桃色の失敗
藤四郎は気の抜けた表情でホカホカと湯気を出しつつ風呂から上がった。
昨日すっかり入り忘れていた事を思い出しての朝風呂だ。
「ふう~……さっぱりしたあ……」
もっとも朝と言いつつもういい時間なのだが、気にする必要はない。
無職にとって時間は無限、毎日がエブリデイなのだ。
「おう、お帰りー」
「あっ。お帰りなさいませー」
「おっ?」
居間に戻ると、二人がゲーム機を勝手に出して対戦していた。
毎年続編を発売していたのに今ではめっきり続編が出ない野球ゲームだ。
『ッァアアアアアアアアアアアアアイ!』
ゲーム内の審判が判定に奇声を上げる。
「おーおー、なかなかいい球放るようになったじゃねえか」
「えへへ。次は……これですっ!」
どうやらハンデを付けているようで、アルミはチーム全員の調子が絶好調の設定で燈子は逆に絶不調らしい。
同じ腕前ならアルミ側のチームの圧勝だろう。
だが無意味だ。
「ハッ……貰ったァ……!」
『んんんんんん!? これはレフト見送って~イッツ・ゴオオオオオオオオオオオオオンヌ!!!』
歴戦の戦士には通じない。
癖の強い実況が結果を高らかに宣言する。
燈子はアルミが投げたえぐい軌道のスライダーを余裕の表情でミートさせると、強引に引っ張って楽々とホームランに持って行った。
悠々とグラウンドを回る日本の四番。
「あう~><」
「へっへっへー。ざっとこんなもんよ」
「トーコはうますぎなのです!」
「アルミが同じボールばっか続けるからだろ?」
「じゃあどうするんですか?」
「強い技でゴリ押ししても真剣勝負には勝てないぜ。もっと相手に読まれないように色んな方法でゲンワクしないと」
「ゲンワク? うーん、難しいのです><」
「というか何子供に本気になってんすか……」
だが自分が居ない間にすっかり打ち解ける事に成功したようだ。
「アルミも今日初めてにしてはすごいよ。もうコントローラーの扱いに慣れているし、きっといつか燈子さんにも勝てるんだ!」
「はいなのですっ!」
「いや流石にポジティブ過ぎだろ……まあいいや。さて、行くか?」
「もちろんです」
「……?」
試合の途中だというのにコントローラを放り出して何やら立ち上がる二人。
うん? どうしたのだろう?
「まだ風呂にお湯残ってるよな?」
「え? うん。あとで洗濯で使うし」
「オッケー。じゃあお湯足しながらうちらも入らせてもらうよ」
「いや燈子さんは自分んちで入ってよ……」
一階に自分の部屋があるのに。
「別にいいだろ、知らない仲じゃねえんだし。それにアルミも風呂に入らせねえと」
「わたしもトーコと一緒に入りたいのですっ」
「む……」
確かに自分だけ先に風呂に入っておいてアルミに入るななんて失礼だ。
子供とはいえアルミも女の子だし、自分が一緒に入ってあげるわけにもいかないだろう。
「トーシロー……」
「ふう、しょうがないですね。どーぞご自由に」
「あざーっす」
「ありがとうなのですっ」
天使に懇願されてはどうしようもない。
渋々という態度を取りつつもアルミには逆らえない藤四郎だった。
二人を見送ると、藤四郎は一人物思いに耽り始めた。
『わー、おっきいのですー』
『へへへ。お前はぺったんこだなー』
『むー! すぐに追いつくのですっ!』
安アパートなおかげで隔てる壁が少なく会話が筒抜けなのが痛い所だが。
「でもおかげで仲良くなってくれそうだ……」
アルミはこの世界の人間ではない。
この目で見た錬金術は現代の常識では測れない魔法の力だった。
それは人を助ける素晴らしい力であると同時に、異質すぎる能力だ。
異常は人を遠ざける。
自分の様に。
『お背中流しますねー』
『おお! お前中々気が利くやつだな』
『えへへ、それほどでも』
そんなアルミにとってこの家は数少ない居場所のはずだ。
仲間のいない一人ぼっちの世界でも孤独を紛らわして生きていくことができる。
自分がこの家に住んでいる限り。
(でも、僕がもしここから居なくなったら……?)
『ほらこんなんどうだ?』
『はぇ~。じゃあこんなのはどうです?』
『アッハッハッハ──お前中々見込みがあるな!』
『ふぇ、本当ですかぁ?』
『おおよ、ほれ目閉じろー』
燈子は全てを話しても尚、アルミを受け入れてくれた。
科学が解明され常識が知り尽くされた世界で、錬金術という異常を許したのだ。
そんな彼女はきっと、アルミにとって貴重な居場所になるはずだ。
『わふぅ、気持ちいーのです~……』
『あぁ~……ホント生き返るわぁ……』
たった一人で来たアルミにとって、これ程心強い存在はないだろう。
『あれ……うわぁすごーい、浮いてるのです!』
『あん? ああ、すげえだろ?』
『触ってもいいですか? ……むふー! ふよふよなのですー』
『お前のもいつかはこうなるんだぞー?』
『へぇー! 信じられないのですっ』
『お前のはまだまだだなー』
『あひっ! あはっ、はははは! 仕返しなのですっ』
『ハッ、ハハハハ……! やりやがったなあ! この、この!』
『あははは! くすぐったいのですっ』
男がいるんだからもうちょっと気にして欲しい。
そう切実に思う藤四郎だった。
「……ここで考え事は失敗だったかな」
今のこの部屋は自分にとって毒すぎる居場所の様だ。
適当に出歩いて外の空気でも吸ってくるか。
藤四郎は居間を出ると、扉一枚向こうの浴室にいる二人に話しかける。
「ちょっと適当にブラブラしてきまーす」
「おー。じゃあ留守番しとくわ」
(本当に信用されてるんだなあ……)
しみじみと感じながら藤四郎は再び玄関へ向かって歩き出す。
「トーシロー出掛けるのですか?」
「んー? そーだよー?」
アイスでも買ってきてとかそういう頼みだろうか。
「おい馬鹿っ」
ガチャっと不吉な音に反射的に首だけ振り返ると、
「行ってらっしゃいなのですっ!」
出掛ける藤四郎を見送ろうと飛び出した健気な全裸の幼女と、
それを引き留めようとタオル片手に半身を現した健康的な肌色の──
「あ」
熱気と羞恥と怒りで赤く上気した顔で睨め付けられた瞬間、藤四郎は本能で家を飛び出した。
帰った時には本当に無くなっているのかもしれないな、と自分の居場所を危惧しながら。




