終末を拒む者
01終末を拒む者
1.終末
広い病室の中央には、豪華なベッドが置かれていた。それは、多数の医療用ロボットに取り囲まれ、天井から吊るされた透明なシートに包まれていた。ベッドの上には杏さんが横たわり、その傍のソファーには、彼女のペットである犬のペロと猫のタロウが一緒に並んで彼女を見守っている。やがて、満ち足りた表情で杏さんは最後の時を迎えた。延命することも出来たが、本人がそれを望まなかった。杏・スチュアートさん、享年208歳だった。
そしてその日、長い栄光の歴史と繁栄を誇ったホモ・サピエンス(知恵ある人=現生人類)は絶滅した。彼女は、最後の生き残りだったのだ。
ホモ・サピエンスが衰退して絶滅が危惧されるようになってから、これまでに種の存続や継承について幾度か議決がなされていた。だが人々はクローンや遺伝子技術を用いた種の存続・継承は希望しなかった。彼らは最終的に、絶滅を受け入れたのだ。
数日後、杏さんの葬儀は国葬として盛大に執り行われた。国家最高統括AI(人工知能)マザーのアバターが喪主を務め、銀河連盟加盟諸国をはじめとする外交関係のある異星人国家から、要人たちのアバターが参列した。勿論、犬のペロと猫のタロウのほか、多数のペットやアンドロイドも参列していた。
2.遺産相続
それからさらに数日後、犬のペロと猫のタロウはAIのウィリアム300世に呼び出された。三者は仮想空間の中で会見した。二匹は、人工的に能力を向上された、いわゆる人工進化犬猫と呼ばれるもので、一定の知能と言語能力を付与されている。
AIウィリアムが説明をはじめた。
「改めて、ご挨拶いたします。私は、杏さんの財産を管理している執事AIのウィリアム300世です。ウィリアムとお呼びください」「杏さんの遺言により彼女の遺産は全て、犬のペロさんと猫のタロウさんのお二方に贈られます」
彼のアバターは禿げ頭の上に天使のリングが浮かび、背中に羽が付いた中太りの初老男性として表示されている。
「遺言、何かワン」と犬のペロ。
「遺産、何かニャー。肉かニャー、魚かニャー」と猫のタロウは聞いた。
「データを検索してください。そしてダウンロードすれば、脳に直接データが送られて…ダメですか。分かりました、私が操作します」
「遺産とかを貰うと、食べ放題出来るワン」「くれるなら貰うワン」
「遺産とか興味無いニャー」「僕たちの面倒は、だれが見てくれるのかニャー。担当AIさんが代わるのかニャー。今まで通りニート暮らしができけば、それでいいニャー」
「私の分の遺産は、どこかに穴を掘って埋めておくワン」「タロウさんも、どこかに隠すワン」
「猫はそんニャーことしないニャー」「猫はその日暮らしなのニャー」
AIウィリアムは言った「お二人とも、私の話を理解するには、まだ能力が不足しています」「それで提案ですが、この際お二方には亜人化していただきます。遺伝子情報を書き換えて、身体を変化させます。すると人間に近い姿と能力を得られます」
「人間になれるの、うれしいニャン」
「一度は人間をやってみたかったワン。でも、耳と尻尾はこのままでいいワン。これは犬族の誇りだワン」
「それは、猫も同じニャー」
3.始まり
数週間後、再び三者のバーチャル会議が行われた。
「体調はいかかですか」とAIウィリアムは聞いた。
「大丈夫です、元気です」「最初は驚いたけど、慣れてきました」
獣の耳と尻尾以外は、すっかり人間と同じ姿になった犬ペロと猫タロウの画像が別のウインドウに表示されている。
「すっかり亜人化しましたね。知能も著しく向上したはずですから、今度は大丈夫でしょう。この前は馬鹿すぎて話にならなかった」
「酷い言われようですね」と犬ペロ。
「そうだ、このアバター変えてくれる」と猫タロウは要求した。
するとたちまち、犬猫のアバターが亜人型に変化した。
「さて、杏さんの遺産の件ですが、彼女は最後のホモ・サピエンスでしたから我が国の財産全てが杏さんに帰結するものと考えられます。よって、杏さんの遺産はホモ・サピエンスの遺産全てだと、解釈してはいかがでしょうか」
「え~と、そんな法律はないとか、そのような解釈はできないとかで、それは無理かと」「アレ、僕、凄く賢くなったナ~」と猫タロウは自分自身の変化に驚いた。
「私たちのマスターである人類は滅亡したのです。もうマスターはいません。私たちの手で新しい決まりを作りましょう」とAIウィリアム。
「ペットの私たちに相談されても。AIさんが裁定することでしょ」と犬ペロは迷惑そうに言った。
「人類が衰退して、人口が僅かになってから、我国の法律も社会制度も正しく機能していませんでした。」「生き残りの人々の振る舞いに合わせて、なし崩し的にAIがマニュアルを書き直していただけです」「人間の保護を優先するために、事後承認とか法律の遡及適用とか、すでに破綻していました」とAIウィリアムは現状を嘆いて言った。
「まあ元々、法律や社会的制度等は支配者である人間の都合で手直しされる性格のものではありますが」
「そうですか、それが何か…」と猫タロウは自分には関係ないという表情で言う。
AIウィリアムは構わず話を続けた「それで現在、残された者の中で何か言って来るのは、多数のAIと数百匹の人工進化ペットだけです」「あなた方が、最後のマスターである人間の遺産相続人だと言うことを強調して、亜人化させるように私が他のAI を説得したのです。ペロさんとタロウさんは、他の人工進化犬猫に一歩先んじたのです。」
「そんなことを、やっていたのか」と猫タロウ。
犬ペロは「頼んだ覚えがありません」と抗議する目つきでAIウィリアムを見た。
4.継承
「そこで、次の提案です。お二人には、最後のホモ・サピエンスである杏さんの後を継ぐということで、『継承侯』と称していただきます。そして、ホモ・サピエンスの全遺産を受け継ぐのです」
「そうは言っても、私たちだけで人間の全遺産を貰うのは無理でね」と猫タロウ。
「他のAIが、そんなに欲張ってはダメですと言ってくるでしょう」と犬ペロは言った。
「そうですね、私が管理しているのは、個人財産だけですから。でも、人類の全遺産を引き継いだ新国家を建設して、あなた方が元首になれば話は別です」
「国の家の建設工事とか、猫には無理ですから。てか、やらないから」
「公安AIとかに、反乱罪だか国家転覆だとか言われて、叱られませんか」と犬ペロは心配そうな眼付きで言った。
「我が国は100年以上前から、国家の体を成していません」
「嫌ですよ、もう叱られるのは。以前、タロウさんが悪戯して、管理AIから飯抜きの罰を受けたときに、タロウさんが私のご飯を食べるものだから、私まで怒られそうになったのよ」「反乱だと、三日間飯抜きの極刑とかされそうですよね」犬ペロは猫タロウを見ながら言った。
「そんなので済むか。検索してください」とAIウィリアム。
「何の、飯抜きぐらい。普段でも、不味い飯の時は食べないから。どうせ後で腹減ったと言えば何か貰えるし」「でも、鎖を付けられる罰は嫌だな。あれは、もう勘弁だな」と猫タロウは思い出しながら言った。
「私は、鎖を付けられても平気ですけど、飯抜きの罰だけは絶対嫌ですね」
「ア、そうだ、何処かの異星人が滅亡したとき、AIが後を引き継いで、機械文明国家になったという話を聞いたことがあるけど」「今まで通りの暮らしができるなら、それでも構わないな」と猫タロウは言った。
「昔から人類は、AIが支配者にならないように、対策を施してきました。AIが人類の後継者になることを望みませんでした。あくまでもサポート役として、生物の世話をすること。それが人類から、我々AIに与えられた責務なのです」
「人間はもう居ないから、そんなの守らなくてもよくネ」
「てすが、AIはそれを守るように作られているのです」
「確か、例外がありましたよね。人格クローンAIとか。検索、検索」と犬ペロは言った
5.新国家
「現在、人工進化犬猫が300匹います。まずこれを亜人化して、新国家の貴族階級にします。そうすれば、あなた方が元首級の継承侯になっても、人工進化犬猫から不満の声は出ないでしょう」「犬猫以外の人工進化ペットは少数なので無視します」「次に普通の犬猫を、百万匹ほど亜人化して、新国家の国民にするのです。AIも仕事が出来ることになり、丸く収まります」
「貴族とか、ずいぶんと古い体制ですね」と犬ペロ。
「あなた方には、その方が相応しい」「AIがサポートするとはいえ、犬猫たちはこれから亜人化するのです。人類も最初は、原始的な社会から出発しました。経験的に学ぶべき事は多いのです。知能が向上しても、すぐに文明人に成れる訳ではありません。例えば、民主主義でも衆愚政治に陥ることがあります」
「それに貴族といっても、領地はありません。ただ、特別待遇を受けるだけです」「新国家の政治体制は、後ほど詳しく説明します」
AIウィリアムは話題を変えた。
「それと、お二人とも元首級になるのですから、マナーをわきまえてくだい。まずはタロウさん、床に座って食事を取るのは止めてください」
「今まで通りに、食べているだけだけど」
「私は、ちゃんと椅子とテーブルで食事していますから、大丈夫ですよね」
「でも、犬食いでしょ。亜人になったのだから、手を使って食事をしましょう。手掴みでもいいですけど、出来れば箸かナイフとホークを使いましょう。」「あと、ロボットに餌を投げ上げさせて、ダイビングキャッチして食べるのもやめましょう」
「あれは凄くテンション上がるのよ。ウィリアムさんも、アバターでやってみてください。病みつきになりますよ」
「人間もAIも、そのような事はしませんから」
「アッそうですネ、AIは食事をしないものね」
「新国家の建設とか、元首になるとか、やって良いかどうか分からん」
「同じく、分かりませんわ」
「面倒くさいことせずに、毎日、旨い刺身を食べられればそれで良いのだ」と猫タロウは大あくびをしながら言った。
犬ペロは「私は、何と言っても牛肉ですね」「レアでお願いします」
「志は無いのですか。望みが低くて悲しい」「あなたたちは、いずれ寿命を迎えますが、私たちAIは違います。継承侯に続く恒久的な制度を作らなくては」
6. クローン
「とにかく、亜人化した犬猫の国を作るのです」
「何故、そんなに熱心なのかな。AIには何の報酬もないはず」と猫タロウは聞いた。
「あなたは人格クローンAIですよね。どうして杏さんから財産管理を任されていたのですか」と犬ペロも質問した。
「実は杏さんの茶飲み友達で、ウィリアムさんという人がいたのです。でも、先にお亡くなりになられました。そして杏さんの要望により、ウィリアムさんの人格を模した人格クローン・プログラムを持つAIとして私が作られました。以来50年程、杏さんの話し相手をして参りました。その関係で彼女の財産管理を任されていたのです」
「なぜ、新国家の建設を目指すのかと問われれば、私に移植されたウィリアムさんの疑似人格のせいだとしか答えられません」
「なるほどネ」
「話を戻します。亜人化したとはいえ、犬猫には高度な文明国家の運営は出来ません」
「まあ、その通りだね。無理だね」と仰向けに寝そべりながら猫タロウはうなずいた。
「どうしても、AIのサポートが必要です。名目上、新国家の統治者は犬猫ですが、実質的には犬・猫とAIの三者による共同統治になります」「あなた方は継承侯として、それぞれ犬猫を代表する立場になりますが、私もAIを代表する役職を得て新国家の運営に貢献したいのです」
「にゃんと、そんな望みがあったとは」と猫タロウは驚いた。
犬ペロは言った「これだから、人格クローンAIは…」「例えば、政権を取りたい人の人格クローンAIは、支配者を目指す危険性があります」
「それで、人格クローンAIは禁止されていたのか」猫タロウは納得した。
「まあ、そうですね、早世された人とかの例外はありましたが。人格クローンAIはどうしても、AIの行動規制が甘くなりますからね。でも人類の滅亡が決定的になると、やがて全面的に解禁されました」
「なし崩し的にですよね」と犬ペロは補足した。
「私も、あなた方に関わっていないと、活動の場がなくなるのです」
「検索しました。私たちが杏さんの遺産相続をした後、AIのウィリアムさんは全ての活動を止められて、『凍結ファイル』に移されますね。これは、データ削除待ちファイルで、5年に一度の大掃除で消されます」「AIのウィリアムさんも、消滅してしまうのですね」
「暇になって良かったね。ゆっくりしてね」と猫タロウは笑顔で言った。
「ご愁傷様です。成仏してください」犬ペロは合掌した。
了