始まりは失敗の中で
それはまだ藤四郎がアルミと出会う前のこと。
「服装オッケー」
当たり障りのないジーパンによく分からない絵柄のシャツ。
「髪もオッケー」
ラフ過ぎずキメ過ぎずのありふれたヘアースタイル。
ただしピョコンと跳ねたアホ毛はどうしようもない。
「戸締り用心、火の用心」
ガチャリと閉めた扉の鍵をなくさないよう植木鉢の下に隠し、
「これで鍵をなくす心配もなし、っと」
「オイちょっと待て昭和かコラ」
コツン。
丁度出かけようとしていた藤四郎の頭を小突いて呼び止める女性が一人。
「今時そんな鍵の隠し方があるかよっ、もうすぐ平成も終わるんだぞ?」
「駄目ですか? 燈子さん」
大谷燈子。藤四郎の住むこのアパートの管理人の娘だ。
ただこの春からは親の手伝いということで実質的な管理人は彼女という事になっている。
燈子はこうして時々アパートの様子を見て回るついでに、要注意人物として親に言いつけられている藤四郎の様子も見に来ていた。
「駄目だ駄目だ駄目だ」
「どうしてですか?」
「本当にプータローのトーシローはスットコドッコイだな。そんな所に隠してちゃ泥棒に入ってくださいって言ってるようなもんだろ」
プータロー、というのは藤四郎のあだ名だ。
何を隠そうこの東堂藤四郎。
実は無職である。
プータロー。トーシロー。スットコドッコイ。
どれも酷いあだ名だとは思いつつも、気に入って貰えてるなら、と許していた。
それに燈子とは赤の他人という訳でもないのだ。
「この辺は治安もいいし、そんなことないと思うんですけど」
「万が一ってこともあるだろうが」
「それに泥棒に入られても大して盗る物もないと思うんで」
「馬鹿言え。管理人としちゃあ入られること自体問題なんだよ。うちの評判が落ちたらどうすんだよ」
「あっ、なるほど」
「それに子供じゃあるまいし、家の鍵くらい持って出かけろよ」
「うーん。持ち歩くとよくどこかで落として無くすから嫌なんですよね」
「いやそこは落とさないように気をつけるなり何とかしろよ……」
呆れて溜息をこぼす燈子。
年齢こそ藤四郎の方が上だが、面倒見が良くいつも心配をかけて貰っている身として藤四郎は燈子に頭が上がらなかった。
「しょうがねえなぁ。ホレ」
ホレホレと掌を差し出す燈子。
意味が分からず小首をかしげる藤四郎。
「なんですか?」
「そいつを預かってやるって言ってんだよ。確かにプータローに任せてると本当に無くしそうだしな。帰ったら一階のあたしの部屋に来な。それまで預かってやるよ」
実は彼女も藤四郎同様、このアパートに住んでいた。親に甘えてタダ同然で。
ここの家賃はこの辺りでは安い方だ。
それでも収入ゼロである以上、家計を圧迫する経費として決して安くはない。
うらやましい限りである。
「助かります」
「あたしとお前の仲だしな。また酒持っていくからよ、なんかゲームやらせろよ?」
今でこそ管理人のポジションについてる燈子。
だが春までは藤四郎と同じく無職の身だった。
暇を持て余す同族として何度か部屋に上がり込んできて趣味で買い貯めたゲームや持ち寄った酒で晩酌を楽しむ程度には仲は良い。
「いいですね。そうだ、花見なんかどうですか?」
「花見ぃ? ああ、裏の桜でか」
「はい。時期が時期ですし、そろそろ咲くんじゃないですかね」
「プータローにしてはなかなか粋な提案じゃねえかっ! アパートの連中集めて花見っていうのも管理人の仕事として悪くねえかもな」
「じゃあ咲きそうな頃に案内お願いします」
「おお任せろ。管理人も意外と暇だしな」
あの親の事だ。きっと甘やかして仕事を隠しているに違いない。
それから、と藤四郎はキメ顔で一言付け加えた。
「明日からはプータローと呼ばれるのは卒業ですよ」
「ん? あっ! お、お前……まさかその手に持ってるのはッ!」
気付かれてしまったなら仕方ない。
藤四郎は右手に裸で一枚持っていた二つ折りの紙を堂々と見せびらかした。
「そう、RI・RE・KI・SYO! これからバイトの面接に行ってサラッと合格させていただきます!」
「そうか……まあお前には無理だろうが、頑張れ」
通算何度目か分からない面接。
それを知っている燈子は当然のように既に諦めていた。
しかしだからと言って無職脱却を諦める訳にはいかない藤四郎。
現実問題、貯金は減っているし。
家賃も滞納しているし。
「大丈夫です! 先人は言いました……『為せば成る、為さねば成らぬ何事も』と」
「おーおー出たよ、失敗格言」
「確かに今まで何が悪かったのか何度も面接には落ちてきましたけど、きっと今度こそは!」
「ま、お前のそのポジティブな所はあたしも本当に羨ましいよ、マジで。ポジティブすぎて変人にしか見えない所が原因のような気もするけどな」
「今何か言いました?」
「いんや、なーんも」
悦に入っている間に何か聞き逃していたような気がしたが、気のせいらしい。
面接前に失敗だなんて縁起が悪い。もっと気をつけねば、と藤四郎は胸に深く刻み込んだ。
「という訳で燈子さん。無職仲間としては心苦しい限りではありますが、僕の方は一足先に卒業させていただきますから」
「あたしはもうプータローじゃねえ!」
「コネで自営業なんて絶対にありえないって言ってた癖に何言ってるんですか」
「うっ……ていうかお前時間大丈夫なのか?」
「そういえば……」
面接の時間に合わせて準備をしていたので、そこまで余裕はない。
思わず藤四郎は左手を見て、腕時計をし忘れている事に気付く。
「あれ?」
慌ててポケットに手を突っ込むと、どうやらスマートフォンは忘れていなかったらしい。
ホッと一息。
ポチッと電源を押して、
「あれ? あれ、あれ、あれあれあれあれあれあれあれあれあれ……???」
「どうした?」
「充電し忘れてたみたいです……」
「ったく、しょうがねえなあ。ホレ」
やれやれ、と肩をすくめると燈子は自分の腕時計を見せた。
大雑把な彼女にしては意外にも、女性らしく手首の裏側に文字盤がくる様につけていた。
しかしサイズが小さくデザイン重視のせいか藤四郎には見づらく、
「ええっと……これ何時何分なんですか? もうちょっと寄ってくださいよ」
「お、おう。悪かったよ。この辺が十二時でこの辺が六時でだな、あと──」
言われるがまま成すがまま体を寄せる燈子。
あれよあれよと言う間にほとんど密着するようにして教える羽目になってしまう。
今までになく近づく藤四郎との距離に頭は沸騰。
突然の展開に思考回路もショート寸前だ。
「あわわわわっ……」
「あ。まずいかも」
「なななな何がだ?!」
「走らないと面接に間に合わないかも。すみません、燈子さん。急ぎます」
そう言って涼し気な顔で藤四郎は道路へ飛び出した。
アパートの前には燈子がぽつんと一人。
「このアホンダラー! 女タラシー! お前なんか一生プータローになっちまえ!」
燈子の空しい叫び声がご近所に空しく響いた。




