第八十話 愛と滅びのリンカーネーション
色の無い世界が広がる。
それはまるで破壊衝動しかない女神の心を象徴しているようだ。
胸のざわめきから察するに、私の心はこの白と黒の情景によって不安と言う色に塗り替えられてしまったのかもしれない。
記憶が戻った私はラプラタ様の言うとおり、封印されたシュウを解放する事になった。
あの人は自身の父親を騙すために本当の事を隠し、母親を救うため危険を承知の上で封印を解くと言った。あの真剣な眼差し、何も偽っていない本当の気持ちかなとは思う。
今度こそはそんな気持ちを信じていいはずなのに、まだ完全には信用しきれないのは、予想以上にシュウの存在が大きかったと今更だけど実感している。
「本当に解けるのですか?」
「初めての試みだから、絶対成功するとは言えない」
今までのラプラタ様とは何か様子がおかしい。
弱気になっているの?
それとも、父親に反逆した事を後悔している?
でもどんな気持ちであろうとも、封印は解いてもらわなければならない。
「まず封印の外殻となっている光の輪、すなわちエミリアあなたの力を取り払う。その後、人柱となっている悪魔を取り出す」
「はい」
私は破滅の女神へと近寄り、彼女の周囲にある光の輪にそっと触れる。
そして光の輪から麦稈で水を吸い出すようにゆっくりと、確実に光の力を自分へと還元していく。
確かにラプラタ様が言うとおり、凄まじい力ね。
記憶の全てを取り戻し、本当の自分を取り返したと思っていたけれど。
やっぱり……。
「残念だよラプラタ。君がこんな事をするなんて」
封印解除し始めた時、声が聞こえると同時に空間の入り口が開く。
するとそこには、ラプラタ様がこの計画遂行で最も警戒していた存在である、父親とその衛兵が数人居た。
「ラプラタを取り押さえろ、天使は殺しても構わない」
私には実の父親や母親というものが本の上でしか解らない。
しかしラプラタ様のお父様が今からしようとしている事が、とても冷たく非情であるという事は理解できる。
魔王の命令を受けて兵士達は、ゆっくりと私とラプラタ様へ近寄っていく。
私は封印解除をいったん止め、迎撃しようと構えるが……。
「エミリア、封印解除を続けなさい! ここは私が食い止めるわ」
ラプラタ様はそれでも私にこの計画の続行を告げてくる。
強い願いを篭めた一言の後、ラプラタ様は何も無い場所から炎の様に真っ赤で、そして禍々しく光る杖を取り出し、実の父親に先端を向けた。
「実の父に剣を向けるのかね? いや、この場合は杖か?」
必死に対応しようとするラプラタ様とは逆に、魔王は余裕だった。
「静かなる月の明かりよ、滅びを知らぬ太陽よ。今こそ我が杖に宿り、汝焦がす永遠の火炎となれ。無限燃焼、ランページフェニックス!」
魔術の詠唱を完遂し、杖を大きく魔王の方へと振りかぶる。すると杖を振った軌跡から炎の固まりが噴出し、それは瞬く間に大きくなっていき、巨大な鳥状となって実の父親の方へと向かっていく。
離れているのに、こんなに熱いなんて。
凄まじいエーテルを感じる。これがラプラタ様の本気なの?
「地上にいてちゃんと魔術の訓練はしていたのか? 火力が弱い」
しかし炎の熱さとは対に魔王の冷たい表情は変わる事無く、ラプラタ様渾身の一撃にため息まじりでダメ出しをすると同時に手をかざす。
魔王をついばみ飲み込もうとしていた火の鳥は、魔王へと到達する前に影も形も無く蒸発してしまった。
「……化け物め」
すさまじい魔術だった。改めてラプラタ様の凄みを理解できた一撃だと思う。
けれども今は、それをいともたやすく受け止めてしまった魔王に寒気すら感じる自分がいる。
「化け物? 乱暴で勘違いな表現だな、言葉は正しく使うべきと教えたはずだ」
魔王は少し残念そうな表情をしながら一言言うと、今まで防御のためにかざしていた手の平を天井へと向ける。
「少しおしおきをしよう。天魔蹂躙、灼熱の地獄火炎円舞」
手から青白く燃える炎が激しく噴出する。やがてそれは、ラプラタ様が放ったよりも一回りも二回りも大きい火の鳥となって、ラプラタ様めがけ飛翔し、焼き尽くそうとしてきた。
ラプラタ様はその場から動かず、杖を両手に持ち父親の攻撃を迎え撃とうとするが……。
「もっと魔力を練らないと意味が無い。これが真の火炎魔術だ」
ほんの僅か、一瞬よりもさらに短い時間だった。
ラプラタ様は、青い火の鳥を砕こうと杖を振りかぶろうとした瞬間、炎はまるで意思があるかのように杖に触れる瞬間姿を変えてしまう。
変化した炎は渦となり、一瞬の隙を見せ無防備を曝け出してしまったラプラタ様を飲み込む。
「ラプラタ様!」
私が叫んだときは既に炎は消え、全身を焼かれてその場で崩れるように倒れて動かなくなってしまったラプラタ様だけが残されていた。
最大の障害を排除したであろう魔王とその部下は、私へとゆっくり歩み寄る。
やっぱりシュウを助ける事は出来ないの?
嫌!
そんなの絶対に嫌だよ?
「……ま、まだよ」
そんな私の願いに呼応するかのように、ラプラタ様は体を震わせながら、必死になって立ち上がろうとする。
封印解除はあともう少しだけど、このままでは本当にラプラタ様は実の父親の手によって命を奪われてしまうかもしれない。
「お父様……、このまま封印を続けているだけでは多くの尊い命が失われ続けます。天使と悪魔が揃った今こそ、封印を解き……、破滅の女神に立ち向かうべきなのです!」
「この期に及んで何を言うのか?」
力では敵わないと悟ったのか、苦痛に顔を歪めたまま自分の思いを伝える。
しかし魔王はそんな実の娘の悲痛な叫びを聞いても、まるで自分の意志を曲げない事を表すかのように表情を一切変えないまま返答をした。
「あなたはお母様を愛していないのですか!?」
「……愛している。今でもその気持ちは変わらないつもりだよ」
「では何故ですか?」
「悪魔や天使では神には勝てないからだ」
魔王の愛しい人を犠牲にしてまで封じるほど、破滅の女神は危険な存在である事は、私も十分解っていた。
前世の私は、神に等しい力を行使出来たにも関わらず、女神を倒す事が出来なかった。
そう、天使や悪魔じゃ無理。
だけども……!
「悪魔や天使ではなく、悪魔と天使なら可能性はあるかもしれない。こんな悲しい犠牲はもう終わりにしなければいけない!」
「エミリア……」
ラプラタ様は言ってくれた、破滅の女神に対抗するには天使と悪魔の力が必要だと。
そして光と闇の力があれば倒せると。
ならばその可能性に賭けるしかない、そして何よりもシュウがいない世界なんて私には耐えられないから!
「戯言を……、ラプラタはもう抵抗出来る力は無い。無視してあの天使を早急に処分せよ」
私がどんなに叫び、訴えても魔王の表情が変わることが無かった。
兵士たちは冷酷な命令を受けると、武器を構えながらじりじりと私へ近づいて来る。
「私は絶対に諦めない。必ずシュウを取り返し、破滅の女神を倒しこの悪夢を終わらせる! ラプラタ様、光の封印は解けました!」
「……流石はエミリア、やられるふりも大変だったわ。だけど、体を張った甲斐はあったみたいね」
今まで不安そうな素振りから一転し、いつもの自信に満ちた表情をしながら、服についた埃を手でかるく払う。
その言動をした結果、今まで余裕の表情だった魔王の顔に、焦りの色が見え始める。
「お父様、あなたの強い思いは十分理解しているつもりです。ですが一つだけ訂正させてください。私は地上にいても魔術の研究を怠った事はありません、そしてこうなる事も全て予想していて対処済みだという事を!」
私には見えていた。
ラプラタ様が魔王の放った業火に直撃する際、結界を展開し被害を最小限に食い止めた事を。
魔王は本当に気づかなかったのか?
むしろそこが気がかりだったけれども、何はともあれ作戦は成功したみたい。
「ある特定の言葉を叫ぶ事で、封印を解除出来るようシュウちゃんの体に少し細工をしておいたの」
「やめろ……! ラプラタやめるんだ!」
流石はラプラタ様のお父様なだけあって、今からする事がどういう結果をもたらすのか。
そして、自分が既に後手に回っていたという事に気づく。
「返り咲け、無限の闇を宿し者よ! 解き放て、全ての力と思いを!」
両手を広げ、”ある特定の言葉”を叫ぶ。
すると、今まで純白と空間が大きく震えだす。




