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魔獣の友  作者: 猫山知紀
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第81話 ヘルハウンド

 雪化粧した竜の爪の裾野、森に囲まれた平地にヘルハウンドは姿を見せた。


 ヘルハウンドを見るのはリディも初めてのことだった。今でこそケルベたちを見慣れているので、湧き上がる恐怖心を抑えることができるが、本来なら足が震えていてもおかしくはない相手だ。豪魔全般に言えることだが、一対一で戦うのは無謀と言ってもいい。それだけ豪魔指定された魔獣というものは恐れられるべき存在だ。


(というわけで、今すぐにでも逃げ出したいのだが……)


 リディが逃げたいと思うのと、相手が逃してくれるかは別の話だ。先程からヘルハウンドは地面に鼻をつけるようにして、時折前足で雪を掘りながら匂いを嗅いでいる。幸いまだリディたちの存在は見つかっていない。身を隠すなら今のうちだが、動くほどにヘルハウンドに発見されるリスクも上がる。


 ヘルハウンドは地面の匂いを嗅ぎながら、時々顔をあげて辺りを見回す。リディたちに気づかないまま興味を失って別のことろへ行ってくれればいいのだが、そう思ったとおりに行かないのが世の常というものである。


 リディが動くべきか、動かざるべきかと悩んでいるときだった。


 山おろしの風がリディの背後から森を駆け抜けていった。

 風はリディたちを巻き込み、森の木々を通り過ぎ、ヘルハウンドのところへと到達する。そのとき、ヘルハウンドの赤い目とリディの視線が交差した。


(見つかった!)


 風が運んだリディたちの匂いにヘルハウンドは鋭く反応した。ヘルハウンドはリディたちを見つけると即座に森へ向けて一直線に加速しながら向かってくる。そこに躊躇い(ためらい)など無く、鋭い爪をむき出しにして地面に食い込ませるようにして脚を踏み込み強く蹴る。四肢をフルに使ったケルベがいつも見せる加速と同じだった。


「グリフ退避!!」


 グリフへの指示を叫びながらリディは自身の体も動かす。あらかじめすぐに動ける体勢をとっていたのが幸いする。リディはヘルハウンドの突進に対して、ヘルハウンドが加速しづらくなるよう木を間に挟みながら、突進の直線上にならないように進路を変えつつ移動する。


 だが、ヘルハウンドはこの地域で暮らしている魔獣だ。森の中も手慣れたように軽快に進路を変えてリディの背中を追ってきた。


(森の中は逆に不利かっ!)


 ヘルハウンドの動きを見てリディはすぐに方針を変えた。脚に魔力を込めて強く地面を蹴る。ヘルハウンドを背に森を一周するように動きを変える。背中を押すような迫る巨体の圧力でバランスを崩しながらも、リディはなんとか走り続ける。そして、森をぐるっと一周すると背後から迫るヘルハウンドの動きを見て、飛びかかってくるのを上手く躱しながら森を飛び出した。


 ブレーキをかけるのと同時に脚を滑らせながら、ヘルハウンドへ向かって振り向く。飛びかかってくるのに備え、いつでも振り抜けるよう剣は横に構えた。


 背を向けていたリディが正面に相対したのを見て、ヘルハウンドも動きを止めた。前足を伸ばし体を低くして、いつでも飛びかかれる体勢をとっている。


 両者の動きがピタリと止まり、辺りに束の間の静寂が訪れる。


 リディとヘルハウンドのにらみ合いは続く。ヘルハウンドは低く唸るように喉を鳴らし、リディを威嚇している。


(こっちは別に戦いたくないんだが……)


 できれば見逃してくれないかと思いながらも、リディを睨むヘルハウンドの赤い瞳からはそんな気配や微塵も感じられない。


 リディは目だけを動かして周囲の状況を確認する。そして、ヘルハウンドの視線を引きつけるようにジリジリと左へと移動して、ヘルハウンドの死角を増やした。


 そう、この場にいるのはリディとヘルハウンドだけではない。ヘルハウンドは油断していた。もう一頭この場にいる存在を見落として――。


 リディがにやりと口角をあげた瞬間、鋭い爪の斬撃がヘルハウンドを襲った。

 爪の主はヘルハウンドの死角から飛来したグリフだった。グリフはヘルハウンドに一撃を入れた後、飛行したまま素早く離脱する。


 皮膚を切り裂かれヘルハウンドは悲鳴をあげてよろめく。その瞬間、リディは剣を振りかぶり、ヘルハウンドの胴を狙って思い切り斬り下ろした。


 だが、ヘルハウンドの毛皮はリディの剣を通さない。岩に剣を叩きつけたようにリディの剣は拒絶され、剣に伝わる衝撃がリディの手を痺れさせた。


(これはっ!?)


 手の衝撃がニケたちと初めて会ったときの記憶を蘇らせる。リディがケルベに斬りかかったときと同じ衝撃だった。


(硬ったー!? ケルベの毛皮と同じかっ!)


 リディは目を剥いて、まだよろめいているヘルハウンドを見る。リディの剣での傷はついていないが、グリフが切り裂いた皮膚からは血が流れている。ヘルハウンドは牙をむき出しにしてリディを睨む一方でグリフの位置も見失わないように首を振っている。


 グリフは着地せずに旋回しながら機を見計らっている。そして、それはヘルハウンドも同じだった。グリフが旋回してヘルハウンドに背中を見せたときだった。ヘルハウンドはその隙きを見て、リディに攻撃を仕掛けた。


 フェイントをかけるように左右に移動しながらヘルハウンドがリディに接近する。リディの数倍はある巨体とは思えぬ俊敏な動きだ。前足の爪をむき出しにして、リディを捕らえるためヘルハウンドはリディに飛び掛かった。


 黒い巨体がリディに迫る。しかし、リディは落ち着いていた。ヘルハウンドが飛び上がったのを見るや、身を低くして瞬時に地を蹴った。リディはあえてヘルハウンドに接近し、飛びかかってくるヘルハウンドの下をくぐるようにして攻撃を躱した。


 着地したヘルハウンドはすぐに振り向き再びリディを狙う。そうして、ヘルハウンドがリディに気を取られた時、再びヘルハウンドをグリフの爪が襲った。リディがヘルハウンドの気を引き、グリフが死角から攻撃する。上手く連携された動きだった。


 リディとグリフは何度かその連携を繰り返して、ヘルハウンドの体に傷を増やしていった。しかし、ヘルハウンドにも頭はある。繰り返される同じような攻撃に徐々にグリフの攻撃を避ける動きが上手くなっていく。そして、リディの攻撃が自身に傷を付けることができていないことを悟ったのか、次第にリディよりもグリフに目を向けるようになっていった。


 その様子にリディは密かにほくそ笑んだ。

 初手、ヘルハウンドはリディに注視し、グリフの存在を見落としていた。それに乗じてグリフは隙をみては攻撃を続けて、ヘルハウンドの体に傷を増やしていった。するとヘルハウンドはグリフを警戒せざるを得なくなり、今度はリディへの警戒が薄くなる。『魔力を纏わない』剣での攻撃はヘルハウンドに傷を付けることはできず、ヘルハウンドはついにリディを無視し始めた。


 それが狙いだった。


 リディはグリフに気を取られているヘルハウンドの隙きを突き、死角へと移動する。


 ヘルハウンドの意識が逸れていることを確認しながら、リディはジャッカに教えてもらったことを思い出す。


(剣は体の一部……)


 剣はリディの腕であり、足であり、頭であり、そして、心。

 あのときジャッカに教えてもらった感覚を思い出しながら、リディは剣が自身の体の一部であるという感覚の下で魔力を注ぎ込んでいく。リディが流し込む魔力に呼応して剣が風を纏い、輝き始める。


(あのときは制御できなかったが……)


 ジャッカに教えてもらったときには剣に全ての魔力を奪われる程に魔力を注ぎ込んでしまった。しかし、絞りすぎると剣はなまくらな切れ味しか発揮できない。その繊細な魔力の加減をリディは見極めようとしていた。


(剣は私の体だ。だが、力を入れすぎてもいけない。もっと、自然に、私の……)


 騎士団で剣術の訓練をしていた時、調子のいいときには自然と力が抜けていた。すると、相手の動きを見る余裕が生まれ、相手の僅かな気配を読み取り、先手を取ることも、相手の動きを見切り、後手で返すことも自由自在だった。あれがリディの自然体であり、最も力を引き出せている状態だとするならば、その感覚に近づくように力を、心を、魔力を整えていく。


 ふと、魔力が吸われていく感覚がなくなった。


 だが、剣から力が失われたわけではない。剣が纏う風は健在で、剣の輝きはリディが自身を振るうのを今か今かと待っているようにも感じられる。


 リディは精神を研ぎ澄まして、意識を剣から周囲に向けた。

 すぐ側で、グリフとヘルハウンドが戦っている。互いに爪をむき出しにして、全力で相手を狩ろうとしている。平時であれば恐ろしく感じられるであろうその光景に、リディは何の感情も抱かなかった。


 ただ、今は自分のすべきことをするのみ。

 腰を落として、剣を構える。


 足を踏み込み、狙いを定める。


 目でヘルハウンドの動きを追い、大きく息を吐いて呼吸を止めた。


(剣は私の一部であり、私は剣の一部である)


 その時、剣が一際強く輝いた。剣を覆っていた風がリディをも包む。


 その様子に、グリフとヘルハウンドも反応する。二頭とも何が起きたのかと、剣の輝きに気を取られ、その瞬間ヘルハウンドの動きが止まった。


(今っ!!)


 リディが強く地面を蹴る。そして――。


 一閃


 次の瞬間、リディの姿はヘルハウンドの向こう側にあった。剣からは輝きと風が失われ、代わりに鮮血が滴って(したたって)いる。リディは剣を振って血振るいを行うと、真っ白だった雪に赤い血潮が飛び散る。そうして、血を落とした剣をリディはゆっくりと鞘に収めた。


 ぐらりとヘルハウンドの体が揺れ、雪原へと倒れる。白い雪がヘルハウンドの喉の辺りから赤く染まっていく。必死に呼吸をするように動いていたヘルハウンドの体はやがてぴたりと動かなくなった。


「なかなか良かったんじゃないか?」


 リディはグリフの方を向いてそう問いかけた。しかし、グリフは首を捻るだけで何も答えてはくれない。そんなつれないグリフの態度にリディは口を尖らせた。


 ただ、リディ自身は先程成し得たことに満足していた。魔力を空にすることもなく、剣の力を活かすことができたと感じられ、ジャッカの言っていた剣は体の一部だということを真に理解できた気がした。


 ヘルハウンドの死体はグリフが少しだけ肉をついばみ、リディは腹を満たすための肉を少し切り出した。木の枝を森から調達して、それに切り出した肉を突き刺す。他の大部分はリディが魔法で穴を掘って埋めることにした。本当は素材や肉を取って、燃やしてしまった方がいいのだが、それだけの荷物を持つ準備をしていないし、乾いた薪のない雪の中で燃やすよりも、地面に穴を掘る方が魔力の節約になる。匂いで他の魔獣が寄ってくる可能性もあるが、腐臭が出始める頃にはリディたちはこの場を去っているはずだ。


 ヘルハウンドを埋め終わった雪原は、真っ白な中リディが掘り起こした一部だけが茶色い地面が見えている。その傍らでリディは肉を突き刺した木の枝を片手に立っていた。


「肉を食べながら。ニケを待つか」


 ヘルハウンドの肉を食べる時に付いた血で口の周りを赤くしたグリフをリディは見る。グリフは何も答えなかったが、リディはグリフが了承したものとみなして、再び魔獣たちから姿を隠すため、森の方へと歩き出した。


 グリフも何も言わずにその後をついていく。


 ヘルハウンドに見つかる前に使っていた木のところへ戻ると、リディとグリフは腰を下ろす。もう魔獣が来ないことを祈りながらリディはニケを待つことにした。


 そして、木の棒に刺したヘルハウンドの肉は、指先から炎を出して炙りながら食べた。


よかったら、ブクマ、評価をよろしくお願いいたします。

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