あさげ時々失敗
早朝。まだ住人達が寝静まっている頃。
ガチャリ、と藤四郎の部屋の扉から物音が聞こえた。
薄暗い室内、熟睡する藤四郎の元へと忍び寄る不吉な影。
平和ボケした寝顔で全く気付く様子もない彼に、彼女はクスリと微笑んだ。
パシャッ、パシャッ──
何やら腰から取り出した機械で閃光を数回。
「ふふっ……」
満足した表情を浮かべるとさらに彼に接近して、
「んが……誰だよこんな時間に……」
物音に目を覚ました藤四郎は、あくびをしながら眠い目をこする。
そして自分に半分覆い被さっている犯人の正体にようやくにして気付いた。
「何やってるの花凛ちゃん……」
「はあ? わざわざ起こしてやったのに、その言い草は何ですか」
「すみません……」
頭が上がらないのか、明らかに年下の女の子に対して情けなく謝る藤四郎。
「藤四郎こそ何してるんですか。布団も敷かずにこんな所で寝っ転がって」
「あぁ……ええっと……」
まだ目覚め切ってない頭で寝る直前の記憶を思い出す。
「ここでうとうとしてて、そのまま寝てたみたい」
「全然起きる様子がないので死んでるかと思いました」
「あれ、もしかして心配してくれたの?」
「はあ? そのまま死んでれば良かったのに」
「相変わらずひどいなあ……ふぁあ……」
「その汚い顔をさっさと洗って来て下さい。その間に準備しますから」
「うん。今日もありがとう」
「別に藤四郎のためにやってる訳じゃないですから」
「知ってる」
聞き慣れた罵り口調に愛想よく答えつつ、藤四郎は洗面台へ向かった。
彼女は勘解由小路花凛。
藤四郎と同じく、このアパートに住む住人だ。
自立精神を学ぼうと自ら一人暮らしを始めた立派な女子高生。
そして料理修行のために藤四郎の部屋に足繁く通っては手料理を振舞い、藤四郎は何の役にも立てないので残飯処理という名目で付き合っていた。
(そのおかげで飢え死にしなくて済んでるんだけど……)
さっぱりした顔で洗面所を出ると、花凛は早速狭い台所で制服の上にエプロンを付けて取り掛かっていた。
もうすぐ三十にもなる独身男性の部屋にこんな子が居ていいんだろうか。
控え目に言って、非常に犯罪臭がする。
「何見てるんですか。不潔ですよ」
視線に気付くと花凛は横目で睨み、汚物を見るような目付きでそう吐き捨てた。
元々釣り目気味なのでそう見えてしまうのだが、花凛はこれが平常運転。
それを知ってる藤四郎は平然と笑って答える。
「あ、ごめんごめん。見てたら気が散るよね」
「どうせ藤四郎の不潔さは洗顔程度じゃ落ちませんからね」
「そこまでひどいの!?」
「こすっても落ちない鍋の底にこびりついた汚れ程度には度し難いです」
「重曹でも使わないと難しいね……」
「最低でも煩悩の数くらいは洗って清めないと」
「そんなに洗ったらヒリヒリしちゃうよっ!」
「こんな早朝に何叫んでるんですか? 近所迷惑でしょう」
「すみませんでした…………」
本当に嫌われてないよね? よね?
念のためもう一度顔を洗った藤四郎は、部屋に戻るとぼうっと天井を眺めていた。
台所は花凛の独壇場で、自分の居場所がないのだ。
ふと頭に浮かんだのは昨日の出来事だ。
突然現れた女の子、アルミ。
履歴書を物体Xことクリーチャーに作り変える謎の力、錬金術。
そして家まで付いてきて──
「ん? 家まで……?」
瞬間、愕然とした。
「すっかり忘れてた……今アルミちゃんが──」
大変なことになった。
急に部屋に上げて泊まらせる事に決まったので、まだアパートの誰にも説明していなかったのだ。
もし今、この部屋の中でアルミちゃんが見られればどうなる事か。
社会的な死亡。
最悪の場合、この場で花凛にグサッとされるかもしれない。
『不潔です。汚物は処分しなければなりません。平和のために死んでください』
なんて事態になりかねない。
これが自分の最後の晩餐にならないようにと藤四郎はすぐさま行動に移った。
(もう六時五十分……?! 朝食まであと十分もないぞ……!)
大丈夫、狭いアパートだ。探せばすぐに見つかる。
記憶が確かなら、膝枕をしてあげてそのまま先に眠っていたはずだ。
しかしどこにも見当たらず藤四郎は辺りを探し回る。
「いない……ない、ない、ない、ない、ない……!?」
「何がないんですか?」
と、ひょっこり顔を出す花凛。
「いや、ななななんでもないよっ!?!?」
異様なまでの焦る藤四郎に何を感じ取ったのか、
「……………………朝から不潔ですね」
まるで本当に嫌な物を見てしまったかのように花凛は軽蔑の眼差しを向けた。
何を想像したのかは分からないがそれはそれで嫌すぎる誤解だ。
「違うよ! リモコンだよリモコン! あーおかしいなあ昨日『いい〇も!』見た時はあったはずなのになー!」
「『い〇とも!』はとっくに終わってますが」
「録画だよ録画! 神回だったの!!」
「はいはいそうですか……誰にも迷惑を掛けずにひっそりと消えればいいのに」
「それ本当に冗談で言ってるんだよね?!」
「うっさ……」
藤四郎が花凛と仲睦まじい日常会話を繰り広げていると、
ふと、ある動きを察知した。
部屋の隅に雑に畳まれた布団と毛布。
その一部分がまるで中に枕か何かが挟まっているかのように若干盛り上がっていた。
捲り上げてみれば、
「居た……」
そこにはすやすやと眠る一人の天使が居た。
ほっと息を吐く藤四郎。
「むにゃ……」
だがこのまま放っておけば匂いにつられて起きるかもしれない。
一先ず何かで隠したまま花凛にばれないよう外に連れ出すしかない。
安眠を妨げるのは忍びないがやむを得ないだろう。
(布団も毛布もでかすぎる……! くそっ……武器はないのか、武器は!?)
仕方なく藤四郎はシャツを脱いだ。頼りないがこれで隠すしかない。
そしてアルミを布団から引きずり出そうと試みる。
「う~……」
しかしぬくぬくの布団から早朝の冷気に晒されてアルミは布団にしがみつき離れようとしない。
「このっ……!」
なんとか引き抜こうとアルミの腰を掴む藤四郎。
意外と力強いアルミに悪戦苦闘してると、突如。背筋から感じる強烈な悪寒に藤四郎はぶるっと体を震わせた。
「なんだ? 風邪でも引いたのかな……?」
「なんだはこっちのセリフです」
「あ」
そこには暗黒面に落ちた恐ろしい形相でこっちを見ている花凛の姿。
対して見様によっては抵抗する幼女に半裸で襲い掛かる変態に見える藤四郎。
というかそういう風にしか見えない。
(やばい。死んだわ)
死を悟り呆然と立ち尽くす藤四郎の脳天に向けて、お玉が直撃した。
「うがっ……!」
「そのまま餓死して死んでしまえ!」
花凛はエプロンを投げ捨てると、朝食も食べずにそのまま飛び出して行ってしまった。




