表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

龍の騎士と獅子の王子 Ⅴ (57174文字)

宿命と試練、そして決断


 峠道を飛ばす四騎。

 馬蹄轟きくうを揺らし。

 四人と四頭、冬の冷たい風を切り。一路タフテ・ジャルシードを目指す。

 目はまっすぐ前を見据え、イムプルーツァのまだら色の愛馬・タラッソ(遺贈)は右の曲がり角にくれば、ダライアスの愛馬アジ・ダハーカの右側に並ぶ。

 イムプルーツァの愛馬の名は、なき祖父が孫の成長を祈り与えたことに由来した。

「もらった!」

 アジ・ダハーカの鼻ひとつ抜けて、曲り角を抜ければ前に出れば、タラッソはけたたましくいななき、脚に力をこめて地を蹴る。

「こしゃくな!」

 抜かれたダライアスとアジ・ダハーカであったが、次の左で並んで抜き返し。二頭いななきをぶつけ合い、馬蹄は入り乱れてくうを揺らす。

「あぶのうございますよ!」

「もう、こんなときまで張り合わないでください!」

 ヤースミーンとパルヴィーンははらはらしながら、やっとふたりと二頭についてゆく。

 峠を越えて、平野部の街道に出れば、さすがに速度を落とす。

 先頭はタラッソであった。

「ちっ、次は負けぬぞ」

「ははは、次も勝たせてもらいますぞ」

 イムプルーツァは闊達に笑い、ダライアスはちょっと頬を膨らませている。

「もう、ほんとうにあきれた……」

 パルヴィーンはなにかにつけて張り合う主従をほほえましいを通り越して、少しほんとうにあきれていた。

 街道に出ればそれなりに通行もあり、旅の商団を見かけるようにもなってきた。この商団らは西から東、果てしのないと思われる大陸を旅しながら生きている。

 商団のゆく道は「絹の道」と呼ばれた。

 はるか東方の帝国・マオ建国以前のはるかの太古、西方でマーレが君臨していた時代よりも古く、グレース地域が神話の時代の昔のころであろうか、そのころから養蚕により絹を生産し、それは日常品であると同時に当時の王朝にも献上され。

 さらに交易品として様々な宝物とともに、西へ西へともたらされた。

 無論、西へ品物をもってゆくだけではなく、東からも入れ替わるように様々な品々が行き来するようになった。

 いつしか、地中海マーレから昴の都・西殷シーインまでの通行路ができ。人はその道を「絹の道」と呼ぶようになった。

「この道をゆけば、昴までゆけるのか」

 行き交う人々を眺め、ダライアスは感慨深そうにつぶやいた。西方は、シァンドロスの台頭に、ダライアスを騙る者が挙兵したことで緊張感もあったが。それも東へゆくにつれて、ゆるやかになり。

 のどかささえ感じることがあった。

「最近、笑顔になることが多くなりましたわ」

 ヤースミーンがダライアスの横に着けて、ささやくように言う。

「そうかな」

「はい」

 ダライアスはとぼけるように聞き流すが、内心では、自分でも自覚し。

 戸惑いもあった。

 十五の初陣より心休まることがなかった。それが、ぷっつりと糸が切れたように、なにもかも捨てたくなったが。どうにも、運命がそれを許してくれなかった。

「オレは、命を懸けて一緒に来てくれた戦友たちを捨てた。さぞ恨んでいるであろう」

「そんな」

「そんなオレが、心安らかになってよいのだろうか」

「……」

 ヤースミーンは何と言ってよいかわからず、無言でダライアスの戸惑いを受け止めるしかなかった。

「あなたはぜんっぜんアルタイルの称号ににつかわしくないんだから!」

「なんだと! それになんだその、敬語なしの生意気な口の聞き方は!」

「イムプルーツァさまだって獅子王子アスラーン相手にそうなるときがあるじゃない!」

「あれは咄嗟の時だ、普段は丁寧語を心がけているぞ!」

「普段なら、咄嗟のときもそうしたらいいじゃない!」

 突然イムプルーツァとパルヴィーンが喧嘩をはじめて。ダライアスとヤースミーンは顔を見合わせて、苦笑する。

 ここで下手に大声を出して警備の兵に怪しまれたら厄介だ。

「やめないか」

「あ、獅子王子! 獅子王子からもがつんと言ってやりましょうよ、臣下の分をわきまえろって」

 パルヴィーンはイムプルーツァを指さし言う。どうやら、何かにつけて張り合ったりすることをめぐって口論になったようだ。

「パルヴィーン、なにもそんなことで、お前が怒ることはない」

「そうだぞ、分をわきまえるのはお前の方だ」

「で、でも……」

「ただし、諫言を聞くことも大事だぞ、イムプルーツァ」

「ぐむッ」

 さすがのイムプルーツァもダライアスに言われては弱かった。

「はあ、まあ、気をつけます……」

(そんなこと言って、全然変わらなさそう)

 とりあえず、その場を治め、周囲を見渡す。北方の山脈は白く雪化粧をし。冷たい風が吹き付ける。


 さて、商団に加えてもらうか、それとも四名のみでゆくか。正体を隠し、商団に加えてもらえば生活の不安はないが、タフテ・ジャルシードまで同道する商団とはなかなか会えず、仲間に加えてもらって、途中で別れてを何度か繰り返してきた。

 商団は各地を旅し、各地域の情勢に詳しく。様々な話を聞けた。クゼラクセラ大王は第一王子のアケネスと第二王子のサーサヌをともない、トンディスタンブールへ親征し。

 スサーは空だという。

 それを聞き、親征の軍勢とぶつからないように別経路をたどってタフテ・ジャルシードを目指しているが。この調子でゆけば、うまく間隙を突いてたどり着けるかもしれない。

 街道に出て馬を降り、手綱を曳いて歩く。

獅子王子アスラーンではありませぬか」

 男がひとり、ダライアスらに近づいてくる。

 みすぼらしい平民の服を着ているが、その夜を戴くような黒髪に黒い瞳を見て、男は天上の神でも見つけたかのようだった。

「人違いではないですか、私はそんなご大層なものではありません」

 敬語をもちい、人違いであると言うが、男は納得しかねる様子だった。

「いいえ、あなたは獅子王子ではありませんか。深きご恩あるそのご尊顔を、どうして忘れられましょう。それに……」

 男の視線がイムプルーツァに移る。その黒髪の中に銀糸がおりなされるような特徴的な髪の色。

「イムプルーツァさまもおられます」

「ええい、うるさいぞ。来い」

 イムプルーツァは男の肩をおさえ、ともに歩かせる。

「どうするんですか」

「この男も一緒に、最寄りの町まで来てもらい、口止めをするのだ」

「やはりそうでしたか」

 男は今にも泣き出しそうだった。

「マーラニアのダノウ河畔で、獅子王子は我らのために命を懸けて戦われました。その時以来、何があろうとも獅子王子につききってゆこうと、心を決めておりました……」

 なのに、つれなくもダライアスは男たちから遠ざかり、姿を消した。

「獅子王子もお悩みなされたこと、よく存じております。恨んではおりませぬ」

 ダライアスは聞きながら、心が波打つのを禁じ得なかった。

 恨まれてもやむを得ないと思っていたのが、そう言われるとは。

(オレはなんと罪深い男なのか)

 縁を切ろうとしたのは、自分に従うことで不利を被らせまいとしたことであった。冷たくして彼らのもとから去れば、恨みを抱き自分から離れてゆくと思っていたのに。

 しばらく街道をゆけば小さな宿場町に着き、小さな宿屋に飛び込むように入って部屋を取り。膝詰めで男に他言は無用と言う。


「なぜでございますか。仲間たちは皆、今も獅子王子をお慕い申しております。ご命令くだされば、勇んで馳せ参じますものを」

「トンディスタンブールで獅子王子を騙る何者かが挙兵したのを知らぬか」

「存じておりますが、獅子王子がそのような愚挙に出るとは考えられず、私ははじめから騙りだと思っておりました。そして、その通りでした! それが何よりうれしく、また誇らしくあります」

「それで、そなたはそのように、予に挙兵してほしいのか?」

「それは……」

 さすがにそれは口ごもった。

 ダライアスが去ってから、将兵らは戸惑いつつも郷里を目指し。ふたたび仕官せず、中には帰農する者まであった。訓練された軍人たちであるとはいえ、仕える主を突然失った戸惑いは大きかった。

 恨み言が出なかったといえば嘘になる。しかし、

「ここでくじけては獅子王子に申し訳が立たぬ」

 と、多くの者が歯を食いしばり、生き抜こうと足掻き。互いに連携を取り合い、いつでも集まれるよう支度を整えていた。

 妻子や恋人のいる者もいる。

「オレは死んだと思ってくれ」

 と言って、心の支度もさせた。

 そういったことを聞き、ダライアスは心が痛んだ。

「父王からなにかされなかったか」

「いえそれが、不思議なほど、なにもなく」

「泳がせているのではないか」

「……、あ、そうでしょうか」

「そうであれば、我らがこうして宿にこもっているのも、知られたかもしれんな」

 男ははっとしたが、もしそうなら時すでに遅し。イムプルーツァとパルヴィーン、ヤースミーンの目つきも変わり、緊張の糸が張り巡らされる。

 ダライアスは「ふう」と大きくため息をつき、人目もはばからずに寝床に横になった。

「獅子王子、もし追っ手が来たら……」

「少し休ませてくれ。逃げたければ、逃げよ」

 そう言われたからといって、逃げ出すことはしないイムプルーツァたちであった。

「繊細なお人だ、バビロナさまが心配しておられた」

「……」

 タフテ・ジャルシードにて、ジャルシードの杯を手にするつもりだった。

 ジャルシードの杯は真の勇者に与えられる宝物である。王族が持てば、正当な大王として認められることになる。 

 神官からどのような試練を突きつけられるか知らぬが、それを乗り越え、アラシアの大王になり。自分の理想とする国をつくろうと、そんな志を抱いた。

(母上は、何よりも平和を愛されていた)

「王者たれ」

 と、厳しくしつけられ。甘えは許されなかった。


 ただ、ほんのわずか、髪の毛ほどの隙間から見せる優しさを、ダライアスは敏感に感じ取った。

「ダライアスは私の誇り……」

 母は人に会うごとに、そう言っていたという。イムプルーツァやヤースミーンにパルヴィーンが側近となったのも、母の手配によるものだった。

(オレが王になれば、多少の屈辱があろうと、戦争をやめさせるつもりだったが。それは甘かったか)

 戦地をめぐり、その悲惨さを目の当たりにし。これを母が見れば深く悲しむであろうと、思わないときはなかった。

 たとえ王になれなくても、王位をついだ兄を補佐し、平和な国造りに尽力するつもりだった。

(オレは夢見がちな理想屋なのか。現実を知らず、夢ばかり見ていたというのか)

 いかに勇猛果敢な獅子王子といえども、まだ二十の若者であり。灯台を見失い漂流する小舟のような危うさがあった。

 突発的に将兵から離れ、突発的にジャルシードの杯を得ようとしたのは、まさに、灯台を見失い漂流する小舟そのものではないか。

 もしかしたら、父王の兵がここに襲い来るかもしれないが。それから逃げたとて、どこにゆけばよいのか。自分だけではなく、自分を慕い着いてきてくれる者らは。

「お言葉ながら……」

 優しげな声がする。ヤースミーンだった。

「獅子王子はおひとりでなにもかもを背負いすぎています」

 それを聞き、ダライアスは上半身を起こし、ヤースミーンを見据える。

 ヤースミーンも負けじと見返し。同じようにイムプルーツァとパルヴィーンに、男もダライアスを見据えていた。

「お前たち……」

 ダライアスはか細い声で呼びかけた。

「オレのために苦しむこともあるだろうに、なぜ、着いてきてくれるのだ?」

 父王からうとまれ、臣下や将兵はその巻き添えになるかたちであった。しかし、皆粘り強く着いてきてくれた。

 嬉しい気持ちもあるが、どうして? という不思議な気持ちが強かった。

「今は、言わないでおきます。獅子王子がお変わりになられないかぎり、私たちは地獄までついてゆきます」

 意地悪そうにヤースミーンは微笑んで言う。

「地獄までとは、やはり苦しいのか」

「はい、苦しむこともあります。でも、それ以上に、獅子王子のおそばにいられることが、嬉しいのです」

 ヤースミーンは微笑んで。パルヴィーンも闊達な笑顔を見せる。

「ともに地獄に落ちることがあろうと、獅子王子とともにゆくところであるならば、そここそ、天国なのでしょう」

「地獄の獄卒どもを討ち、我らで地獄を天国に変えるのも面白うございますな」

 イムプルーツァは不敵な面構えで言う。男も「そうですね」と同意し頷く。

「お前たち……」

「さあ、ぐずぐずせず。ゆきましょう、タフテ・ジャルシードへ!」

 イムプルーツァは立ち上がった。

「今回はお酒なしですよ。そんな暇ないんですから」

「わかっている。人を飲兵衛のんべえのように言うな!」

「実際飲兵衛じゃないですか、だから言うんですッ」

「相も変わらず、可愛げのない」

アルタイルの勇者の自覚のない人に言われても、なんとも思わないわ」

「ふ、ふふふ、うふふ」

 ヤースミーンはイムプルーツァとパルヴィーンのやりとりに思わず吹き出したことを、手で口を覆って恥じらう。 

 男も笑いをこらえるのに必死だった。

 ともすれば重い空気にのしかかられそうな雰囲気なのに、笑みがこぼれ、気持ちが軽やかになる。

(どうして笑っていられるのだ)

 イムプルーツァにパルヴィーンも、苦笑いながらも、笑みをこぼす。

 不思議であったが、それを考えるのはあとにしよう。

 ダライアスは立ち上がった。

「ゆくか」

「はい!」

 闊達な返事が返ってきて。一行は宿を出た。

 宿の者は金を受けながらも、入った客たちがすぐに出てゆくのを不思議そうに見ていた。

 が、その顔が青ざめてゆく。

 扉を開けて出てゆくダライアスら一行を、警備の兵士およそ五十名ほどが待ち構えていたのだ。

「ほーら、おいでなすった」

「ぎゃあ!」

 イムプルーツァが「やってやろうじゃないか」と剣を構えたとき、厩から悲鳴があがった。

 何事かと警備の兵士らがその方向を向けば、馬が暴れており。おさえようとする兵士らはことごとく馬脚に蹴り飛ばされてしまっていた。

「アジ・ダハーカ!」

 ダライアスの呼びかけに応えるように、愛馬のアジ・ダハーカはけたたましくいななき。馬蹄の音を響かせ、主のもとへ駆けてくる。タラッソとヤースミーンとパルヴィーンの愛馬も付き従うように駆けてくる。

 なにごとかと、町は一気にざわめき、悲鳴も上がって大騒ぎだ。

 ダライアスも駆け、愛馬に飛び乗り、イムプルーツァらも続く。


「逆賊ダライアスめ! 奴らを捕えよ」

 長らしき兵士が叫んだ。

「ダライアスって、獅子王子の?」

 街の人々は呆気にとられる。トンディスタンブールでダライアスが挙兵したことは聞いたが、それがどうしてここにいるのか。

 あやかしにつつまれたような顔で、騒ぎを眺める。

「なにをしている、ダライアスを捕えよ!」

 兵士長は叫ぶが。騒ぎが大きくなるにつれて、それに呑まれるように兵士の動きが鈍い。

「そ、そんなこと言ったって、獅子王子って強いんだろう」

「それにアルタイルのイムプルーツァまでいて。おりゃあまだ死にたくないぜ」

 などなど、その姿を見ただけで多くの兵士が圧されて怖じて、足が石にでもなったかのように、動けなくなる者までいる有様だった。

 なにより、町の人々はダライアスらが愛馬で駆ける姿を見て、

「なんという勇ましいお方だ!」

 と、我知らずに敬服の念を抱いていた。

 兵士たちの鈍い様子を見て、男は無理に戦うことはせず。ダライアスらが逃げ切れるのを確信し、駆け足でその場を去った。

 仲間たちへダライアス健在なることを教え広め、ともに結集するのだ。タフテ・ジャルシードへ。

 トンディスタンブールで挙兵したはずのダライアスがなぜかアラシア国内奥深くにいて、追跡の手を逃れたという報せは数日して親征中のクゼラクセラにもたらされた。

「そうか……、やはりアラシア国内にいたか」

 移動宮殿とも呼べる巨大な馬車の中、クゼラクセラ大王の目は血走り憤怒の炎を噴き上げていた。

 それは木造一階建てではあるが、技術の粋を結集し、豪奢な装いで数十頭の牛に曳かせる様はさながら移動宮殿であり。クゼラクセラ大王は常にその中におわした。

 アラシアは各所の街道を整備し交通網を整えていたが、それは移動宮殿を曳かせるためのものでもあった。

 十万を超えるの軍勢が移動宮殿を厳重に取り囲んで、文官や神官、果ては多くの宮女までもがともに移動していた。

 ある町でダライアスに仕えていた元兵士の男が、ある者らと接触し、それがダライアスであった。すぐに兵士を集めて捕えようとしたが、逃げられたという。

 トンディスタンブール手前で姿をくらませたダライアスであったが、それに仕えていた者たちが続々と郷里に帰ってきて。再びの仕官を申し出るものはわずかであった。

 ほとんどの者が平民に身分を落とし、ひっそりと生活をしていた。が、彼らがこのまま黙っているとは思えず、見張らせていたのだが……。


「いかに愚息とはいえ、軽はずみなことをするとは思わなんだが。やはり、トンディスタンブールにはいなかったか。ならば、反乱者は誰なのだ」

「それがまだ判明しておりませぬ」

「まあよい、騙りであるとわかった以上、誰であろうと関係ないこと」

 ダライアスの名を騙る者が挙兵した。一向に姿を見せぬということで、よもや騙りではあるまいか、と思うようになっていた。

 斥候をはなち情勢を探らせてはいるが、そこで驚かされるのは、ダライアスに仕えていた兵士か喜んで馳せ参じるも、一向に姿を見せぬことにしびれを切らし、

「これはにせものかもしれん」

「獅子王子がそのようなもったいぶることをするとは思えぬし、やはり騙りか」

 と、トンディスタンブールを去ったということである。

「ダライアスは、人をたぶらかすことだけは上手いものだ」

 ダライアスには試練を授け、どこまで持つかと思っていたが。同時に、それに仕える者たちは試練に耐えかねダライアスのもとを去ることも期待された。

 しかし、結果はどうか。試練を与えれば与えるほど、ダライアスたちは強くなっていったではないか!

 ついにはオンガルリを制し、アラシアの勢力範囲は西方へ大きく伸びた。

 そのオンガルリを放棄し、アラシアへの帰途、ヴラデ率いるマーラニア軍と衝突したが、それも退けたというではないか!

 報せらもたらされるたびに、ダライアスには悪魔の祝福があるように思えてならなかった。

 だが、ついにはダライアスも精根尽きてか姿をくらまし、そのまま消えるかと思われたが……。

「バビロナにそそのかされて子を生ませたのが、誤りであった」

 クゼラクセラ大王はうめいた。 

 さてどうするか。

 トンディスタンブールで挙兵したのが騙りであるとわかった以上、クゼラクセラ大王自ら親征することもない。それはアケネスとサーサヌに任せていればよいであろう。

 それで、己はどうするのか。

「我が不死隊アタナトイをもって、ダライアスを、討つ……!」

 進軍を止め、アケネスとサーサヌら忠実な臣下たちを集め。事の次第を語る。

「なにも大王自らゆかずとも」

 アケネスにサーサヌは、自分がに代わりにゆくと言うが、クゼラクセラ大王は自らの手で討つと、譲らない。

「なぜ、ダライアスにこだわるのですか」

 憎しみとはいえ、父王がダライアスにこだわっていることを知り、アケネスとサーサヌは心が波打つ。

「バビロナの子だからだ」

「あの女狐の子だからと?」

「女狐どころか、妖女であった」

 クゼラクセラは美しいバビロナに目をつけ、三番目の妻とし、ダライアスを生ませた。

「もとは下級貴族の娘。大王に目をかけられただけでも幸運であったのを、それだけでは足りず我が子をそそのかし、王位を狙わせたのですね」

「そうだ。なにかとダライアスに『王者たれ』と教え。宮廷内でも丸め込まれた者も多い」

「第六子でありながら、『王者たれ』などと教えるなど。なんと大胆不敵にして、不敬なことでしょう」

「この地上で、予こそ唯一絶対の存在。それを差し置くようなことを我が子に教える女であると知っていれば……。いや、もう遅い」

 クゼラクセラ大王の目は血走り、まるで目の前で血の池でも見ているかのような昂ぶりであった。

「予は不死隊を率い、ダライアスを討つ。そなたらは、トンディスタンブールにゆけ」

「かしこまりました」

 大王の決意は変わらないようで、アケネスとサーサヌは命令通り軍勢を引き連れて西をめざし。クゼラクセラ大王は移動宮殿を降り、自ら馬に打ちまたがり。精鋭部隊の不死隊一万とともに来た道を戻る。

 ダライアスは追っ手を逃れ愛馬を駆けさせ、一路タフテ・ジャルシードへ向かっていた。

 トンディスタンブールの路地裏で年を越し、そこからの長旅。

 警備の目をかわしながら、道なき道をたどりながらタフテ・ジャルシードを目指した。旅の商団に加えてもらおうかとも思ったが、何かで巻き添えにしかねず。四名のみの旅を自らに強いた。時には隙間風吹く廃屋に身を寄せ合って隠れて、数日落ち着くのを待ったこともあった。

 その一方、屈強な不死隊を率い、通行の便のよい街道を進むクゼラクセラ大王はひとまずスサーに戻り、態勢をととのえ直し。ダライアスがいたとされる町へと進軍する。

 情報収集もおこたらない。多くの斥候を送り、目撃情報を集めて報告するのだが。報告を受けるクゼラクセラ大王の精悍な顔は、険しくなってゆく。

「ダライアスの将兵が、タフテ・ジャルシードへと集まっているというのか」

「はい。ダライアスは畏れ多くも、ジャルシードの杯を手に入れる魂胆のようです」

「予ですら授けられぬ杯を、あやつが!」

 やはりダライアスは叛意あったのだと、あらためて確信するのだが。ではトンディスタンブールで挙兵したのは何者であろうか。ダライアスの部下たちは騙りだと去っていったということを考えれば、示し合わせたわけではなさそうだ。

「ダライアスの他に、予に叛逆の意図をもった者がいるというのか」

 絶対君主としてアラシアに君臨してきた大王にとって、これほどの屈辱があろうか。


「かまわぬ。まずは、ダライアスだ!」

 クゼラクセラ大王と不死隊一万はタフテ・ジャルシードへ向けて驀進ばくしんした。

 そうするうちに、気候も初春の匂いを帯びてきて。北方の山脈の雪化粧も日に日に薄くなってゆき。

 冬の寒気にしおれていたような草花もほどよい湿り気を帯びた初春の匂いをかいでか、色づきはじめる。

 タフテ・ジャルシードはアラシア帝国最初の都であり、四つの都で一番東方に位置する。そこは標高の高い高原地帯であり冬は厳しい寒さに襲われるが、乾いた風がよく吹く乾燥しがちな気候で雪は降っても少ない。

 始祖は北から東に広がる大草原地帯ステップから来たりてアラシアを建国し、悪逆のバブルニア王を討ちしジャルシードとされ。都はジャルシードの王座を意味するタフテ・ジャルシードと名付けられた。

 ジャルシードはよく戦った臣下の中から一番の者を選び、杯を授けたという。

 その者が死ねば杯は返され、次に功績のあった者に授けられる。ということを繰り返してきたが、今は誰にも授けられることなく、神殿に眠り新たな勇者を待っている。

 タフテ・ジャルシードは今は政治的な都ではなく、主に神殿や王族の墓所によって形成される神殿都市として、アラシアの精神的支柱の役割を果たし。

 その権限は大王に勝る。

 事実、クゼラクセラ大王はジャルシードの杯を欲しながらも授けられていない。

 これを武力をもって押し通せば、神をも畏れぬとの国内からの批判は避けられず。人心は離れ支持を失い、権力の基盤を失いかねなかった。

 そのため、クゼラクセラ大王も手を出しかねていたのだが。

 それを、果たしてダライアスは授けられるであろうか。

「お前たち!」

 タフテ・ジャルシードを目指す旅の途中、出くわしたのは自分に仕えていた将兵たち。

「お久しゅうございます獅子王子!」

 ダライアスに仕えていた将兵らは、獅子王子タフテ・ジャルシードを目指すことを聞き。すぐさまに支度をととのえ、愛馬を駆って馳せ参じたのであった。

 ダライアスがどこにいるかわからないが、タフテ・ジャルシードにゆくというなら、迷うことはないとまっしぐらに目指していたのだが。運のいいものはダライアスと出会うこととなったのであった。

(そうか、あの男が教え広めたのか)

 追っ手から逃れる際にはぐれたのだが。彼は逃げずに仲間たちに獅子王子健在と、タフテ・ジャルシード行きを伝え。伝えられた者がさらに伝え広めたのだ。

 しかしそれでも、こうして自分に仕えていた将兵に出会えようとは。

「そこで集まっているお前たち、何をしている!」

 巡回の兵士たちだった。武装している者が道端で集まっているのを見て怪しいと思い咄嗟に叫んだのだ。


獅子王子来たる


「ここは我らにお任せあれ。獅子王子はタフテ・ジャルシードへ!」

 将兵たちは抜剣し、兵士たち向かって駆けた。

「刃向かうか。ならば容赦せぬ!」

 兵士らも抜剣し、将兵ら向かって駆けた。

「また、あの時と同じか」

 ダライアスは思わず唸った。ダノウ河畔で、将兵らは身を賭し主君を逃がそうとした。「王者たれ」と教えられて生きてきたのは、そのためではないというのに。

 ダライアスは加勢しようと駆け出しそうになるが、その肩をイムプルーツァがつかんだ。そればかりか、ヤースミーンとパルヴィーンまでがふたりしてその左手を掴んでいた。

「ゆきましょう」

「この人たちのことを思えばこそ、ゆきましょう」

 ふたりとも、すでに涙目であった。そうするうちに、怒号と剣戟の音がする。

「獅子王子には指一本触れさせぬ!」

 将兵が叫べば、

「なに、あれは獅子王子ダライアスさまか」

 という応えがかえってくる。するとどうであろう、兵士のほとんどが、

「待った。待ってくれ!」

 と言って、剣を下げた。

「我らも連れて行ってください!」

 あらぬ言葉を聞き、さすがにダライアスも唖然とする。

「お前ら、血迷ったか!」

「血迷っているのはお前の方だ!」

 さすがに長らしき兵士が怒りをあらわにしたが、兵士たちは動じない。

「もういやだ、腐った上役や役人にこき使われるのは!」

「この前だって、賄賂を出さなかった商人を殺させたじゃないか。オレたちは兵士になってても盗賊になったんじゃない!」

 などと、不満を爆発させて。有無を言わせず兵士長に襲いかかった。

 彼らは腐敗したアラシア人貴族にいいようにこき使われて、不平不満をため込んでいた。

「馬鹿馬鹿しい。そういう星の下に生まれたのだ、運命を受け入れんか!」

 多少詩でもやっているのか兵士長は少々詩的で抽象的な言い方をする。それに対しても、

「へぼ詩人のヴェネラウのくそつまらない詩を無理やりいいと言わされるのも、こりごりだ!」

「くそつまらない詩を無理やり聞かされるのは、地獄だ! 刃を突きつけられて、つまらないものをいいと言わされるのも、もうごめんだ!」

 ヴェネラウという者は知らないが、腐敗した貴族や役人に彼らは相当苦しめられているようだ。身近な兵士長でさえ、その影響を受けて兵士をぞんざいに扱っているようだ。

「お前ら……」

「わあー!」

 なんと兵士たちは大声あげて兵士長に襲いかかった。これにはダライアスの将兵もぽかんとしてしまった。

「くそ、おぼえていろ」

 衆寡敵せずと兵士長はやむなく逃げ出し。

「もういい、無理に追わずともよい」

 とダライアスが追いかけようとする兵士らを止める始末。

「獅子王子、我らも連れて行ってください!」

 兵士らは跪いた。ダライアスは戸惑いを隠せなかった。

 国内で腐敗が進んでいたのは知っていた、その腐敗は遠くにゆくにつれてひどくになって、旧ヴーゴスネア地域の腐敗は目を覆うばかりでダライアスがオンガルリを放棄する遠因となったが。

 思った以上のもののようだ。

「だめだ」

 兵士らの懇願を、ダライアスは拒んだ。

「どうしてですか?」

「オレのゆく道は茨の道、お前たちにゆけるものではない」

「……」

 黙り込む兵士たち。ダライアスは獅子王子として文字通り東奔西走していたのは知っているが、それは試練でもあった。並みの者にはとてもついてゆけないような。

 ただ、彼らのすがるようなまなざし。辛い日々を強いられてきたのだろう。

 帰したところで、一旦刃向かった以上許されず何をされるかわからない。

「やむをえません、連れてゆきましょう」

 そう言うのは将兵らであった。さっきまで刃を交えていたのが、様子を見て同情をおぼえたようだ。

「面倒はお前たちが見るのだろうな。なんでも獅子王子に押し付けるまいな」

「もちろん」

「やむをえんか……」

 イムプルーツァは厳しいことを言うも、将兵は面倒を見ると言い。ダライアスも承知せざるをえなかった。

「ありがとうございます!」

 兵士たちは喜色を浮かべ、四人から一気に人数が増えた一行は止まった足を再び動かした。

 クゼラクセラ大王といえば、不死隊一万を率いタフテ・ジャルシードへ向けて驀進していた。しかし、思わぬことで足止めを食らうこととなった。

「各地で反乱だと!」

 トンディスタンブールでの何者かによる挙兵、ダライアスの出現、それに呼応するようにアラシア各地で反乱や革命が起こっているという。

 斥候は皆息せき切ってクゼラクセラ大王に報告し。それを聞くクゼラクセラ大王は、あまりのことに顔を鉛色にして怒気をあらわにして。

 天に向かい、赤い口を開けて咆哮した。


「バビロナだ。妖女バビロナの呪いだ!」

 文官に命じ「妖女バビロナの呪いによりアラシアに動乱起こる」と記録させる。バビロナは妖女だと、後世まで知らしめるのだ。

 命じられて書くのはいいが、大王は恐れすぎではないかと、文官はいぶかしく思った。

(バビロナに毒を飲ませて死なせたが。ならばこそなおさら予を呪っているであろうな)

 クゼラクセラ大王は聡明で美しいバビロナを三番目の妻とした。一番目と二番目を差し置いて、バビロナを一番に愛でたのだが……。 

 思えばこそ、妖女にそそのかされたということなのか。

「どういたします」

 側近が心配そうに大王を見つめる。まさか多くの者が反乱を起こすとは思っていなかったようである。

 それもそうだった。大帝国アラシアの大王にて、この地上において唯一絶対の存在として君臨し。天下万民皆畏れ伏していると思っていたのに。

「何を恐れることがありましょう!」

 屈強な将軍がふたり、クゼラクセラ大王の前に進み出る。このふたりは不死隊隊長のガアグルグとギュオスであった。

 一万のアタナトイを五千ずつ分けて、ガアグルグとギュオスが率いていた。

「反逆の獅子王子に呼応し反乱を起こしたというならば、タフテ・ジャルシードにて雌雄を決し、討ち取るまでのこと」

 ガアグルグは鋭い目で叫ぶように言い。ギュオスも「左様、左様」と頷く。

 クゼラクセラ大王に忠誠を誓っているようではあるが、かといって過度に畏れてもいないようで。きっぱりと竹を割ったように「獅子王子討つべし」と言い切る。

「その通りだ」

 諸悪の根源はダライアスである。ならばダライアスを討つまでのこと。

 ガアグルグとギュオスの進言によりわずかながら生じた迷いを打ち消し、進軍が再開された。

 そのころ、高原の、アラシア最初の都タフテ・ジャルシードは湿り気を帯びるようになってきた春の風が吹き。若芽も芽吹き出し、高原の緑の色に彩がそれられる。

 アラシア建国当初は、都として栄えたタフテ・ジャルシードも標高の高い高原の厳しい気候が厭われて、より低い地帯の都市に遷都されて。今はかつての栄はなくなっていた。

 しかし、巨石によってつくられた歴代大王の墓所や神殿が厳かに立ち並び、この地上世界にあって神々の住まう天上界のような、神殿都市の様相を呈していた。

 この神殿都市建設のために、多くの建築家が招聘され。万を超える人夫が働き。完成に三十余年の月日を要したという。

 この神殿都市には大王から遣わされた役人は就かず。神官たちが自治権を認められて都市を治めている。


 神殿の謁見のアパダーナの奥は数段高くなり、そこに王座があり。その王座に建国の王ジャルシードが座していたことを忍ばせていた。その座に宝箱が置かれている。その中には、クゼラクセラ大王が喉から手が出るほど欲しても授けられなかったジャルシードの杯が保管されていた。

 神官の筆頭に呼びかけにより、謁見の間に神官たちが集まっていた。

 まずは、ジャルシードの杯に跪き。神とアラシア帝国への祈りと忠誠の言葉を述べたあと、互いに顔を見合わせて、次々ともたらされる報せや、次々と集まってくるダライアスの将兵について協議されていた。

 神官とはいえ、腰には剣を帯び、その顔つきも精悍で。一軍を率いる将軍のような威厳さえ感じさせた。

「聞けば、ダライアス獅子王子はジャルシードの杯を求めているとか」

「獅子王子から、獅子王になろうというのか」

 嘲笑するでもない、一瞬の間沈黙し、重い空気が垂れこめる。

「いかに王族といえども、それだけではジャルシードの杯を授けるわけにはいかん」

「それはダライアス獅子王子も承知の上であろう。聞けばクゼラクセラ大王に比べ聡明で下々の者を慈しむという」

「そも、ダライアス獅子王子はなにゆえジャルシードの杯を求めるのか」

「集まる者たちに聞けば、アラシア安泰のために、という」

「アラシアの安泰……。権力を欲する者の常套句ではある」

 権力欲から杯を求める者は多い。それゆえ、審査は厳重であり、いかなる者であろうと、適さないとなれば杯を授けることはなかった。

 クゼラクセラ大王が求めて得られずという時の、狼狽した顔を思い出し。それが正解であったことを神官たちは確信した。

 それが今は、不死隊一万を率いて向かってきているという。同じようにタフテ・ジャルシードに向かっているダライアスを討つためである。

「この神聖な神殿都市を戦場にする気か、クゼラクセラ大王は」

 思い余って、ダライアスを討つとともに武力をもって杯を強奪することも考えられた。

「かといって、杯と引き換えにダライアス獅子王子に守ってもらうなど。それこそ建国の王ジャルシードの遺志に反する」

「もし、万が一のことがあれば……」

「杯を破壊し。我らも死のう」

 神官たちの視線が、王座に座す、ジャルシードの杯の入った宝箱に集まる。

 そうしている間にも、タフテ・ジャルシードに人が集まってくる。

 最初はダライアスに仕えていた将兵たちであったが、それに引き寄せられるように、様々なたぐいの人々も集まって。その中には女子供までいた。

「ここに来ればダライアス獅子王子にお会いできると聞いて」

 幼子を連れた母親は長旅の疲れで息も絶え絶えであった。それでも、ダライアスを求めて。その一念で、幼子の手を引いて、タフテ・ジャルシードを目指したのだった。


 そのような者はこの母子だけではなかった。集まってくる非戦闘員、平民らは皆、

「ダライアス獅子王子にお会いしたい」

 と、やってきたのだ。

 これに将兵たちは驚きを禁じ得なかった。

 一見、栄えているように見えるアラシアであったが、腐敗が進み。人民の怨嗟の念は、積りに積もっていた。

 クゼラクセラ大王は己を唯一絶対の存在と信じ込んで。王子や臣下もそれに追従し。王族貴族でなければ人にあらずというようなことを本気で信じ。

 国民に慈しみの心を向ける者は少なかった。

 そんな中でダライアスの噂は、国民の救いを求める心と合致して、伝え広められていたのだった。

 集まるのは救いを求めるか弱い民だけではなかった。

「私は医術の心得があります。この技術をダライアス獅子王子を通じて世の人々のために生かしたいのです」

「画家として創作活動をしておりましたが、王侯貴族どもは実像以上に美化した絵ばかり求めてうんざりです」

「私は建築家として働いていましたが、建築費を出し惜しみされて、ろくに収入がありませんでした。獅子王子にそんな世の中をあらためてほしいと思います」

 というような、手に職を持つ者までがダライアスを求めてやってきていた。

「このように彷徨える人が多いとは。我が国の腐敗は、想像以上のものだ」

 手に職をつけても、腐った世の中のために生かす機会に恵まれず、技術をもてあましている者もいる。

 ひとっところにとどまることが少なかったために、そのことになかなか気付けなかったのだが。まさかここまでとはと、戸惑いをおぼえたものだった。

 そのような技術者までもが集まったことで、静かな神殿都市であるタフテ・ジャルシードはにわかに活気づいていた。

「これはひどい」

 ひとり建築家が都市の家屋を見て回り、神殿を外からぐるりと回りながら眺めてつぶやく。

「思った以上に荒れておるな。建国王ジャルシードさまも、さぞ悲しまれておろう。よし、ここはひとつ、修復をするか」

 と、集まった人々から人手を求めて都市の建築物の修復作業がはじまった。そうかと思えば、

「このようなところで横になって、どうなさった」

「長旅の無理がたたったようで、身体が思うように動きません」

「それはいかん。どれ、診てしんぜよう」

「ですが、お金が……」

「今はいらんよ。ダライアス獅子王子が来られるまで、特別にただにしておこう」

 というように、医術の心得のある者は、身体の弱った者を診てやったり。

 どこかで子供が泣きだし、若い母親が「お願いだから泣かないで」と困っているところ。

「ああ、ぼうやは心細いんだねえ。よしよし」

 困っている若い母親を見かねて、そばにいた老婆が子供の頭を優しくなでて、優しく抱擁してやれば。子供は泣きやみ、老婆の胸の中で安らかな寝息を立てる。

「すみません……」

「いえいえ。わたしゃ夫も三人の子供も皆兵士にとられて、死んじゃって。天涯孤独の身になっちゃってね。家族がいる人が、うらやましくてねえ」

「おばあさんも、ダライアス獅子王子を求めて」

「そうだね。老い先短い身だけれど、せめてひと目お会いしたいばかりに来ちゃってね」

「そうでしたか……。私も夫を兵士にとられて。でも夫は兵士になって暴力をふるうようになって。優しい人だったのに、変わってしまって。ここに逃げてきたんです」

 若い母親の目から涙が流れる。その涙に込められた悲しみを思い、老婆は若い母親を優しく見つめる。

「あんたも、大変だったね」

「はい……」

「でも、ここに来たら、なんだか家族がまたできちゃったみたいだね」

「そうですね。私も、お母さんが新しくできたみたいです」

 若い母親は、老婆に優しくされて嬉しくて、子供のようにはにかみながら微笑んだ。

 このように、集まった者同士、支え合う光景がところどころで見られた。

 将兵たちにとって、予想外の展開であり。神殿都市の住民や神官たちも、これらを目を丸くして驚き。力を合わせて、集まってきた人々を保護した。

「これは……」

 将兵たちも驚いたが、筆頭神官までも、驚きを禁じ得なかった。

 ダライアスを求めての一心が、このように人々を導いたばかりか、手に手を取り合って支え合うなど。どうして想像しえよう。

 人の心は、このように優しさや思いやりにあふれることができるのかと、集まった人々からあらためて教えられた思いまでしたものだった。

「獅子王子は強さと慈悲の心を持ち合わせた稀有なお方と聞いていたが。それに導かれて、心優しき人々が集まってこようとは」

だが、その心優しき人々は皆、なんらかの苦難を余儀なくされた。

「心優しきゆえに宿命にとらわれるか」

 人々が集まりだしたとき、筆頭神官は乞われて将兵の代表と会い。何度か面会をしていた。そうする間に人々は増え、神官や住民の中には戸惑いを覚えた者もあったが、将兵たちは不器用ながらも気遣いをしめし大きないさかいはなかった。

 その将兵の代表とともに、都市をまわっていた。

 まだ風は冷たいが、日差しは暖かく。春の到来を感じさせる小春日和だった。

「ご迷惑をおかけします」

 将兵の代表はつつましくそう言った。

 神官の中には、ダライアスが力づくで杯を奪うのではないかと懸念している者もいる。その心を解きほぐすために、将兵の代表は会うごとにそう言うのであった。


「まことに迷惑ではある」

「獅子王子はジャルシードの杯を求めているとはいえ、力づくで求めることはいたしませぬ」

「なぜそう言いきれる」

「そう言い切れるだけのものを、何度も見せていただきました」

 これも何度も繰り返された問答であった。

 筆頭神官がめぐるたび、人々は畏れて跪く。そこに卑屈さはなかった。それどころか、皆顔が生き生きとし、希望に満ち溢れてさえいた。

(獅子王子ダライアスは、どのような者なのだろう)

 王族という者に不信感を抱いている神官たちであったが、この、人々の顔つきを見るたびに興味をそそられるのを禁じ得なかった。

 その時、遠くで「わあ」という喚声が聞こえた。

 将兵の代表の顔が引き締まり、緊張が走る。

「失礼。見てきます」

 将兵の代表は駆け足で喚声の方へと駆けてゆく。人々も気になってか、後をつけるように駆けたり歩き出す者もいた。

「我らもいってみよう」

 筆頭神官は慌てず落ち着き払ってそれらの後ろを歩く。

 将兵の代表は「すまない、どいてくれ」と言いながら人々を掻き分けて駆けて。その視線の向こうに、懐かしい顔を見て。我知らずに、目が潤むのを禁じ得なかった。

「獅子王子!」

 まるで親を見つけた迷子の子供のように叫んでしまい、駆け足に力がこもり速度を増した。

 そう、ダライアスがタフテ・ジャルシードに来たのだ。

 愛馬アジ・ダハーカから降り、手綱を曳き。その後ろにはヤースミーン、イムプルーツァ、パルヴィーンの三人の共がいて。その後ろにも、人が続いていた。

 人々は口々に獅子王子と叫んで、喜んで跪く。中には感極まってとめどもなく涙を流している者まであった。

「落ち着け!」

 それらの人々を見て、ダライアスは一喝した。

「まだ何も終わっていない。喜ぶのは早いぞ」

 引き締まった声でそう言い。「そうだった」と思うも、それでも、涙を止めることができなかった。

 それにしても、どうであろう。ダライアスがタフテ・ジャルシードに来た途端、この神殿都市の空気がどこか軽やかになり、小春の陽光も暖かみを増したように思えるのは。

 それに、ダライアスに付き従う者の多さ。まるで軍勢でも引き連れてきたかのようではないか。とはいえその内実を見れば、老人や女子供も多分におり。まるで街ひとつ丸ごとダライアスに着いてきたようである。

「筆頭神官に会いたい」

「ここに」

 ダライアス来たるを知り、急ぎ駆けた筆頭神官はうやうやしく跪く。それに続いて、多くの人々が跪く。

「杯を求めて来られたこと、よく存じております」

「筆頭神官よお立ちあれ。予こそ跪く身なれば……、どうか我に試練を与えたまえ」

 跪く筆頭神官に対し、ダライアも跪く。

 筆頭神官は立ち上がり周囲を見渡せば、他の者たちもダライアスと同じように跪いており。まるで皆で杯を求めているかのようであった。

「試練を与えるまでもなく、もうそこまで来ておるのではないか。ともあれ、お立ちあれ」

 うながされて立ち上がり、筆頭神官と真正面から向き合う。

「試練とは……」

「ご父君ことクゼラクセラ大王でござる」

「戦うことは、避けられないのか」

「自ら不死隊を率いることがいかなることか、言うまでもないこと」

 ダライアスは道すがら各地で反乱が起こったことを聞いた。クゼラクセラ大王の統治に対して不満が積もり、ついに抑えがたくして爆発したのだ。

「これは宿命、そして使命。獅子王子よ、まだ迷いがあると見える」

「……」

 ダライアスは奥歯を噛みしめた。

「お覚悟を決めなされ。大王の心に巣食う魔性はすでに破りがたし。これを知ればこそ、杯を求めるのではござらぬか」

 拳を強く握りしめる。覚悟を決めよと言われ、これを拒むことはできなかった。

「もし万が一のことがあれば」

「その場合、儀典にのっとり王族として丁重に弔いましょう」

「頼んだ。……皆、立ち上がれ!」

 その号令のもと、跪いていた人々が一斉に立ち上がった。皆ダライアスを見据えていた。

 ダライアスは何も言わず、周囲を見回す。不安と期待をないまぜにした視線が突き刺さる。

「どこか泊まれるところを所望したいのだが」

「は、用意してございます」

 騎士のひとりがダライアスの前に進み出て案内する。他の騎士や将兵たちは人々をダライアスから遠ざける。

「獅子王子は戦いにそなえて集中なされる。邪魔をしてはならぬ」

 そう言われて、人々はもの言わずダライアスの背中を見送るしかなかった。

 都市の中心部は西に向けて入り口を向ける大神殿がそびえる。これは建国の王にして初代大王ジャルシードの建てたもので。歴代大王が築いた神殿がその東、後ろに居並ぶさまは、神殿そのものが進軍を開始しそうな威容と威厳を感じさせる。

 父王クゼラクセラ大王の築いた神殿は、ジャルシードの神殿の南方向に並んで建てられていた。

「父は何を思い、ジャルシード建国王を超えようとしたのか」

 陽の当たりは方角で言えば南がよく当たる。ジャルシードの神殿の南に並んで建てられたことで、太陽の光をより受けることになる。それはジャルシードを超えようという父の思惑からだった。

 反対する神官もいたが、クゼラクセラ大王はそれらを押し切った。その時に、杯も求めたのであった。


宿命の戦い


 一時は歓声があがったものの、それからは静かなものだった。

 逃げたい者は逃げてもよい、という触れを出したが。誰も逃げず、思い思いの時を過ごしていた。

 それは嵐の前の静けさと言おうか。

「このまま生きていても、苦しいことの方が多い。だったら、獅子王子と一緒に天に昇るのも悪くない」

 そんなことを言う者もいた。

「いや、獅子王子はきっと勝利する。信じようじゃないか」

 と言う者もいる。

 様々な思惑が春のそよ風のようにタフテ・ジャルシードの神殿都市を吹き抜けてゆく。

 そんなダライアスたちを討ち滅ぼしてくれようと、クゼラクセラ大王率いる不死隊アタナトイ一万は、ついにタフテ・ジャルシード郊外にいたった。

「ここまでの道中、許しを乞う使者ひとりもなし」

 クゼラクセラ大王は唸るように言った。

「大王、いっそタフテ・ジャルシードを死の世界にしてやりましょうぞ!」

「神の権威を傘に着て、大王をないがしろにする神官どもを、皆殺しにしますぞ!」

 ガアグルグとギュオスは鼻息も荒い。不死隊の将兵らも戦意も高く、言われもしないのに刃を掲げて、

「獅子王子滅ぶべし!」

 と、声高に叫んでいた。

 不死隊の軍装は華美を極め、刃と同じように陽光を受けて光り輝き。これを目にした者は、冥界より降臨した軍神を思わずにはいられなかった。

 不死隊一万の雄叫びが風に乗り、タフテ・ジャルシードにまで轟く。

 人々は身を寄せ合って、ダライアスに全てを懸け、祈るしかなかった。

「怖いことはないよ。獅子王子アスラーンはきっと勝つよ!」

 少しばかり勇気のある子どもは、恐れる親をそう言って励ました。

 やはり恐れる者は多かった。しかし、

「負けてはならぬ」

 と、震える足をどうにか動かし人々を励ます者も少なくなかった。

 ヤースミーンはジャルシードの神殿にて、王座の宝箱に跪いて神官らとともに祈りをささげていた。

 隠れるところのない拾い草原である。起伏もゆるく、地形を生かした策でもって戦うことは不可能に思われ。このまま不死隊一万に攻められれば、なすすべもなく滅ぼされるしかないように思われた。

 その草原に壁のように立ちはだかる岩山があり、その岩山には、歴代の大王の巨大な浮彫が彫られていた。

 悪逆のバブルニア王を踏みつけにし、ジャルシードが剣を掲げる浮き彫りに始まり、歴代大王の偉業をつたえる浮き彫りが岩山に掘られ。今にも動き出しそうな威容を誇っていた。


「やや……!」

 ガアグルグは、浮き彫りを目にして、目を見開いた。

「悪逆の獅子王子が、あそこに!」

 浮き彫りのある岩山はタフテ・ジャルシードの北にあり、そこは勾配がつき上ってゆかなければならないが、そこにダライアスの軍勢を見たのだ。

 ダライアスたちからも、タフテ・ジャルシードに迫る不死隊一万が見えた。

「お前たち!」

 愛馬アジ・ダハーカの馬上、ダライアスは叫んだ。

「予に命をくれ!」

「応!」

 間髪入れず、応の声が轟いた。

 その轟きにこたえるように、不死隊一万が動いた。軍鼓管楽のしらべくうを揺らし。軍靴馬蹄の音も高らかに、こちらにむかってまっしぐらに駆けてくる。

 まるで巨大な黒い影が押し迫るようだ。

 不死隊が一万であるのに対し、ダライアスの側は五千ほど。いかにダライアスのことを伝え広めようとも、オンガルリまで付き従った者すべてがタフテ・ジャルシードに至るのはやはり無理があった。

「まだ動くな!」

 イムプルーツァが一喝し、逸る気持ちをおさえる。パルヴィーンも無言で、息を呑みつつ相手の動きを見据えている。街道で出会った男もそばいにいる。

(獅子王子にお仕えし、苦難は多かった。しかし、最悪の事態になろうとも、共に死ねる! これほどの喜びが、あるだろうか!)

 胸の奥底から恐れる心も出てこようとする、それを、ダライアスの存在を支えに、勇気を奮い起こす。

「かまえ!」

 ダライアスが右手を上げれば、前面に控えていた弩弓隊が弩弓をかまえる。

 不死隊が迫り、岩山へ続く勾配を駆けあがる。同時に騎馬用の短弓がかまえられるのが見えた。

「撃て!」

 双方から多くの矢が射られ、空を覆い、雨のように降りそそぐ。

 勾配を駆けあがる不死隊の中から射られて倒れる者もあった、同じようにダライアスの側の者たちも矢で倒れる者があった。

 双方盾の備えはあった、それでも間隙を縫うように降りそそぐ矢の雨の犠牲が出ることは免れなかった。

 とはいえ、位置的にダライアスの側が矢の撃ち合いに関しては有利であった。

 ことに前が矢で倒れれば、進軍の速度は緩めざるを得なかった。中には倒れた者に足を取られて馬ごと転ぶ者もあった。

「幸先がよいなど考えるな、戦いははじまったばかりだぞ!」

 イムプルーツァが一喝する。

 凶悪な顔をしたガアグルグとギュオスが、目を血走らせてこちらを睨んでいる。

「権力に媚びる野蛮人!」

 パルヴィーンは吐き捨てるように叫んだ。


「まだだ、まだだ。撃って撃って、撃ちまくれ!」

 無限にあるわけでもないが、ダライアスは弩弓隊に矢を射続けさせた。その背後にジャルシードをはじめとする歴代大王の浮き彫があり、戦いを静かに見守っている。

「小癪な! 二手に分かれるぞ!」

 ガアグルグが叫べば、ギュオスは「応」とこたえて。

 なだらかな草原の勾配である。矢を避けながらの動きに不自由するでもなく、不死隊は二手にわかれてゆく。 

 それにともない、射られる矢も少なくなってゆく。

「所詮は悪足掻きであったな!」

 ギュオスが罵るように叫ぶ。

 それを見計らい、

「撃ち方やめ!」

 ダライアスは矢を射るのをやめさせ、槍を握りしめた。

「ゆくぞ」

 ついにダライアスは動き出した。自ら先頭に立ち、アジ・ダハーカを駆けさせ。以下イムプルーツァたちが続く。

 その軍勢ひと塊になり、まっすぐに左手のギュオスの軍勢めがけて、まっしぐらに駆ける。

 タラッソがアジ・ダハーカと並んでいる。

「もう、性懲りもなく!」

 パルヴィーンがイムプルーツァの背中に怒鳴る。こんな時まで張り合うのかと。

 だがその後ろに続く騎士や将兵たちは、張り合うふたりの背中を見て感激をおさえられなかった。

「獅子王子が、アルタイルが! 我らは故郷に帰ってきたのだ!」

 この背中を見つめてどれだけの戦いをくぐり抜けてきただろう。臆病に支配されそうな心を、このふたりの背中がどれだけ勇気づけてくれたことか。そして長い彷徨のすえに、ようやく故郷に帰れたような気持にもなっていた。

「我らは獅子王子とともにあり!」

 ところどころでそんな叫びがあがった。その叫びは喜びにあふれていた。

「なんだと!」

 ダライアスの軍勢がひと塊になって自分たちに向かってきていることにギュオスはやや驚きを示したが、そこはやはり一軍を率いる将であった。

「割り切った戦い方をするな。だが、それも無駄足掻きにしてやるわ!」

 ギュオスは手勢をそのままダライアスめがけて駆けさせた。

「おおおッ!」

 イムプルーツァと張り合いながらも、ダライアスは、まさに獅子のように咆哮し、アジ・ダハーカを駆けさせ。

 ついに、ギュオスの軍勢とぶつかり。

 一番槍を獲った。

「ちぇ、先を越されたか!」


 大剣を振るいながらイムプルーツァは悔しそうに叫んだ。

「だから、こんな時まで張り合ってどうするの!」

 イムプルーツァに突っ込みを入れながらも、パルヴィーンは身軽な動きで剣を振るっていた。

 ダライアスの軍勢は勇戦し、ギュオスの軍勢を押し気味に突き進んだ。

「王子たる身分の自覚もなく、端武者のごとく振る舞うとは、所詮は若造よ!」

 ギュオスはダライアスのように先駆けをせず、軍勢の中盤に位置し。戦局を見計らいながら「将」として振る舞い。それはガアグルグも同じだった。

 それだけに、ダライアスの勇気を蛮勇ととらえて、軽蔑もしていた。

「駆けろ、駆けて駆けて、駆けまくれ!」

 背後ではガアグルグの手勢が迫る。このままでは挟み撃ちだが。

 槍で敵兵を払いながら、ダライアスはアジ・ダハーカを駆けさせ。ギュオスの軍勢の奥深くまで突っ込んだ。その一方でイムプルーツァは手勢を率いて反転したかと思えば、縦横無尽にギュオスの軍勢を引っ掻き回す。

 ただ真正面からぶつかるのではない、ダライアスとイムプルーツァは互いに連携を取り合い、いかに敵軍勢の中で駆けまわるかを打ち合わせていたのだ。

 一騎当千のつわものぞろいである不死隊を相手にするのだ。実際、ぶつかるやいなや討たれる者は多かった。そんな中で重要なことは、相手をひと塊にさせないことであった。

 だが数は不死隊がまさっている。そうこうしているうちにガアグルグの軍勢も合流し、ダライアスたちは不死隊に包囲されてしまった。

「無理に刃を交えるな、引っ掻き回せ!」

 無数の刃が迫ってくる。それを得物で弾き返しながら、ダライアスたちは敵軍勢の中を駆け回った。

「ふざけるな!」

 不死隊の騎士や将兵たちは怒りをあらわにして迫ってくるが無理に相手にしない。そうすることで、軍勢が分断されてしまうのは不死隊の側もわかっているので、どうにかして相手を仕留めようとやっきになる。

 軍勢中盤に位置していたギュオスだが、ダライアスたちの猛進あって眼前にはっきりと敵兵が見え、槍を振るう。

 だが、ダライアス側の騎士や将兵は、無理にギュオスの相手をしようとせずやりすごそうとする。

 ダライアスの姿もよく見え、こちらに気付いているようなのだが、無視し愛馬を駆けさせようとする。

「反逆の獅子王子め、何を考えている!」

 数人、手近な者を討ち。ギュオスは眉をひそめた。

「まさか、今さらになって臆病風に吹かれたのか」

 インダウリヤとの国境をめぐる戦いに勝ち、オンガルリを制したとて。それは相手が弱かったおかげであったと、ギュオスは思っていた。

「やっぱり、強い……!」

 イムプルーツァとともに駆けまわるパルヴィーンだったが、歯軋りし、不死隊の強さを認めざるを得なかった。


 目の前でどれだけの「同志」が討たれてしまったことか。

「何を言う、相手が強ければ強いほど、燃えるものだろう!」 

 大剣振るい、血風を吹かせてイムプルーツァはパルヴィーンに叫んだ。選りすぐりの精鋭ぞろいである不死隊は、イムプルーツァをもってしても討ち取るのは容易ではなかった。が、かえってそれにより戦意が燃え盛っていたようだった。

「あれはイムプルーツァか、よし!」

 ガアグルグは勇戦するイムプルーツァを見つけ、その方向へ向かい馬を走らせ。それはイムプルーツァからも見えたが、

「あとでな!」

 と、無視し、そのまま駆け抜けようとする。

 ダライアスの軍勢はひと塊になりギュオスの軍勢に突っ込み、それからガアグルグの軍勢が合流したのだが。

 ダライアスはひたすらにまっすぐ駆け、反転したイムプルーツァたちは気がつけばガアグルグの軍勢の奥深くまで突っ込んでいた。

 それをそのまま突っ切ろうとするのだ。

 だが逃がそうとするガアグルグではなかった。

「鷲の勇者の称号を授けられたほどの者が、臆病風に吹かれて逃げるか!」

 ガアグルグは執拗にイムプルーツァを追う。

「相手にしちゃだめよ!」

「わかっている!」

 イムプルーツァらも、駆けた。遮二無二に駆けた。

 周囲は敵だらけで包囲されてしまっているが、刃をかわしてやりすごすこし、素早く敵兵のわきを駆け抜けることに集中しているおかげか。

 進むごとに壁は薄くなってゆき。ついには、

「突破ァ!」

 ダライアスは槍を掲げて叫んだ。

 敵兵の壁を破り、邪魔する者のいない草原に出て。ついに突破を果たしたのだ。

 ダライアスに続き、騎士や将兵たちも次々と、

「突破したぞ!」

 との雄叫びをあげる。

 それはイムプルーツァたちも同じだった。

 ガアグルグの軍勢の真っただ中を駆け、突破を果たしたイムプルーツァは、会心の笑みを浮かべ。

 ガアグルグを睨みつけた。

「小癪な!」

 ガアグルグは脇を駆け抜けようとする者の前に立ちはだかり、その剣で鎧ごと胴を貫いた。

 数に劣る敵兵を包囲しながらも、おめおめと突破を許してしまったのは、ガアグルグとギュオスの将としての自負と誇りを大きく傷つけた。

「だがずいぶんとやられたな」

 ダライアスは舌打ちをする。被害も少なくないだろうとは思っていたが……。


 だが敵軍勢の真っただ中を駆け抜け、突破した甲斐あって、不死隊の陣形に崩れが生じ。

 向こうの損害も少ないないようだ。

「よし、ゆくぞ!」

 ダライアスは気を引き締め直し、反転しギュオスの軍勢に向かって駆け。イムプルーツァたちも同じように反転しガアグルグの軍勢向かって駆けた。

 ダライアスは突破したが、敵軍勢内に残っている者も多かった。それらは無理に逃げず、覚悟を決めて戦い抜こうとした。

 あの街道で出会った男は全身傷だらけになりながらも、最後の力を振り絞るように剣を振るっていた。

 頭からも血が流れて目に入って視界を妨げる。

 ぼやける視界の中、うっすらとギュオスを見いだし。その方へ向けてひきつる足を無理にでも動かして駆けた。

「うおおー!」

 男は雄叫びを上げ、ぼやける視界の中で大きくなるギュオスめがけて剣を突き出した。

「しゃらくさい!」

 槍が男の胴を貫いた。これで絶命したかと思われたが、男は歯を食いしばり槍の柄を掴んだ。

「ふん、欲しいならくれてやる!」

 早々に槍をあきらめ素早く剣を抜き、同じように迫ってくる敵兵を斬り血煙をあげた。

「我ら肉体は死すとも、魂は永遠に獅子王子とともにあらん!」

 槍を引き抜き、馬上のギュオスの足にしがみつき。もはや人間としての自覚どこ吹く風で力の限り噛みつく。

「うおおッ!」

 足に激痛が走り、ギュオスは思わず叫んでしまった。噛みつく男の背中に、数本の槍が迫り。容赦なく背から胴へと貫いた。そこで力が緩み、男は崩れ落ちるが。その手は足を掴んで離さなず、ぶら下がる恰好となった。

 これにより動きは鈍くなり、ダライアスの騎士や将兵がここぞとばかりにギュオスに迫った。

 不死隊もこれを防ごうとするが、死を覚悟し死兵となった相手にいかに刃を振りかざそうと意味をなさず。全身傷だらけで迫るその姿は、さながら食屍鬼グールを思わずにはいられなかった。

「こいつら、気が狂っているのか!」

 ギュオスは唸った。

 突破かなわずと、捨て身でギュオスに迫る者数知れず。数で勝っているはずなのに、身の回りの手勢が手薄になってゆくように思えてならなかった。


「おい、ガアグルグ、オレとやりたいんだろう!」

 突破したイムプルーツァは、今度は逃げずにガアグルグに迫る。

「おお、やらいでか!」

 双方愛馬を駆けさせ、激しい一騎打ちをはじめる。

 その一方でギュオスは死んだ敵兵に足を掴まれ身動きもままならず。それを取り除こうとするも、死兵に迫られそんな余裕はなかった。

 不死隊の騎士や将兵もギュオスを守ろうとするのに精いっぱいだった。

 ダライアスといえば、ギュオスを無視し、縦横無尽に駆け回り不死隊を引っ掻き回す。そのためまとまりを得られず、ギュオスの周囲に兵はなかなか集まらなかった。

 それはガアグルグ側も同じで、イムプルーツァがガアグルグと一騎打ちに興じる中パルヴィーンはよく兵を率いて軍勢を引っ掻き回した。

「みんな、がんばって! 勝てるわ!」

 パルヴィーンはあらん限りに叫んで騎士や将兵を励ました。何度も何度も、「勝てるわ!」と叫んだ。

「こいつら、勝つ気でいるのか!」

 数も劣り、苦戦を強いられながらも軍勢の中を駆け抜けるダライアスたちの姿に、どこか強烈なものをおぼえざるを得なかった不死隊の騎士や将兵もいた。

「勝つ気がなければ、最初から戦いなどせぬわ!」

 イムプルーツァは強烈な斬撃を見舞うも、ガアグルグもさるもの、相手のと同じくらいの大剣でもって斬撃を弾き返し様、大剣を翻らせて振り下ろす。

 それをやりすごし、大剣切る風と入れ違いに大剣を横薙ぎに振るった。

 ガアグルグは馬を下がらせ、距離を開け大剣をやりすごす。

 ギュオスと言えば、やむなく下馬し、脚を掴む男の屍を引きはがし。ようやく体の自由を得た。だが下馬している間にも敵兵は迫り、馬も無事ではいられず。

 馬脚は剣で叩き斬られて、馬は悲痛にいななき地に倒れた。

「ギュオスさま、ここはお逃げください!」

「馬鹿を言うな、我々が勝っているのだぞ!」

「死兵の勢い強く、ギュオスさまを守り切れるかどうかわかりませぬ」

「ううむ……!」

 そばの騎士の言う通り、殺しても殺しても捨て身の死兵は尽きず。戦場を駆け巡るダライアスが何かの魔術をもちいたのかと錯覚を覚えるほどだった。

 粘ればダライアスを討てるかもしれないが、ギュオスとてその身の保証はないのは、戦況を見れば認めざるを得なかった。

「妖女の子が!」

 ギュオスは忌々しく吐き捨て、用意された馬の手綱を握り騎乗しようとする。

「獅子王子とバビロナさまの悪口は許さん!」

「何ッ!」

 死んだと思っていたその男は、まだ死んでおらず。数本の槍が刺さった姿のまま立ち上がって、ギュオスにつかみかかった。

 背から胴を槍に貫かれているのだ。しがみついた途端、胴から出た槍の穂先が、ギュオスの鎧を貫き、胴に突き刺さった。


「お、お前、まだ生きていたのか!」

 男は何も言い返さない。もはや声を出すこともできなかった。ただひたすらに、ギュオスにしがみつくばかり。

「許せ!」

 別の兵が不死隊の騎士や将兵の間をくぐり抜け、男の背中の槍を掴んで力の限り押せば。

 槍はギュオスの胴から背へと貫かれた。

 周囲は騒然となった。

 ギュオスはたまらず吐血し、力が抜けて尻もちをついてしまった。

 槍を押した兵は、「おのれ!」と迫る不死隊の振りかざす刃によって滅多斬りにされてしまう。

「我らの魂は、獅子王子とともにあり!」

 血まみれの無残な姿ながら、兵はそう叫んで命尽きた。

「なんという恐ろしい奴らだ、何がそこまでさせるのだ!」

 大王直属の精鋭部隊としての強さを誇る不死隊ではあるが、それほど強くもないはずのダライアスの兵の必死さには、舌を巻かされていた。

 男は今度こそ本当に死んでいた。しかし自分ごとギュオスを槍で貫き通し、その動きを完全に封じていた。

「こやつら……、こやつらこそ、まことの戦士たちよ」

 ギュオスの従者は「ごめん」と槍を抜き。男をどかし、手を差し伸べた。

「いらん」

 ギュオスは助けを拒み、自らの力で立ち上がり。戦場を駆け巡るダライアスの雄姿を目にしっかと焼き付ける。

「仕える主を誤った」

「今何と申されました」

 従者や騎士たちは耳を疑った。

「獅子王子よ、ギュオスはここにあり!」

 それが聞こえたか、ダライアスがこちらに振り向く。

「この命を、獅子王子に捧げよう。さあ、来られよ!」

「おやめください。ここは逃げましょう」

「うるさいぞ!」

 逃げようと言う従者を怒鳴りつける。その一喝に周囲は凍りついたようにかたまった。

 そうしているうちにダライアスは迫り、傷を負ったギュオスを碧い瞳で見据える。

「わしを哀れむことはない。さあ、獅子王子よ、わしを戦士として果てさせてくれ!」

 もはや従者たちは何も言わない。

 ダライアスはアジ・ダハーカを駆けさせ、槍を繰り出せば。

 穂先はギュオスの心臓のところに突き刺さり、背までを貫く。


 アジ・ダハーカはそのまま駆け抜ける。

「ふふふ。これをくれるというのか。太っ腹なことよ」

 己を貫く槍の柄を握りしめ、遠ざかる馬蹄の音に耳をすませる。くう揺れる戦場にあって、不思議と雑音なくアジ・ダハーカの馬蹄の音が聞こえ。

 ギュオスは倒れて、息絶えた。

「ギュオスさまが討たれた!」

 その悲痛な叫びは戦場を駆け巡った。

「命乞いをするならいまのうちだぞ!」

「ほざけ、お前が命乞いを聞くような奴か!」

「言われてみればその通りだな!」

 ギュオスの死の報せは一騎打ちをするイムプルーツァとガアグルグの耳にも飛び込んだ。が、かと言って一騎打ちをやめる理由にはならず、大剣同士、火花を散らす。

(しかしなんと楽しそうに戦うものか)

 大王に逆らい反逆者の汚名を着せられているにもかかわらず、そこにはひとかけらの卑屈さもない。

 それはダライアスの側の騎士や将兵にも言えることだった。

(ん……)

 何かに気付いたガアグルグは、

「待った!」

 と言い、馬を下がらせイムプルーツァと距離をとった。

「なに、まさかほんとうに命乞いをするのか。がっかりさせるなよ」

 イムプルーツァは目が点になった。

「お前、気付かないのか、戦況が変わったのを」

「え?」

 言われて周囲を見渡せば、不死隊の騎士や将兵は動きが鈍くなり。ダライアスたちを避けて、さきほどのガアグルグと同様に、

「待った」

 と言っているではないか。

「あ、ほんとうだ」

 これにイムプルーツァはぽかんとして、「拍子抜けするな」と苦笑いする。

 パルヴィーンはこの変わりように気付いて、戸惑いを覚えたほどだった。が、イムプルーツァは案の定気付いてなかったかと、眉をひそめる。

「どうしたんだ、不死隊ともあろう者が」

「お前はほんとうに、鈍い男だな。獅子王子に心奪われたのだ」

「はあ?」

 そう言っている間にも、不死隊の者たちは刃を下げて。戦いを放棄した旨を語っていた。

「ギュオスさまが自ら命を差し出された勇者に向ける刃は持っておらぬ」

 ダライアスの側の騎士や将兵たちこそ、呆気にとられて耳を疑ったほどだった。

「本気で言っているのか」

「見損なうな! ならば抵抗はせぬゆえ、我らを殺せ!」


 そう言って、丸腰で両手を広げる。

「勝負は着いた。もはや戦ういわれはない」

 ガアグルグはそう言って大剣を投げ捨て、

「さあ、殺すなら殺せ」

 と身動きひとつもしない。

「殺せと言われてしまえば、かえって殺す気にはなれぬな」

「捻くれ者め」

「性分でね」

「自慢することじゃないでしょ」

 いつの間にかそばに来ていたパルヴィーンが呆れながら突っ込みを入れる。

「それにしても、まさか不死隊が……」

 突っ込みを入れながらも、不死隊が戦いを放棄したことがにわかには信じられなかった。

 ガアグルグの従者が素早く大剣を拾い。いつでも差し出せるように構えている。

「そうだな。我ら鉄の如き冷たき血が流れていると言われる者ならばな」

 戦況は次第に落ち着いてきて、やがては、喧騒はやんで代わりに春のそよ風が皆の頬をなでてゆく。

 いつしかダライアスがガアグルグのそばまで来ていた。

「獅子王子よ、お久しゅう。……立派になられましたな」

 最後に会ったのは、初陣の少し前であった。当時はまだあどけなさが残っていたが、今や立派な王子へと成長し。

 不死隊の者たちすら心奪われるまでになっていた。

 ダライアスは無言。ガアグルグにねぎらいの言葉をかけるでもなく、自分に着くよう説得するでもなく。碧い瞳で、じっと見据えている。

「我らは権威に仕えるにあらず。勇者に仕えるものなり」

 そう言うや、従者から大剣を受け取り。愛馬を駆けさせる。不死隊の騎士と将兵も続く。

 その方角は、クゼラクセラ大王が陣取る神殿都市の郊外であった。

「え、な、なんで!」

 パルヴィーンは口から心臓が飛び出るほどに驚いた。

「まさか、まさか、不死隊は翻って大王を討とうというの!」

「行かせてやれ」

 鈍いイムプルーツァであったが、驚き戸惑うパルヴィーンにそう言い聞かせた。

 ダライアスもじっとその様を見据えていた。

(父上、おさらばでございます)

 さっきまでダライアスたちと激戦を繰り広げていた不死隊が、突然戦うのをやめたかと思うと。なんと自分たちに向かって攻めてくるではないか。

「馬鹿な。なぜだ」

 戦況を見守っていたクゼラクセラ大王はこのことに大変驚き、馬にまたがり逃げ出す。

 大王自らが騎乗するだけあって、名うての駿馬で。その速さには誰も着いていけなくて。


 ひとり草原を駆けて、姿を消した。

「なんじゃい、甲斐性のない」

 その逃げっぷりにガアグルグは呆れてものも言えなかった。大王が名誉のために死ぬことを期待していたのだが、それは見事に外されてしまった。

 残された従者たちは、涙ながらに命乞いをするしかなかった。その中には女官もいる。

「クゼラクセラ大王に仕え、己まで大王になったかのようなお前たちの傲慢ぶりを忘れたと思うか」

 と、容赦なく討たれていった。

 皆、華美で豪奢な装いの服を身にまとっていたが、これらは人民からの搾取によって得たものであり。心も傲慢になり、不死隊に対してもさえ、人にあらず獣なりと軽蔑していた。

「怨めしやクゼラクセラ。我が魂は永遠にクゼラクセラを呪うものなり!」

 女官のひとりが、血まみれな無残な姿になりながら叫喚し、目をむいて息絶えた。

 他の者たちも同じようにクゼラクセラに対して「災いあれ!」と叫びながら死んでいった。

 

獅子王ダライアス


 戦いはあらぬかたちで幕を閉じた。

 ガアグルグたち不死隊アタナトイはクゼラクセラ「元」大王の従者を始末した後、ダライアスたちのもとに戻り。一斉に跪いた。

「我ら獅子王子アスラーンに忠誠を誓うものなり!」

 彼らは言う。我らが仕えるのは権威にあらず勇者なり、と。

 不死隊は大王直属の精鋭部隊であり。人員は一万。戦いで戦死者が出ても、すぐに補充されて、数は常に一万に揃えられていた。

 精鋭部隊ではあるが、大王に対し狂信的な忠誠を誓っていたわけではなかった。大王が勇者であったればこそ仕えているのだ。もし勇者でなければ、忠誠を誓ういわれはなかった。

 ダライアスの碧い目はガアグルグや不死隊の騎士や将兵を見据えていた。

 陽もだいぶ傾き始めてきて、影も伸びる。

「もし、予が勇者ならずば、さきほどのようなことになるのだな」

「畏れながら、いかにも」

 ガアグルグもダライアスを見据える。

「わかった」

 それ以上は、何も言わなかった。不死隊の精鋭に、言葉は必要ではなかった。

「死者は我らが弔いますれば、獅子王子はタフテ・ジャルシードにお帰りあって筆頭神官に面会なされてはいかがか」

 しおらしくガアグルグはそう言う。まずはじめの奉公を戦死者の埋葬にしたのは、彼らなりの忠誠のしるしであった。

「わかった。頼むぞ」

 ダライアスはアジ・ダハーカを歩ませ、タフテ・ジャルシードの神殿に向かった。

 ジャルシードをはじめとする歴代大王の浮き彫りは、眼下の、影の伸びる人間たちを見据えていた。

「獅子王子が勝った、勝ったぞ!」

 タフテ・ジャルシードの神殿都市は陽も暮れゆくというのに大変な賑わいで、お祭り騒ぎであった。

 人々は涙して抱擁しあい、勝利を喜びあった。

 そこへダライアスたちが凱旋し、暮れゆく空も割れんがばかりの大歓声があがった。

 たくさんの松明が焚かれ。人々の歓喜の顔を照らし出す。

 神殿都市ゆえに酒や女、あるいは男遊びのできる場所こそないが。それらがなくても、人々はアラシアの最高神ゾオム・マヅダの祝福を受けたかのような、天にも昇る気持ちを抑えがたかった。

「わあ、すごーい」

 パルヴィーンは、閑静な神殿都市が、まるで別の都市になったかのような賑わいに目を丸くしながら。自分たちの戦いが無駄ではなかったことを、今このとき実感し。

 感極まって、感涙おさえがたく。ぼろぼろと涙をこぼしてしまった。


「宮中では疎まれていた我らであったが、人民たちにこのように慕われようとは」

 さすがのイムプルーツァも、感極まるパルヴィーンをからかわず、歓喜のかんばせ(顔)をながめて、自分たちが何のために戦ってきたのかを、あらためて考えたのであった。

 騎士や将兵も、宮中で疎まれ東奔西走させられた辛い思いをしたことなど、人々の喜ぶ顔を見て忘れ去り。

 この人々とともに新たな人生を歩むのだという思いを胸中募らせる。

「勝たねばならない」

 ダライアスは人々を見つめながらつぶやいた。

「勝たなければ、この人々のかんばせはないのだ。勝利こそ、我が宿命であり、使命なのだ」

 母バビロナは幼いダライアスに対し「王者たれ」と教えてきた。それは、そういうことだったのだ。

(しかし、母の教えをまっとうすることで、父と戦わなければならないとは)

 まさかバビロナとてそこまで考えてはいなかっただろう。それを思うと、父の現人神あらびとがみのごとき振る舞いが、無念でならなかった。

 凱旋したダライアスはジャルシードの神殿にいたり。そこで、筆頭神官とヤースミーンの出迎えを受けた。

 ヤースミーンは、いけないと思いつつも、涙を抑えられず。目は赤くなり、頬には涙の筋が走っていた。

 入口の階段の前で下馬し、ダライアスは筆頭神官に向かい跪き。イムプルーツァにパルヴィーンたちもそれに続き。人々も同じように跪いて。

 大歓声があがっていたのに代わって静寂があたりを包んだ。

「あれは……?」

 小声でそんな声がつぶやかれる。筆頭神官の手には、宝箱があった。

「獅子王子ダライアスに告ぐ!」

 筆頭神官は跪くダライアスに告げる。

「ジャルシードの杯を、ダライアスに授ける」

 夜の帳が落ち、静寂につつまれていたのが一転して「わあ」という歓声につつまれた。

 ダライアスは顔を上げて、跪いたまま身動きもできなかった。

「さあ、来たまえ。ジャルシードの杯を受け取るがよい」

 筆頭神官が宝箱を開けると、そばに控えていたヤースミーンが杯を取り出した。

 それは一見何の変哲もない銀杯であったが。ジャルシードが国を建てる前、一豪族にすぎなかったころから使われていたものであるという。

 ダライアスは頷き、立ち上がって階段を上る。その背中を、イムプルーツァやパルヴィーンたちは感慨を込めて見つめていた。

 階段を上り筆頭神官と向き合うダライアスは再び跪いた。それにヤースミーンがうやうやしく、杯を差し出し。

 丁重に受け取ると、ヤースミーンの涙のつぶが、ダライアスの手に落ちて弾けた。

 ヤースミーンは少し戸惑ったが、ダライアスは意に介さずアラシアの作法にのっとり軽く接吻をし。立ち上がって振り返り、人々に杯を掲げて、見せれば。

 歓声一段と大きくなり、

獅子王アスラーン・シャー!」

 との叫び声がこだまする。

 人々は、ダライアスをもう王子とは思わず、王と思うようになっていた。

 ジャルシードの杯は松明の炎に照らされる。

 岩山の浮き彫りの歴代大王たちも、歓声あがるタフテ・ジャルシードを見守り。不死隊のガアグルグや騎士、将兵たちも作業の手を休めて歓声に聞き入っていた。

(アラシアを建国し、バブルニア王に打ち勝った時も、このような賑わいだったのだろうか)

 神官たちは、この賑わいの中に身を置きながら、伝え聞くジャルシードの建国伝説に思いをはせていた。

 それと同時に、ダライアスが杯を受ける資格十分であることを感じ取った。

 ここに、獅子王ダライアスが新たなアラシアの大王として君臨する新時代が訪れたのであった。


地の果てにて


 かつて、そこにカルトガという国があった。

 地中海マーレを挟んで、北岸エウロパににマーレ帝国あらば、南岸フィリケアににカルトガあり。

 マーレ帝国はフィリケア大陸の北東にあるイギィプトを滅ぼしたあと、怒涛の勢いでカルトガを攻め。

 長きにわたる戦いの末に、都のツニスを火の海にしてこれを滅ぼし。その名の通りマーレの覇者は、帝国の黄金時代を迎えるに至り。

 カルトガは歴史から消えた。

 しかし、人までが国とともに消えるにあらず。

 長い時代を経てマーレ帝国も歴史から消えるとともに、人々はそれぞれの住む都市にて立ち上がり。

 現在のフィリケア大陸に確たる国なく。各都市国家が割拠する時代が長く続いて。

 戦火は、絶えることなく……。

 フィリケア大陸の北西端、すぐ向こうにエウロパ大陸の南西端を臨むジグラタル海峡の近くにある都市国家シェロアにて、コヴァクスは龍菲ロンフェイとともにいた。


 マーレ帝国時代、エウロパより多くの入植者があり。その子孫が統べる都市国家と、カルトガ人、あるいはポエニキア人の統べる都市国家は交わることなく互いに争っていた。

 コヴァクスは龍菲とともにツニスに入り、この戦いに身を投じていた。

 ツニスはマーレ人の子孫が支配する都市国家だった。そこから西の都市国家はツニスと組し。東の都市国家ベリュアロはポエニキア人が支配し、他の東方の都市国家と組んでツニスと争っていた。

 この戦いは、古代のマーレ帝国とカルトガの戦いが現在にも継承されているような争いでもあった。

 一進一退の戦いが続いていたのに変化が起こったのは、コヴァクスがツニス入りして間もないころだった。

 ベリュアロにカンニバルカという武将が仲間を引き連れて加わり、一気に攻勢をかけてきて。

 ツニスを奪還してしまったのだ。

 カンニバルカの戦術は巧みなものだった。

 ツニスは軍事資金も豊富で、各地から多くの傭兵を雇い、数の上ではベリュアロ側に勝っていたのだが……。

 カンニバルカはわずかの兵数でツニスに迫り。

「むざむざと死にに来たか」

 とツニスは相手に勝る兵数で迎え撃とうとした。が、負けた。

「かかれ!」

 という将軍の号令一下、コヴァクスたちはカンニバルカの軍勢に突進した。相手は横に広がり逃げようとする。その中央にカンニバルカらしき将軍がいて、ツニスの軍勢はそのまま突進したのだが。


 横に広がった軍勢はたちまちのうちにツニスの軍勢を覆うように、外から包囲してしまった。

 こっちに怯んで逃げていると思い切って、ひと塊になっていたツニスの軍勢はこれに慌てて。包囲を解こうとするも。ひと塊になっていることで中心部の将兵は身動きままならず。

 外から削がれるように討たれてゆく一方だった。

 士気も落ち、ツニスの軍勢は総崩れとなり。将軍はやむなく撤退の号令を出すのだが。

「こんなに囲まれて、どこに逃げろというんだ!」

 そんな悲鳴がところどころであがった。

 カンニバルカの軍勢は完全にツニスの軍勢を包囲しきっており。逃げようとする者ことごとく刃にかかって討たれる有様だった。

「くそ、こんなことで死んでたまるか!」

 コヴァクスは歯軋りし、迫り来る刃をかわしながら愛馬の龍星号シャルカーニュチーラグを走らせた。

 仲間たちは次から次へと討たれてゆく。

 無残なものだった。

「死んでたまるか、死んでたまるかあッ!」

 必死だった。

 その必死の甲斐あって、どうにか包囲網を突破し。そのままツニスへと駆けた。

 他にも数名、運のよい傭兵たちが包囲を抜け出しツニスへと駆けていた。

 ツニスに入れば、戦いの様子が伝えられて、人々は恐慌をきたしていた。

 そればかりが、武装した将兵がツニスの留守を預かっていた将兵と刃を交えているではないか。

「これはいったいどういう事だ!」

 裏切りか。内応者がいたのか。

「ツニスを占拠し、カンニバルカ将軍を迎え入れろ!」

 そんな声がところどころであがっていた。

 コヴァクスは叫んだ。

「裏切ったのか!」

「裏切る? 違うな。ツニスに紛れ込んで、この時を待っていたのさ!」

「なんだと!」

 裏切り者ではない。この者たちはベリュアロ側の将兵だったのだ。正体を隠してツニスに入り、このどさくさに紛れて蜂起したのだ。

 なんという用意周到なことか。

「おいお前、傭兵だろう。オレ達の側につけ!」

「何?」

「マーレ人の子孫どもは、もう終わりだ。そんな者どものために死ぬことはないぞ。どうだ」

 あろうことか、コヴァクスに裏切りを勧めてくるではないか。 

 コヴァクスとしては、マーレ人の子孫たちに義理はない。しかし、いかなる理由であろうとも、人を裏切ることはできなかった。


「いやだ!」

 コヴァクスは剣を振るう。

「馬鹿な奴め!」

 刃が迫る。それを弾き返し、刃を交える。

(これは……!)

 刃を交え、その手ごたえから相手の強さを推し量る。

 郊外で刃を交えたカンニバルカの軍勢の将兵の比ではない。一騎当千のつわものと言ってもいい。

 それが数人束になってコヴァクスに迫るのだ。

 他の守備兵や傭兵たちは、蜂起した騎士や将兵によって、あっけなく討たれてゆく。

「くそッ!」

 勝ち目はない。無理に戦えばやられる。本能に従いコヴァクスは龍星号を操り、相手と距離をとり、逃げ出した。

「無理に追うな、ツニスの王宮を占拠するぞ!」

 幸いにして相手はコヴァクスを無理に追わず、ツニスを統べる王の王宮へと駆けた。

「あいつ、どこかで見たような気がするが」

「気のせいだ。今はそれどころではないぞ」

 蜂起した騎士や将兵がそんなやりとりをした事など知らず、コヴァクスは駆けた。龍菲を探し求めて。

 あてがわれた家屋にいると思うのだが、この有様ではさすがに彼女とて出ざるを得ないように思われた。

 それ以前に、各所に敵兵がおり、家屋にたどり着けそうになかった。それどころか、傭兵が命乞いをしながら寝返るところを何度も見せられもした。

「もうツニスはだめだ」

 早くツニスから逃げなければいけないが、龍菲が気になり、逃げるに逃げられなかった。

 というとき、

「コヴァクス!」

 自分を呼ぶ女の声。

「ロンフェイ!」

 自分のもとへ駆けてくる白い衣の少女を目にし、コヴァクスは安堵した。

 刃が迫るのを身軽にかわし、あるいは弾き飛ばし。そばまで来ると跳躍して、その背中につかまった。

「ここはもうだめだわ」

「ああ、逃げよう」

 ツニスを治める太守のケキスコンといえば。早い段階で狼狽を見せ、西隣の都市国家へ一族を連れて避難していた。

 ツニスの人々も都市を捨て、逃げる。

 ツニスの軍勢を崩壊させ、カンニバルカの軍勢が都市に迫ってきた。


 怒号や軍靴、馬蹄の音轟き。それは天から悪魔が笑っているような恐怖を人々の心に打ち込むのだった。

 龍星号はふたりを乗せて駆けた。

 入れ替わりにカンニバルカがツニスに入った。

 かつてカルトガの都だったツニスは火の海にされて。その後復興し、マーレ人が多数移り住み、マーレ人の都市となっていた。

 それを、カンニバルカは奪還したのだ。

 それからだった。進撃のカンニバルカはとどまることを知らず。抵抗むなしくマーレ人の子孫たちは西へ西へと追いやられて。

 多くの人が死に、傭兵たちはいち抜けたと脱走を繰り返し、マーレ人の子孫の側の人数は崩れるように減ってゆき。

 もはや滅びは免れないかのように思われた。

(しかし、カンニバルカとは。まさか……)

 西へと追い込まれながら、敵将カンニバルカの名を知り、コヴァクスの脳裡にオンガルリ国王レドカーン二世直属の黒軍フェケテシェレグを率いる将軍の名が出る。

 何度か顔を合わせたことがあるが、容貌魁偉、得体の知れない威容を誇る武人であった。

 浪人していたのをイカンシが見つけてそばに置いていた男なのだが。

「まさか」

 とは思っていたが、そのまさかであると知るのはそんなに難しいことではなかった。

 西へと逃げるマーレ人の子孫たちを執拗に追うカンニバルカの軍勢に、むなしくも残り少ない騎士や将兵たちはどうにか足止めしようと立ち向かった。

 コヴァクスもその中におり、

「雑魚を討ってもなにもない。大将を討たないと!」

 と、カンニバルカを求めて乱戦の中を駆け巡った。

「カンニバルカとやら、度胸があればオレと勝負しろ!」

 その叫びが聞こえたか、

「応!」

 という図太い声の返事が跳ね返ってきた。

「雑魚に討たれるのも悔しかろう。お前の度胸に免じて、オレ自らが……」

 言いながら愛馬を駆けさせて、コヴァクスを認めて、

「お前は、小龍公ではないか!」 

 驚きをこめてそう言った。確かにコヴァクスを小龍公と言った。

 コヴァクスも相手を見て、

「やはりお前だったのか、カンニバルカ……!」

 まさかと思っていたことが当たって、コヴァクスも驚きを禁じ得なかった。

 出会うはずのない者同士、それがなぜかフィリケアで出会ったのだ。

「あ、どこかで見たと思ったが、小龍公だったのか!」

 別でそんな声も上がった。それを聞き、自分たちが戦っているのが、祖国オンガルリの精鋭部隊であった黒軍の騎士や将兵であることも知ったのだった。


 軍装が違ったので気付けなかったのも無理はない。

「お前ら、黒軍ごとフィリケアに来てたのか!」

「それはこちらの台詞だ。なぜ小龍公がここにいる!」

「……」

 言葉に詰まる。コヴァクスとしては答えづらいことであった。

 まさか挫折から何もかも捨てて、フィリケアで傭兵稼業をしていたなど、どうして言えよう。

「まあ、いい」

 カンニバルカは、岩石を噛み砕きそうな強面でにやりと不敵に笑う。

「こいつを生け捕りにしろ!」

 元黒軍の騎士や将兵が一斉に迫る。 

 コヴァクスは悔しいながらも龍星号の馬首を返して逃げようとするが、周囲を屈強な黒軍の騎士たちに囲まれて。

 槍を逆さに持ち、長柄をコヴァクスにぶつけようとする。

 剣を振るい弾き返すが、四方八方から長柄は迫り。ついには石突で胸板を強く突かれて。よろけた表紙に後頭部に長柄がぶつけられて。

 衝撃からたまらず意識がもうろうとし。腕を掴まれ落馬させられてしまった。

 背中を地に打つとともに、同じように捕えられようとする龍星号の悲痛ないななきが聞こえたが。

 どうすることもできずに、されるがままに生け捕られてしまったのだった。

 コヴァクスたちが戦う間、マーレ人の子孫たちは逃げ出しており。

 ついには地の果て、ジグラタル海峡近くの都市国家シェロアに立て籠もったのだが。

 コヴァクスが帰ってこないことで心配した龍菲はひとりカンニバルカの陣営に忍び込み。その姿を探し求めた。

 コヴァクスは意外なところで見つかった。

 将軍カンニバルカの幕舎であった。

 兵士をひとり気絶させ、服を取り換え衛兵として幕舎に入り。その他の兵士や武将と並びながら、カンニバルカと対峙するコヴァクスを見つめた。

「お前の父は、勇士であった」

 縛られ膝立ちになるコヴァクスにカンニバルカは語る。

「命尽きてもなお闘志消えずに立ち続け。オレが首を刎ね落してようやく倒れた」

 コヴァクスの目が見開いた。

 父ドラヴリフトは愚かな浪漫王レドカーン二世との戦いで死んだことは知っていたが。まさかそんなことがあろうとは。

 カンニバルカから事の詳細を聞いて、鋭い眼光で相手を睨む。

「……」

 コヴァクスの目は険しく、血に飢えた獣のようで。それを見る龍菲の心は、はからずも痛む。

 蹴球好きの一青年が、このような試練を耐え忍ばなければならないとは。天命のなせる業とはいえ、あまりにもむごい。


 縛られ身動きできぬため、処刑も相手の思いのままだ。だからこそ、単身忍び込んだのだが。

(カンニバルカとやらとコヴァクスにはただならない因縁があったなんて。でも、御託を聞いていても仕方がないわ)

 救出に動き出そうとするが、それに気づかないカンニバルカは言葉を続ける。

「何も言えんか。無理もあるまい。しかし、オレはドラヴリフトを、龍公として尊敬している。それはほんとうだ」

「だからなんだ。お前が言っても皮肉にしか聞こえないぞ」

「こまっしゃくれた餓鬼が言うわ。だがそうでなくてはな」

「何が言いたいんだ」

「単刀直入に言おう。オレと組め」

「なに……」

 まさかの言葉にコヴァクスは言葉を失う。龍菲も動こうとしたのを止めて、しばらく様子見をする。

「申し上げます!」

 兵士が幕舎に飛び込み、息を切らして報告する。

「肌の黒い先住民が、徒党を組んでこちらに向かってきます!」

「奴らめ、性懲りもない!」

 カンニバルカが苦々しそうにつぶやくのをコヴァクスも龍菲も、すこしばかり不思議に思った。

「逃げないように見張っていろ!」

 そう言いながらカンニバルカはどかどかと歩き、膝立ちのコヴァクスの脇を通り過ぎてゆく。

 その瞬間、熱さと冷たさがないまぜになった風がコヴァクスの頬を撫でた。

(肌の黒い先住民……)

 このフィリケア大陸は、他の地域に比べて肌の黒い民族が多い。南へ下るにつれて、肌の色は濃くなり。完全な黒人の支配地域であるという。

 ツニスを擁するカルトガは東から来たポエニキア人の建てた国なので、肌の白いポエニキア人が統治していた。

 しかしその東、イギィプトは肌の黒い黒人の国であった。もともとフィリケア大陸で独自の文明や文化を生み出し、生活を営んでいたのだが。

 東や北から大量の肌の白い移民が押し寄せ、文明や文化をそっくり移し替えてしまい。さらに黒人の多くは奴隷に身分を落とされた。

 マーレ帝国滅亡後、各都市国家がしのぎを削るのだが、そこに失地回復を目論む黒人勢力が加わり、三つ巴の戦いが繰り広げられたのだ。

 ともすればもっと早い段階でカンニバルカはマーレ人の子孫たちを根絶やしにできたかもしれなかったのだが、黒人勢力の襲撃もあり、はからずもマーレ人の子孫が西へと逃げる猶予を与えてしまっていたのが実情であった。

 マーレ人の子孫たちは、無力にも逃げる一方だったので後回しにされたのは、不幸中の幸いだったかもしれないが。あくまでも後回しなので、もしカンニバルカを倒すことができれば、その刃は次はマーレ人の子孫に向けられることは間違いなかった。


 それでも多くの者が死に、あるいは逃走して、カンニバルカに着く者も多かった。

 怒号と馬蹄の響きがして。カンニバルカが軍勢を引き連れて出撃したのを察し、龍菲は動き出した。

 素早く腰の剣を抜き、そばにいた将兵をまたたく間に斬り捨て。悲鳴が響き渡ると同時に兜を脱げば、長い黒髪。

「龍菲!」

 まさか彼女が兵士に変装してそばにいたなど思いもしなかったコヴァクスは大変驚かされ、開いた口がふさがらなかった。

「曲者だ!」

 残る将兵は一斉に龍菲に飛び掛かったが、迫り来る刃を華麗な動きでかわしざまに、剣は閃くたびに血煙をあげ。あっという間に見張りの将兵たちはすべてやられてしまった。

「逃げるわよ」

 縄を切り腕を掴んで立たせ、そのまま駆け出し幕舎を飛び出す。

「龍星号はどこ?」

「あそこだ」

 幕舎にほど近いところに簡易式の厩が建てられ、そこに龍星号はいた。

 何事かと多くの者が驚き、事態を察して数人幕舎に入れば、

「曲者だ! 曲者が小龍公を連れ去ったぞ!」

 陣営は蜂の巣をつついたような大騒ぎになったが。カンニバルカをはじめとする主力は黒人勢力を迎え撃つため出ており、留守を預かる予備兵力的な兵士たちがふたりを捕えようとするも、かなわず。

 素早くいましめを解き、ふたり騎乗し。龍星号はいななきをあげて駆け出した。

 父が与えた駿馬である。追っ手を振り切り、カンニバルカの軍勢と黒人勢力がぶつかり合うのを遠目に、ジグラタル海峡近くの都市国家シェロアを目指しひたすらに駆けた。

(どこもかしこも、戦争に次ぐ戦争……)

 マオは大陸の東の果ての帝国であるが、反乱が起こり戦火は絶えず。成り行きとはいえ西の地の果てと呼ばれるジグラタル海峡まで来ても、そこでも、戦争、戦争であり。

(どうして人は争うの?)

 国や民族、人種が違っていても戦争をすることは変わらないことに、心が痛んだ。

 コヴァクスはそこまでを思うゆとりもなく、ひたすらに龍星号を駆けさせ。

 ようやくシェロアにたどり着いた。

「よく生きていたな、リーン」

 シェロアの議事堂にて、ケキスコンはコヴァクスの労をねぎらったが、リーンと呼んでいた。

 正体を隠し傭兵稼業をしているのだ、まさか本当の名を名乗るわけもいかず偽名を用いているのだ。


 ケキスコンは太守の身分ながら威張るところがなく、下々の者に慕われていた。傭兵に対してもぞんざいに扱わず、正規兵と同じ待遇をもって接した。

「出来た人だ」

 とコヴァクスは感心し、この人のもとなら安心して傭兵稼業が出来ると思っていたのだが。カンニバルカの軍人としての器が勝り、押し寄せる怒涛に追い込まれて足元まで白波が押し寄せ飲み込まれそうになったのは、なんという運命の悪戯であろうか。

 残りの兵力は少ない。正規兵も傭兵も最初の一割いるかどうか。

 非戦闘員の一般市民も少ない。

 ジグラタル海峡の対岸の国イベーリャに逃げた者も多い。

 幸いカンニバルカは無益な殺生はしない。とはいえ、それは裏切り者の続出を招いた。

 それにともない武具や糧食も少なくなり。

 何もかもが、減る一方であった。

「我が方についたばかりに、お前にも苦労をかけさせるな」

「何を言われます」

「傭兵はほとんど逃げたが、なぜお前は逃げない?」

「それは、裏切りなど……」

「お前、ただの傭兵ではないな? もとは身分卑しからぬ者ではないのか」

 コヴァクスは言葉に詰まった。

 なぜケキスコンはそれを勘付いたのだろうか。

「ただの傭兵ならば、とっくに逃げているはずだ。だがお前は逃げない」

「それが、いけませんか?」

「正規兵ならばな。金で雇われ日和見もする傭兵は、敗色濃厚な雇い主と運命を共にするような真似はしないものだ」

「う……」

 確かに、傭兵はほどんど逃げた。その数は戦死者よりも多いかもしれなかった。

 どうする? 正体を明かすか?

 と悩んだが。

「まあ、聞かないでおこう。もうすぐ死ぬ身で人の秘密を知ったところで何の意味もない」

「そんな」

「お前も、無理をしなくてもいいのだぞ」

 そう言って、コヴァクスに退出をうながした。

 マーレ人の子孫の側で第一の都市国家であったツニスの太守であったことから、総督扱いをされて指揮をとっていたのだが。

 疲労は濃く、希望を見い出せず、絶望が胸中渦巻いているのがいやでもわかった。

 コヴァクスは議事堂を出て、龍星号の手綱を曳いてとぼとぼと歩く。そばには鎧から女性ものの服に着替えた龍菲。

 白い薄布の服でスカートは足首まで隠れる長さ、腕は膨らんでいるのが手首で一旦縮まってから手を覆うように袖口が広くなっている。頭には日差しを避けるため布を巻いている。

 気候は冬でも気温が高く、日差しも強いく。気候に合わせたつくりの服装だった。

 あてがわれた宿の厩に龍星号を預け、ふたりで部屋に入る。

 しかし部屋にはベッドがひとつしかない。


「オレは床で寝るから、君はベッドで寝なよ」

 コヴァクスは気を使ってそう言うが。

「一緒に寝てもいいわ。あなたとなら」

「え……?」

 コヴァクスは言葉に詰まった。

 一度、同じベッドで寝たことがあり。あの時は皆からあらぬ誤解を受けたものだった。

「そういうわけには、いかないだろう」

「そうね、ベッドは狭いし。私が床で寝て、あなたがベッドで寝るといいわ」

「そういう意味じゃ」

「あなたの好意には感謝するわ。でも、世話をしてもらいっぱなしだし」

 ツニスに来てから、コヴァクスは傭兵稼業にいそしむ一方で、龍菲は家において働かせることをしなかった。

 幸い傭兵をすれば給料のみならずツニスから生活必需品や食料も支給してもらえるので、のんびり過ごすことはできた。が、家でじっとできる彼女ではなく。

 気まぐれにどこかをほっつき歩くなど序の口で、戦闘地域に忍び込んで戦いの様子を眺めていたことまであった。

 龍菲から見て、戦いはマーレ人の子孫でツニス側が有利そうであったが。それがカンニバルカの出現で一気に逆転したのは、彼女も予想しなかったことである。

「カンニバルカという将軍は、たいそう戦上手な人ね」

 西への逃避行の最中、感心するようにそうつぶやき。実際に戦ったコヴァクスは、歯噛みしながらも逆転の機会に恵まれないままその現実に身を置くしかなく。

 その果てに、囚われの身になり、龍菲に助けてもらうていたらくだった。

 コヴァクスは疲れ果てて、ベッドに腰を掛けて。そのまま横になりそうで。その横に龍菲が座り。手を差し伸べ、コヴァクスの手に重ねるが。

 その手を、払いのけられる。

「コヴァクス……」

「すまない。そっとしておいてくれ」

 コヴァクスにすれば、小龍公として、騎士としての誇りを傷つけられることだった。

 何もできずに、地の果てまで追い込まれてしまって。

 龍菲にも面倒をかけるつもりはなかったというのに、あのざまだ。

(なにが小龍公だ。オレはただの無力な男だ)

 おそらく自分はここで死ぬであろう。どんなにいたたまれない気持ちになっても、現実は変わらないが。胸中にはひたすら屈辱感ばかりが湧き出る。

「少し散歩をしてくるわ」

 性的な関係までむすぶつもりはないが、手を重ねて一緒に横になるくらいなら、してもいい。そうコヴァクスを思いやっていたが、かえって傷つけたようだった。

 龍菲は立ち上がり、一歩二歩と歩みを進めてから振り返れば。

 コヴァクスには、暗い影が覆いかぶさっているようだった。

(いけない!)

 きびすを返した龍菲は、飛びつくようにコヴァクスを抱きしめ。そのままふたりベッドの上に倒れて折り重なる。

「なにをするんだ」

 うろたえるコヴァクスだが、龍菲は無言で抱きつくばかり。

(このままでは、コヴァクスは死んでしまう!)

 龍菲とて神ではない。どうすればコヴァクスを励ませるのかわからず、心に迷いを生じさせていた。ただ、こうしていないとコヴァクスが死んでしまうような気がして。

 暗殺者として育てられたのが、今は人の生を強く願っている自分に気付いて驚きも感じた。

 結局、ふたりはそのまま寝付いてしまったが。夜中に目をさまし、ふたり苦笑いをして。

 ベッドに並んで寝なおした。


 コヴァクスと龍菲は外に出て、食堂で朝食をとり。それからふたり歩いて、街の様子を眺めていた。

 シェロアは大きな都市ではないが、エウロパに近いこともあり、人や物が行きかう主要な通行路の街でもあって。

 思ったよりも賑やかだった。

 シェロアとイベーリャの間に正式な国交こそないものの、国に縛られない自由な、様々なたぐいの人々がジグラタル海峡を経てシェロアへ、あるいはイベーリャへと旅をし。

 イベーリャから来た者たちはこのシェロアを足掛かりにフィリケアを旅するのだ。

「戦争は一段とひどくなったようだな」

「カンニバルカとやらは強いだけでなく気前もよく、武具だけでなくいろんなものをよく買ってくれるというぞ」

「それはいいな。商機到来だ」

 旅の商団だろうか。場所柄もわきまえずに、そんな会話を気軽にしていて。何とも言えない複雑な思いにさせられる。

 占領した都市から得た財源で、旅の商団を味方に引き入れているのだろう。

 商人とはいえ命懸けの旅をするのである。不測の事態に備えて武装もし、それはちょっとした戦力であり。時には傭兵を紹介し、ひいき客の戦力増強に貢献することもある。

 商人は基本的にものを買ってくれる客の味方だが。客を見る目も養ってもいる。客を誤れば商人は悲惨な思いをするため、おのずと時世にも鋭くなる。

 彼らもまた生きるのに必死なのだ。が、商人たちがシェロアよりもカンニバルカを選んだということを考えると、剣で叩き斬りたくなる衝動を覚えてしまうのであった。

(ラハマディの奴、いまごろどうしているか)

 旅の商団を見て、ふとそんなことを考えた。借りを返すと、意気込んでいた。

「蹴球をしたいな」

「え?」

 コヴァクスのつぶやきを聞いて、龍菲はその横顔を見やった。

「大変だ。ケキスコンさまが自害なされた!」

 不意に、そんな叫びが耳に飛び込んだ。


蘇る魂


「なんだって!」

 コヴァクスと龍菲はたいそう驚き。急いで議事堂へ駆けて、そのまま中へ飛び込めば。

 嗚咽が耳を突く。

 自室の床に横たえられて、ケキスコンは永久とわの眠りについて。周囲の人々は男女問わず嘆くばかり。

「ケキスコンさま!」

 人々を押しのけてコヴァクスは、横たわるケキスコンのそばに膝をつき。その死に顔をまじまじと見やる。

 その横に龍菲ロンフェイ

「なぜ、こんな……」

 もはや滅びは免れぬと、思い余ったか。

 外傷はないが、顔がやけに青黒く。毒を飲んだようだった。

 黒人勢力が邪魔をし、カンニバルカの軍勢の足を引っ張っているおかげで、どうにかジグラタル海峡近くのシェロアまで逃げのびることができたが。そこはまさに地の果てであり、観念をして、ということなのだろうか。

(それで、昨日あんなことを)

 ケキスコンはすでに死ぬ気だったのかもしれない。

「これからどうすればいいんだ」

 人々は嘆いた。嘆きまくった。

 それはとても見ていられるものでなく、コヴァクスはいたたまれなくなって議事堂を出ていった。

 街は街で、何と言おうか、何とも形容しがたい空気が漂っていた。

 そもそもが定住をせぬ旅人の街である。一応でもマーレ人の子孫の側の都市国家なのでケキスコンたちの避難を受け入れはしたが、太守のレンゴンは内心はどう思っているのであろうかわからない。

 カンニバルカから降伏とケキスコンを捕えよと伝える使者が送られ、はっきりと返答せず時間をくれと言って、送り返していたようだが。さて、これからどうなるか。

 レンゴンは議事堂にはおらず、少し離れたところに屋敷を構えている。

 ケキスコンのなきがらと対面してもよさそうなものだが、姿が見えなかった。

「何もかもが、手元から離れてゆく。何もかも、歯が抜けるように抜け落ちてゆく」

 コヴァクスはうめいた。

 カンニバルカの軍勢は黒人勢力と戦っているが、やがてはシェロアに来るだろう。

 カンニバルカは無益な殺生をしないとはいえ、抵抗すればただではすまないだろう。レンゴンがコヴァクスらマーレ人の子孫の側の人間たちを売ることも考えられた。

「もうだめだ。オレは逃げるぞ」

 ところどころでそんな声が聞こえたかと思えば、

「こうなれば、奴らに滅びの美学を見せてやる!」


 悲嘆と昂ぶりとで、刃をかざしてシェロアを飛び出す者もいる。それとは別に、コヴァクスのように立ちすくむ者もいる。

 住人や旅人たちは、それらを冷やかに見ていた。

「国なんかに寄りかかるからこんなことになるんだよ」

 自由気ままな旅人風情の者が、冷たく言い放つ。

 コヴァクスは拳を握りしめる。言葉にならない思いが込み上げて爆発しそうだった。

 龍菲、無言。

 このまま街の中でたたずんでいても、冷たさを含んだ奇異の目で見られるだけなので、その手を引いて、ひとまず宿まで帰った。

 宿の者の目も、冷たかった。

「オレはどうすればいいんだ?」

 コヴァクスはベッドに腰掛け頭を抱え、悩んで、悩みまくった。

「死ぬ決意もできない。オレは臆病な男だったのか」

 いっそ戦って死んでやろうか、と思ったが。事態が逼迫すればするほど、死の決意が薄らいでゆく。

 死ぬのが怖い。いざというときに、そう思ってしまうなんて、なんて情けない。と思おうとともに、

「死ぬにしても、オレはなんのために死ぬんだ?」

 という考えが頭に浮かぶ。

 ここでやけくそになって死んでも、犬死にではないか?

「う……」

 涙があふれてくる。もう、みじめでみじめで、しかたなかった。

「黒人だあ!」

 そんな叫びが耳に飛び込む。

 泣きそうだったコヴァクスだが、その叫びを耳にして咄嗟に立ち上がり剣を構え。龍菲も身構え。ふたり頷き合って、外に出てみれば。

 肌の黒い将兵がシェロアの街になだれ込み、守備の将兵と刃を交えて。街は恐慌状態だった。

「くそ」

 コヴァクスは襲い掛かる黒人の兵士の刃を剣で弾き返し。龍菲も身軽に刃をかわしながら、相手の胴にしょうを打ちつけ吹っ飛ばす。

「雑魚を相手にするな、議事堂とレンゴンの屋敷へ向かえ!」

 どのくらいいるのだろうか。黒人の将兵たちは無駄な鍔迫り合いを避けて、まっすぐに議事堂とレンゴンの屋敷に向かう。

 だが、よく見れば敵兵は黒人だけでなく、肌の白い者もいる。

 龍菲はコヴァクスの腕を掴んで、無理な争いを避けさせ、宿の厩で龍星号シャルカーニュチーラグのもとで様子を見ながら、息をひそめる。

 街は騒然とし悲鳴も響き渡るが、破壊行為は行われていないようで。宿にも数人見張りが立つのみ。


「くそ」

 コヴァクスはこの騒然とする中、じっとしていられないようだったが。龍菲はコヴァクスの腕を掴んで、

「動いちゃだめ」

 と、ささやく。

 耳をすませれば、聞きなれない言葉が飛び交う。

 黒人たちの言葉のようだ。

(それにしても、なんという混沌とした……)

 龍星号は主の様子が気になるのか、鼻先をその頬に近づける。それに気づき、龍菲は優しくなでてやる。

 フィリケア大陸、ツニスにはポエニキア人の船でゆき、そこでマーレ人の子孫の側に立って戦ってきた。ポエニキア人といえども、国に寄らず自由に生きている者もいるのだ。

 そうかと思えば、マーレ人の子孫とカルトガ人の子孫を称するポエニキア人との戦いに土着の黒人勢力が割って入り三つ巴の様相を呈している。

(太古の昔、フィリケア大陸は黒人の大陸だったのね)

 歴史上、幾度となく繰り返された民族大移動により、土着の人種や民族が退けられ、あるいは被支配層に落とされ……。

(そういえば、コヴァクスは草原の遊牧民族の子孫なんだ)

 はるか東方より来たる蒼き狼と白き牝鹿の夫妻がいまのオンガルリに来て、土着したのがマジャクマジール人のいわれとされている。

 蒼き狼と白き牝鹿の伝承は、龍菲も聞いたことがある。それはマオと長城によって隔てられる西方の大草原の遊牧民族の伝承でもある。

 詳しい経緯は知らぬが、その過程で大きな争乱もあったことだろう。

「レンゴンをとらえたぞ!」

 息をひそめてしばらくして、ところどころでそんな叫び声があがる。

 いよいよコヴァクスは膝をつき。脱力して、動けない有様だった。

「コヴァクス」

 龍菲は崩れるコヴァクスを抱きしめた。

「あなたは、私が守るわ」

「おい、そこのお前ら、こんなときにいちゃつくとはいい度胸だな!」

 黒人の兵士が厩に来て、コヴァクスと龍菲に向かって叫ぶ。

 龍菲はそれに鋭いまなざしを向ける。

「私たちを殺すの?」

「殺しはしない。我々はマーレ人やカルトガ人とは違う」

 別の者が現われ、ふたりにさとすように語る。

「ここで立ち話もいくまい。詳しくは広場で話そう」

 龍菲はその言葉を信じたわけではないが、いつまでもここにいるわけにもいかないと、コヴァクスの腕を引っ張って立たせて。もう片方の手で龍星号の手綱を曳いて、兵士についてゆく。

 広場に来れば人々が集められて。その周囲を兵士が取り囲んでいて。

 シェロアの太守レンゴンが縛られ跪かされている。


 人々は不安を覚えて、皆おびえていた。

 冬から春へと移りゆく時期、気候こそ安定して過ごしやすいが、それに反し多くの人々は冬が来たかのように震えている。

 それを見据え、黒人の将軍らしき男が馬上から声を発する。

「お前たちにまず言っておこう。レンゴンはお前たちをカンニバルカに売り渡すつもりだったのだ」

 まさか、という声がする。レンゴンはマーレ人の子孫の側についていたはずだ。

「レンゴンは時勢を見て、カンニバルカにつくことを決めたのだ」

 コヴァクスの脱力いよいよひどくなり、立っていることができずへたりこんでしまう。

 人心の荒廃、戦争、革命、裏切り。乱世はコヴァクスの心を破壊しようとしてやむことはなかった。

 戦乱の世を駆け巡る英雄。そんなものは、戯曲の中のものでしかないのだというのを、コヴァクスは思い知らされるばかり。

「しっかりしなさい」

 そばにいた男がコヴァクスを気遣い、肩に触れる。

 コヴァクスはそれでも呆けている。

 年のころは三十五ほどか。波打つような黒髪の男は精悍な顔をしている。手には球を持っている。

「その球は?」

 龍菲がそう聞くと、男は頷く。

「仲間たちと広場で蹴球をしようとここに来たのだが、突然兵士に囲まれてね」

 蹴球、その言葉を聞き、コヴァクスの目が球に向く。

「君も蹴球が好きなのか?」

 コヴァクスはもの言わず頷く。

「私の名はバジオだ」

 男が名乗るのに割って入るように、黒人の将軍の声が発せられる。

「我らが望むは、国土の回復。殺戮ではない。ゆえに、お前たちを殺すことはないと約束しよう」

「その言葉、どこまで信用していいのかしら」

 龍菲は皮肉交じりにつぶやくが、バジオは、

「信用していいと思うぞ」

 と言う。

「どうしてそう言えるの?」

「私は彼を知っている」

「えっ?」

 意外な言葉に、さすがの龍菲も目を丸くする。

「彼は私の友人だ」

「なんですって」

「ああ、そこ。私語はつつしみなさい」

 黒人の将軍はすこし困った顔をしながら、ふたりを指差して言う。


「ああ、悪かったなモーアさん」

「バジオ、場の空気を読まんか」

「仕方ない。お前さんの話は退屈なんでな」

「相も変わらず、ずけずけとものを言う男だ」

「はっはっは」

 困った黒人将軍モーアに対し、バジオは闊達に笑い。周囲はぽかんとしながらも、硬直した空気がいくぶん和らぐ。

「で、いつ話は終わる? 蹴球をしたいんだが」

「はあ……」

 モーアはため息をつき、苦笑する。

「この一大事に蹴球か」

「私にとってなによりも蹴球が一大事だ。蹴球のできない世の中が、まともだと思うかね?」

「それもそうだが……」

 このゆるいやりとりに、龍菲までもがぽかんとしてしまう。それとは逆に、コヴァクスの顔が上がってゆき、我知らずに立ち上がる。

「ほら、彼も蹴球をしたがっている」

 バジオは立ち上がったコヴァクスの肩を掴んだ。

「わかったわかった。シェロアは我々の傘下におさまるが、市民たちは普段どおりの生活を営んでよろしい。以上だ」

 モーアたちは退散しレンゴンも連行されて。数名の見張りの兵士が残るのみ。緊迫した空気はすでに解きほぐされて、市民は安堵していた。

 龍菲は不思議そうにバジオを見据える。

「あなたは……?」

「私はしがないいち市民さ。たまたまモーア将軍と知り合いなだけさ」

「……」

 黙り込む龍菲。さっきまでの緊張した事態がうそのように、今は落ち着いていることに驚きさえ感じた。

「それよりも、君」

「コヴァクスです」

「コヴァクス君、蹴球が好きなら、どうだね一緒に」

「はい。ぜひ!」

 もう偽名を使っても仕方ないと本当の名を名乗った。それこそさっきまで死にそうなほど落ち込んでいたのが、蹴球になると突然生まれ変わったかのように目を輝かせて球を見据えて。

 龍菲は喜ぶよりも、ますますぽかんとして、目を丸くする。

「ようし、やろう」

 いつの間にか人が集まり、競技用の服までもが用意されて。バジオとコヴァクスは青、相手は白。

 人々が広場から去るのと入れ替わりに東西に柱が二本立てられ、網が張られる。

 網の守備を入れて十一人一組。それが二組で二十二人。他に審判が三名。


 それら肌の色に髪の色、目の色様々だった。

 皆素早い動作で競技用の服に着替える。コヴァクスはバジオと同じ赤組に入ることになった。

「君は普段どこに着いている」

「最前線です」

「よし、そこを頼もう」

 龍菲は広場の隅でしゃがみこみ、膝の上に肘を置き、掌の上に顎を乗せて見物を決め込む。

 準備は整い。広場の中心に球が置かれ。コヴァクスと相手の組の選手が睨み合う。

(まあ)

 生き生きとするコヴァクスに、龍菲は思わず感歎する。

 審判の「はじめ!」の掛け声とともに、先にコヴァクスが球を蹴り競技が開始された。

 中盤に位置するバジオはコヴァクスの背中をまじまじと見ている。お手並み拝見といったところか。

 相手選手がふたり、球を蹴り転がすコヴァクスに向かってくるが。無理をせずすぐ後ろの選手に渡す。それに相手選手が向かうが、少し前に出て真横にいたバジオに渡せば。

 うまく相手選手をかわしながら球を前に進める。

「へえ、上手いものね」

 蹴り技の心得はあるが、あのように球が足に吸い付いているかのように蹴り転がすことができるかどうか、龍菲も自信はなかった。

 その間に、コヴァクスは前に出ながら右側に寄り、バジオを見据える。

「頼むぞ!」

 バジオは球を蹴り上げる。

 蹴り上げられた球は大きな曲線を描きながらコヴァクスに向かっていた。

 相手選手がその球を奪おうと駆け寄ってくる。コヴァクスは跳躍し頭で球を受け止めようとするが。

 跳躍にしくじり、空中で体勢を崩して倒れそうになってしまい、膝も思ったより曲り背筋も変に伸びて反ってしまい。

 思わず両手が上がり、手で球を受け止めてしまった。

「なにをやってるんだ! 反則だ反則!」

 審判と相手選手はもちろん、味方選手も叫ぶ。

「しまった!」

 そう思ってももう遅く、体勢を崩しながらもどうにか着地し。ばつが悪そうに、球を持って周囲を心細そうに見渡す。

(さっきまであれだけ落ち込んでいたとはいえ……)

 龍菲は目が点になっていた。

「おいおい、頼むよ~」

 バジオが苦笑しながらコヴァクスのもとまで来て肩をたたく。


「すいません」

「次やったら退場だからね」

「……はい」

 審判に厳しく言われ少し落ち込むコヴァクスだが、久しぶりに蹴球ができた喜びが勝っているようで。目の輝きは失われていなかった。

 この反則により、球は相手選手に渡され。それぞれ位置につき直し、

「はじめ!」

 との審判の掛け声で競技再開となった。

「これは面白いものを見られたものだ」

 広場の片隅で絵具を構えていた絵描きはこのことを面白がって、コヴァクスが球を手で受け止めてしまったことを記憶力を頼りに簡潔なものながら描きあげてしまった。

 さらにその絵を複数描き。それにさらなる加筆を加えた。

 天の月や太陽を受け止める、あるいは人の頭を掴んで放り投げようとする、あるいは球を手に取り他の踊り子と舞踏する絵などなど……。

 目ざとい龍菲はそれを見つけ。いけないと思いつつ、思わず「ぷっ」と口を押えて噴き出す。

 それはコヴァクスの手取り絵として残されてしまい、多くの人々を色んな意味で笑顔にすることになったが。それはずっと後世の話。

 さて、試合は一進一退。互いに球を奪い合い猛攻を仕掛けるも、得点は入らないまま時間が過ぎていった。

 試合は永遠に続けられるわけもなく。制限時間があり、双方無得点のままそれに達すると引き分けとなってしまう。

 バジオは巧みなもので、中盤に位置し相手から球を奪い、奪った球を奪われず味方に渡す。しかし相手もさるもので、バジオが球を獲ったら無理に奪いに行こうとせず、予想される渡し先に向かってそれから球を奪うのだった。

 最前線のコヴァクスも後ろに下がり、守備にまわることもあった。

 選手たちは声を張り上げる。時間が少ない。うかうかしていると引き分けになってしまう。

 彼らは、どうしても、勝ちたかった。

「コヴァクス、前に出ろ!」

「はい!」

 バジオに言われてコヴァクスは駆けた。それに向かい球が蹴り上げられ、曲線を描いて宙を飛ぶ。

 落下点を見計らい、コヴァクスは跳躍しようとし。相手選手が球を奪おうと駆け寄り、先に跳躍する。跳躍をやめそれを背中で押せば、相手選手は「うわ」と声を出し体勢を崩しながら着地し。

 上から落ちてくる球を胸で受け止めると足元に落とし、蹴り転がしながら網に向かって駆けて、網に向かって球を蹴ろうとすれば。

 網の守備が前に出て球を奪おうとする。が、動作を素早く変えてまた蹴り転がし網の守備をかわせば。

 網はがら空きとなった。

 そこへ、左足での強烈な蹴りが繰り出されて。


 球は吹き飛ばされるように飛んで、網を揺らした。

 コヴァクスは得点を決めた嬉しさのあまり、

「うおーッ!」

 と野獣のように叫んで、人差し指を立てて味方のもとへ駆けた。

 試合を見物していた人々もコヴァクスの得点に感心して歓声をあげて。龍菲も、

「よくやったわ!」

 と手を叩いた。

魔術師マギア! オレは魔術師コヴァクスだ!)

 よくやった! と喜ぶバジオたちに囲まれ体中を叩かれながら。仲間たちからつけられたふたつ名を思い出し。

 すっかり自信を取り戻して。さらに、これでもかという笑顔を龍菲に向け右腕を高々と掲げる。

「なんて変わり身の早い……」

 コヴァクスが立ち直ったのはいいことだが。まさか蹴球ひとつでここまで立ち直れるとは。彼の精神構造は一体どうなっているのかと、変な疑問が膨らむ。

 が、まあ、立ち直ったのでよしとしようと龍菲は思うことにし。笑顔を返す。

 再開された試合は、相手選手が点を取り戻そうとするが鉄壁の守備で守り通し。そのまま時間切れとなって、試合終了。

 決勝点となったコヴァクスの蹴りは見事なものだと相手選手も称賛して取り囲み。見物人たちもコヴァクスへの賛辞を惜しまない。

 ものものしい雰囲気だったのが、蹴球で一変した。さらに。

「コヴァクス! あなた魂が蘇ったわ」

 龍菲は人目もはばからずにコヴァクスに飛びつき、抱擁する。

「お、おい」

「よかった。ほんとうに、よかった」

「え、まさか、泣いているのか?」

「ええ、あなたがあのまま沈んでしまうんじゃないかと……」

「ああ……。って言うか、皆が見てるから」

「ああ、ごめんなさい」

 頬をつたう涙を指先でふき取りながら龍菲は離れるが。その目はしっかとコヴァクスをとらえていた。

「おやおや。お邪魔虫は退散しようとするか」

 バジオは笑いながらそう言い。素早く着替えると仲間たちと「それじゃあ、またな」と去ってゆく。

「あ、オレの競技服」

「君にやるよ。だから、またなと言ったんだ」

「はい!」

 闊達に返事をし、コヴァクスは競技服のまま龍菲とともに宿に帰路につく。

 見物をしていた人々も思い思いに時を過ごそうとし。絵描きも心ゆくままに風景画を描いている。

(今日はどうなるかと心配したが。描くなら明るい絵を描きたいものだな、やはり)

 筆も滑るように軽く。絵が形になってゆくにつれて、コヴァクスが点を決めたときのような痛快さを絵描きは覚えるのだった。

 

レコンキスタ(再征服)の戦い


 シェロアが黒人勢力に占拠されたとの報せは、襲来してきた黒人勢力を追い払って。コヴァクスが逃げて激怒しているときにもたらされた。

「忌々しい奴らめ!」

 岩をも噛み砕きそうな強い(こわい)顔はもう真っ赤で。火でも噴き出しそうだった。

「故国カルトガの復興を邪魔するとは、いい度胸だ」

「どうなさいますか」

 側近の武将ガスキがそう聞くが、答えは予想しているようだった。

「知れたこと、シェロアを落とす!」

「やはりそうなさいますか」

「と言いたいところだが」

「はっ?」

 腕を組むカンニバルカは、幕舎の中を蒸し暑くするかのような熱気をほとばしらせている。本当なら今すぐシェロアを襲って、焼け野原にしてやりたい思いでいっぱいだろうが。

 それをしないと言う。

「奴らは馬鹿ではない。思い出してみろ、今までの奴らの動きを」

 西へと逃げゆくマーレ人の子孫を追うのを邪魔するように、黒人勢力はカンニバルカの軍勢に襲いかかってきたわけだが。そのたびに追い返してやった。なのに、懲りずにまた来ていた。

 負け続けているのに性懲りもなく襲い掛かる。馬鹿なのか、と思うこともあったが。その逆である。

 頭を使ったうえでのことであり。追い払ったと思ったのは、実は計画的な退却だったのである。

「あれはシェロアを手に入れるための囮だったのだ」

「言われてみれば、確かに……」

「戦争を知っている奴が、黒人勢力にいるぞ!」

 言われてガスキは「ううむ」と唸る。

「黒人勢力は、まるで陽炎のようにとらえどころがないですぞ。南方の砂漠地帯に、どれほどの人数がいるのか」

「臆するな! いかに黒人どもが多かろうが、その中にガスキはいないのだ、と言わせしめる働きをせい」

「は、ははッ!」

 言われてガスキは気を引き締め直した。その他の側近や武将も、気を張り、あらゆる事態を巡らせる。

「申し上げます!」

 兵士が駆けこむ。

「黒人勢力は、シェロアを占拠ののち。『これはレコンキスタである』と宣言しております」

「レコンキスタだと!」

 カンニバルカは岩石を噛み砕きそうな顔をして歯軋りをする。


 それはジグラタル海峡の向こう、イベーリャの言葉で「再征服」を意味する。

 フィリケア大陸は、もともとは黒人の大陸であった。その北西を後から来た白人が支配した。それがカルトガであった。

 その北西部を取り戻そうと、黒人たちは蜂起したのであった。それは革命であった。

 その革命にイベーリャの言葉が使われるとは。

「オレと同じイベーリャ生まれか、イベーリャにいたことのある奴がいるな」

 カンニバルカはひとりごちた。

「その身が砕け散るまで、カルトガの再興のために戦うのだ」

 と言う父、カミルカルの言葉が脳裏をよぎる。

 カンニバルカはイベーリャのジグラタル海峡より北東にある、カルトガ・ノヴァと呼ばれた地域で生まれ育った。

 今はカルトナヘと呼ばれている。

 カルトガはジグラタル海峡を経てイベーリャに進出し、そこを植民地化していた。

 マーレに滅ぼされてからはイベーリャはその属州となり、その滅亡後は独立し。ポエニキア人=カルトガ人の子孫たちはひっそりと暮らしていた。

 内に再興の念を抱きながら。

 特に父、カミルカルの念は強く。ことあるごとに、

「ところで我が息子よ、カルトガを再興せねばならない」

 と言ってきた。

 いつしか心の中にカルトガ再興こそが我が使命であると念じるようになり、長じて武者修行の旅に出て武芸を磨き。あるいはある都市の図書館にて兵法を学び。あるいは傭兵になり戦場での実戦経験を積み。

 東へ東へと旅を進め、ついにはイカンシに見出された。

「レコンキスタと言うなら、オレの戦いこそレコンキスタだ」

 カンニバルカは唸った。

「全軍に伝えよ。臨戦態勢のまま待機。その間、シェロアを統べる者を調べるのだ」

 そう指示を与えると、伝令の兵士は幕舎を飛び出した。

 その一方で、シェロアでは黒人の将軍モーアが近しい者を議事堂に集め、レコンキスタを宣言してのち。親しい者たちのみで円卓を囲み、酒を酌み交わしていた。

 その席には、バジオもいた。

「バジオ、君はもう剣を手に取らぬのか」

「ああ。もう、戦争はやめた。性に合わないからな」

 そんな会話をモーアとバジオは交わし、他の者もバジオに戦いに加わるように説得していた。

「君には感謝している。シェロアに侵入する手引きをしてくれた」

「レンゴンはあくどい奴だったからな。少し懲らしめたかっただけだ。しかし蹴球をしようという時に来られるとは、ちょっと迷惑だったかな」

 モーア率いる将兵たちは、外からただ雪崩れ込んだだけではなかった。バジオやその蹴球仲間たちの友人を装いシェロアに入り、頃合いを見て武装し、蜂起し。それに合わせてモーアたちが攻め入ったのであった。


「君はいい奴だった。白人でありながら、我ら黒人と同等に接してくれた」

 バジオとモーアは、幼馴染でもあった。モーアはシェロアに生まれ、近所の餓鬼大将だったバジオとよくつるんだものだった。

 しかし、それを大人たちは引き離そうとした。モーアは被差別人種である黒人であるうえに、その黒人の中でもひときわ身分の低い、黒人奴隷だった。

 黒人の中でも身分差はあった。身分の高い黒人は白人のお供として仕えるのがもっぱらで。それより低いのは一律して奴隷だった。

「くだらない!」

 同じ人間ではないか。バジオは常々そう言ってはばかることはなかった。

 長じて、モーアが脱走した。同じように長じて兵士になっていたバジオは衝撃を受けた。

 兵役につきながら、手柄を立て、上の立場に昇り。白人と黒人の差別をなくそうとした。

 強いところを見せれば、人は言うことを聞いてくれるだろう。と、思った。

 しかしそれは当てが外れた。

「強さを見せようとして、気がつけば私は返り血で真っ赤になり。人々は恐れて遠のくばかりだった」

「君が兵士をやめた理由はよくわかる。しかし、その代わりに蹴球とは」

「不思議なものだな、剣を振るうよりも、球を蹴る方が向いていた。何よりも、人が集まってきてくれる」

 剣の無力さに打たれたバジオだったが。趣味でたしなんでいた蹴球に熱中するようになってから、不思議と人に慕われ。人も言うことを聞いてくれるようになった。蹴球仲間には黒人も加えた。

 蹴球をする際に、

「白人も黒人も同じ人間だ。差別はやめよう」

 と呼びかければ、案外聞き入れてくれる人が多かった。蹴球は楽しかった。その楽しさが、人々を差別から解放した。

 こうして、都市国家シェロアからは、少しではあったが差別が解消されて。白人と黒人が一緒に蹴球をする姿が見られるようになった。

 それをレンゴンは気に入らず。バジオを排除しようとしたこともあった。

 そんな時にひょっこりと姿をあらわしたのが、モーアであった。

 モーアはジグラタル海峡を渡りイベーリャに身を置き、そこで傭兵をしながら戦争をおぼえ。身に着けた技術をもって、黒人たちに呼びかけ、レコンキスタの戦いを起こし。

 今に至る。

「カンニバルカは強敵だ。勝てるか?」

「勝たねばならない。負ければ、君も蹴球を楽しめなくなる」

「それは困る」

「ならば……」

「覚悟はできている」

「覚悟だと」

「もういいでしょうモーア将軍! こんな、臆病者!」

 側近の黒人兵士が叫ぶ。バジオの煮え切らない態度に腹が立つ。

「言葉を慎め」

「これでも十分慎んでおります。さっきから聞けば、己は手を汚さず、我らにばかり……」

「邪魔をしたな」

「バジオ」

 バジオは冷たい視線を受けながら、酔いもさめたと立ち上がり。部屋を出てゆき、そのまま議事堂も出て自分の邸宅へと向かった。

「人は争うものだ」

 月や星々が光る夜空を見上げ、切なくつぶやく。

 その翌朝、もうすぐシェロアと言うところまで迫ったカンニバルカの軍勢は、忽然と姿を消していた。

 そのことを、旅の商団の世間話で知った。

 コヴァクスと龍菲は食堂で昼食をとっていた。朝広場に行ったが、蹴球はなく。人々が思い思いに時を過ごすのみ。

「どうしようか……」

 蹴球で気力を取り戻したコヴァクスの心の中に悩みが生じていた。

 新オンガルリに帰ろうか、という悩みが。 

「今日一日ゆっくり考えてからでも、いいと思うわ」

 そう龍菲は言い。コヴァクスも「そうだな」と応えて。カンニバルカの襲撃に用心し鎧と剣で武装しながらも、今日一日をゆっくり過ごすことにし。

 昼になって食堂に足を運んで、

マオの文字は、難しいな」

 と、机を指でなぞり昴の文字を書いていた。その文字は龍菲だった。

「言葉も違う」

「ええ。私たちは、売られて、言葉をおぼえさせられたわ」

「それだけ話せればたいしたもんだよ。君は頭がいいね」

「褒めても何も出ないわよ」

 龍菲はいたずらっぽく笑う。その笑顔を見て、コヴァクスはなんだか照れくさくなって、少し目をそらした。

 そうしているうちに食事が出た。

 食事は小麦粉を材料としたつぶ状ものを盛ったものに、オリーブ油でよく焼いた羊の肉を乗せたものと、パンが出てきて。パンのそばにはアルガンの木の種から摂った油があり、それにパンをつけて食す。

 匙で羊の肉ごとつぶを救い、口に運ぶ。

 フィリケアの料理も美味しいが、やはり故郷のものと違う。

 龍菲はつぶを匙ですくい、

「米みたいなものかしら」

 などと言う。

 昴のことをいくらか聞いていたコヴァクスは、米に興味を示し、食べてみたいと言っていた。東から来た商人が持っていると思ったが、まだ巡り会えていない。


 商人の世間話からカンニバルカの軍勢がいなくなったと聞いたのは、そのさなかだった。

「カンニバルカ様は撤退なされて、商売あがったりだ」

「商機だと思ったのに。黒人どものせいで」

 そんな会話を耳にして、ふたりの動きが止まり。互いに目くばせする。

 かきこむように早めに食事を終わらせ、代金を払って足早に食堂を出る。

「カンニバルカが撤退なんて、信じられないな」

「なにかの罠よ、きっと」

「オレもそう思う」

 ふたりは議事堂におもむきモーアに面会を求めた。

「カンニバルカが撤退か。確かに信じられぬな」

 平服とはいえ、褐色の肌と相まって、あらためて見ればモーアは重厚な印象をおぼえる軍人だった。

 他には護衛の兵士と側近がついている。

 あの時、バジオに肩を掴まれたのを覚えていたようで「あの時の君か」と言いながら、少し怪訝な顔もしたが。護衛の兵士と側近付きで、面会を許可してくれた。

 シェロアの街はモーアたち黒人勢力が占拠したとはいえ、乱暴も働かずいさかいも起こらず、久しぶりの平穏な時を過ごしていたが。

 それは、嵐の前の静けさであるのか。

 議事堂の一室で、モーアと側近のふたりと、コヴァクスと龍菲が向き合って円卓を囲み。部屋の隅で護衛の兵士がたたずんでいる。

「カンニバルカはカルトガの再興を悲願としている。それも、熱狂的にだ」

「あの、それですが」

 コヴァクスは自分のことや、これまでのいきさつを、正直に話し。モーアの視線は鋭くなり、厚い唇を真一文字につぐむ。

「なんと、そんなことが」

 気まずそうながらも、逃げずに堂々とたたずむコヴァクスを見据える目は、ますます鋭くなる。

「オンガルリ。名前だけは知っている。遠いところから来たものだな」

「情けない話ですが」

「騎士としてだけでなく、小龍公として、まさに情けない話ではあるな」

 モーアは容赦なかった。彼自身も軍人として戦争の中を生きた身であれば。

「ですが、今は戦えます。必要ならば、一兵卒でもいいので、レコンキスタの戦いに加えさせてください」

 情けないと言われて、咄嗟にそんなことを言ってしまった。側近と護衛の兵士は眉をひそめている。

 心が挫けて漂流するような男を戦場に出せるものか、と。

「その話はあとにしよう。まずは、カンニバルカだ」

「撤退をしたとは、信じられません。おそらく、罠だと思われます」

 龍菲は怖じずに自分の意見を述べた。それをモーアは見据える。

「撤退に見せかけて、何かを仕掛けてくる。ありうる話だ」


「カンニバルカに関することは、どこまでご存知ですか」

「それか……」

 モーアはほんとうは言いたくなさそうにしながらも、

「突然現れて、猛威を奮ってからのことしかわからぬ。オンガルリにいたことを、君から聞いて驚いたものだよ」

「将軍として、カンニバルカをどう見ますか」

「侮れぬ。軍人としての器は、私以上だろう」

 シェロア占拠のために何度か「ちょっかい」を出しながら計画的な撤退を繰り返したのだが、それでも損害は思った以上に多かった。

 なにより、カンニバルカの軍勢の強さに、統率のとれていること。急造りの黒人兵団でどこまで戦えるのか。

「シェロア占拠までは計画通りだが。それからは、さてどうなることか」

 シェロアはジグラタル海峡に近く交通の要所の都市国家である。

 交通の要所を抑えるのは、軍事の基本である。人や物資の動きを制限するとともに、イベーリャにいるカルトガ人を足止めし追い返す。それとともに南方の砂漠地帯の黒人部族とも連携を取り、挟み撃ちをするのが当初の計画だったのだが。

 機を見て素早く撤退したあたり、さすがカンニバルカと言おうか。

「物資や兵力に関しては、イベーリャの商団と連携をはかり確保できるよう段取りはついている。以後の事は、斥候の報告次第だ」

 と言っているそばから、斥候が駆けつけたと言うので、来させて報告させてみれば。確かにカンニバルカは撤退したと言う。が、どうもおかしいとも言う。

「何がおかしいのだ」

「それが、南に向かっているようで」

「なに?」

 南は広大な砂漠地帯である。連携をとっている部族もいる。カルトガ側の都市国家ベリュアロに引き返したのではないのか。

「黒人部族が我らと連携をとっていることをさとり、各個撃破するつもりか」

 モーアは唸った。それからすぐに、早馬と出撃の命令を出した。

「それまで占領した都市国家から物資を補給しているだろうし。砂漠での戦いにも勝算があるのだろう」

 モーアの判断は早かった。指令を受けて側近はすぐに駆け出し、伝え広める。

「戦えると言ったな」

「はい」

「ならばすぐに支度し、合流せよ。小龍公だからとて、特別扱いはしないぞ」

「はい!」

 コヴァクスは闊達に返事をし、議事堂を飛び出し宿に戻り。鎧を見にまとい、剣を佩き。厩から龍星号の手綱を曳く。

 龍菲も一緒だった。

 コヴァクスは頷けば、龍菲も頷き。ふたり騎乗し、馬を進める。

 戦争がはじまる、ということで、シェロアの街は緊張に包まれていた。


 郊外にゆけば、モーアたちも武装を終えて。将兵や物資輸送をうけもつ輜重隊しちょうたいが集まってくる。

 そのそばまでゆけば、後ろに女を乗せていることにモーアたちは驚き、そして呆れた。

「女連れとは。物見遊山にゆくのではないぞ」

「大丈夫です、彼女も戦えます」

 本当なら連れて行きたくはなかったが、言っても聞かないだろうし。それならいっそと思っての事だったが。案の定モーアはいい顔をしない。

「ふしだらな行為に及べば、すぐに叩き出す」

「はい」

(馬鹿にしないで!)

 はいと言うコヴァクスの返事を聞きながら、龍菲は心の中で舌を出す。

 コヴァクスがふしだらな男であれば、とっくに見捨てている。

「列につけ!」

 側近の黒人兵士に一喝され、コヴァクスは騎馬隊の列に並ぼうとし。龍菲は素早く下馬し、輜重隊のもとまでゆく。軍隊は男の世界。女の自分が好きなように割り込むのはよくないと言うことくらい、わかる。

「なんだねお前さんは」

 輜重隊の兵士は駱駝の手綱を曳きながら不思議そうな顔を龍菲に向ける。

「私も連れて行ってもらうことになったの」

「女だてらに戦争にゆこうとは。まあモーア将軍がいいなら、オレたちも文句はないが、邪魔しないでくれよ」

「わかってるわ」

 駱駝が一頭、鼻先を龍菲に近づける。

「人懐っこい奴だが、あんたが気に入ったようだ。なんならこの駱駝に乗ってゆくといい。女を砂漠で歩かせるなんざ、男がすたるってもんだ」

「ありがとう」

 龍菲は軽やかに跳躍し、駱駝のこぶとこぶの間に腰かけた。その身のこなしに、輜重隊の兵士たちは「ほお」と感心する。

「進軍!」

 モーアの号令を受けた兵士たちは数時間のうちに三千ほどが集まり、列をととのえて進軍を開始する。

 周囲は乾いた砂の大地だが地盤が硬く、歩くのに難儀することはなかった。しかし、砂漠はそうはいかない。

 昴からはるか西へとやってきた龍菲は、駱駝の背にまたがりながら道中で通った砂漠地帯を思い出していた。

 フィリケアは海から上がってすぐに砂の大地であり、それが延々と続き、緑のある場所が少なかったのは少々驚かされたものだった。そんなところで、太古から人々が生活を営んでいるのである。

 砂漠といっても、それを割り裂くように川が流れて。そこからつながる地下水脈を源泉とする湖や池のある地域に人は住んで、町や村、都市を形成して。

 そこは、オアシスと呼ばれていた。


 オアシスはもとはグレースの言葉だという。

「姉ちゃんは、いい人でもいるのかい?」

「恋愛感情はないけど、親友と呼べる人がいるわ」

「ほほう……」

 あらら、かわいそうな奴だ、とその親友に同情しながら輜重隊の兵士は続ける。

「わかっていると思うが、戦争に行くんだぜ」

「ええ」

「どういう意味か、わかるよな?」

「わかっているわ」

 輜重隊の兵士は気のいい奴で、駱駝にまたがる龍菲に親切にしてくれる。

 モーア麾下きかの兵士たちのほとんどは黒人で、まとまりを見せているのは軍規のみならず、モーアの指導や鍛練が行き届いていることをうかがわせた。

 進軍を開始し、一日にが経った。

 日差しは厳しく照りつけるのにくわえ、進軍するうちに身体は暑くなった。そこへ、夜は急に冷え込む。体調を崩さないように、布を巻き身体から体温が逃げないようにそなえて寝なければいけなかった。

 夜明けとともに起きて、進軍は再開され。進むにともない気温も上昇するとともに、足の踏みごたえも変わってきて。硬い岩盤状の地面からいよいよ砂の大地、砂漠へと景色は変わってゆき。ところどころ砂の丘が見えてくる。

 その向こうには何もない。ただただ、砂、砂、砂。砂漠が延々と、永遠に続くかと思わせる砂ばかり。気温も高く、空気も乾燥している。

 かといって、衣服を脱げば照りつける太陽に肌を焼かれるという。喉もすぐに乾くが、貴重な水をたびたび飲むわけにもいかず。厳格な性格の者が常に水がめを見張り、ほんとうに必要な者にのみ飲ませていた。

(このまま砂漠を歩かされるのか)

 コヴァクスは愛馬・龍星号から降り、徒歩で手綱を曳いていた。騎馬隊も足場の不安定な砂漠に入ると皆下馬を余儀なくされて、手綱を曳いて歩いていた。モーアとて例外ではなく、下馬していたが。それに代わって駱駝にまたがっていた。

 砂漠では馬よりも駱駝が機動性に勝ると言うことで、駱駝に乗り換えた者も多かったが。コヴァクスのようによそから来た傭兵たちは馬と勝手が違う駱駝に乗れず、愛馬の手綱を曳くしかなかった。

 輜重隊で荷物を積んだり、荷車を曳く駱駝はあくまでも輜重隊のための駱駝で、騎馬戦には使えない。

 龍菲も駱駝の背に乗っかっているが、なるほど馬とは勝手が違いいざというときに馬のように操れるかと言うと、自信がない。さすがの彼女も、動物が相手となればどうしようもない。

 だが軍隊全体では、順調に行軍していた。兵士には南方の砂漠地帯出身者も多く。庭を歩くようなものだよと、初めての砂漠に驚くコヴァクスたちに得意げに語る。

「獅子はフィリケアの獣だが、この砂漠のずっと南にいるんだ」

「この砂漠の、ずっと南!? 砂漠に果てがあるのか」

「ああ。とんでもない広さだだが、砂漠にも終わりがあって。そこからは草の生える平原がある。水もある。獅子をはじめとして、いろんな動物がいる。縞もようのある馬や、河馬かばという大きな口の獣。鼻の長い象って奴に、鼻に角のあるさい……」

 見たことがあるのか、黒人の兵士は砂漠の向こうにいると言う獣の話をする。が、コヴァクスらよそから来た者たちには、まるで異世界の獣の話をされているような実感のなさであった。


「昔、マーレ人どもはそのフィリケアの獣をたくさん狩ってたそうだが。食べていたのか?」

「ん?」

 そういえば、文献で古代マーレ帝国はフィリケアから珍しい獣を狩っては連れて帰って。剣闘士グラディエーターと戦わせたり、奴隷や罪人を食わせてそれを見世物にしていたというのを読んだことがあったと思い出し。

 そのことを話せば、

「なんだか趣味が悪いな」

 と、黒人の兵士は言う。

 黒人たちも獣のように狩られては連れ去られ、奴隷にされた。人間であるにもかかわらず、獣と同等に扱われたのだ。マーレに対して好印象を持てないでいることを彼は語る。

「カルトガも一緒さ」

 と付け加えながら。

 コヴァクスは、地理的なことから数は少ないが、黒人が低い地位に押し込められていたのはオンガルリも同じであったことを思い出し。それに対しなんの疑問も感じなかったことも思い出す。 

 そのことはさすがに口に出せなかった。彼自身、相手が誰であれ平等に接し、差別をしたことはなかったが。

 しかし改めて考えてみれば、人種とは、民族とは、差異をつけなければいけないものなのだろうか。

 今話している黒人の兵士は、まぎれもない人間だ。

 が、話を続けられず。

「想像もつかないくらい、世界は、広いな」

 と言ってごまかす。

「オレから見たら、あんたらで世界の広さを知るよ」

「獣と一緒か」

 コヴァクスは苦笑する。

 という時であった。様々な形を見せて波打つ砂漠の砂の丘のてっぺんが、太陽の光に反射するような光り方をする。

 同時に黒い影が起き上がる。

「敵襲!」

 一斉に叫び声が起こった。

 それはカンニバルカの軍勢だった。砂の丘に身を隠し、モーアの軍勢が来るのを待っていたのだ。

「しまった、待ち伏せか!」

 そう言っている間に、矢が雨のように降りそそぐ。

 コヴァクスは咄嗟に騎乗し盾をかざして自分と龍星号を矢から守る。騎馬隊の将兵も同じように盾で身を守る。が、運の悪い者は雨のように降りそそぐ矢の餌食になり、針鼠のようになって倒れてしまう。

「隊列を乱すな! 大盾隊、前へ!」

 モーアの一喝が轟くとともに、大盾隊が前進し、軍勢そのものの前に出て矢を防ぐ。


 大盾を立てる兵士の背中に大盾を持った小柄な兵士が肩に飛び乗り、縦二段に大盾を並べる。

 その動きは訓練されたもので素早く、大盾で城壁をつくりあげてしまった。

「こりゃ大変だ!」

 矢の届かない後方にいた輜重隊の兵士たちも盾と剣を構え、臨戦態勢をととのえ。龍菲は素早く駱駝から飛び降り、手綱を曳いて一緒に兵士の後ろにさがるが。

 殺気を感じて後ろを振り向けば、「わあ」という喚声轟き、後方からも軍勢が迫ってくる。

 軍勢を分けて、砂の丘のところどころに隠れていたようだ。

「騎馬隊は、皆、駱駝か!」

 誰かが叫んだ。いつの間に乗り換えていたのか、カンニバルカの軍勢の騎馬隊は駱駝に乗っていた。

 砂漠では馬よりも駱駝が有利であり、モーアの軍勢もそれなりに連れてきていたのだが、カンニバルカもかなり用意していたと見える。

「どこから仕入れたのかしら」

 言いながら、旅の商団がカンニバルカに商機を見いだしていたことを思い出し、そこらが駱駝を用意したのかもしれない。が、撤退と見せて相手に出撃させて、それを待ち伏せするその時間を考えれば。商団だけでそろえるのは無理があるように思えた。

 ならば……。

「どこかの集落を襲って?」

 この辺の地理に疎いのでよくわからないが、どこかオアシスの集落を襲って奪ったのだろうか。それでも、やはり数は多い。

「まさか……」

 嫌なことを思い浮かんだ。

「迂闊にも、初歩的な罠にはまってしまった!」

 モーアは号令し、大盾隊は半分に分かれて一方は後方の輜重隊の前に出る。それとともに、軍勢の前後でぶつかり合いがはじまった。

 大盾隊は迫り来るカンニバルカの軍勢の駱駝をふんばって足止めし、間から槍を突きだし。運の悪い駱駝が痛ましい悲鳴を上げて倒れる。

 黒人の将兵たちはよく訓練されたもので、この場においてうろたえることなくモーアの指示通りに戦い。大盾をもって相手の突撃を防いだ。

(カンニバルカはどこ)

 龍菲は盾を借り受け、目を凝らし、迫る軍勢の中からカンニバルカの姿を求めた。出しゃばりは承知の上で、自分の手でカンニバルカを討とうと考えていた。

 時間が惜しいし、コヴァクスの命はもっと惜しかった。

「うわあッ!」

 という悲鳴がモーアの軍勢の中から起こった。

 なんと、裏切り者か、モーア軍の兵士が槍斧ハルバードを振るい味方のはずの兵士を薙ぎ飛ばしているではないか。

 その威力すさまじく、槍斧をぶつけられた兵士は骨肉砕け、手足があらぬ方を向向いて無残な姿と成り果てる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ