第五十五話 鈍色ハートに伝われ、輝く思い
私は意識を取り戻し、再び目をあけるとそこはもう一人の自分がいた世界ではなく、元の世界である事に気がつく。
「よく戻ってきた」
デウスマギア様は、目覚めた事が解るとこちらへ近寄り私の顔をじっと見つめる。
「どうやら本当の自分を取り戻したようだな」
そう、私は今までの私とは違う。
今なら全ての事が解るし、思い出す事だって出来る。
でも今はそれよりも……。
「シュウは? シュウはどうですか?」
「まだ目覚めておらん。もうしばらくかかるかもしれぬ」
ふと別の祭壇で横になっているシュウの方に視線を向ける。
まるで死んだように眠っている。デウスマギア様の言うとおり、まだ儀式の途中なのかもしれない。
けれど、なんだろうこの気持ち。
「妙な胸騒ぎがするのです。シュウに何か悪いことがおきているような気がして」
どうしてだろう、何でこんなに落ち着かないの?
私は、不安で一杯になる胸を利き手で強く抑える。
「他の者の干渉は出来る。だが本人の力だけで乗り切るこそ意義があると思っている」
賢者様は表情を変えないまま、淡々とこちらに語りかけてくる。
確かにその通りだと思う、最後の選択するのは自分自身なのだから。
でも……。
「様子を見るだけです。本当に危ないと感じない限り手を出しません。だから……」
やっぱり放っておけない。
デウスマギア様はこの儀式に失敗すれば死ぬと言っていた。
そんな事だけはさせない。私の騎士は私が守る。
今回の自分を見つめる為の試練に失敗しても、生きていればまた機会があるし、強くなるのが目的だったら他にも手段はあるはず。
だから、せめて私の大切な人の命だけは!
「ふむ。相変わらず強情な娘だ。では銅騎士の横に寝るのだ。そして手を繋げ」
首を横に振り、鼻で大きくため息をつくと私をシュウの隣に寝かすように伝える。
シュウやラプラタ様にも思われてるのは解ってるけど、私ってそんなに頑固で強情なのかな。
これって決めたらやり通すって思ってるだけなのに。
私はそう思いつつ、シュウが寝ている祭壇へ座ると、体を横にし目を閉じる。
目を閉じて視界が真っ暗になって間も無く、再び全身が空へと引っ張られる感覚が蘇ってくる。
「ここは……、どういう事なの?」
再び意識を取り戻した私は、その場の光景にただ戸惑ってしまう。
床や壁は全てどす黒いドロドロとした液体がへばりついており、私は思わず足をとられてしまいそうになるが、何とか踏ん張りこけないようにする。
ただならぬ雰囲気は、私の中に漠然とあった不安をより大きく、確かなものへとしていった。
なるべく早めにシュウと合流しないと。
歩きにくい中、何とか先へと進んでいく。
ここで止まっていても何も始まらない、シュウを探さないと。
四苦八苦しながらも歩いている最中、粘着質の液体に思わず足元をすくわれ、倒れそうになってしまう。
このままでは全身がこの不快な液体に浸かってしまう。それだけは防ごうと手を地面についた瞬間。
「どうせあたしは誰からも愛されていない。必要とされていない」
視界が真っ暗になると間も無く、私の大事な騎士の声が頭の中へと流れ込む。
その声にいつもの明るさは無く、まるでこの黒い液体に触れている事と同様の不快感を受けてしまう。
「誰もあたしの事なんて解ってくれない」
声が聞こえる原因はこの謎の物質に触れる事で聞こえているであろう事を察知し、すかさず体勢を整え立ち上がる。
黒い液体が手から離れると、予想通りその声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
シュウはずっとこんな事を思っていたのだろうか。
でも、私と一緒にいる時はそんな様子は無かった。
じゃあ何故、どうしてそんな事を思うのか?
私は苦労しながらも前進を続けてる最中、シュウの内面がこんな有様になった理由を考えた。
この謎の物質と、あのネガティブな発言に何らかの関係があるはず。
ここは彼女の内面の世界。それがこんな有様になっているという事は……。
任務が上手く行かないから?
どん色騎士だって馬鹿にされているから?
ううん、それだけでここまで荒むとも思えない。
ならば他に何かあるのだろうか。
他に……、他……。
様々な考察と思考の末に導き出した結論。
それにたどり着くと同時に、私は胸が焼けるほど悔しくなり、思わず拳をぐっと握ってしまう。
私はシュウの過去を知らない。
それが私の考えて至った結論だった。
騎士の彼女に出会って、そしてパートナーとして側に居続けた。他愛も無い会話を含めれば、シュウと話した時間は数え切れないほどだと思っている。
しかし、シュウは私に自分の過去を話した事が一度も無かった。
厳密に言えば、騎士になってからの話は聞いた事があるけれども、それ以前の事を私は全く知らないのである。
「……ちいいでしょう? ……が良くしてあげる」
「……ぁ、……リ……、凄く……」
何故もっと彼女の事を理解しようとしなかったのか。
どうして過去を話さない事を察知出来なかったのか。
後悔に苛まれている時、聞き覚えのある声が遠くから聞こえてくる。この場所のせいなのか、まだ遠いのか、所々でしか聞こえず何をしているのかも良く解らない。
でもこの声は間違いない、私の騎士であり最も大切な人であるシュウの声だ。
声質は同じだけど、二人分の声がすると言う事は、私の時と同様にもう一人の自分と対峙しているのだろうか?
けれども、何だか様子がおかしい。
私は声がした方向へとなるべく急いで向かう事にする。
「え、何これ……?」
そこで繰り広げられている光景に、思わず息を飲んだ。
人間のままの姿の私の騎士がいるけれど、真っ黒な蜘蛛糸のようなもので壁にはりつけられ、悪魔姿のシュウは抵抗出来ない人間の姿のもう一人の自分と深い口づけをしながら、体中を触れるか触れないかの強さで撫で回し続けている。
「な、なにをしているの!」
「折角、シュウちゃんを慰めていたのに」
私の声に気がついた悪魔のシュウは、もう一人の自分との甘いひと時を中断し、名残惜しそうな顔でこちらを振り向く。
「あなたがエミリアね。初めまして、あたしはアイリス」
言っている意味がよく解らなかった。
悪魔姿になった私の騎士が半目のままおっとりと丸みのある、まるで別人のような口調でこちらへと話しかけてくる。
今までも悪魔に変身したからってあんな喋り方はしなかったのに。
まさか多重人格?
ううん、そんなそぶりや様子は無かった。それは有り得ないはず。
「あなたは、もう一人のシュウなの? それとも別の誰かなの?」
「アイリスはシュウちゃんであり、別の誰かなの」
駄目だ、考えても全く解らない。
やっぱり私が知らないだけで、潜在的にもう一つの人格があるというの?
私が離れている時にのみ目覚める、アイリスと言う少女がそれなの?
「何が目的なの? 慰めるってどういう事?」
「シュウちゃんを解っているのはあたしだけ。人間はみーんなシュウちゃんを裏切るから、悪魔のアイリスが一人ぼっちのシュウちゃんを助けるの」
私はアイリスと言う秘められた存在に戸惑いながらも、彼女の言葉を否定するように首を横へ二度ほど振った。
決してそんな事は無い。
ずっと私が一緒に居たのに。表面上は信頼しているように見せかけて、実は心から私を信じていなかったと言う事なの?
そしてみんな裏切るって言葉が妙に引っかかる。
一体、彼女の過去に何があったというの?
「そんな事は無い!」
「ふーん、他に誰かいるの? まさか自分だなんて言わないよね?」
「そうだよ、私がいる。私の大切な騎士だから」
私はずっと私のパートナーを信じてきて、それを体現してきたと思っている。
それだけは譲れない。そんな事を否定するなんて誰であっても許さない。
「ねえシュウちゃん、本当にあなたを事を理解してくれているのは、だあれ?」
「はぁ……はぁ……、アイリスだけ……だよ。あたしは、アイリスのもの……」
しかし、そんな私の堅い思いも、私の大切な人によって否定されてしまう。
何故、どうしてそういう事言うの?
「残念ね。折角ここまで来たのに無駄だったみたい」
私は思わず、アイリスと名乗るもう一人シュウから目を背けてしまう。
認めたくは無い。断じてそんな事は無い。
シュウは私の事が好きで、私もシュウの事が好きだ。
お互いに信じあって助け合って、ずっと一緒に居たいって思ってきたのに。
「自分以外の誰かが他の誰かを理解するなんて、そんなの幻想なの。さあエミリア、あなたもアイリスを受け入れなさい。自分に優しいのは、自分だけなのだから」
アイリスの口から発せられる声を聞くたびに、まるでぬるま湯に浸かっているような妙な心地よさを感じ始めるが、それと同時に今までとは違う違和感を抱いた事に気がつく。
私は戸惑いながらも頭の中を何とか整理し、そして長い間をおかずしてシュウの心に救う闇の正体がはっきりと明確になった瞬間、私の心中はぐつぐつとお湯が煮え滾るような熱い怒りで満たされていく。
「……ふざけないでよ」
「どういう事?」
「あなたのその言葉ではっきりとした。あなたは逃げているだけじゃない!」
シュウの心の闇の正体。
彼女自身、何らかしら過去に辛い出来事があった。それは一時的ではない、相当長い期間継続して続けられきた。それが具体的に何かは解らないけれど、その現実から逃げ出す為、自分を守る為に作られたもう一人の自分。ありのままの自身を無条件で受け入れてくれる存在なのだ。
「誰からも認められないから、自分で自分を慰めている。そんなの何の意味があるの?」
「意味……?」
「辛い事から目を背け、嫌な事から逃げて、自分が愛しくて傷つきたくないから、自分を守る為に生まれたシュウの心の闇があなたなのよ!」
本当に信じていた私のパートナーの心にそんなものが巣食っていたなんて。
その存在そのものも勿論だけれど、それ以上に気づけなかった自分が情けない。腹立たしい。
何が輝色の魔術師だ、何が大切なパートナーだ、何がランク一だ。
大切な人の苦しみも解らずにいた、気づいてあげられなかったじゃないか!
知っていれば、こんな事にならずに済んだかもしれないのに。
「ねえシュウ、目を覚ましてよ! 逃げないでお願いだから!」
「無駄よ、あなたの声は届かない」
気づいてしまったからこそ、ますます私は逃げられないし、逃げてはいけない。
私が必ずシュウを取り戻す。
「私だよ。エミリアだよ? あなたのパートナーだよ? 迎えに来たよ。戻ろう、ね?」
「無駄だっていってるじゃない。シュウちゃんは、アイリスの声しか聞こえない」
私は叫びながら何度もシュウに呼びかけた。
もう一人のシュウであるアイリスは、嘲笑を交えながら私の行為を否定し続けるが、そんなのは関係ない。
何度も何度も、声が枯れても言い続けるよ。
「あなたは自分が思っているほど弱くは無いんだよ。自分の命を犠牲にしてまで私を助けてくれたじゃない。今までの任務だって、私を守ろうと頑張ってきたじゃない!」
そうだよ、もっと自分に自身を持って欲しいの。
私が見込んだ人なのだから、胸を張って欲しいの。
どん色騎士だなんて他から馬鹿にされていても、私はあなたの輝かしい本当の気持ちを知っているんだから!
「う、うう……」
そんな私の気持ちに答える様に、今まで磔にされていたシュウが苦しそうに目をあけてこちらへ顔を向けようとする。
いつもの純粋な目の輝きは無く、まだ表情はおぼろげだが僅かな反応を返してくれたパートナーに期待と希望を抱く。
「ふーん、シュウちゃん浮気は駄目よ?」
「う、うわあああああああ!」
「シュウ!」
その事に気がついたアイリスは、シュウに抱きつき今まで以上に深い口づけをすると、自身を床や壁面を覆っていたドロドロの液体と同じ物質へと変化させ、シュウの体へと入っていく。
今までに無い程、苦しみ叫びもがきながら、液状になったアイリスはみるみるとシュウへと入り込む。
私は急いで阻止しようと駆け寄るが、僅かな時間でアイリスは完全にもう一人の自分の体と一体化してしまった。
「黒檀なる悪夢の解禁」
今までに聞いた事の無い解放の言葉を、虚ろな表情のまま口ずさむ。
すると、今までシュウを拘束していた蜘蛛糸がぷつりと切れていき、いつもの変身の時よりも多くの黒い光が私の騎士の体を包み込んでいく。




