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エロ本クエスト〜道端に落ちたエロ本を求めて〜

作者: asterism

去年の年末くらい、新型コロナウイルス騒動前のお話です。

 時は2020年、平成の暦は通り過ぎ、やって来たるわ情報社会。世にはデータが氾濫し、誰もがスマートフォンやパソコンで繋がりを持つ。インターネット、見えるけど、見えない網が僕らを包む。


 えぇ、便利ですね、便利ですとも、便利すぎる。


 分からないならググれカス。死後になるほど時がたった今ですら本質は変わらない。親や友人や掲示板で尋ねれば、目の前の板か箱で調べろや等と言ったり言われたり、なんだか冷たい気もするが、日常に欠かせない、いや、最早あって然るべきものである。


 時は1989年平成元年、World Wide Web……所謂WWWが欧州原子核研究機構 、CERNによって産み出された。インターネットの始まりだ。翌年1990年に早くも実装、同年末には世界で初めてのウェブページが公開された。


 1989年、俺とネットは同い年だ。では平成元年とはどのような時代か。携帯電話は存在せず、Eメールすら開発されていない。世にはポケベル、公衆電話や家電、会社の電話から折り返して電話をする、そんな時代。


 ある意味で、現在のようなスマホで年がら年中監視される時代の走りとも言える時代だ。それでもまだテレホンカードは現役であり、街中にはバブルの影響もあって活気で溢れ、テレビではトレンディードラマが流れまくるし、録画やレンタルはVHS、サブスクなんてありません。そんな時代だ。


 そして勿論、24時間戦えますかのスローガン通り、世のモーレツ社員達は地道に新聞や本、テレビで情報を仕入れるのだ。


 因みにいくつかの古代言語を用いたがわかるかな? 折角だ、周りの人に聞いてみよう。ググる? いやいやせっかくの話題だし盛り上がろう。ノスタルジーは良いものだよ?


 さて本題だが、そんな旧世代の情報社会で人々はどういった生活を行っていたか。


 有史以来、人類は未だ人類のままである。


 単体生殖も出来ないし、完全性別変更も出来ない。クローンは出来るだろうが倫理的に許されてはいない。つまるところ、未だ人類は性交を経て、子孫を残すのである。


 では、股間寂しい独身男性やら、性欲に覚醒した古の青少年達は、一体どうやってその虚しさを慰めていたのか。想像? 妄想? 自分磨き?


 そう、人類には妄想を代理してくれる存在があったのだ。現在も残り続けているその文化、AVやエロ本、エロ漫画である。


 まだ今ほどコンテンツが多くなかった時代、世の男性諸君はチラリと見える女性の胸やキャラクターのパンツに興奮し、物理法則を応用してピストン運動による摩擦を作り出していたわけだが、勿論資金と権利を持つ大人達は成人向けコンテンツを利用し、その向こう側へと先行していたわけだ。


 ネットがない旧世代、人々はエロ動画を収めた物理記憶媒体VHSを買ったり借りたりしていた。諸君、VHSはシークバーなんて無いんだよ? ひたすらボタンでビデオのフィルムを巻き戻すのだ。気軽にフィニッシュへ飛ぶのは至難の業だったのですよ? 目の前の箱や板に感謝しなさい。


 だが、これはあくまで成人の話。性は小学生や中学生から芽生えるもの。であれば成人向けコンテンツを購入できる資格も資金も無い彼ら彼女らはどうしていたのか。


 いや、それを見る方法はあったのだ。誰にも言えない秘密の宝物、それこそが不法投棄、エロ本のポイ捨てである。


 エロ本を買った大人達は、果たしてソイツを堂々と近所の皆様と共有するゴミ置き場へ重ねられただろうか。いや振り切った奴はやっただろうが、羞恥心があれば出来はしまい。恐らくというか実際、こっそりと誰もいない道に捨てていた。


 ポイ捨ては悪である。だがエロ本に限っては、青少年にとっては救世主、そう、正義となるのだ。


 インターネットなど便利な物が存在ないその時代、子供達は土手河原や道端、公園や山道に落ちているエロ本を漁っては、家や秘密の隠れ家に持ち帰り、雨に濡れたりカピカピになっているのも気にせず必死にページを捲っていた……わぁ懐かしい。


 友人に話してドキドキしながら一緒に見たり、女の子にバレて、それでも興味津々な彼女と一緒に見たり……ちなみに私のファーストキスはここでした。くたばれ昔の俺。


 中学生や高校生にもなると、今や発見すること自体が困難なAVやエロ本の自動販売機を使う事を覚えるも、どうにもお小遣いじゃ妙に高いそのアイテムを眺める日々が続いたり……


 だが時は平成、バブルが崩壊した後も技術が進み、中学生にもなればiモードを搭載した携帯電話が普及した。残念ながら自販機を探したエピソードを私は持っていない。だが、それ以前の世代は確かに経験したのだろう。ある意味羨ましくもある。


 私事だが、数ヶ月前に仕事で疲れ切り、インターネットや通信機器が全て嫌になった時期があった。


 現代人はスマホ依存症である。多分私だけではなく、朝一スマホを観て、ニュースもスマホ、スマホから仕事の連絡が入り休憩にもスマホ、暇さえあれば意味もなくスマホ、どうでも良い意見を見る為にTwitterを覗き、寝る前もギリギリまでスマホを見る。人におやすみと言った後ですら、スマホはこんにちはなのだ。


 そんな中、私は連休を取って全ての電源を切った。PCも開かずスマホも電源を落とし、ゲームも音楽も聞かずに一日の大半を過ごしてみた。


 朝からスマホを取ろうとする手を叩き、手持ち無沙汰感が波動の如く襲いかかるあの感覚……TwitterやLINEが気になって仕方が無い、もし家族や友人に何かが起きたら、連絡はどうしよう、仕事で緊急事態が起きたら……そんな不安が一時間ほど続き、そうして落ち着いたところ……。


 音が聴こえた。

 道路の音や自分の呼吸音。


 目がよく見えた。

 ボヤけもしないし、心做しか色もよく見える。


 新しい知識を入れず、昔を振り返る余裕が出来た。

 アルバムを見た、そして子供時代を思い出した。


 そういえば、昔エロ本を探して自転車で街を回った事がある。どうせ休みだ、もう一度行こう。


 そうして旅に出た、小さな旅だ。


 12月の後半、寒い冬空の下。朝っぱらから白い息を吐き、マフラーを揺らしながら自転車を漕いだ。古いママチャリでギアすらない。下手をすれば小学生時代のマウンテンバイクの方が高性能だったかもしれない。なにせ忘年会で当たったママチャリだ。贅沢は言わない。


 茨城県は自動車社会であり、自転車は目的地まで妙に時間が掛かる。とはいえ20年前より町は発展し、東京直通の電車も通り道も整備されている。あの頃はCDを買うには隣町に行くしか無かった。今ではもう、田んぼのカエル音は聞こえない。


 車とは違い、ゆっくりと流れる景色を見つめながら冷たい空気を肌で感じる。昔通った裏道は、大通りになっている。かつて落ちていたエロ本は無い。


 道を見ていると、ふと昔の友人を思い出す。私は中高一貫の学校に進んだので、小学生時代の友人たちと最早付き合いはない。地元の成人式は懐かしかったが寂しかった。地元の思い出は小学生のままなのだ。


 50円玉しか持っていなかったあの夏、友人とお金を出しあって駄菓子屋でフルーツグミを買ったのだ。ぶどう味のグミを。


 涙が出た。彼は今、何をしているのだろうか。


 かつてエロ本を売っていた本屋は、今や大きな駅の敷地内だ。昔あそこに漫画を探す振りをして入った事がある。そこは大人向けだよと声をかけられ、サイボーグクロちゃんを買って帰った記憶が蘇る。


 あの爺さんはもういない。


 車でよく見ていた風景が、どこか不思議な空間へと変わっていく。そうだ、あれから20年。昔では考えられないような集団が、東京目指して電車へと乗り込んでいく。


 進んで行くと、昔エロ漫画を拾った公園へ辿り着く。流石にもう落ちてな……落ちてたわ!? だがハズレ。落ちていたのはジャンプだった。確かにエロ本はネットで見られても!新刊のジャンプは別だろう。無造作に捨てられたジャンプを拾うのは些か気が引けるが、軍手をはめてゴミ箱に持っていく。


 昔、友人達と遊んだこの公園、見つけたエロ漫画……部下と部長が不倫して、ズッコンバッコンする内容だったはずだ。あれのせいか未だに部長職が信用できない。やはり青少年に有害図書は見せては行けないのだ。


 そして昼時、コンビニでおにぎりを食べる。昔はここも田んぼだった。子供時代はコンビニが少なく、駅前にすら無かった筈だ。どんな風景だった? 良く思い出せない。


 そうだ、写真を撮ろう。


 そして罠にハマる、カメラですらスマホなのだ。スマホは便利すぎる。90年代で言えば、カメラ、電話、ラジカセ、ビデオ、懐中電灯にワープロとどれだけのガジェットがこの板に詰め込まれているのだろうか。


 そんなわけでこの旅の記録は無い、頭の中だけだ。


 そんな事を考えつつ、午後に入る。こんなに情報更新せずにボケッと過ごしたのは何年ぶりだろうか。心做しか、頭がスッキリしている。一日が、長い。


 河川敷にもはらっぱにも公園にも、エロ本は落ちていない。読まれる絶対数が少ないので、当然の事だが、分かっていても探したくなる。どうして俺は、こんなにもエロ本を探しているんだろうか。ふとそんな事を考える。


 多分、どこか壊れるくらい、相当疲れていたんだと思う。


 やがて神社に辿り着いた。毎年夏になると例大祭が行われる。山車や屋台が立ち並ぶ昔ながらのお祭りだ。我が故郷は電車の影響で少子高齢化が進んでおらず、どちらかと言えば子供が多いほど。


 そんな街でも商店街はガラガラだ。業突く張りの地主共が土地の値上げをはかり再開発が失敗し、街の発展と引き換えに皮肉にも昔の姿を残している。だが、誰も居ない。


 昔、祖父と祭りに行った記憶が蘇る。繋いでいた手を眺めると、少し伸びた傷跡と、前より少し大きくなった自分の手の甲が見えた。祖父はもういない。


 3時頃、肉屋さんでメンチカツを食べる。美味い。揚げたてジューシーな肉汁がこぼれ、ソースが上手く馴染んでいる。当時と変わらぬおばちゃんが手渡してくれた。嬉しくなる。変わらないものもあるのだと。


 あぁそうか、そうなのか。

 どうしてこんな事をしているんだろうか。

 何となく理解した。


 そうして、夕日出始める午後の5時。隣町との境界線近く。この辺りは未だに街灯が少なく……というかほぼ無く、ライトを付けても恐怖感が湧くほどだ。治安は非常に良いが。


 すると、トンネル前でかつて見た建物……というよりボロ屋が見えてくる。あぁ、そうか。これは自販機小屋だと思いつく。


 薄汚れた板にこびりつく文字の名残り。薄らと見えるグッズ・本という文字の痕跡。そうか、ここにあったんだな。エロ本と、アダルトグッズの自販機が。


 大人になった今なら買えるのに、買えなくなってしまったもの。いつか出来ると思っても、結局出来なかった事。例え出来たとしても、達成感も無く当たり前だと感じてしまう事。


 結局、街中にエロ本は落ちていなかった。でもそれで良い。そんなものは無い綺麗な街、ゴミの無い子育ての街。しかし、どこか寂しく感じる不思議な感情。


 そうだ、やっぱりそうだ。どうしてこんな事を思いついたんだろうか、簡単な話だ。僕は落ちたエロ本という、昔の情熱を取り戻したかったのだ。


 一生懸命探して、見つけて、友達と眺めて、好きなあの子を思い出し、ドキドキとしたあの時、あの時間を見つけたかったんだと。


 カラスが鳴き始め、夕陽が沈む。

 通勤していた時も同じ風景を見ていたはずなのに、記憶が無い。きっと下ばかり見ていたからだ。


 帰ろう、先に進もう。

 僕はスマホの電源を入れた。いくつかのLINEとメールが二件、返信して鞄に放り込む。


 それ以来、不思議と無駄にスマートフォンを眺める時間は減ったような気がする。連絡をとっていなかった友人や親戚にも電話し、昔の話をしてみたり、最近は中々楽しいものだ。


 きっと、今日観た景色すらノスタルジーになるのだろう。今の友人達も、いつかは会わなくなる。僕にとっての落ちたエロ本とは、取り返せない昔の思いでそのものだ。


 時は経つ。人や街は変わっていくし、いつか僕の人生も終わる。でも、たまに昔を振り返ると、捨てられたり落ちている思い出がある。取り返せない過去の思い出も、取り返せる思い出もある。


 一度きりの人生だ。一瞬でも、たまには過去を振り返ってみてはいかがでしょうか。もしかして、落ちているエロ本が見つかるかもしれませんよ?

あの頃に帰りたい、そう思う時もありますね。昔を懐かしんで友人と話すのも良いものです。

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