第二話「幼馴染の到来」
自転車を走らせて、中学へと向かう。
真っ当な就職をしなかった俺には、ネクタイを巻く機会すら久しぶりだな、とブレザーを見ながら感慨にふける。
一番の心配は、友人関係やら何やらを正しく憶えているかどうかという点であるが、当時からぼっちで陰キャ気味だった俺にはさして問題ないだろう。
そんな自虐を脳が展開しているうちに、学校に到着した。ピロティに張り出されているクラス分けに、上級生が群がっている。一年生は前の日の入学式でクラスを知っているんだっけ。若者の常識に、早くも不安なところが見つかる。三年一組という平凡な組に所属する事実を受け入れた俺は、昇降口を通って校舎の三階に上がった。
学校の造りは、不思議と憶えているものである。階段にもっとも近い一組の教室は、その階段に空間の少しを奪い取られていて、他の部屋よりやや狭い。三年通ってようやく気付いたこの事実を知らない生徒もまだいるんだろうな、と同級生に優越感を覚えながら、俺は教室の左後ろの席に着いた。
一列目の一番後ろの席である。宇佐美という苗字には妥当な席だ。宇佐美 燈。下の名前はやや読みづらい。しかし、自己紹介のネタがない陰キャには、話のきっかけにもなるこの名前がちょうど良かったりする。
キーン、コーン、カーン、コーン。
懐かしいチャイムの音とともに、担任が入ってくる。見るだけで萎える、はげ頭のオヤジである。
「えー、まずは始業式だが、体育館に移動する前に、とりあえず伝えておくことがある。ピロティの名簿を見て気付いたやつも多いだろうからな。どうだ、ワクワクしているか。」
担任のもったいぶったような雰囲気に、俺の中に封じ込められていたある記憶が蘇る。
中学3年生の始業式の日、ある女子生徒が転校してくる。その人物は、俺の唯一の幼馴染であり、小学校の途中で引っ越してしまった初恋の相手である。そして人と話すのが苦手になっていた俺が、昔みたいに仲良くしようと空回りし続けたため距離を置かれてしまい、俺の心にダメージを残した因縁の相手である。ぼっち化にとどめをさした人物として、脳内に封印して鍵をかけ続けていた女の子である。
「渡辺 凪です。仲良くしてください。」
本当は好きだった彼女の声が、封印をこじ開けていく。
「ということだ。渡辺、これから一年間よろしくな。みんなも渡辺の言った通り、仲良くしてやれよ。」
先生の呼びかけに、もちろんです、と男子の合唱が返る。渡辺は、いや、凪は可愛いのだ。小学校の頃はそうでもなく、俺の一人勝ちだろうと高を括っていたのに、中学校には可愛くなって帰ってきたのだ。主観を抜きにしても、クラスで一番は、手堅いだろう。
「凪ちゃん、一緒に体育館行こ!」
凪は、自分の机に着くやいなや、クラスの女子に囲まれたようである。そうなのだ、凪はボーイッシュな空気を持っているからか、女子人気も高いのである。転校生への珍しさで近付いた女子たち全員が、数日以内に凪の虜になることを俺は知っている。
* *
始業式は、先生たちを懐かしんでいるうちに、校長先生の長い話もいつの間にか締めの言葉に入っていて、あっという間に終わりを迎えた。
しかし、この人生二周目、どうするべきだろうか。正直、凪と上手く仲を深められるのなら、そうしたい。とはいえ、このままの俺で努力しても、一周目と同じ結果を産むことになるだけだろう。
そこで俺は、ニート時代に読み漁った恋愛漫画や恋愛エッセイ、体験談のあらゆる知識を思い出そうと頭をフル回転させた。
結果、一つ、確かな命題を手繰り寄せることができた。
女子は、恋愛的に「ナシ」の男から好意を向けられると、はげしい嫌悪感を抱く。
男という生き物は、どんな女の子からでもアプローチを受ければ舞い上がってしまうものである。しかし、女子は違うらしい。おそらく、前回の俺はここを勘違いしていた。勘違いして、凪にアタックを繰り返してしまった。いま思うと、それが気持ち悪かったのだろう。
俺は、猛反省をする。
宇佐美 燈という男を、アップデートさせる。
二度と同じ過ちは犯さない。当面の間、凪への好意を消し去って接する。そうだ、俺は、心は大人である。中学生に好意を抱くはずがないのだ。凪とは、とりあえず友だちとして仲良くなろう。
そう決意して、凪にひとこと話しかけた。
「凪、ひさしぶり。」
振り返った凪が、声の主を俺だと認識した途端に顔を綻ばせたことは、決して脈があることを意味しない。
「燈! 背、伸びたね。」
しかし、懐かしい声で呼ばれた俺の名前に、中学生の心臓は、とくんとくんと鼓動を速めてしまうのだった。
第二話です。
一人目のヒロインが登場します。「渡辺凪」なので名前順だと最後で、席は燈と最後列同士ですね。
次の話は二人目のヒロインが出てきます。
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