闇の胎動 その1 起点
迷いの森に程近い、北の森。
普段は静かな森だが、今日は木や草がざわめいていた。
リスが顔を上げて、聞き耳を立て盛んに鼻を動かしていた。
すると、突然耳をつんざくような大声が響いた。
「グハハハハ! どぉこぉだぁ!? ヴィオレッタ〜! 今日こそお前を俺様のモノにしてやる!」
獣達が森の奥から一斉に逃げ出した。
下品な声の主も、続いてやってきた。
頭から二本の角を生やし、禍々しいオーラを発しているアークデーモンであった。
「見ぃつけたぁ~!」
アークデーモンは木々を見上げた。
「あんた本当にしつこいのよ! ザイモン! 嫌い! デブ!」
木の上の枝には若い女が座っていた。ただし人間とは違う点があった。
小さな角が二本生え、背中には紫色のコウモリのような羽が生えていた。
「そうかそうか。よし、俺様の女になれ」
「あんた耳ついてるの? 私には王子様がいるんだから!」
「王子様だぁ〜?」
ザイモンは片方の眉を上げたかと思うと次の瞬間には大笑いし始めた。
「グハハハハ! 人を魅了するサキュバスのお前が、王子様だと! 竜王か!? それとも冥王にでも惚れたか!? グハハハハ!」
「そんなんじゃないわよ! 人間よ!」
「人間だと……! あのすぐにシぬ弱っちいのか?」
「そうよ! あんたなんかより、すっごくかっこんだから!!」
「そうかそうか! ……それならその人間を殺せばいいか。グハハハハ!!」
「なっ!? 最低ねあんた! でも誰か知らないんだから殺せっこないわね! じゃ!」
ヴィオレッタと呼ばれたサキュバスは、闇の中へと飛び去っていった。
「……誰か知る必要はない。人間を皆殺しにすればいいだけよ。グハハハハ!」
その時、ザイモンが気づかぬ間に、後ろから近付く男がいた。
「おやおや。相変わらず下品な方ですねぇ」
ゆっくりとした口調だったが威圧的な魔力を体から発していた。
「なんだぁ!?……ぬぉ!!」
ザイモンはあまりの驚きに、口をアングリと開けたまま、固まった。
「あんた……生きてたのか……ヴェルメリオ……」
「私が死ぬと?」
口の端を上げた。
「い、いや……あんたが死ぬはずねぇ……。あのアルフレアと唯一渡り合えると言われた男が……」
「そうです。その気になればあなたの事も……」
そう言って、指先から炎を出した。
「ヒィ!や、やめてくれ!な、なんの用なんだ!?」
揺らめく炎に端正な顔を照らされながら、ヴェルメリオは口を開いた。
「あなたにアルフレアの息子を殺して欲しいのですよ」
「なっ!? そんな事をしたらアルフレアに消滅させられる……」
「安心しなさい。私がその間に、アルフレアをあの世に送り出します」
「あ、あんたが言うなら、そうなんだろう……だが俺様になんの得があるんだ」
「そうですねぇ……。あのヴィオレッタとかいう娘を、あなたの下僕にして差し上げますよ」
「な、なんだと……。グフフフ、ハハハハハハ!! いいだろう! ………だが何故自分で息子をヤらないんだ? あんたなら簡単だろう?」
「あなたが気にすることではありませんよ」
そう言うと、指先の炎を、激しく燃え上がらせた。
「ヒィ! や、やめてくれ。わかった。その事は気にしねぇ。だが約束は守ってくれよ」
「もちろんです」
目をつぶり、口の端を上げた。
「だが、どうやって息子をおびき出す? 魔王城には近づきたくねぇ」
「……この近くに、バルバラ村という村があります。」
魔王城では、薄暗い部屋で、城の管理人であるアルフレア、宰相の爺や、"海竜の化身レヴィアタン"、"一つ眼ゴーレムのターロス"、"変幻自在ショゴスライム"が車座になり集まっていた。
一本の巨大な蝋燭を囲んでいるので、全員の顔がぼんやりと照らされている。
「ショゴス、お前の身体の一部は確かにヴェルメリオにつけてきたのね」
「間違いないよぉ〜ん」
「して、今、きゃつめはどこにおるのじゃ」
「迷いの森の近くに拠点を作っているみたぁ〜い」
「……どう思われますか?アルフレア様?」
「相手がヴェルメリオだからね……。罠って可能性もあるわね」
「アルフレア様、一つ気になった事があります」
「何? レヴィ」
「ヴェルメリオの様子が以前とは少し違うように感じました」
「ム……確かに。以前よりも魔力が衰えている」
ターロスも相槌をうった。
「おそらく、復活したばかりだからね。……叩くなら今ね!」
アルフレアが立ち上がった。
「……しかし、魔王様はどうしますかの? 打倒ヴェルメリオに燃えておられまする」
引き止めるように爺やが言った。
「かわいそうだけど……。ヴェルメリオが弱っているなら、このチャンスは逃せないわ。奴の本当の力が戻ったら、私でも勝てるか……」
「仕方ありますまいな……。どっこいしょ! その事はワシから魔王様に言ってきましょう」
「私も行きまーす!」
「ムっ……我も行こう」
「ボォ〜クも行くよぉ〜ん」
巨大な魔力の塊が、ゾロゾロと魔王の元に向かう。
一人だけ部屋に残ったアルフレアが、険しい顔をしていた。
「みんな死闘を覚悟しているのね。相手が相手だしね……」
しばらくうつむき、考え事をしていたが、ふっと微笑んだ。
「あの子も幸せ者ね。こんなにみんなに慕われて。……私も会っておくか!」
扉を開き、自らの息子に会いに行くアルフレア。
薄暗い部屋に眼が慣れていたからか、外の景色がやけに眩しかった。