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第三章 入道グモとワニと禄朗 2 天使ワニ



       * 2 *



 ――見つからない。


 教室の中はもちろん、廊下のロッカーにも、下駄箱にも禄朗が使っていた痕跡はなくって、他の人が使ってる場所になっていた。

 図書室にある古いマテリアルブックの写真集を彼が借りていたような記憶があって、いまじゃあんまり使われない貸出カードに記入があったと思うのに、そこにも禄朗の名前はなかった。

 結局学校の中で、禄朗の痕跡を見つけることはできなかった。

 今日はもう一度家の中を探すために早く帰りたくって、裏道になってる細い道を歩きながら、あたしは深くため息を吐く。


 鞄の中に手を突っ込んで触れたのは、厚紙のと革の感触。確かに鞄の中に入ってることを確認してから、あたしは厚紙の方を取り出す。

 禄朗の痕跡はいまはアルバムと日記帳とフィルムカメラにしかなくって、持ち歩けるアルバムと日記帳を鞄の中に入れていた。


「どこにいるの? 禄朗」


 取り出したアルバムを開いて、あたしは彼とあたしの写真を眺める。

 ここに確かに禄朗がいた痕跡はあるのに、禄朗はいま世界のどこにもいる様子がなかった。


 ――もう一度、もう一度ちゃんと探してみよう。


 早く家に帰って、他にも禄朗がいた痕跡を、いま禄朗がどうしているかの手がかりを探そうと、アルバムを鞄に仕舞って歩き出す。

 歩き出したところで、ふと立ち止まる。

 すぐそこにあったのは、雑木林。

 ここからじゃ向こう側は見えないけど、ほんの数十メートル程度の、家と家の区画に挟まれた場所。時々禄朗と一緒に歩いたことがある場所で、道路を歩くよりもほんの少しだけど近道になる。

 昼間でも薄暗いし、じめじめとしてて歩きにくいのはわかってるのに、あたしはそこに足を踏み入れる。


 呼ばれてる気がした。

 誰かがあたしのことを、呼んでる気がした。


 それが禄朗なのか、そうでないのかもわからない。

 でも誰かがあたしの右手を取って、導いてくれる感触があった。

 だからあたしは振り向かずに、雑木林の奥へと足を進める。


 等間隔に並ぶ木々たち。


 木々の間に見え隠れしているのは、にやにやと笑っているのに姿のない猫だったり、ひそひそとうわさ話をしては笑いあってる蝶の羽根を生やした妖精だったり、もう二度と木の枝に登ることができなくなった卵の男爵だったりした。

 夜になると起きあがって踊り明かすんだろう、埋葬されることのない罪人の骸骨たちを踏まないように少し回り道をしたとき、あたしはどっちから来て、どっちに行けばいいのかわからなくなっていた。

 数十メートルしかないはずの雑木林は、いまは入り口も出口もなくなってしまっている。


 どこまでもどこまでも無限に続く同じ形をした木が整列されたかのように立っていて、どっちを見回しても同じ風景にしか見えなかった。

 たぶんこっちだと思う方向に歩きながら、あたしは心細くなってきていた。


「どこにいるの、禄朗……」


 思い出すことはできたけど、彼を見つけることができない。

 違和感や不思議な感覚はなくなったけど、今度はあたしの中に悲しい気持ちがあふれてきていた。


「下ばかり向いているとぶつかってしまうよ、お嬢さん」


 いつの間にか気持ちと一緒に視線が沈んでしまっていて、かけられた声に顔を上げてみると、ワニがいた。

 小さな広場のようになっているそこには、なんて種類なのかわからないけど、人よりもおっきい身体の真っ白いワニが、その身体よりもさらに大きなキノコの上に寝そべっていて、短い腕で器用に頬杖を突いていた。

 そして彼の頭の上には、天使にあるような光る輪っかがひとつ、浮かんでいた。

 触るだけでも何かありそうな毒々しい赤と白の模様をしたキノコの上で、ワニは言う。


「何かつらいことでもあったのかね?」


 つぶらな瞳をてらてらと光らせて、真っ白で綺麗なワニは問うてきた。


「……人を、探しているんです。どこにいるのかわからなくて、どうやって探したらいいのかもわからないんです。どうしても探さなくちゃいけなくて、でも、あたしの他に誰も彼のことを憶えてないんです」

「ふむむ。それは大変なことだね」


 ゆっくりとした口調で言って、あたしのことなんて身体ごと丸呑みにできそうなおっきな口をしたワニがじっと見つめてくる。


「どうしても探さないといけないのかね?」

「はい。どうしても探したいんです」

「でも見つからないのかね?」

「……はい。どこにもいないんです」

「ふむむ」


 考え込むように喉の奥からうなり声を出してるワニ。

 少しの間黙って思いに耽っていたらしい彼は、おもむろに頬杖を突いていない左手で自分が寝ているキノコを毟った。


「そういうときはこれを食べるといい」


 差し出されたキノコの欠片に、あたしは後退りしてしまいそうになる。中まで毒々しい模様があるなんて、いったい何て名前のキノコなんだろう。


「た、食べるとどうなるんですか?」

「さぁ? たぶん全部うまくいくんじゃないかな?」


 曖昧なことを言ってさらに突き出してくるキノコの欠片。

 毒キノコはたいてい毒々しい色をしていると聞いたことがある。例外はあるんだろうけど、生のままこんな色をしたキノコを食べたらどうなるのか、わかったもんじゃない。


「あ、あの、すみません。ちょっと、いらないです」

「そうか。もったいない」


 あたしの拒絶の言葉をとくに気にした様子もなく――本当は気にしてるのかも知れないけど――、ワニは手にしたキノコの欠片を自分の口の中に放り込んだ。

 むしゃむしゃと何度か噛んで、喉を鳴らして飲み込む。

 しばらくあたしのことを見つめてきていたワニに、とくにこれと言って変化はなかった。


「うっ――」


 でもやっぱり、少ししたら苦しみ始めた。


「大丈夫ですか?!」


 声をかけることはできるけど、あの鋭い牙が並んだ口の中に手を突っ込んでキノコを取り出そうという気にはなれない。

 うつぶせになって喉を掻きむしって苦しんでるワニのことを、あたしは見ていることしかできなかった。


「う!」


 最期に大きな声を出して、ワニは動かなくなった。


 ――どうなっちゃうんだろう。


 毒キノコを食べて、毒が身体に回ったら苦しむのは当たり前のことだった。


 ――苦しんで苦しんで、その後……。


 そこまで考えて、あたしの思考は止まってしまう。

 ぴくりとも動かないワニがいまどうなっているのかわかっているはずなのに、わからなかった。

 いまのことを表す言葉が、思い浮かばなかった。


「そういうことなんだ」


 なんとなく、わかった気がした。

 この世界が歪んでる理由。

 この世界からなくなってしまったもの。

 それがいま、わからないけど、わかったような気がしていた。


「あれ?」


 動かなくなっていたワニの身体が、白から黒にどんどん変化していっていた。

 アッという間に全身が真っ黒になって、綺麗だった身体が見る影もなくなってしまう。


「え?」


 次に現れた変化に、あたしは声を上げてしまっていた。

 背中にヒビが入ったかと思うと、見る間に身体を縦に貫く割れ目になった。

 その次の瞬間、真っ白なワニが割れ目から姿を見せた。


「ふぅ……。どうしたのかね、お嬢さん。そんな驚いた顔をして」


 脱皮を終えたワニは、真っ黒な抜け殻を押しのけてキノコの上から捨てると、小さく首を傾げた。

 その頭の上には、最初からあったものに加えてもうひとつ、少し小振りな二つめの天使の輪っかが浮かんでいた。


「何かつらいことでもあったのかね? そういうときはこれを――」

「いりませんっ」


 キノコに手を伸ばそうとするワニに拒絶の言葉を放って、あたしはがむしゃらに林の中を走り出す。


「おっと」

「わっ、すみませんっ」


 前も見ずに走り出したから、雑木林を抜けたところに人がいるなんてこと、気づかなかった。

 道に出たところで誰かにぶつかって、尻餅をついたあたしに手を伸ばしてくれたのは、あたしの学校の制服を着た男の子。

 スカートがめくれ上がってないか確認してから彼の手を取って、立たせてもらう。すぐ近くで彼のことを見てみるけど、その顔に見覚えはなかったから、別のクラスか、別の学年なのか。

 背は高くもなく低くもなく、太ってるわけでも痩せてるわけでもない彼から一歩距離を取りながら、でも何でかその人の顔が見えているのによくわからない。


 ――そんなことない。


 年上の三年生なのか、どこか落ち着いていて大人びた感じの顔立ちと、男の子にしては長いさらさらとして髪は、どこか禄朗に似ているような気がした。


「ふぅん」


 何に納得したのか、自分の身体を見回してそんな声を上げてる彼。


「探しものは見つかりそうかい?」

「え?」


 顔を上げた彼に問われて、あたしはその顔を見つめ返していた。





「貴方は、誰?」


 たぶん初めて会う人だと思う。

 それなのになんであたしが探しものをしてるってことを知ってるんだろう?


「さぁ、誰なんだろう。自分でもよくわからないね。あまり考えたこともないし」

「えぇっと?」


 自分のことがわからないって言われても、こっちだってわかるはずもない。

 みのりさん以上にわけのわからない人のような気がするけど、でも何となく、彼には会ったことがあるような気がしていた。


「貴方は、何を知ってるの?」

「たぶん君が知りたいことのすべてを。でも話すことはできないよ。この世界にそれは存在していないから、それを表す言葉も存在していない」

「どういうこと?」


 ナゾナゾのような言葉の意味を、あたしは理解することができない。

 たぶんみのりさんと同じか、それに近い人のような気がするけど、彼のことはみのりさん以上に理解するのが難しそうだった。


「もうだいたい君は気づいているんじゃないか? 探すだけ無駄なことに」

「それは……」


 今日探していて、あたしは禄朗のことを見つけることができなかった。手がかりすらなかった。

 だからって、探すのをやめるわけにはいかない。

 あたしの半身と言ってもいい禄朗のことを、見つけないではいられない。


「君の探しているものは見つからないよ。この世界には存在していないんだからね。そのことを受け入れて、生きていくのが賢明だと思うよ」

「それでも、それでもあたしは見つけなくちゃいけないの!」


 思わずあたしは叫んでいた。

 彼の言う言葉の意味は、何となくだけどわかっていた。

 たぶん禄朗は見つけることができない。

 みのりさんも言っていたけど、たぶん禄朗はこの世界に存在していない。でもだからって、探さないわけにはいかない。探すのをやめるなんてできない。


「……そう。それじゃあ、探すしかないね」


 少し寂しそうな顔で、彼はあたしに背を向ける。

 結局何が言いたかったのかよくわからなかった。

 彼がいったい誰なのか、理解できなかった。


「あの! 名前を教えて。あたしはアイリス。立花アイリス」

「さぁ? 名前はないんだよ。いくつも名前はあったけど、僕自身の名前というのはなかったからね」


 それだけ言って、彼は行ってしまった。


 ――それでも、あたしは探すしかない。


 去っていく彼の背中を見つめながら、あたしは彼の言葉を思い出して、決意を新たにしていた。




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