第七十九話 真相のさらに深層にある真意
大いなる厄災を封印してから数十日が経った。
ゲヘナの住人やパンデモニウム内の兵士達はいつもと変わらない日常を送っている。
無理もないわね。破滅の女神に関する事は、相当上の地位の者以外教えていないもの。
「城は任せるよラプラタ」
「行ってらっしゃいませお父様」
私は街の入り口にて、自身の親であり現魔界統治者である、魔王ディアボロスに頭を下げて笑顔で見送った。
これから数日の間、視察と園遊会で辺境の街に滞在する。
王ならばごくごく一般的な行事であり、特別な出来事では無いのだけれども。
私はこの瞬間を待っていたのだ。
お父様が城から遠く離れるこの時を。
下げていた頭を上げ、遠くの小さな背中しか見えなくなった事を確認した私は、すぐさまある場所へと向かう。
私が到着した場所、そこは少し前に大いなる厄災の封印を手伝ってくれた天使が幽閉されている部屋だった。
薄暗い部屋の扉を開けると、天使は自身から発しているぼんやりとした明かりを利用して、本を読んでいた。
首謀者の私が言える事ではないのだけれども、こんなところにずっと居たら退屈よね。
真剣に本を読んでいたらしく、天使は少し間をおいてから本を閉じると同時に、無言のまま今更何の用か訴えているような目でこちらを見てくる。
今まで理由も言わずにこんな仕打ちをし続けてきたから、そんな風に思われても仕方ないわね。
でももう、それも終わりなのよ。あなたには戻って貰わないといけない。
「……何か、私に御用ですか?」
「無礼をお許し下さい」
「えっ? んんっ!」
私は天使へとゆっくり近寄り、一言謝ると天使の顔を無理矢理手で押さえ、目を開けたまま彼女の口と自分の口を合わせて唾液を共有する。
抵抗されないように魔術で体を拘束しているせいか、天使はまるで金縛りにでもあったかのように動く事もせず、一切の抵抗もしてくる気配は無い。
フフ、こんな素敵で可愛い人とイイ事出来るなんて。
名前くらいは聞いておいて損は無かったかもしれない。
……今はそんな事を考えている場合では無いわね。
でもこれで戻るはず。さて、どんな反応をするかしら。
不埒な事を考えながらの強引なキスから僅かな時が経過すると、今までされるがままだった天使は、顔を横へと向け私の口づけを振り払い、こちらを手で突き飛ばしてくる。
私は突き飛ばされて少しよろめくが何とか踏ん張る事が出来た、しかし天使は間髪おかずして勢いよく立ち上がり、私の頬に振りかぶった平手を叩きつけてきた。
「戻ったみたいね。エミリア」
じんじんと鈍い頬の痛みに堪えながら、私は天使エミリアの方を向く。
今まで虚ろで、不安そうな光を宿していた瞳には強い輝きが戻っている。
どうやら一時的に奪った記憶は無事に戻せたみたいね。
「どういうつもりなの? シュウを返して!」
「お願い話を聞いて欲しいの。今度は本当の事を……」
「もういい! あなたには散々騙された。ここで抵抗するというなら、あなたを倒してでもシュウを取り返す!」
大切な事を隠して、騙してずっと母親気取りをしてきた。
これくらい言われるのは考えていたけれど、実際言われると結構辛いわね。
ふぅ、……でも感傷に浸っている場合ではないわ。
「今のあなたは天空術が使えないわ、その腕輪によって力を封じている」
「つまり、従うしか無いと?」
今まで私に接してくれた温もりや優しさは感じられず、代わりに冷たい視線とむき出しの敵意が向けられる。
「別に従えなんて言っていないわ。信じる信じないはあなたの自由だけども、協力してくれるならシュウちゃんは戻るはずよ」
私がエミリアにとってかけがえの無い人の名前を出し、救える可能性を示唆した瞬間、彼女は顔色を変えた。
「破滅の女神の封印を解き、人柱となった悪魔達を取り返す」
「取り返すってどういう事なの? そもそもそんな事が可能なの? その言い方だとシュウ以外にも封印の為、犠牲になった悪魔が居るって事なの?」
エミリアは明らかに焦っているし、シュウを助ける事で頭が一杯になっているわね。
いつもの冷静で物事を分析し、相手の立場になって考えるはずなのに目先の事だけに集中している。
まあ、大切な人が戻るって聞けば、そんな態度になってしまうのは当然かしら。
さてと、順を追って話さないと。
「まず取り返す事は可能よ。私の真意は破滅の女神の封印ではなく、討伐にあるって事は嘘じゃないから」
「じゃあ何故、あんな事を?」
「悪魔全員が私と同じ考えでは無いの。むしろこれから数世代、数十世代は封印して凌ぎ、さらなる研究を続けた上で対策をとるという考えの方が強いの。私のお父様もこの考えよ」
私はお父様や高官達に何度も何度も呼びかけをし続けた。
この大いなる厄災を、一時的に封じるのではなく討伐して恒久な平和を築くべきだと。
その為の戦術や戦略、対策や実験もしてきた。
どんなに僅かな可能性でもあれば、魔界の隅々まで出向いて話を聞き、そして知識を得てきた。
数多くの苦難や苦労、苦悩の末に至った結論が天使と悪魔、光と闇の対極な二つの力で立ち向かう事だった。
私の提案は受け入れられると自信はあった。
そして私の予想通り、提案は受け入れられた。
天使と悪魔の力を使って討伐するのではなく、より強固な封印をするという計画の一部として……。
「次に犠牲になった悪魔だけど、封印の一部となっている悪魔は全部で三体」
「三体も……」
エミリアは酷く悲しそうな顔をしながら、首を横に二度ほど振った。
きっと自分とシュウのような悲しい別れが繰り返されている事を予想し、憂いだのかもしれないわね。
「シュウちゃん、私の祖父、そして……、お母様なの」
母親と言う言葉に何か思いがあるのか、今まで冷たい敵意に満ちていた瞳に悲しみが入り混じっていく。
私に同情でもしているのかしら?
「もしかして、母親を取り返すためにずっと計画を?」
「そうよ。お父様は絶対だから、たとえ娘の私でも異を唱えればタダじゃ済まない。だから隠す必要があったし、従順なふりをしなければいけなかったの」
私の真意は誰にも漏れてはいけない。
それがたとえエミリアであっても、シュウちゃんであっても例外じゃなかった。
だからこの計画は私一人で進める必要があった。
お父様に従いつつ、シュウちゃんやエミリアに本当の事を隠しつつ……。
「正直、あなたの事はまだ信用出来ない」
そうよね。
あなたから大切な人を奪ってしまった、取り返しのつかないことをしてしまったわけだもの。
もう一度信じて貰えるだなんて、少しでも期待していた自分が恥ずかしい。
「でもシュウが助かるのなら、その計画は手伝います」
エミリアは表情に憂いを残しつつ、決意の眼差しをこちらに向けてくる。
それでも私を信じてくれているの?
あなたって人は……。
「ありがとう。ついてきなさい」
私はエミリアの力を封じるためにつけられた琥珀色の腕輪を取り外し、大いなる厄災が封じられている場所へと向かった。




