第五十四話 心の光 ~燦爛たる思いの始まり~
「ごめんなさい。私のせいでこんなに悲しい思いをさせてしまって……」
祭壇で横になり、空へと引っ張られる感覚の後、気を失ってしまった。
私は聞きなれた声に気づき、目を覚まし周囲を見回す。
そこは雨が降っており、どこかの廃墟なのだろうか。崩落した家や、何かによってえぐられた跡のある畑が視界に入る。
別の方向には、先程の声の主であろう天使の姿があった。
栗色の腰まである長い髪に、今は汚れて元々の白さが半減しているホルターネックのドレス、光り輝く白い翼。
それは紛れも無く、地上に人間として生を受ける前の私だ。
私の姿は見えないらしく、天使はこちらを一切振り向こうともしない。
デウスマギア様の儀式、己を知ると言う事は過去の自分や深層心理に眠る本来の自分と、今の自分を見つめさせると言う事を予想していたけれど、まさにその通りだった。
だからこそ思い出せずにいた私の記憶も、これで全て蘇ると思っていた。
しかし天使の抱きかかえている何かだけ、霧がかかったように白くなってよく見えない。
私の予想が外れたの?
それとも、儀式以外にも記憶を戻す鍵となる何かがあるのかな。
このまま見続ければ何か新たな発見があるのかもしれない。
こちらに気づかないと言う事は、恐らくこれは現実ではなく幻の類だと思い、私は抵抗せず落ち着いてその場の成り行きを見守る事にする。
私の目の前で繰り広げられている自身の過去は、次々と場面を変えていく。
何も無い平原に居たり、不思議な力を持った人と旅を一緒にしたり、強大な敵と対峙し戦ったりと、幻影は私の記憶の古い順番から映していく。
しかし、どれもある一部分だけが白くもやもやとしていて見えずにいた。
私は何度も考えた。
過去の記憶を見つめながら、ずっとそこには何があったのか、誰が居たのかを考え抜いた。
それでも、思い出せずに悶々としている時。
風景は流れ、ある場面で加速を止める。
「あなたは全ての破壊を望んだ、だから私が生まれた、私は秩序も法も自由も平等も命も思いも……、壊せるモノは何でも壊す。そうね、全てを破壊しつくし万物の滅びを祈る者と言うべきなのかしら?」
髪色、髪型や体形は昔の私と同じだけど、着ているドレスは対となる黒を基調としており、その表情に暖かさと穏やかさは無い。
その存在を見た私は、酷く胸が痛む。
間違いない、もう一人の私だ。
過去の自分は、人間にだまされ酷い仕打ちを受けてしまう。
その出来事がきっかけで生まれたもう一人の自分、自身の憎悪の化身とも言える者が目覚め、現世へと解き放ってしまった。
最終的な結果として、一緒に居た仲間の天使の力を借りて自分の影を受け入れる事が出来たのだけれども……。
ま、まさか!
「流石は私。察しが早いわね」
今まで幻だと思っていた映像が急に止まると、デストラクターと自称したもう一人の私だけが切り取られたかのように動き出し、こちらを不敵な笑みのまま話しかけてくる。
「つまりあなたに打ち勝てば、自分に勝つという事になって記憶が全て元に戻る。すなわち、自分を知る事が出来るってわけだよね」
「そう。まさか私が再びこんな形で自我を取り戻すなんてね」
私は全てを悟り、かぶっていた帽子を空へと投げると、帽子はくるくると回転した後に銀製の杖へと一瞬で変化する。
聞き手で空から落ちてくる杖を受け取ると、目を閉じて精神を集中していく。
「天上なる神性の目覚め」
気持ちが落ち着き、感覚が研ぎ澄まされた私は自身に眠る力を解き放つ為の言葉を口にする。
相手はかつての私ですら苦戦した存在、人間のままでは到底対抗出来るわけが無い。天使になっても正直勝算は限りなく低い。だからこそ、せめて変身しなければ。
全身は眩い光に包まれ、私は神聖なる存在に変身する……はずだった。
「な、なぜ変身出来ないの?」
言葉は間違っていなかったはず。
それなのに、私の体は人間の時のまま。
変身の為のキーワードを言ったはずなのに、まるで何事もなかったかのように反応が無い。
どうして?
「天使としての力と記憶の一部は私の手にあるの。だからあなたは変身する事が出来ない」
自分自身、思ったよりも動揺せず気持ちが落ち着いたままなのは、この状況が全く予想出来なかった訳では無いからと言うのもあるけれども。
「なるほどね。まあ変身出来ても出来なくても、私がする事はただ一つ」
私は景色の一部である、人が座れるくらいの大きさの岩の上へ腰掛ける。
帽子から変化した杖を抱きかかえ、もう一人の私へとそっと微笑みかけた。
「どういうつもり? 私を力ずくでねじ伏せて記憶を手に入れようとしないの?」
「こんな機会、そうは無いと思うから。あなたとゆっくり話がしたいの」
デウスマギア様の儀式の本質を理解した時、私は心の中で決めていた。
私の本当の目的、思いはもう一人の自分と語り合う事だ。
もしも自分が予想している通り、もう一人の自分に打ち勝つ事が目的ならば、戦うのでは話し合ってみようと。
それでも駄目なら、争いはそれからでも遅くないと思っていた。
「あなたは私が天使だった頃の記憶を管理している。けれども、私が人間だった頃の記憶に欠落は無いから、エミリアとしての記憶は私が持っている」
正直なところ、天使の力が使えなければ、もう一人の自分には実力で勝てないと思う。
私の断片的な記憶が正しければ、デストラクターと自称した私は普通の天使以上の力を持っている。
「だから、話して交換しましょう。解り合う方法が争うだけじゃないと、私は思ってるよ」
どこまで人間である私の記憶や思いを知っているか気になるけれども、多分私が太刀打ち出来ない事も話し合いで解決しようとしている事もばれていると思う、だって私だからね。
「ふふ。いいわ、話しましょう」
今までの邪悪で氷の様に冷たい微笑みが、まるで日なたの熱で溶かされたように穏やかになっていく。よかった、これで戦わずに済みそう。
こうして私は、もう一人の私をお互いを知る為に会話する。
最初はお互いにぎこちなくて、話題を振ってきても一言二言しか返事が来なかった。けれども話を進めるうちに、私はもう一人の自分の事をもっと知りたくなって、もう一人の私も自分の事が知りたいのか、やがて積極的な意見交換と記憶の共有がされていく。
そして話がはずんできた時、私は核心に迫る。
ずっと気になっていた。あの事を聞く為に。
「私の側にいた天使の事について教えて欲しいの。そこだけどうしても思い出せなくて」
私は、もう一人の私に今回の目的である、謎の天使について聞き出す。
もう一人の私は、何ら警戒する事もなく笑顔のまま、ゆっくりと口を開く。
「その記憶も私が持っているわ。教えてあげる。天使の名前は――」
これでようやく記憶の全てを取り戻すことが出来る。
そう確信し、全てを受け入れようとした瞬間。
「な、何!? どういう事?」
「ウ、ウヴォオオオオオオオ!」
今まで穏やかに話していたもう一人の自分は、まるで獣のような声を発しながら胸を掻き毟り酷く苦しみだす。
いきなりの言動に驚き戸惑う中、デストラクターの体はゆっくりと霧状になり周囲に散って無くなってしまった。
何故もう一人の自分がこんな事になってしまったのか?
今までは何もおかしなそぶりは無かったのに、どうして?
私の側にいたであろう天使の正体を聞こうとした瞬間、それが明かされようとした時におかしくなってしまった。
つまり忘れていたのではなく、思い出させないように予め何かされていた……?
例えば封印とかそういう類の力。
「どうして真実を知りたいの?」
現状の分析に努めようとした時、今までもう一人の私がいた場所には、今まで見たことも無い少女が立っている。
色白で白いワンピースを着ており、さらさらとなびくセミロングの金髪から察するにあの子も天使なのかもしれない。
「あ、あなたは?」
私はその少女に問いかける。
彼女は一体何者なのだろうか、今までのもう一人の私はどうなってしまったのか。
予想外かつ理解出来ない物事を、一つずつ解決しないと。
「知る事は簡単だよ。でもそれが良い結果になるとは限らないのに、どうして?」
しかし少女は私の問いを無視し、さらに自身の質問を続けてくる。
そんな彼女の言葉で、この少女は私の記憶を思い出させないようにしている何かの正体なのだろうと言う事が何と無く察知出来た。
「知りたいではなく、知らなければならない。私が私であるためにね。そして力が欲しいの」
そうだ、私は自分を知らないといけない。
私の記憶が完全に戻れば、私が転生する以前の天使の力を引き出す事も可能なはず。
破滅の女神に対抗するには、せめて昔の私の力が出せるようにしておかないと。
自身の興味や好奇心も正直あるけれど、この世界や私の騎士を守る為には力が必要なの。
「そう、じゃあ教えてあげるよ。でもね、私は知らないまま、あなたに平穏な日々を送って欲しかった」
少女は寂しげな表情をすると、眩い光の塊となって私の胸の中へと入る。
その直後、体が軽くなり意識はゆっくりと消えて無くなっていく。




