第四十話 初めての前線へ
翌日。これから戦場になる峡谷へ到着すると、野営の準備を始める。
戦地へ行ってもいつも後方支援ばかりだから、こういう準備だけは手際がいい自分がちょっと悲しい。
それにしても、妙に人が少ないけれど大丈夫なのかな。
あたしとエミリアのペア、そしてシャーリンのペア、後はルナティックの兵士の人達あわせて数十人くらいしか居ないよ。
「ねえ、こんなに人少なくていいの?」
「うん。本当はもっと減らしたいけれども、ルナティックの人達が許してくれなかったからね」
エミリアの作戦は、エミリア自身が囮になって敵をおびき寄せて、敵が襲撃してきたら周囲に隠れている他の部隊が包囲してぼこぼこにするってものらしい。
でも、こんな断崖絶壁にはさまれている場所の周囲って、まさか崖から降りてくるの……?
「別働隊はルナティックの人達に任せてあるの。あの人達は厳しい修行で密林でも崖でも難なく進軍出来るからね。これから戦うユニオンの人達は元々移民で、水上や平地での戦いは得意だけどもこういう場所はあまり得意じゃないの」
そ、そうなんだ。
もしかしてそれを全部考えて作戦を立案したのかな?
うーん。でももしも苦手でも無理して崖から敵が来たら挟み撃ちになっちゃうよ?
ここは要所らしいし、本当に大丈夫なのかな。
「そんな不安がらないで、私の予想している範囲の事しか起きなかったらまず負けないし、怪我する人も限りなく少ないはずだから」
エミリアは、いつもの優しい笑顔を見せてくれる。
まず負けないって、あたしも言ってみたいなあ。どうせ言っても笑われるんだけどね。
「多分戦闘が始まるのは明日の明るくなってからだろうから、今日はルナティックの斥候部隊に任せてのんびりしていればいいと思う」
「う、うん」
野営の準備はあと少しで終わりそうで、それ以降は何の予定もないけれども、のんびりって言ったってここ前線だし、うーん。
あたしが迷いながらも準備が終わりそうな時にエミリアの言う通り、各々は自分の仕事が終わり手空きになるとルナティックの人達は昼寝をし始め、シャーリンは自分の武器であろう短い杖をまじまじと眺め、エミリアは座って持ってきた本を読み始める。
今まで戦ってきた経験から、今日は大丈夫って事をみんな解っているんだろうね。解らないのはあたしだけって事なんだよね!
うーん、それでも不安だし……。
あたしは腰に下げた剣身の長いほうを鞘から抜き、素振りをする事にした。
いきなり襲撃があっても対応できるし、体慣らしておかないと。
そして日が沈み、夜になっても何も起こる事も無く、夜明けを迎えようとしていた時。
「しっかり休めたかな?」
「う、うーん」
結局緊張してたせいで全然寝れなかった。素振りしすぎて腕ぱんぱんだし、強がって笑顔で大丈夫と答えたいけれども、そう言っていられないくらい調子は良くない。
「最初は緊張するものね。でも大丈夫だよ、直接戦うわけでもないから。私たちは囮で敵がきたら振り切らない程度に逃げればいいからね」
あたしが不安に感じている事と体調が良くない事を察知すると、エミリアはあたしの首元を両手で覆い、優しい言葉とともにじんわりと温かい感覚が全身に広がっていく。
「これで少しは楽になったかも」
エミリアは笑顔のまま手を離すと今までの疲労が嘘だったかのように、体が軽くて頭もすっきりしている事に気づく。
「おお、凄い! ありがとう!」
「ふふ」
体が楽になると今まで鬱々としていた気持ちも自然と消え、何だか頑張ろうって気分になる。
この任務もしっかりこなして、エミリアとあたし、無事風精の国に帰るんだ!
「エミリア殿、偵察部隊より敵集団発見との報告がありました。間も無くここへ来る様子。敵の総数はおおよそ五百」
「予想していたよりも多いですね。でも予測の範囲内です。作戦の変更はない事を別働隊に伝えてください」
「はっ」
伝令役と思われるルナティックの兵士が報告を終えると、再びどこかへと去っていく。
あたしの時は笑顔なのに、他の人と話す時はすごい真剣なエミリアの姿が、なんだかかっこよく見えてしまった。
そういえば、ラプラタ様も真剣な話とそうでない時とで全然雰囲気違うから、やっぱり出来る人はメリハリがしっかりついてるんだろうねえ。
「ラプラタ様からは駄目って言われているけど、死んじゃったら元も子も無いから、どうしても危ないと感じたらあれをしてね」
「う、うん」
逃げるだけだから、何もないはずなんだよね。だから変身する事も無いと思うけれども……。
大丈夫。ヘンタイ天使やっつけに行く時にいっぱい修行したから、人間のままでもあたしは強いはず!
「それでは、これより敵軍を引きつけつつ撤退します。急いで準備にかかって下さい。後方は私とシュウのペア、そしてシャーリンのペアで引き受けます」
え、それってたった四人って事?
四人で五百人相手!?
ひー、どどどどうしよう!
「シャーリンちゃん、お願いね」
「別にフロ姉ほどあんたの事は嫌ってないから安心して、逃げるのは気に入らないけれども仕事はちゃんとするわ」
あたしがどうしようか慌てている時、シャーリンはまるでいつもの出来事にように淡々と返事をする。悔しいけれどさすがはゴールドランク、慣れている……。
こうしてあたし達は、すぐに出立の準備を終えると馬で峡谷を脱出する。
本当だったらここで敵がエミリア目当てでしつこくおいかけてきて、隠れていた別働隊で包囲するはずだったけれども……。
「ねえ、エミリア」
「どうしたの? シャーリンちゃん」
馬で駆けている最中、シャーリンがエミリアに話しかけてくる。その顔はいつもの敵意や意地悪さではなく、何か不安そうな感じがする。どうしたんだろう?
「敵軍がついてきていないけども、どういう事?」
確かにシャーリンの言うとおり、背後から敵が来るはずなのに一向に姿が見えない。あたし達の逃げる速度が速すぎて振り切っちゃったのかな?
「うーん。そんな簡単に引っかかってくれないって事かな? 伏兵もばれているからもう無意味だね。シャーリンちゃん、待機していた側面の部隊に連絡。峡谷入り口で合流って伝えてきて」
「指図しないでよ! それくらい解ってるんだから。行ってくる」
「戻るときは相手にも解る様に、堂々とする事も伝えておいてね」
もしかして、エミリアが考えた作戦に引っかからずに峡谷の外で待っているって事なのかな。
てか作戦失敗しても皆平然としているし、何でそんな落ち着いているの。
「作戦失敗しちゃったけども、大丈夫?」
「うーん、予想はしてたからね。包囲するって作戦は確かに出来なくなったけれど、まだ開戦すらしていないし大丈夫だよ」
全く動じていない。それどころか笑顔だし。
ここまで肝が据わっているなんて。それとも、他にも何かいい作戦でもあるのかな?
結局あたしとエミリア、ルナティックの人達はいったん峡谷の入り口に戻り、別働隊と合流する事になった。
実は後ろからついていきているかもって思ったから、こっそり警戒を怠らずにしたけれども、何事も無く峡谷の外へと出ることができてしまった。
「敵は随分慎重みたいです。このまま待っていても峡谷には入ってこないでしょう」
「エミリア殿、ではこれからどうします? このままここで待ちますか?」
「いいえ、相手に考える時間を与えないようにしたいので、分かれていた部隊全てが合流した後、恐らく峡谷出口側で待ち構えているであろう敵陣に突撃し、突破した後反転して敵を包囲します」
質問に答えつつ、地図を広げて峡谷を抜けた先を指差しながらルナティックの幹部達と、そしてシャーリンのペアに変更した作戦の内容を説明する。
「はーい挙手挙手。それはちょっと強引じゃない?」
シャーリンが短い腕を伸ばした後に発言しだす。
喋った時の顔がいかにも偉そうなのがなんだか少しむっときてしまった。
「うん、確かに強引だと思う。けれどもあまり時間をかけたくないの。私たち連合軍がここに来た兵はおおよそ三百。数で劣っているから持久戦になったらまず負ける。勝つには奇襲か速攻か、どっちかだと思うの」
相手の態度も気にせず、エミリアはいつもの口調で返答する。
流石だね。ここでかっとならないのが凄いとこだよね。
てか、こっちの方が数少ないんだったら、同じ兵力にしちゃえばいいんだよね?
うふふー、我ながらいい事思いついたね。
たまにはちゃんと聞いておくのもいいかもだね。
よし、早速提案してみよう。
「こっちの方が不利だったら、数を同じにするとかで同等にすればいいとか……?」
「ばっかねえ、それが出来れば苦労しないのよ」
うぐぐ、却下されてしまった。
そうだよね。悲しいけれどもシャーリンの言うとおりかもしれない。
「うーん、それはありかも?」
あれ、エミリアは採用してくれるの?
てっきり却下されると思ってたから驚きだよ。
「じゃあどうするのさ。何かいい作戦でもあるわけ?」
シャーリンの少しイラついている態度も無視してエミリアは、自身の長い髪の毛を指でいじりながら熟考している。
まるで周りの声が聞こえていない。こんなに考え込む姿は初めてみるかも。
「ねえ、聞いているの?」
「え? ああ、うん。作戦はあるよ」
本当に今まで聞こえていなかったのかもしれない。
真剣に作戦を考えていたのかもしれない、けど人数を減らす方法なんてあるのかな?
あたしにはさっぱりだ。
「作戦名は、汚名返上かな」
な、なにそれ!
どういう意味なんだろう……。
なんだか、嫌な予感がしなくもないけれども。




