第五話 にびいろ・ぷらいど
「ほ、本当にここであっているのかなあ?」
あたしの目の前には、とて近寄りがたい光景が広がっている。
怪しい色の霧で先が見えず、地面がそこから紫色に変色して、なんか普段みない奇妙な形をした植物が生えている。
ここに入らなければならないのかと思うと背筋が寒くなってしまうけど、それでも、いかなければならないんだ。ここにラプラタ様の言っていた薬草があるのなら、かならず手に入れて、エミリアを救うんだ!
一度、大きく深呼吸をして新鮮な空気で体内を満たした後、毒素を中和する薬を一粒飲み込むと、保護用の眼鏡をかけ、深い霧の中へ意を決して入っていく。
「おええ、へんなにおい……」
思わず手をあてて霧を吸い込まないようにするが無駄な抵抗だった。なんだか胸の内からこみ上げてくるものがあるのはきっと気のせいじゃないよね。
それにしても予想以上に酷い。
食べ物が腐った酸っぱい臭いとか、汗かいたまま掃除せずに放置した鎧の臭いとか、この世の嫌な臭いを混ぜたような、薬を飲んでいるから多分大丈夫だと思うけれども、あまり長くいたら鼻がおかしくなりそうだから早めに見つけないと。
ここで立ち止まっていても、エミリアがなおるわけじゃないんだ。
あたしは目的を思い出し、臭気に耐えながらさらに歩みを進める事にした。
「ここは歩きにくいなあ、足元がぬかるんでるう」
足を踏み込むたびにぬるりと滑り、靴底が沈んでいる気がする。
あたしはさり気なく、地面の緩さを確認するために下を向く。
「ひいい! なにこの虫! いやああ!」
なんか足がいっぱいあって変な色のしましまな虫がブーツにくっついてるううう!
しかも足振ってもとれないよ、うわあ!
あ、危ない。こけそうだった。こんな所でこけたら大変な事になっちゃう。
もういやあ……、ううう。
で、でも諦めちゃいけない。エミリアは死にそうになっているのに、あたしがこんな事で嫌がっている場合じゃないんだ!
変な寒気を感じながらも剣を鞘から抜き、剣先で虫をなんとか払うと、虫は足をもぞもぞと細かく動かしながら、あたしから逃げていった。その様子を確認し、全身を手で触ったり見たりして他に虫がついていない事を確認し、再び奥へと進む。
それにしても、奥へ行けば行くほど視界がどんどん悪くなっていく気がする。
ぬかるんでいる場所は過ぎて、歩きやすくはなったけれども、とても薬草っぽいものなんてないし、臭いも気持ち悪いだけだったのが息を吸う度、刺す様に痛むし、本当にここであってるのかな。
ん?
後ろから何か足音が聞こえるけれども。
あたしはその足音の正体を確認するために、何気なく後ろを振り向く。
「いやああ! なにこれどういうことー!」
後ろから変な生き物があたしを追いかけてきた!
あたしも全力で走り出し、捕まらないように逃げるけども。
あれはなんなの!
牛?
馬?
猪?
わけわかんないよ!
そもそもなんでこんな毒々しい場所にいるのおお!
どんな生き物かは解らないけれども、きっと捕まったら酷い目にあうのは間違いない。
で、でも軽めの装備でよかった。ラプラタ様が事前に、重い鎧は着ていかないほうがいいって言ってたけれどもこの事だったのかな?
ってそんな事考えている場合じゃない。それよりも何とか逃げきらないと。ひー。
「ぜぇ、ぜぇ。どうしていったい……」
あたしはなんとか怪しい獣から逃げ切る事に成功する。我ながらこんなに足速かったっけ?
ともかく助かった。死ぬかと思った。
全力で走ったため息苦しさを感じたあたしは、大きく背伸びをして、なるべく上空の空気を吸おうと顔をあげた時、周囲の景色を見る。
あれ、ここどこだろ?
うーん、なんとなくかもしれなけど、嫌な臭いしないし。
今まではもやもやで少し先も見えなかったけれど、妙にここだけ遠くまで見える気がしなくもない。
何か呼吸がちょっとだけ楽かも?
「あれ、なんだろ?」
ふと目を遠くにやると、ラプラタ様が図鑑で見せてくれた植物と似たような草が生えていた。あたしはメモ代わりに貰ってきた絵と実際に生えている草を何度も見比べる。
「やったあ! これだー!」
ついに見つけた!
間違いない、探していた薬草だ!
よかったあ、これでエミリアを治すことが出来るよー。
あたしは、嬉しさのあまり一人で踊ってしまうがすぐ我に返り踊るのを止める、そしてエミリアの事を思い出すと急いでその薬草を採取しその場から出ようとした。
「あ、あれ? 出口どっちだっけ?」
なんてこったい、帰り道がわからない。
どうしようどうしよう、このままじゃラプラタ様に薬草を渡すどころか、あたしが野垂れ死にしちゃうよう。
その前に薬がきれて、中毒になっちゃいそうかも。
どっちにしても、ここで死んじゃったら、さっきおっかけられた変な生き物や、きもちわるい虫のえさになっちゃうのかな……。
ひー、絶対無理!
エミリアのためにも、あたしのためにも何とかしてでないと!
でも、どうしよう。全然解らないよう。
「うん? なんだろ、あれ」
どうにか出口は無いかと立ち往生しつつも周囲を見ていた時、空の方に何やら影のようものを見つける。その影はだんだんと大きくなっていって、こっちへ向かってきている!?
な、なにがくるのー!
どうにかしないと、なんとかしないと、いそいそ……。
あたしがどうしようか迷っている事もお構い無しに、影は毒霧の中からこちらへ飛来し、目の前に降り立つと同時にあたしを紫色の眼で睨み、大きな口で語りかけてくる。
「う、うそお。そんな」
「誰かと思えば、人間がここへくるとは。我の存在を知らぬ愚か者よ」
自分の体の十倍以上の大きさはあろうその存在は、あたしをまるで威嚇するかのように背中に生えた一対の翼を羽ばたかせながら、体から噴き出している毒素を周囲にばらまく。
な、なんなのこれ。
ど、どうみても、ど、ど、ドラゴンだよね?
「む、その草は。おのれ下等な生物よ! 我の食事を奪う気か!」
ひー!
うそでしょおお!
これドラゴンのごはんだったのー!?
ひゃあ、すごい怒ってる、ドラゴンなんて勝てるわけないようううう!
逃げれそうにないし。と、とりあえず剣を抜いて、相手の攻撃に備えないと、だけどもあたしの剣術が到底きくような相手じゃないよ!
そもそもあんな怪しげな液体まみれの皮膚に攻撃したら、剣がどうにかなっちゃいそうかも。
う、うわあっ。
「恐怖を感じて逃げられずにいたか、この腰抜けめ」
「ぐぐっ、くるしい」
どうするか行動を躊躇っているうちに、ドラゴンの足で踏まれ身動きがとれなくなってしまう。
あたしは全力で脱出を試みようとするが、まるでびくともしない。しかもじわじわと体重をかけているらしく、だんだん重くなっていく。
い、痛い。こ、このままじゃ潰されちゃう……。
「今すぐその草を手放し、ここから立ち去れ!」
「い、いやあ」
エミリアを救うためにはこの薬草が必要なんだ、絶対に手放さない、いやああ!
「このまま踏み潰すのは容易い。だが無益な殺生は好まぬ、もう一度言おう。その草を手放し、今すぐここから立ち去れ」
い、痛い。苦しいよ。本当に潰れちゃいそうだよ。
あたし、ここで終わりなのかな?
で、でも、それでも諦めないんだ!
エミリアは、あたしが、す、救うんだ!
あの優しい笑顔をもう一度見るために、そして騎士としての最後になるであろう任務を遂行するために、あたしは諦める事ができなかった。
どうせこのまま手ぶらで帰るくらいなら、あたしなんてここで死んでもかわんないよね。
「い、いやだああ……」
「ならばこのまま死ねえ!」
「いやああああ!」
うう、も、もうだめかも。
意識が、遠くなっ……て、エミリア……、ごめ……んなさ……。




