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第四章 トランプと空椿と喫茶ジャンクション 4 空の箱



       * 4 *



 学校に着く頃には、すっかり街も人も寝静まる時間になっていた。

 学校の前の道路にも行き交うものはなくって、あたしは少し苦労しながら校門を乗り越えて中に入った。

 前に一度、忘れ物を取りに禄朗と忍び込んだことがあって、どこから聞いてきたのかわからないけど、監視カメラの盲点とかを教えてもらっていた。

 警備会社の人が時折巡回してるはずだけど、いまの時間だったら大丈夫なはず。それに鍵が壊れて忍び込める場所も、あのときと変わっていないはずだった。


 修理されてなかった窓を開けて、あたしの背丈じゃ校門以上の難関をどうにかクリアして校舎の中に入り込む。

 街よりもさらに静まり返っている校舎の中は、少し怖い気がしたけど、でも何となく楽しくもあった。

 靴のまま、一応足音を忍ばせて階段を上がっていく。


 目指すは屋上。


 いつどこから誰かが飛び出してこないかとちょっとびくびくしながらも、あたしは無事階段室にたどり着いた。

 消えてしまった曽我さんが落としていった鍵で、屋上へと出る。

 広々とした星空にはやせ細った月が昇っていて、あたしのことを見下ろして嫌らしい笑みを浮かべていた。

 使い終わった鍵を、一瞬どうしようかと思って、またポケットの中に仕舞い込む。

 階段室から椅子をひとつ持ってきたあたしは、それに乗ってハシゴに手を伸ばし、階段室の上へと登った。


 空がとても広かった。


 夜に沈む街も、どこまでも見通すことができた。

 景色は学校内のどこよりも良かったけど、ほんのわずかに吹く風でも、手がかりのないこの場所に立っているのは怖かった。


 ――でも、曽我さんはこの場所から飛び降りたんだ。


 どんな想いで、どんなことを考えて飛び降りたのかわからなかった。

 もし訊くことができるなら、彼女に訊いてみたかった。

 飛び降りた曽我さんは、世界から消えてしまった。

 この方法が正解なのかどうなのかは、よくわからない。

 でもこの世界からなくなってしまっているものがあたしの思ってる通りのものなら、たぶんこれが正解の方法。


「ふぅーっ」


 ひとつ息を吐き出して、あたしは階段室の端まで下がる。

 スタートを切る構えを取って、もう考えるのはやめる。

 ちらりと横目で月を見てみると、嫌らしい笑みを浮かべていたはずなのに、いまは悲しげなような、困ったような顔になっていた。

 何か言いたげに口をぱくぱくさせてるけど、結局何も言ってこずに、諦めたように暗い顔になってそのまま空の闇に同化して消えていってしまった。


「さよなら」


 消えてしまった月に向かってそう言って、あたしはスタートを切った。



         *



 ――怖い。


 自分で決めて飛び降りたのに、あたしは怖くて仕方なかった。

 ぎゅっ、と目を閉じて、たぶんもうすぐ来るだろう痛みをできるだけ想像しないようにしながら、そのときを待つ。


 待つ。

 待つ……。

 待ち続ける。

 ――あれ?


 待って、待って、待ち続けて、でもずっと落下していくような感じはあるのに、いつまで待ってもそれが訪れることはなかった。

 うっすらと、怖々と、目を開けてみる。

 見えたのは、ピンク色をした、不思議な空。

 この世界ではいろんな不思議なものを見てきた気がするのに、いままで見た中でも一番不思議な場所だった。

 最初のとき感じたどんどん早くなっていく落下感はなくなって、浮いているような、ふんわりと落ちているような感触があって、上がどっちで下がどこなのかもよくわからなくなってくる。

 空には近くにも遠くにもたくさんのものが浮いていた。あたしと一緒に落ちていた。


 四畳半くらいの小さな島には、緑に萌える草が一面を覆っていて、真ん中に大きな泉があって、泉のほとりには一本の木が生えていた。

 それから、緑と青に染め上げられた島を、いくつかの赤いリボンのようなものが飾り立てている。


「空椿だ。ここにたどり着けたんだ」


 もう飛ぶ力を失っているんだろう空椿の花は、また来年この泉のほとりで花を咲かせ、そして新しい場所に飛び立っていくのかも知れない。

 漂うように浮かんでいた島は、見ている間に遠ざかっていって、たぶん上と思われる方向に消えていった。

 それから下から浮かび上がってきたのは、綺麗な毛並みをした虎。

 たぶんあのときあたしの悩みを聞いてくれて、でも相談には乗ってくれなかった虎は、大きなあくびをひとつ漏らし、前足の間に頭を埋めて、あたしに気づくことなくどこかに漂って行ってしまった。


 ばたばたと羽ばたきの音が聞こえてきて、鳥でもいるのかと思って辺りを見回す。

 遠くから見えてきたのは、両腕を一生懸命羽ばたかせてる、ワニ。

 頭の上に大きなのと小さいののふたつの輪っかを浮かべてる真っ白な身体をしたワニは、まるで天使であるかのようにあたしの周りを飛び回り、たぶん笑ったんだろう、大きな口の端をつり上げた後、またどこかに飛び去っていった。


 ずいぶん遠くに、古風な木造の建物が浮かんでいるのが見えた。

 見覚えのあるその建物の入り口から出てきてポーチに立った女性。

 白いエプロンがついた深緑の服を着たその女性は、この距離じゃ顔も見えないような気がするのに、何故か笑顔を浮かべてるのがわかった。

 深くお辞儀をしたその女性に、あたしもふわふわと浮かび上がって安定しない身体でどうにかお辞儀を返す。

 にっこりと笑んだ彼女の笑顔も、アッという間に上空へと消えていってしまった。


 他にもたくさんの、この世界で見た不思議なものとか、おかしなものが浮かんできては消えて、消えては浮かび上がってきていた。


 それから、あたしの前にどこからともなく浮かび上がってきたのは、箱。

 木でできてて、片手には余るくらいのサイズで、ずいぶん古びていて、……その中身を、いつも見たいと思っていた箱。

 禄朗の部屋にあったはずの箱が、そしてこの世界にいるときに、ずっとあたしの中にあった気がする箱が、いまあたしの前に浮かんできていた。


 蓋が開いてしまっている箱の中には、もう何も入ってない。

 禄朗がとてもとても大切なものを仕舞っておいたんだろう箱は、空っぽになってしまっていた。


 ――そっか。そうだったんだ。


 何となくあたしは気づいていた。

 この箱が、何だったのかを。

 この箱が、あたしの中にあってずっと導いてくれてたことを。

 少しためらって、でもあたしはその箱に手を伸ばす。

 指が触れるか触れないかのところで、箱は光の粒へと変わった。

 蛍の群れのようにたくさんの光の粒となった箱が、あたしの周りをくるくると回る。


「ずっと、ずっといてくれたんだ。あたしと一緒に、いてくれたんだ」


 禄朗なんだ、これは。

 そう思えた。そう感じられた。箱の形をしていても、これは禄朗。禄朗の、一部。

 消えてしまった禄朗。

 でも彼はずっと、あたしの中にいた。

 あたしの中にいて、あたしが行くべき道を示し続けていてくれた。

 だからあたしはたくさんのものに出会えた。

 一度は忘れてしまった禄朗のことを、思い出すことができた。

 自分のやるべきことを、やらなければならないことを、見つけ出すことができた。


「ゴメンね、禄朗。あたし、あたし……」


 あふれてきた涙が、次々と上空へと飛んでいく。

 手を伸ばしても触れることができない光の粒たちを見ながら、あたしはたくさんの涙を空へと羽ばたかせていった。


「こんなものが君の中にいたのか。それは世界が歪むはずだよ」


 どこからともなく、声がした。

 周りを見回しても誰もいないのに、すぐ近くに存在感だけがあった。

 その声の主は、たぶんあのときの男の子。名前を教えてくれなかったあの人。


「人の願いを邪魔して、歪みまで生み出してしまうなんて。人の想いとは、本当に強いものだね。でももうここまでだ。わかっているだろう? 君も」


 あたしにではない、たぶん禄朗に話しかけている、彼。

 その言葉に応えてか、光の粒たちはあたしの前に集まり、そして、どうしてそうしてると思えるのかわからないけど、あたしに手を振った。


「やだ」


 さよならの挨拶を拒絶して、あたしは光の粒たちに手を伸ばす。

 でも、触れない。

 触っているはずなのに、感触も残らない。

 つかんだと思った手のひらを開いても、ひと粒の光もつかむことができていない。


「無駄だよ。君もわかっているだろう? あれは残り香だ。もう実体は失われている。君の中に残っていた、強い想いの結晶だ。だから想いを遂げれば消える。そういうものだ」


 ささやくような男の声に、あたしはさらに涙をあふれさせる。

 わかっていた。

 もう手が届かないものなんだと。

 もう二度とつかむことができないものなんだと。


 でも、イヤだった。

 離したくなかった。

 離れたくなかった。


 それでもこれは禄朗が望んだこと。この世界を壊したのは、あたしと、そして禄朗なんだ。

 だから禄朗の想いの結晶は、あたしを導いてくれた箱は、消える。

 次々と上空へと消えていく光の粒に、それでもあたしは手を伸ばす。

 つかめない想いをつかもうと、必死で光の粒を追いかけようとする。


 追いつけなかった。

 追いつくことなんてできなかった。

 遠くに行ってしまった光の粒たちが、強い光を放つ。


「行っちゃった……」


 どうしようもない気持ちを抱えて、あたしは目をつむる。

 叫びたいのか、泣きじゃくりたいのかもわからないまま、だんだんと強くなっていく落下感に身をゆだねていた。




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