#第2話:千春の場合
東京は砂漠みたいだなんて、誰かが言ってた。
果てしなく乾いた砂の大地が、どこまでも広がっている。
あたしはずっと求めていた。
あたしの渇きを潤してくれる、何かを。
あたしは東京にくるまで、九州の田舎まちで育った。
ただ普通に学校に通って、ただ友達と遊んで、ただ時間だけが過ぎ去って、そして卒業した。
まわりの友達はみんな、夢とか希望とか追いかけて遠くに旅立って行った。
あたしはただ、それを見送ることしか出来なかった。
だって────
あたしには何もなかったから。
夢も希望もやりたいことも、何もなかった。
小学6年生の時、あたしの『千春』という名前が、ただ春に生まれたからという単純な理由で付けられたと知って、すごく悲しかったのを今でも忘れられない。
あたしの存在価値ってなんだろう、あたしは愛されて望まれて生まれてきたんじゃないのかとか、そんなことを思いながら、ただ生きてきた。
きっとあたしは何かを求めていた。
だから、何も目的はなかったけど、高校を卒業してすぐ家を飛び出して───そして東京に来た。
それから早いもので、あっという間に7年の月日が流れていた。
あたしは色んなバイトを転々としながら、最終的に音楽雑誌社のOLになった。でも、特に音楽のことに興味があった訳でもなく、ただ働いているだけだ。
ただ、生きるためだけのために───
あれは1年半前のことだった。
あたしの後輩の取材班のコが急に寿退社することになって、そのコがやってたインディーズのバンド特集の記事をあたしが書くことになった。
理由は単純にあたしが独身で時間が自由に使えるって、ただ
それだけのことだった。
あたしじゃなくても、誰でもよかった仕事だった。
でも、あたしはそこで出会ってしまった。
あたしにはどうしたって手にすることができないものを持ってるひとに。
『文香』に────
文香はあるインディーズバンドのヴォーカルをやっていた。
取材のために初めてライブハウスに行って、物凄い熱気と熱狂の中で歌う文香を見たとき、なんか胸に突き刺さるような憧れと、あたしが求めていた何かをやっと見つけられた気がした。
それから、あたしは取材が終わっても個人的に文香のバンドのライブに通った。もっともっと彼女に近づきたくて、ライブハウスのスタッフやオーナーに頼み込んで、楽屋に入れてもらったりして、あたしの顔と名前を覚えてもらえるように必死にアピールした。
文香のバンドは途中で解散してしまった。
噂によると文香はバンドのギターの男と付き合っていたらしく、別れたから解散したらしい。
でも文香は、その後も独りでステージに立って歌い続けた。
あたしはその姿が好きだった。あたしはその姿が羨ましかった。でもふとした瞬間に、彼女は悲しそうな瞳をする気がした。
だから、あたしは少しでも側にいてあげたいって思って、彼女に『一緒に住みませんか?』って勇気を出して言った。
文香は静かに『よろしく』って男前に笑った。
出会った時の栗色の長い髪じゃなくて、ショートカットの黒髪になってたけど、とても綺麗だなってまた羨ましく思った。
それから半年、あたしは文香の側にずっといる───
ベランダでブラックストーンっていう煙草を吸うのがいつもの文香だった。
彼女は夜空を見上げながら煙草を吸って、そして小さな声で歌を唄うのだ。
あたしはその邪魔をしないように、テレビを見るフリをしながらそっとボリュームを小さくして、文香の歌を聴く。
文香の唄う歌は、すごく切なくて、どこか悲しげで、でもそれに負けないように必死に、前向きになってがんばろうって、そんな歌だった。
あたしは、その歌を文香がどんな気持ちで唄っていたかなんて何も考えたことなんてなかった。
今ならそんなこと、すぐわかるのに。その時の馬鹿なあたしは、何もわからずに彼女を無邪気に傷つけていた。
そんな簡単なことも、何も。
何もなかった空っぽの、あたしには────