第80話 北の魔獣
空と大地の境界が赤くなり、東の空に太陽が昇り始める頃、リディを乗せたグリフは竜の爪の麓までたどり着いていた。グリフは少し開けた場所に狙いを定めると着地の体勢を取る。グリフは円を描きながらゆっくりと降下し、地面に近づいたところで翼を強く羽ばたき減速する。巻き起こった風で地面に積もっていた雪が散り、辺りに舞い上がった。
グリフが着地したのを確認するとリディはグリフの背中から降りて、地に足をつけた。リディの足で踏みしめられた雪がぎゅっと音を立て、リディが『ふぅ』と息を吐くと白い煙が口元から吹き出した。
山を一気に上り気温が大きく下がっていた。リディは持ってきていた外套に身を包んでいる。イダンセでアイシスに買ってもらった外套だ。魔力を遮る効果のあるこの外套の中で魔力を循環させると保温効果が働き、気温ほどの寒さは感じない。
気温が下がったことで初めて体感できたこの外套の抜群の防寒性能に、リディはイダンセで外套を買っておいてよかったと、過去の自分とこの外套を買ってくれたアイシスを褒め称えた。
辺りの景色はすっかりと雪景色になり、地面にも拳が半分埋まる程度の雪が積もっている。今は雪は降っていないため、最近積もったものが残っているということだろう。こうして雪が残っていることが、この地域の寒さを物語っている。
しかし、地面に雪が残っていることはリディたちにとっては運が良かったかもしれない。雪に残る足跡がケルベを探す手がかりになるからだ。
リディはグリフの足跡が混ざらないように、グリフに歩き回らないように言い含めると、辺りの雪に残っている足跡を探してみる。辺りを歩き回ってみるといくつかの足跡を見つけることができた。森へ入っていくもの、竜の爪へと向かっていくもの、そして、途中で途切れているもの。
いずれの足跡もまだ新しそうに見えたので、近くに足跡の主がいそうではあるが、魔獣の専門家ではないリディでは、足跡で魔獣の種類を見分けることまではできなかった。
(ふーむ、さすがにどれがケルベのものかまではわからんな……)
竜の爪へと向かっているものが一番可能性としては高そうだが、確信がないのに動くのは危険だ。ケルベを発見できないだけでなく、足跡の主である魔獣と戦うことにもなってしまうからだ。
ケルベの肉球をふにふにしたことはあるが、じっくり観察して記憶したりはしていないので、ケルベロスの足跡がどのようなものなのかがリディには正確にわからない。
とりわけこの地域にはケルベ以外のケルベロスやヘルハウンドというケルベロスの近縁種と言われている魔獣も生息している。足跡のみから特定の個体を識別するのは専門家でも難しいだろう。
「ニケを待って、魔力を飛ばしてもらうしかないか……」
近くでリディの方を見ているグリフに話しかけながらリディは考えを巡らせる。ニケとバジルがリディたちに追いつくにはもう少し時間がかかるはずだ。なので、少しでもケルベの居場所を見つけるためのヒントを探せればと思っていたが、足跡だけではそれは叶いそうになかった。
「あまり目立ってこの足跡の主たちに見つかっても困るし、森の中でニケたちを待とう」
リディが先導してグリフを森の方へと誘導する。さっき見かけた足跡と鉢合わせしてもたまらないので、足跡が向かっていた方とは別の方へと向かった。
北の魔獣はその多くがギルドや国などによって豪魔に指定されている。つまり、グリフやケルベ、バジルなどと同等の力を持っている。彼らは賢くもあるため無駄な争いは好まない。だからグリフが近くにいれば抑止にはなるだろうが、魔獣が人を襲う本能に対してどれほどの効果があるかは未知数だ。
森の中、雪が積もっていない木の下を選んで、リディは腰を下ろした。グリフもそばに座る。羽を撫でてやるとグリフの体温を感じた。出会う前はグリフォンは恐怖の対象でしかない魔獣だったのに、一緒に旅をするようになり、ふれあうことで、こうして安らぎすら感じる存在になるのだから、実際にふれあい、相手を知ることの重要さをリディは悟った。
ニケとバジルを待つ間リディはぼーっと景色を眺めながら過ごしていた。地面に敷かれた白い雪の絨毯を太陽が照らし始め、夏の日差しにも負けないほどに強く眩しく輝いている。人も動物もいない風景だが、たまに吹き抜ける風が木々を揺らし、景色に変化を与えている。些細だが確かにある変化で、その様子をじっとみていると時間がゆっくり流れるようだが、ふと気づくと思ったよりも時間が進んでいるような、そんな矛盾した感覚をリディにもたらした。
表面上は穏やかな時間だった。しかし、変化のなかった景色に大きな変化をもたらす者が現れた。
その気配を感じたリディは腰の剣に手を当てて、木の陰に隠れながらすぐに動ける体勢を取る。グリフも体を隠そうとしたが、木ではグリフの巨体は隠しようがないので、身をかがめて伏せるような体勢をとる。
リディは木の陰から片目を出して様子を窺う。リディたちが降り立った雪原にその姿が見えた。魔獣だ。
現れた魔獣はケルベロスのような体躯だが、三つ首ではなく頭は一つだ。滴りそうなよだれを携え、いらだったように歯をむき出しにしている。その魔獣の体は黒い体毛をベースにところどころ炎のような赤い毛が強さを誇示するように主張している、どこかで見たような色彩だ。
その魔獣の姿を見てから、リディは自身を包む外套を見た。黒い毛皮に赤い毛がアクセントのように入っている。たった今、どこかで見たような色彩だ。
それから、外套を買ったときの店主の言葉を思い出す。
(あぁ、これですかヘルハウンドの毛皮製ですよ。いい品に目をつけましたね)
あの時店主はそう言っていた。つまり――。
「あれが、ヘルハウンドか……」




