第78話 声
「さて、腹ごしらえは済んだが……。これからどうしたものか」
リディのニケは村の近くの散歩がてら、食料を調達して腹を満たした。
村の畑には野菜が実っていたが、村人がいつ戻るかもわからず、無断で頂戴するのは気が引けたので、放置されていたクズ野菜だけ少しだけいただいて、畑の野菜には手を出さないようにした。
腹を満たし、改めて誰もいなくなった村を眺めていると、本当に村から人がいなくなったのだという実感が湧いてくる。この村の人の数は決して多くはなかったが、それでも人の営みというか人の気配のようなものを昨日は感じることができた。それは、足音であり、話し声であり、料理の匂いであり、人の姿であり、目を、耳を、鼻を通して人を感じられるモノがあった。
それが今は全くなく、がらんとした村の姿は物寂しく、今ここに誰もいないのだという現実を改めて突きつけられる。
リディたちは豪魔素材の出どころを追ってこの村まで来た。もともとニケが住んでいた村が流通元となっていた豪魔素材。村が滅ぼされ、一度流通が途絶えたが、最近新たに豪魔素材を売りに来るものがいるという噂をイダンセで聞いた。
その話をもとにヘニーノヘ赴き、そしてこの村へとやってきたわけだが、情報はここで途絶えてしまった。以前ニケの村が豪魔素材を卸していたという話から、新たに豪魔素材を流している者もニケの村の関係者ではないかと考えた。しかし、実際に村に来てみれば、その者たちはニケも知らない者たちだった。彼らは何かしらの理由でこの村に住み着き、その詳しい理由を聞く前に姿を消してしまった。
「ヘニーノに戻るしかないか……」
「あの人達探さないの?」
「探して見つかる相手だとも思えないんだよな……」
彼らはリディたちから逃げるようにこの村を去った。
そうなればリディたちが追ってくることも当然警戒しているはずだ。
そして、リディがあっさり眠らされてしまったように、村人の中にはリディよりも魔法に長けているものがいる。それに門番をやっていたバモンは斥候に長けていそうだ。リディたちが追っても、あっさり見つかり姿を隠されるのがオチだろうというのが容易に想像できる。リディたちに加えてケルベたちもいればなおさらだ。
可能性の低いことに労力を割きたくないというのが、リディの本音だった。
とはいえ、ここで待っていても彼らが戻ってくるとも思えない。むしろ、リディたちが留まっているせいで戻ってこないということになるだろう。
どうしたものかとリディが空を見上げれば、今日はきれいな青空が上空に広がっていた。深い青のキャンバスにちぎれ雲が散らばっている。目を凝らすと円を描きながら飛ぶ鳥が見え、上空から獲物を狙っているようだ。
その鳥の声だろうか、笛のような音がうっすらと耳に届いた。
ケルベは村の草むらで丸くなり、グリフは体を伸ばしながら翼も広げて伸びをしている。バジルは日向に陣取り、陽の光を浴びて気持ちよさそうに眼を細めていた。
秋らしい、爽やかな天候だった。
『……来い……』
「リディ何か言った?」
「ん? いや、なにも言っていないが」
誰かに呼ばれたような気がして、ニケは辺りを見回す。しかし、村の人達がいなくなった今、ここにいる人間はリディとニケだけだ。誰かの声が聞こえるはずもなかった。
首を傾げながら、風の音を聞き間違えたのかとニケは思った。
しかし――。
『……来い……』
さっきよりもはっきりと聞こえた。いや、聞こえたというのも違う。直接頭に届いたような感覚だった。
「……誰?」
ニケは辺りを再び見回すが、視界に声の主の姿は入らない。だが、間違いなく声は聞こえた。その声は嫌に惹き付けられる何かがあった。訴えかけるような、惹かれるような、言うことを聞いてしまいたくなる、得も知れぬ感情が湧きそうになる。
ニケはふと自分の首元を見ると、ペンダントが青くぼんやりと光っているのが目に入った。
そして、それに気づいたときにはもう遅かった。
「ケルベッ!!」
ニケはさっきまでケルベが寝ていた方を見る。しかし、そこにケルベの姿はなかった。
ニケは駆け出してケルベの姿を探す。ケルベはさっきまでは近くにいた。まだ遠くへは行っていないはずだ。
慌てて走っていくニケの様子に、リディもグリフとバジルも何事かと追いかける。
ニケは村の中を駆け、ケルベの姿を探す。建物の影にも目を向けながら、村の中をケルベを探して駆け抜ける。
『……来い……』
また、声が聞こえた。
その声を聞いてニケは足を止める。音ではなく直接頭の中に響く声だが、どこかから呼ばれている感じがした。ニケは声を感じる方向を振り向く。
その目の先にはこの村よりも遥かに高い山々が聳えている。雪を被り、鋭くナイフのように尖った山の頂がいくつも連なる高山地帯、ニケの父親たちが豪魔素材を得るためにいつも狩りに出かけていた方角だ。
その時、ニケの視線の先に高山地帯へ動く黒い点が見えた。
「ケルベッ!」
ニケはその影を急いで追いかける。
「はぁ、はぁ、ケルベッ!」
ニケは息を切らし呼びかけながら追いかけるが、ケルベとの距離は縮まらない。
それでもニケは追いかける。ケルベを行かせてはいけない。ニケの中の何かがそう言っていた。
ニケはケルベを追いかけるため懸命に足を動かした。ゆるく登る坂はニケの足から力を奪い、徐々にニケの足の動きが遅くなってくる。必死で口から息を吸うニケだが急速に体力を奪われて息苦しさが増していく。
「待って……」
届くはずのないニケの弱々しい声に、遠くにいるケルベの足が止まった。三つあるケルベの頭のうちの一つが、ニケの方を振り向く。
「はぁ……ケル、べ……」
ニケはへろへろになってなお、手を伸ばしながら懸命に足を動かした。しかし――。
『……来い……』
その声がニケに届いた時、ケルベはニケに背を向けて山へ向けて駆け出した。
ケルベの黒い背中が山間の景色に消えていく。
ニケの足はもう動かなかった――。
「ニケッ!!」
ニケが膝に手をついて立ち尽くしているところへ、追いかけてきたリディがやってきた。
「急にどうした、ケルベはっ?」
「いっちゃっ……た」
「行った? どこへ?」
「わかん、ない。急に声が聞こえて……」
ニケは今あった出来事をリディに説明する。突然聞こえた声、何かを呼ぶようなその声に誘われてケルベは行ってしまった。
その声はニケと、おそらくケルベにしか聞こえていなかった。リディは声など聞いておらず、突然駆け出したニケを追いかけてここまで来た。
そこにケルベの姿はなく、息を切らせたニケだけが立ち尽くしていた。
(ケルベを呼ぶ声……?)
リディはニケの話を聞いて考えを巡らせる。前にニケはケルベが魔素に侵されていると言っていた。だとすると、とうとう魔素の影響でケルベは魔獣化してしまったということか?
しかし、魔獣化したのならニケをその場で襲っていてもおかしくはない。魔獣には人間を襲うという抗えない本能がある。ケルベが本当に魔獣化してしまったのならニケは格好の餌食になるはずだ。しかし、そうなっていないということは――。
「ニケ、ケルベを迎えに行くぞ」
「えっ?」
ニケの両肩を掴み、リディはニケの眼を見る。
「急げばまだ間に合うかも知れない」
リディの言葉にニケはぐっと口を結び、力強くうなずいて返事をした。
ぼちぼち終盤です。




