アイリス現る
爺やは走っていた。
「魔王様〜! 今、爺やが参りますぞ〜!」
魔力を使えば一瞬でたどり着くのだが、焦っていて忘れていたのだ。魔王の事になると慌てん坊の顔を覗かせる爺やだった。
玉座が見えてきた。
既に、魔王と勇者が対峙し、睨み合っているようだが、何か様子がおかしい。
しかし慌てん坊モードの爺やがそんな事に気づくはずが無かった。
「魔王様! はぁはぁ・・・! いけませんぞ! はぁはぁ・・・! 八つ裂きはいけませんぞ〜!」
その時、横から突然腕が伸びて来て、爺やの行く手を遮った。
「お待ちください! 宰相様!」
"海竜の化身"レヴィアタンであった。
「レヴィアタン! お前があんなこと言うからじゃろ!」(3話参照)
「それは・・・あまりにもツルツルしていて・・・」
「うむ、赤子のようじゃったな。しかし言ってはならん事もあるぞい。とにかく今は魔王様を止めなくてはならん」
「それなんですが宰相様、少しお待ちください」
しかしその時、勇者が剣を振りかぶり魔王に切りかかろうとしていた。
「あー! 魔王様〜!」
「こら、待て!じじい!」レヴィアタンはそう言って爺やのローブを鷲掴みした。
「ぐえっ! えっ?…今、じじいって」
「魔王様のお顔をご覧下さい」
「今、じじい……うむ、分かった……」玉座の間の周りに立つ柱から二人して覗き込む。
「なっ!……なんじゃ、アレは」
そこには、目尻を下げ、幸せそうな表情で勇者に剣でぶっ叩かれる魔王の姿があった。
時を少し遡る。
涙を流しながら、玉座の間に走っていく魔王。
「くそぅ!くそぅ!かーちゃんもレヴィも嫌いだ! こうなったら……こうなったら勇者を八つ裂きにしてやる!」
八つ当たりをする気満々であった。魔王は女性にからかわれると太刀打ち出来ないタイプだったのだ。
「魔王様〜!」
後ろからレヴィアタンの声が聞こえてくる。
「ふ、ふん! 今更謝っても許してやらないからな!」
そう言いながらも走るペースは少し落としている。構ってもらえて嬉しかったのだ。
レヴィアタンはなおも魔王に語りかけ続けた。
「お尻だけじゃなくて〜! 」
「お尻だけじゃなくて?」
「前も〜!」
「前も……?」
「ツルツルでしたーー!」
「うぉーー! 勇者はどこだ!ボロ雑巾にしてやるぅーー!」
レヴィアタンに念入りにトドメを刺され、魔王は加速した。
「魔王様、速い……とても追いつけないわ」
そんなこんなでレヴィアタンを振り切り、一足先に玉座の間にたどり着いた魔王だった。
玉座の前には勇者の姿があった。剣を構え、臨戦態勢である。
これまで戦ってきた勇者と比べるとかなり小柄だったが、怒りと悲しみで涙が溢れている魔王はまだ、周りの景色がよく見えていなかった。
勇者の前に立ちふさがり、一呼吸を置いた。
「うぐっ・・・ひぐっ・・・ふぅー。ちょっと待って」
目元をゴシゴシとこすり、勇者の方を改めて向く。
「待たせたなぁ〜!勇者ぁ〜!・・・・・・ぶっ殺す!」
普段から威厳のあるセリフを使うように爺やに言われていたのだが怒りのあまり、雑魚顔負けの言葉使いになっていた。
そして目が血走っていた。涙のせいである。
「ようやく会えたわね!覚悟しなさい!」
「覚悟だとぉ〜!それはこっちの……」
魔王は思わず、声を失った。しかし理由がわからなかった。
目の前にいる勇者が特別強いオーラを放っていたわけでは無い。いつものように指一本で倒せるだろう。
では何か? 魔王は混乱していた。先程から動悸が激しくなり、息切れがしていた。何らかの魔法かと思ったが魔力の鼓動は感じられなかった。
魔王はまじまじと目の前の勇者を見つめた。
サラサラで肩に少しかかった髪。少し眠たげな二重まぶたでありながら意思の強さが感じられる茶色い瞳。緊張からか真一文字に引き結ばれながらも柔らかそうな唇。
魔王は、初めての恋をしたのだ。
「何でジロジロ見てるの!?わかった、呪文をかけるつもりね」
そう言うと、勇者は魔王に切りかかった。
するとすかさず、魔王は手を前に出した。
「待て!」
一瞬戸惑い立ち止まる勇者。
「な、何よ!」
「うん・・・まぁ待て」
ただ単に、もうちょっとじっくり顔を見たかっただけであった。
ジリジリと間合いを詰める勇者。
しばらくすると魔王の表情に変化が見られた。
ニヤニヤし始めたのである。
「何で笑ってるの!? やっぱりもう呪文を使ってるのね」
勇者は気合いを入れて切りかかった。
今度は魔王は避けなかった。頭の中では既に目の前の勇者と契りを交わし、幸せに暮らしている。
そう、彼は戦いの最中、妄想の世界に旅立っていたのだ。
「なっ!・・・全然歯が立たない!」何度剣で切りつけようとしても、服にすらキズ一つつかなかった。
しかし次第に魔王は眉を寄せて、苦悶の表情を浮かべ始めた。
「効いたのね!」
全く効いていなかったのだが、魔王が悩み始めたのは事実だった。
目の前の勇者の名前が知りたかったのだ。
しかしどうすれば自然に聞けるかわからず、頭をひねっていたのだ。
再び剣撃を加える勇者。すると突然、魔王は目をカッと見開き、手のひらを拳でポンっと軽く叩いた。
名前を聞く手段を閃いたのだ。
「なっ何、今のは! 呪文の印を結んだの?」
「勇者よ!」
「なっ・・・何よ!」
「君の名は・・・じゃない!貴様の名はなんというのだ?」
「あなたに言う必要は無いわ!」
「ふっ、そう言われると思った! いい事を教えてやろう勇者! 実はな、ここだけの話・・・魔王を倒すには名前を教える必要があるのだ!!」
「な、なんですって!?……本当なの……?」
「うん本当本当。魔王は嘘つかない。それに今のままじゃ埒あかないでしょうよ」
「……………アイリス」
「えっ?」
「私の名前はアイリスよ!」
「良い名前だなぁ〜〜〜!」目尻が思わず下がっていた。
「えっ!?」
「ふん。かかって来いと言ったのだ! ちなみに私は拳で直接攻撃した方が効くのだ」
「本当に!?」
「うん、本当本当!」
「よーし! 覚悟しなさい!」
アイリスはそう言って魔王を叩き始めた。
「あ〜……効くなぁ〜」
至福の表情であった。
物陰から眺める影が4つ。
レヴィアタンと爺やに加え、"一つ目ゴーレムのターロス"と"変幻自在ショゴスライム"の姿があった。
「ねっねっねっ? アレはもう惚れてるわね!」
「ムッ……間違いない」
「けっこう、可愛いんじゃなぁ〜い?」
「おいたわしや、魔王様。爺やは情けのうございます」
魔王はアイリスに叩かれながら、ヨダレを垂らしそうになっている。
「まぁまぁ宰相様。好きな子の前じゃあんな感じになっちゃうわよ」
「ふむ、まぁ怒りに任せて勇者を無に帰さなくてよかったわい」
そう言って水晶を懐から取り出す。
「あら、記憶玉なんて取り出して、宰相様もノリノリじゃない」
「うむ、アルティス様の成長記録に付け加え無ければならんからな。ほっほっほ」
「ムッ……あの姿を記録するのか・・・?」
ターロスは視線を玉座の間に向けた。
魔王は自分から頬っぺたを差し出している。
「……魔王様には見られないよぉ〜にねぇ〜」
「ほほっ。抜かりないわい」
幹部たちが和やかな会話をしていると、戦い(?)に変化が見られた。
「あっ! あの子倒れちゃったわ」
「ムッ……アレだけ叩き続ければ疲れもするだろう」
その時、強大な魔力をまとった何かが幹部達に近づいてきた。魔王の母にして魔王城管理人のアルフレアである。
「アルティスの様子はどうかしらね?」
「はぁはぁはぁ……全然効かない……」
「いやあと1000発、いや500発で倒せるよ! ファイト!」
「もういいよ……」
そう言うとアイリスは顔を伏せてしまった。
「アイリス……?」
アイリスは泣いていた。魔王は泣かされる事はよくあったが、泣かれたことは無かったので大いに慌てた。
「な、泣くなよ! 勇者だろ!」
そう言って手を差し出したがアイリスに振り払われた。
「くっ殺せ! 魔王に……情けなんてかけられたくない!」
「殺さない殺さない! そんな物騒な事しないよ!」
「生かしてどうするの!? ・・・辱めを受けるくらいなら死んだ方がましよ」
「いやいやいや! まだそんな! もっとじっくりと……」
「やっぱり変な事するつもりなんだ!」
アイリスは再び泣き出してしまった。
その時、大地が震え出した。城の外では雷雲が渦巻き、雷が豪雨とともに降り注いでいた。
アルティスが一瞬、大地の揺れに気を取られている間にアイリスの背後に人影が現れた。
アルフレアである。
「大丈夫? 怖かったわね」そう言ってアイリスの肩に手を置く。
思わずアルフレアの胸に飛び込むアイリス。
その一部始終を見て、魔王は、いいなぁ、と思ったとか思わなかったとか。
「アルティス……」
「な、なんだよ。かぁちゃん……」
「……『くっ殺せ』……ってこの子に言わせてたわね……」
「へっ?」
「オークプレイかぁ!? このブ〜タ〜野郎〜〜〜〜!!!!」
「ま! 待て! かーちゃん誤解だ!」
「いかん!!皆の者伏せるんじゃ!!」
再び城は爆散した。
アルティスの初恋も一緒に弾け飛んだのであった。
「ごほっ!ごほ!……皆の者、無事か?」
「なんとか……」
「身体があっちこっち行っちゃったよぉ〜ん」
「お前はいつもの事じゃろ。スライム」
「ムッ……あの勇者は?」
「ここよ!」
声がする方を向くと、アルフレアの魔法障壁に守られ、アイリスがうずくまっていた。
「あの……ありがとうございました」
「いいのよ。それよりごめんなさいね。うちのバカ息子が」
「えっ魔王の……?」
「そっ母親よ。……爺や、なんでアルティスはオークみたいな真似をしていたの?」
険しい顔を爺やに向ける。
「アルフレア様。それは誤解なのです。」そう言うと爺やは記憶玉で事の経緯の映像を見せた。
「まぁ! そうだったの!? ……鼻がすごく伸びてるわね……こういう事だったの」
「えぇ、ですから魔王様を叱らないで欲しいのです」
「そうね、悪い事しちゃったわ。てっきり淫魔にでも取り憑かれたのかと思って取り乱しちゃって・・・」
その時ガラガラと瓦礫が崩れ落ちる音がした。中から魔王アルティスが現れた。
「アルティス! 自分で出て来れたのね!」
「うん……もうお尻掴まれたくないし……」
「ごめんなさい! アルティス! てっきりあなたがオークにも劣る豚野郎に成り下がったのかと思って・・・」
「いいんだ、かーちゃん……っあ!」
アイリスを見つけ、つい顔が赤くなってしまった。
「アイリス……」
魔王は、驚かさないように、ゆっくりと近づいていった。
しかし、アイリスは目を大きく見開き、顔を背けてしまった。
「アイリス、さっきはごめんね。もう嫌われちゃったかもしれないけど……君には話しておきたいんだ。魔王がなぜ存在するのか……こっちを向いてくれるかい?」
目を閉じ、首を振るアイリス。
しかしアルティスは諦めなかった。
「真剣に戦いを挑んできてくれたのにおちょくるような真似してごめん。なんていうか、ちょっと意地悪したくなっちゃって、だって君が……」
その時、レヴィアタンが慌てて近づき耳打ちをしてきた。
「魔王様。魔王様。下。下。」
フルちんであった。
「……もしかして、ずっと……?」
「……ずっとです」
「う……」
「う?」
「うわぁ〜〜〜〜! うわぁ〜〜! うわぁ! うわぁ〜〜〜〜ん!!」
涙を流しながら走っていくアルティス。転んでも決して振り返らず走り去っていった。
「ムッ……いつ見てもオリハルコンのように滑らかな尻だ」
「つぅるつるだよぉ〜ん」
「あ〜〜おいたわしや魔王様……!」
「ふふふ……」
「あら? 元気でた? アイリスちゃん」
「はい、なんだかおかしくなっちゃって!」
「よかったわ。おうちどこ? 送って行くわよ」
「いいえ、私は勇者ですから……また来てもいいですか?」
「ええ、いつでも退治しにいらっしゃい」
片目を閉じてウインクするアルフレア。
雲はすっかり払われ、空には無限の星空が広がっていた。