失敗コミュニケーションズ
「ごめん。綴ちゃん、ちょっと匿って欲しいんだけど」
「え、あ、は、はい」
『匿う』という言葉に戸惑いを覚えながらも、部屋の住人は押し掛けた藤四郎に鍵を開けて招き入れた。
「な、何がっ」
「実はかくかくしかじかで、また失敗しちゃって……」
動揺する彼女に、藤四郎は掻い摘んで事情を説明する。
変な女の子を拾って。
黙ってたら朝食を作りに来た花凛に怒られて。
更に燈子から説教を受けて。
うっかり燈子の裸を見てしまって。
「はあ……ま、また大変なことに、なりましたね……」
「僕にそんな優しい言葉を言ってくれるのは綴ちゃんだけだよ……」
「い、いえ、そんな」
素直に心配してくれる事に最早感動を覚える領域に達した藤四郎。
そんな過大評価に赤ら顔で慌てて両手と首を振る若い女性。
彩小井綴、十八歳。
職業、同人作家。
高校在学中に同人サークルを設立。その巧みな表現力と他の追随を許さない妄想力によってファンのハートを文字通り掌握して離さず。同人小説にして僅か三年間で『シャッター前』と呼ばれるランクにまで上り詰めた実力派作家。
通称・ラブコメの魔女。
「それで適当にほとぼりが冷めるまでここに居たいんだけど……」
「は、はい。ど、どうぞ……き、汚い所ですが……」
「お邪魔しまーす」
足の踏み場もなく床に散らばった紙くずを避けながら藤四郎は部屋に入っていった。
「ところで今なにしてたの?」
「え、と、今はこれを……」
と綴は両手で辞書大の分厚さを誇る紙束を差し出した。
この物量には見る前から正体を知る藤四郎でさえ感嘆の吐息を漏らさずにはいられない。
「相変わらずだね……」
「す、すみません」
「いやいやこれって凄いでしょ」
「い、いえ、滅相も……」
「だって今時小説の原稿がすべて手書きで、それをそのまま本に収録して、それで売れてるんだもん。そりゃ綴ちゃんが凄くなかったら売れないって」
そう。その紙束は全て、手書きの原稿だった。
そして彼女の作品において特筆すべき点は、全ての作品が手書きであることだ。
「じゃあこれが夏のイベントに出る本になるんだね」
「で、です。こ、これくらいの量で」
と言いながら彼女はジェスチャーで倍の量になる事を説明。
聞く人が聞けば白目を剥きかねない発言だろう。
現にもはや藤四郎の常識を超えていた。
その圧倒的なページ数で売れるというのだから、魔女と呼ばれるのも納得である。
「す、少ないです?」
「多いよ!」
「ご、ごごごごごごごめんなさい……!!」
「いや、綴ちゃんが謝る事じゃないんだけどね……むしろ想像を軽く超えちゃってたというか……」
「は、はあ」
そして卒業した現在はこうして作家に専念している。
「そっか、綴ちゃんは仕事してたんだ。もしかして邪魔だったかな……?」
「い、いえ、全く!」
「そう? 全然無理しなくていいんだけど……むしろ僕ごときが綴ちゃんの邪魔するなんておこがましいというか……」
何せ綴は去年の内に軽く一般のサラリーマンより稼いでいたのだ。
それを藤四郎が最初に聞いた時は、綴ならあり得てしまうかも、と思ってしまった事自体が一番の驚きだったが。
ともかく無収入の自分が邪魔する権利など持ち合わせていないのだ。
「む、むしろ、居てほしいというか……」
「へ?」
何か自分に用でもあったのだろうか。
首をひねってみても特にそれらしい記憶は蘇らない。
「い、いや、その……きょ、去年!」
「去年?」
「そ、その前も、その前も……すごく、おせ、お世話になったので……」
はて。はっきり言って綴は自分一人で十二分に稼いでいる。
そんな彼女に自分が何かしてあげていただろうか。
「か、家庭教師を……」
「あー…………そういえばそんな事もあったねえ」
当時、趣味で同人活動をしていた彼女は、そこに没頭しすぎた余り、通っていた高校の進級が危ぶまれていたのだ。
そのため当時まだ管理人じゃなかった燈子が気を利かして斡旋したのが、丁度無職になり下がっていた藤四郎だった。
「あれはなんていうか、燈子さんにしてみれば綴ちゃんのためだったんだろうけど。でも僕にとっても仕事で疲れてた自分のリハビリみたいな所があったし。だから逆に僕が綴ちゃんに感謝してるくらいだよ」
「で、でもっ」
「それに進級できたのは結局、綴ちゃんの頑張りだったと思うよ。実際、僕なんかが教えるまでもなく進級できただろうし」
それは本心からの言葉だ。事実、当時の綴は異様なほど勉強熱心だった。
これでなんで進級に危ぶまれたのか疑問なくらいだった。
「で、でも。やっぱり、東堂さんのおかげ……」
「僕の?」
「は、はい。その、お、教え方が丁寧で」
頑なに藤四郎を持ち上げる綴。
藤四郎にしてみれば持ち上げても何もしてあげれないので心苦しいのだが。
困っていると、ふと名案が浮かぶ。
「じゃあ半分ずつって事にしない?」
「は、半分……?」
「うん。僕は綴ちゃんがすごく頑張ってたと思うし、綴ちゃんは僕のおかげだって言うんなら、進級できたのは僕と綴ちゃん二人の手柄って事でいいんじゃないかな?」
そう提案すると気持ちが高ぶったのか綴はより顔を赤くした。
「は、はいっ……ふ、二人の」
「うん。二人の」
「ふ、ふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふ……」
混乱してるのか嬉しいのか、怪しげに笑いだす綴。
笑い声が部屋に木霊するのを聞いて、これが彼女が魔女と呼ばれる本当の理由なのかもしれないと思う藤四郎だった。
因みに昼食は綴ちゃんの驕りで寿司の出前を頂く事になった。




