗い部屋の中をぼんやりと漂う白い影が、近くに、遠くに、いく筋も見えた。
マルグリットの腕の長さほどのものもあれば、寝台と同じほどに長いものもある。
細長い影は半透明で薄ぼんやりとしていたが、よく見ると頭があって翼があって、音の源はその翼を細かく震わせているもののようだった。
マルグリットはびっくりはしたが、その音はとても懐かしい感じがして、気付けば助けを求めるように、白く細い影に手を差し伸べていた。
それが、竜との出会いだった。
腕を伸ばすと、竜は小さな手にその身を寄せてきた。
少しひんやりと感じられるその体は水と空気の間のようで頼りなかったが、肌に触れたその感覚には、それまで少女をさいなんでいた心もとなさを和らげる何かがあった。
不思議なことに漂う竜は寝台も机も、まるでそこにないようにすり抜けているのに、マルグリットの小さな指でならその頭を撫でてやることもできた。
『・・・』
『・・・』
竜がたてる細い音が、何か意味を持ったもののように響き、少女は首をかしげる。
『――見ツケタ』
そう聞こえ、思わず言葉を返す。
「私を、探していたの?」
羽根を震わす音はブゥンとうなりを深めた。それが喜びの音だということも、マルグリットは誰に教わったわけでもないのに理解ができた。
竜は寝台の上で夜具にくるまっていた少女に寄り集まってきて、今では押し合いへし合いだ。
その様子に、思わず幼い笑い声が漏れる。
もう、寒さも心細さも感じなかった。
竜の透き通った肌や短い毛の生えた頭を小さな指で撫でてやりながら、マルグリットはいつしか幸せな眠気に誘われて再び寝台に横たわっていた。
そのまま優しい眠りに吸い込まれていったが、夢の世界へ滑り落ちる間にも、竜の細い『声』が響いていた。
『悲シイ――カワイソウ』
(どうして?)
けれど、その問いは言葉にならないまま、マルグリットは竜に囲まれてすやすやと寝息を立て始めた。
はじめまして。miyabiと申します。これまで読む専門だったのですが、たくさんのお話を読んでいるうちに、自分で書いたものも誰かに読んでもらいたくなりました。
竜のお話ですが、うちの竜は火も吐かないし、人に変化もしないし、勇者に狩られて魔石も残しません(笑)
初めて投稿しますので、不手際もあるかもしれませんが、大目に見ていただけると幸いです。
一人でも、読んでくださる方がいたら嬉しいです。
※レイアウトを変更しました。行間を空けたので、少し読みやすくなれば。




