フリーダム先生
「先生、何で海水は青いんですか?」
「じゃあ何でお前は日本語を喋れるようになったんだ」
「先生、答えになってません」
こんな回答を平然とする私のクラスの先生。名前は自由っていうらしい。だから、クラスではフリーダムというあだ名がついている。一応国語の先生だ。生徒からの質問にいつも頓珍漢な回答をするので困ったものだ。昨日も、「をかし」ってどういう意味ですかって質問をしたら、「美味しいね」と返された。完全に馬鹿にしている。
生徒も先生を当てにしていなくて、授業中は勝手に勉強や内職をしていた。
そんな先生が、珍しくまじめな回答をした質問があった。食料の話だ。私が「この作者の気持ちがわかりません」と質問をした。それは、「食料不足」について書かれている問題だった。日本は食糧が飽和状態だと書いてあるが、餓死をしないためには必要だという内容だ。そこには資本主義を批判する内容も書かれている。資本主義を否定するなら、この人は共産主義の思想を持っているのか。そういう質問を先生に投げつけた。
先生は、「それはね、食べ物や思想だけの問題じゃないんだよ」と回答した。そして詳しい話も私にしてくれた。関税や資源、株や企業の都合など……。先生は話しながら、「勉強はね、興味を持ってするものなんだよ」とも言った。知ろうとすることが勉強の第一歩であり、その答えは簡単には見つからないのだそうだ。
「作者の本当の思想なんて、文面を見てもわからないんだ」
「じゃあ、先生はどうして国語の先生になったんですか」
「今こうして話が出来る時間が作れるからね」
「先生は授業を何だと思っているんですか」
私の質問に対して先生は「無意味な時間」と答えた。その回答に私は苛立った。先生の癖にこんなことを言うとは。すると先生は、先生から見て、右端の空いた席を指差してこう言った。
「岡部は学校に来ないで塾通いだ。勉強をしたいならそこですればいい」
「お金のない人はどうすればいいんですか」
「中古の参考書や辞書でどうにでもなるよ」
先生に答えられるごとに、私は意気消沈してくる。話しても無駄だ。なんという職務放棄。しかし、一つだけ先生は私をほめた。
「君はよく凝りもせずに私に質問してくるね」と。そして「あと一歩だ」と言ったのだ。私はその意味がわからなかった。
ある日、私は梟とみみずくの違いが気になって、先生に質問した。先生は「ほーほー」と答えた。また馬鹿にされた。それが悔しくて、電子辞書で調べてみた。すると、余計にわからなくなった。角のような羽毛があるのがみみずく?ないのが梟?でも、羽毛があっても「~ふくろう」という名前のある生物がいる。それが不思議で、仕方なかった。気がつけば一時間ほど調べていた。それでも答えが出ない。
そこからだ、私の「調べ癖」が出たのは。
それ以降、闇雲に先生に質問することは無くなった。今度は逆に得た知識を使って「議題が出来る問題を出して泡を吹かせてやろう」と思うようになったのだ。
「先生、地球温暖化はほんとにあると思いますか?」
「僕はアイスコーヒーが好き」
「先生、答えになってません」
フリーダム先生は、私が変わってもフリーダムでした。