迫る振動
向かってくるのは、蠢く真っ黒な生物の群れ。
先頭を行くのは、青い髪を持つ青年マリアンと、巨大な狐だった。
後を追うようにタカコの乗る車はゆっくりと進む。
「これは臭い……鼻が曲がりそうでございますね」
「それどころじゃないだろ。何もかもがおかしいぞ。コンちゃん」
「まぁそうなんですが……非常に不愉快な臭いが気になって」
「ひえぇぇ……」
タカコは車の中で縮こまりながらその異様な光景を眺めていた。
影のような黒い敵は最初に出て来た人型にとどまらなかったようだ。
空を飛ぶムカデのような化け物や、四足歩行のトカゲのようなもの。
そもそも形すらないドロッとした粘液などが、次々に襲い掛かってくる。
タカコは絶望的な眺めに、涙目でテラさんに言った。
「……あれって全部敵なんですよね?」
『肯定します。現在マスター周辺は、敵勢力に取り囲まれている状況が予測されます。マスター救出のためには突破は必須と考えられます』
「聞きたくなかった……」
テラさんの言う通りそれは目的地に近づけば近づくほど数を増したが、たいした緊張感もなく、マリアンと巨大な狐はそいつらを屠ってゆく。
群れとなって襲い掛かって来た鎧姿の兵士の影を、巨大狐は人睨みして、青白い炎で焼き尽くす。
一体、炎の中から飛び出してきた影を尾の一撃で両断した狐は嫌そうに表情をゆがめた。
「いい加減うっとおしくなってきましたね」
「まぁな。だが敵じゃない」
マリアンは無造作に手を振り、進行方向に押し寄せていた黒い化け物たちを、水の槍で片っ端から串刺しにしていた。
「ひぃ!」
ベショリとフロントガラスに、黒い泥の一部が飛んできて張り付いた。
張り付いた泥は煤のように端から消えていくのだが、不気味だった。
攻撃に容赦はなく、恐ろしいはずの敵はこちらに近づくこともできずにびちゃびちゃと泥のようなものをまき散らして消えるのだから、タカコにしてみれば味方の方が恐ろしく見えた。
「だが付き合ってやる義理もない。一気に押し通るか?」
「そうですね。お忍びは無茶そうですし」
「確かにな……じゃあ手加減はいらないなぁ! ここからはスピード重視で行こう!」」
マリアンが叫び、どこからともなく大量の水が渦を巻きながら現れると周囲の黒い化け物達の動きが明らかに止まった。
わずかに体を震わせて、動かないというよりも動けずにいる黒い化け物達は、ほとんど無防備に、水魔法の洗礼をその身に受けて押しつぶされた。
あまりにも真っ正面から魔法を受けた化け物達に、マリアンは白けた様子にため息をついた。
「なんだ、ビビったのか? つまらん」
「魔力に圧倒されたんでしょう? ……当然でございますよ。ご主人様たちの使う魔法? は強すぎるんです。あんな寄せ集め共では抵抗することもできるわけがございません」
「そんなものか? だとすればこの術は貧弱だな、ダイキチは気を抜きすぎだ」
「いや……この呪術も十分強力なものなのですけれどね」
身も蓋もないマリアンに、狐はあきれ気味だった。
タカコも狐に心底同意したい。
マリアンの使う魔法はとんでもなく強すぎる。
呪術というのは、感情を元にして強力な力を出すらしいが、マリアンの使う魔法はそんなもの物ともしないのだから。
「なんていうか……でたらめですよね。そりゃあこの世界で国家なんて作れるわけだ」
タカコは呟く。
今の洪水なんて地面ごと進行方向をただの道にしてしまった。
飛び散った水さえ勝手に動き出し、残党に這いよると全身に取りついて動きを完全に封じるのだから厄介この上ない。
あれが人間相手に行使されたとしたら、軍隊であろうとマリアン単騎で制圧も不可能ではないかもしれなかった。
タカコは客観的に見る魔法という技の恐ろしさをしっかりと骨の髄まで味わった気分になった。
そうやってタカコが慄いている間に目的地にたどり着く。
圧倒的な蹂躙を繰り返し、進み続けた先にそれはあった。
「なんだこれは?」
「うえぇ……鼻が腐りそう」
鼻先を押さえてポンと音を立てて小さな姿に戻った狐は、マリアンの首に戻る。
マリアンは戻った狐に嬉しそうにしながらも、黒い壁を見上げていた。
「タカコ! ここで間違いないか!」
そう尋ねられ、慌てて外に飛び出したタカコは頷いた。
「間違いないです! テラさんはどうですか?」
タカコは念のためテラさんだと名乗る球体に尋ねるとテラさんもまた肯定した。
『間違いありません。目の前の壁は立方体で、閉鎖されているようです』
「そいつはまた厳重だな」
マリアンが壁を叩くと音こそしないが抵抗はあって、材質すらわからない。
敷地全てが囲まれているのだとしたら壁を破らなければ中に入れそうにないが、タカコが施行を巡らせる前に、マリアンは動いていた。
「……よし破るか」
「え?」
ほとんど間もおかずに今度は巨大な氷の槍を作り出したマリアンは、それを黒い壁にぶつける。
だが、衝突した瞬間砕け散ったのは氷の方だった。
甲高い音を立てて、崩れ落ちる氷塊はタカコたちにも降り注ぐ。
「うひゃああ!」
「おっと! 思ったよりも硬いなこの壁!」
マリアンは降り注ぐ氷を消し去って目を丸くしていたが、タカコはさすがに文句を叫んだ。
「何やってるんですか!」
「いや、悪かった。だがあれで壊れないとなると中々骨だな」
「……そうなんですか?」
眉を寄せるマリアンに思わず聞き返すが、冗談ではないようである。
「ああ。そもそも水の魔法は、破壊力って意味じゃ今一の方なんだ」
「ははん……なるほど、それは嘘ですね?」
「嘘じゃない。水の得意分野は回復と、制圧だ。時間をかけてこの囲い事、全部水没させるか? いやさすがにダイキチがあぶないか?」
「ぼそぼそすごいことを言わないでほしいんですけど?」
「行動派なんですよご主人様は……しかし本当にどうした物でしょうね」
いつの間にか、タカコの肩に移っていたフォックスがこぼすが、先ほどの以上のことがどういうものなのかも想像できないタカコは、身の危険を感じた。
『車の全武装を叩き込んでみましょうか?』
「……こっちもこっちで怖いことを言うなぁ」
テラさんの提案もまた厄介そうである。
しかし危険な響きだが可能性はあるかもしれない、そんなことをタカコが考えているとその振動は今来た道の方から確実にこちらに迫っていた。