第五十七話 あたしのだいすきなまじゅつしさま
暗くて深い。
もう一人のあたし、アイリスに全てを委ねてからは何も見えず、何も聞こえず、暑いか寒いかも解らない。
全てがどうでもいいって思っちゃうほど気持ちよくって、なんだろうこの感じ。
溶けていっているのかな。無くなっていってるのかな?
良く解らないや。
でもいいんだ、あたしはもう誰からも愛されていないし必要ともされていない。
何のために生きているのか答える事も出来ない。
だからこのまま居なくなったっていい。
最初から強い意志とか無かった。ただ惰性で呼吸して体動かしてただけ。
ずっと昔からあたしは死んでいたんだ。
「あなたはもっと自分自身を信じなさい。そして、あなたが完璧だと思っている私が信じているのだから、もっと胸を張りなさい」
どこから声が聞こえる。
暖かくて、優しくて、頼もしい声だ。
あたしはその声へ導かれるように、重たい瞼をゆっくりと開けていく。
「あなたは……、誰?」
目の前には、まるであたしを包む闇を払うかのように七色に光り輝く女の人の姿があった。
眩しすぎて誰かよく解らない。
まあ、もうそんな事もどうでもいいよね。どうせあたしはこのまま消えていくだけなのだから。
全てを諦め、理解する事を放棄したあたしは再びゆっくりと目を閉じ、安楽な最後に身を委ねようとする。
「シュウ、ありがとね。愛してるよ」
目を閉じると同時に、かつてエミリアが敵側の思いのままに操られて傷つき、そして二人で慰めあった時の光景を思い出す。
……なんでこんなものを見せるの?
折角気持ちよかったのに、凄い嫌な気分だよ。
エミリアはあたしの事なんて見捨てるに決まっているはずなのに。どうしてあたしに期待を持たせるような事をするの?
あたしなんて何も出来ない、誰からも嫌われている。どうせ打算でしか人は寄ってこないのに、どうして?
「確かにあなたの言うとおりだよ。人は他の誰かの事なんて解らない」
先程聞こえた優しい声が再び聞こえる。
解ってるんじゃない。
そうだよ、あたしの事なんて誰も解らない。誰もあたしを理解しようとしない。
人間なんてわがままなんだよ。だからあたしはそんな人間が住む世界から逃げ出したいの。
「だからもっと話して欲しいの。一人で抱えず、私に全てを見せて欲しいの。私はあなたを理解したいから」
どういう事……なの?
あたしなんていらない人だから、誰も解ってくれる人なんていないと思っていた。
生まれて真剣に付き合ってくれた人なんていなかった。
ずっと一人だと思っていたのに。
あたしは再び目を開けると、先程いた光輝く女の人があたしを強く抱きしめている事に気がつく。
「ねえ、誰なの? 本当にあたしの事を解ってくれるの?」
一人だと言う事は、あたしの間違いだったというの?
他の誰かを解ろうとしてくれる人がいるの?
あなたは、あたしの事を見捨てないの……?
「私は主の光操りし燦爛なる天使エミリア。あなたを信頼し、愛している者だよ」
光り輝く女の人の姿が、次第にはっきりと見えるようになってくる。
綺麗な白銀の長い髪、七色の虹彩には穏やかだけれど強い光を宿し、真っ白なドレスを身に纏い、背中に生えた四枚の翼を悠然と羽ばたかせている。
それが、エミリアの本当の姿だったんだね。
ついに記憶が全て戻ったんだね。
「でも、エミリアは天使として完全に目覚め、記憶も取り戻したはずなのに」
「そんなのは関係ないんだよ。前世の私と今の私は違う。私は私。姿は違っても私は風精の国魔術師で、あなたのパートナーのエミリアだよ」
そうだよね。そうだったよね。
昔にあたしが同じ事言ってたはずなのに。
「さあ、あなたも自分を受け入れて。大丈夫だよ、私はずっとそばにいるから。これからもあなたを見守り続けるから」
あたしが今まで生きてきて、人は信用できない、自分を解ってくれる人もいないと確信した。
確かにこの世界はそんなのばっかりだと思う。
だけども。
「ありがとね。エミリア」
他の誰かはあたしを裏切っても、この人だけはずっと味方でいてくれる。
エミリアだけはあたしを解ろうとしてくれる。
あたしを包む深い闇に、光がゆっくりと満ちていく。
それと同時に意識が遠くなっていき……。
「おはよう、シュウ」
気がつくと、あたしは魔術によって生成させた炎で照らされた部屋に居た。
視界には、いつもの人間姿のエミリアが笑顔でこちらを見たまま、あたしの手をぎゅっと握っている。
「何だか、かっこわるいよねあたし。あはは……」
不思議と気だるさや不快感は無かった。だからすぐに起き上がる事が出来たのだけども。
自分が抱えていた心の闇の全てを見られてしまった事実に間も無く気づき、物凄く照れくさくなったから笑って誤魔化してしまう。
「あたしはエミリアと出会うまではずっと虐められ続けてきた。集団生活でいい思い出もないし、楽しい事なんて一つもなかった」
ずっとエミリアに隠していた事を打ち明けた。
正直ばれて欲しくなかった。騎士のあたしだけを見ていて欲しかった。
けども、もう隠し切れないや。
はぁ、何行ってるんだろ。こんな事言っても仕方ないのになあ。
自分で自分の事を納得できたのは自覚してるけれども、ちょっと人に言うのはまだ抵抗を感じている。
「今もそうなのかな?」
「ううん、今は違うよ。凄い幸せだと思ってる」
昔は散々だったけれど、今はエミリアが居てくれる。
本当、この人がパートナーで良かったと心から思うよ。
あたしにはもったいなさ過ぎる。
「二人とも目覚めたか、儀式は完了したようだな」
私とエミリアの話にひと段落がついた事を見越したデウスマギア様が、こちらへとゆっくり歩いてくる。
「では最後、ぬしらに渡すものがある」
そういうと、今まで手に握っていた銀製の剣をエミリアへと手渡す。
何だかぼろぼろだし、剣身が折れるみたいだし、どうしてこんな物を渡すのだろう?
「デウスマギア様、これは?」
「ラプラタから預かっていた、最近地上で発掘されたかつて天使が扱っていた武器の一部らしい。修復すれば使えそうだが、どうするかは任せる」
しかしエミリアにはその物の正体が解ったらしく、神妙な面持ちのまま折れた剣を受け取った。
エミリアに武器を渡すと、今度はあたしの方へと歩いていき、あたしが装備している手甲に手をかざす。
「何をするのです……?」
「時のルーンをぬしの手甲へと付与した。これで僅かだが時間を操作する事が出来るだろう。ただし他の元素、事象のルーンとは比べものにならない程エーテルを消耗する。ここぞという時にのみ使え」
険しい表情のまま話が終わると同時に、デウスマギア様は手をそっと離し一つ大きく息を吐いた。
あれ、そういえば手甲って……?
ふと気になってしまう。どうして人間姿でいたはずなのに悪魔の時の手甲をつけているのだろうと。
あたしは何気なく視線を下へと向け、自分の姿を見る。
うわ、めっちゃお胸大きいよ!
今まで短いスカートだったのがロングドレスになってて、足の付け根まであるスリットあるし、ところどころ透けてるし、何このえっちい服!
どどどどういう事なの。
そんな慌てているあたしの様子を察したのか、エミリアはそっと手鏡を渡してくれる。あたしはさっそくその手鏡で自分の顔を覗き込むと……。
紫色の瞳、青白い口びる、角も何だか前より立派になってるし。
「な、なにこれ! どうなっちゃったのあたし! 儀式に失敗しちゃった……?」
「ラプラタ様から貰った悪魔の力の全てを解放した状態だね。儀式には成功しているから安心してね。とっても素敵だよ。ふふ」
やった。褒められたよ!
って違う違う。
う、うーん。これが本当にあたしなの……?
何だか前以上に面影がなくなっちゃってるような。
「さあラプラタの所へ戻るのだ。もうぬしらにする事は無い」
「は、はいい」
「はい。ありがとうございました」
あたしが驚こうが賢者はそんな事お構いなしの様子で言い放つと、あたしとエミリアは一言お礼をいいつつも、家から出て行く事にした。




