第五十六話 最高最低コンビの衝突 ~暗澹の悪魔と燦爛の天使~
「こ、これは……?」
気がつくと、その場から後ずさりをしていた。
黒い輝きで全身を満たした私の大切な人は、普段の変身とは全く異なる悪魔の姿に変化していたのだ。
いつもの悪魔化の姿よりも立派な角と翼を持ち、尻尾が生え、今までの服装とは違いスリットが深々と入ったロングスカートのドレスを身に纏う。真紫に染まった虹彩は見てしまうだけで寒気が止まらない。
「あなた、生意気よ」
それは今までのアイリスやかつてのシュウとも異なる口調だった。
冷たく青白いくちびるを動かし、悪魔は私の方へ手の平を向ける。
「火と水と暴走のルーンを組み合わせ、上級刻印術、スチームバーストバスター発動」
気がつくと私は何かに全身を打ち付けられ、後ろへと大きく吹き飛ばされていた。
強すぎる衝撃に一切あがなう事が出来ずに背面にあった壁に全身をぶつけてしまう。
「全てを解ったような口ぶり、何もかも自分の手の平にあるとでも思っているの?」
全身を襲う激痛に意識が削ぎ落とされそうになりながらも、辛うじてそれを繋ぎとめながら、再びシュウの方を見る。
すると彼女は、再びゆっくりと手の平をこちらへかざしてきた。
またさっきと同様の力が来る!
防がないと。
何も見えなかった、どんな攻撃が来るのかも予測できないほど速かった。
相手が攻撃してからでは間に合わない!
「地と風と螺旋のルーンを組み合わせ、上級刻印術、エンシェントストーム発動」
「黒魔術、エレメントアブソーブバリア!」
私が瞬時に発動させた魔術は、属性の力を吸収し自身の傷を癒す守りの術。
これならばシュウの攻撃を受け止めつつも、失った体力を回復する事も出来るはずだった。
「そんなの無駄よ。封印と反転、そして消失と送還の四つのルーンを組み合わせ、最上級刻印術、バニシングマルチプルシール発動」
そ、そんな。同時に四種のルーンを、しかも事象のルーン組み合わせた刻印術だなんて。
刻印術はルーンさえ刻む事が出来れば、精神集中や難しい詠唱が不要な、他の魔術と比較すれば発動だけなら難度は相当低い。
しかし、複数のルーンを組み合わせるとなれば各々の特性や性質、意味を理解しなければならない。
また、ルーンを刻む行為も実戦では大きな隙になってしまう為、私もやり方は知っているけれども使う事は無かった。
シュウの悪魔時に使える刻印術は、膨大な知識の制御を本能レベルで行える様にしたものであり、変身時に装備の一部として着用している手甲には刻印術に発動なルーンが予め刻まれている事から、実質ほぼ隙の無い状態から発動を可能としていると、ラプラタ様から聞いた事があった。
しかし、そんな悪魔化し刻印術をマスターしたシュウですら本人の話から察するに三種、しかも元素二種と事象一種の組み合わせが限界らしいのに、こうも簡単に事象四種の刻印術を扱ってくるなんて!
私は驚愕し恐怖した時、シュウの放った刻印術が私の魔術を分解していく。
わ、私じゃ勝てない……?
障壁は粉々に霧散し、事前に発動した攻撃系刻印術が私に直撃すると同時に、私の意識が完全に途切れてしまう。
「うう……」
全身が酷く痛む。指先を動かしただけで体が引き裂かれそう。
何これ、私が磔にされている……?
ああそうだ、私はもう一人のシュウに負けてしまったんだ。
正直死ぬ事を覚悟していた。けれどもまだ生きている?
どういう事なの。何故生かすの。何が目的なの?
「目覚めたみたいね」
思い瞼を開けると、そこには先程戦った悪魔の姿をしたシュウが腕を組みながら勝ち誇った笑顔でこちらを見ている。
私が目を覚ますまで待っていたという事?
「先程はごめんなさい。でもね、本当はあなたが来てくれて感謝しているの」
「どういう事……なの?」
言っている意味が良く解らない。
これから起こりうる状況を考えようとするが、全身の痛みと酷い疲労感で思考が上手くまとまらずにいる。
「あたしがあなたの体を奪って、何でも出来る美人で万人に愛されるエミリアになるの」
「そ、そんな!」
嘘でしょ?
私の体を奪うってそんな事……!
本当なら出来ない、ありえない事だ。しかし今この状況なら別である。
ここがシュウの精神世界で、私は精神のみを彼女の世界の中へ送り込んでいる。
私の精神が何らかの理由でここから出ることが出来ない、あるいは消滅してしまい。シュウの精神が元々の体ではなく私の体に行けば、私の体を乗っ取る事が出来るのだ。
「嬉しいよ。こんなどうしようもない自分を捨てて憧れていた人になれるんだから」
何故そこまで自分を否定するの?
あなたは本当は頑張りやさんで、何だって出来る人なのにどうしてそう簡単に自分を捨ててしまうの?
「どうしようも無くはないんだよ」
「何を言っているの? あなたなんかあたしの気持ちは解らない。何でも出来るあなたが、どうして何も出来ないあたしを理解出来ると思ったの?」
私は神様じゃないし、人の心を読む力も無い。
シュウが思うほど万能じゃないからこそ、もっと理解したい。解りたいと思ってきたのに!
「あなたの体を貰うよ。ありがとう、エミリア」
悪魔化したシュウは、今までとは違う優しさに満ちた笑顔を見せると、ゆっくりとこちらへと近寄ってくる。
もう目を覚まさないというの?
どうして諦めちゃうの?
このままで本当にいいの?
私がどんなに願っても、悪魔化したシュウが私に触れると意識は薄れていき、まるで自分が透けて無くなっていくような軽く冷たい感覚が全身を覆っていく。
「あなたにはやらなければいけない事がある。ここで力尽き果てるわけにはいかない」
真っ暗な頭の中に、私の記憶を取り戻した時に現れた金髪の少女が、悲しそうな顔のまま語りかけてくる。
私はその少女の語った言葉の意味を思い出し、シュウの闇と言う暗い海へ取り込まれようとしていた自身を取り戻していくと同時に、あるキーワードを無意識のうちに口にする。
「燦爛なる創造主の栄光」
自分でも知らない言葉を解き放ち終える。
私ははっとなり、切れかけの意識を繋ぎ合わせ言葉の意味と言った後の結果を理解しようとした時、今までに感じないほど、全身がぞくぞくと震えるほどの異様な高揚感と膨大な眩い光に包まれていく。
そして私は確信した。
シュウがより強力な悪魔へと変身出来た様に、私も本来の力を十分に発揮出来る状態になったのだと。
これなら勝てる。シュウの悪夢を打ち破り、私の大切な人を救う事が出来る!
「あなたの悪夢を終わらせるよ。今助けるからね」
もう何も怖くない。恐れない。
今まで無い程、自分でも驚くくらい研ぎ澄まされた精神と強い意志は、迷いの果てに弱さにその身を委ねてしまったパートナーを救う大いなる願望へと昇華していくのが自覚出来るほどだった。
「闇と束縛と成長のルーンを組み合わせ、上級刻印術、アビスルート発動」
シュウの刻印術発動後、足元から鈍く輝く黒い光の帯が伸びていき、私を絡めとろうとしてくる。
少し前ならなす術が無かったであろう攻撃も、精神を集中させ両手を勢いよく広げると同時に黒い光は灰になり、私を磔にしていた糸も消えてしまう。
「どうしてあたしに体をくれないの? あたしはより完璧なあたしになりたいだけなのに」
違うんだよ。
たとえ私の体を手に入れたって、あなたの心の闇が晴れることなんて無い。
最初は満足するだろうけど、また別の足りない何かを見つけて再びは心は飢えてしまう。
だから……。
「あなたはもっと自分自身を信じなさい。そして、あなたが完璧だと思っている私が信じているのだから、もっと胸を張りなさい」
私は何も無い空間に両手を広げ重ね合わせる。すると今まで使っていた杖とはまた違う意匠の、先端がまるで翼を広げた天使のような飾りがついた杖が現れる。
「汝、暗澹なる深層を聖なる主の光の煌めきで照らさん。セイント・ピュアネス・エンブレイス」
その杖を握り締め、二度ほど回転させながら詠唱を完遂させると同時に、先をシュウの方へと向ける。杖から目が眩むほどの眩い光が溢れ、私のパートナーはその光に包まれていく。




