第三十五話 天使と悪魔が交わった短き一夜
「どうですか、エミリアの具合は?」
「うーん、意識が戻ってからはずっと部屋で塞ぎこんでいるわ。私でも会ってくれないしどうしようかしら」
ヘンタイ天使をやっつけてエミリアを救出したあたしは、城の外で待っていたラプラタ様と合流し、変身の解き方を教えて貰った後に風精の国、宮廷魔術師長の執務室へと戻った。
元々エミリアは無理矢理天使の力を引き出されていた事と軽い催眠術にかけられていただけらしく、目立った外傷も無かったので数日間、自室で安静にしていたら目が覚めたけれども……。
目が覚めた直後に部屋から無理矢理追い出させてしまい、それからは扉は固く閉ざし、以降ずっと誰とも会っていない。
「こんな事、初めてね。余程の事があったのかもしれないわね」
まあ、確かにあのヘンタイ天使にあんな事されてちゃあ、ショックだよねえ。
さすがにラプラタ様にも報告出来ずに有耶無耶にしちゃったし。
「心の傷は、時間で解決するものかしら? 任務はしばらくいれないようにするから、ゆっくりと静養するといいわ」
「はい」
何だかいろいろありすぎて、あたしも疲れちゃった。
あれ、悪魔になっても疲れるものなんだ。
うーん、人間と大して変わんないかも?
変身しなきゃあたしが悪魔だって事、誰にも解らないみたいだからねえ。ラプラタ様に聞いてみたけど、人間の時と同じ生活でいいって言ってたし。
意外と変わったようで変わってないのかな、あれだけ悩んでいたのに取り越し苦労って奴だね。
でもこれなら騎士団やめなくてすむかも、よかった。
あたしは久しぶりに自室へと戻り、ベッドへ飛び込むと意味も無く足をばたばたとさせた後、天井をぼうっと見ながら考える。
もちろん、思い浮かぶ事はただひとつ。
「エミリア、大丈夫かな」
あたしに何か出来る事はないかな?
何とか励ましてあげたいなあ、でも会ってくれないし。無理矢理部屋に入るのもどうかと思うし、お手紙とか出したらどうだろ?
後はまたデートに誘ってみたり、他の仲のいい魔術師の人達にも相談してみたらいい解決方法教えてくれるかな、でも天使だって事はいえないし、うーん……。
はっ!
いけない、寝てたよ!
うわああああ、気がついたら夜になってる……。
「気になるし、会いにいって直接話そう」
あたしはゆっくりと上体を起こし頭を二回ほどかくと、自室から出ると寄り道をせずにエミリアの部屋へと向かった。
何気なく部屋の前まで来ちゃったけれども、扉の鍵開いていないんだろうなあ。
あれ、開いてる。どうしたんだろ。
お邪魔しまーすっと。うーん、部屋の中、明かりが全然ついてないや。
いつみても広いし綺麗な部屋だね。うんうん。
エミリアは寝室にいるのかな?
お、いた。
「エミリア、大丈夫?」
「入ってこないでって言ったよね。どうして来たの?」
エミリアはあたしの方を向かず、突っ伏したまま返事をしてくる。その声に抑揚は無く、いつもの優しさは感じられない。
「だってずっと一人で悩んでるみたいだし、心配だよ」
「大きなお世話だよ。心配なんていらない」
確かにショックなんだろうけども、何だか酷い言いよう。
あたしが来てくれて嬉しい!
って言ってくれるなんて期待は、……正直ちょこっとあったけれども、こんな言い方ってあんまりだよ。
「何でそういう事いうの? ねえ、あたしの何が気に入らないの?」
あたしはうつ伏せになったまま冷たくあしらって来るエミリアの態度に少し腹が立ち、思わず声を張り上げて肩を掴み、体をひっくり返そうとした。
「うるさい! 全部よ! もうほっといて!」
あたしの手を振り解こうと、起き上がった拍子に、エミリアの顔が月明かりに照らされて明らかになる。
エミリアの表情は曇っており、瞳は軽く潤んでいた。
今まで見た事無い、エミリアの弱気な姿にあたしは多少面食らったけれども、再び声を張り上げて答える。
「嫌だ! ほっとかないもん!」
そうだよ、ほっとけないよ。
あたしのパートナーがこんなに苦しんで、悲しんでいるのに、無視できるわけ無いじゃない。
お節介でもいい、鬱陶しがられてもいい、ここは引いちゃ駄目なんだ。
「じゃあ私が出てくよ。さよなら」
「待ってよ!」
あたしは、部屋から出て行こうとするエミリアの腕を強引に掴み、引きとめる。
「触らないで、もううっとうしい!」
エミリアはあたしの手を振り解こうとするが、あたしはその手を離そうとしなかった。
ここで離したら、何だか本当にどこかあたしの知らない場所へ行っちゃいそうな、そんな気がするからだ。
「どうしてそんなにイライラしてるの? 教えてよ」
普段穏やかなエミリアが、どうしてここまでムキになっているのだろう。
それ程、何か大きな悩みがあるのかな。
「私はあの不審者、ルシフェルの生まれ変わりと自称している天使に操られていた。でも意識はあった。だから私が何をして、どんな事をされたかも知っている」
う、それって。もしかして、あのヘンタイ天使にされた事も全部覚えているって事だよね……。
「……シュウが人間から悪魔になったの、ラプラタ様から聞いたよ。私って最低だよね。シュウの命を奪って、私を取り返そうとしてくれた人を散々傷つけて苦しめて、私は好きでもない人にあんな恥ずかしい事いっぱいされて、しかも何も抵抗出来なかった!」
エミリアがここまで自分を責めていたなんて。
でもね違うんだよ。別にあたしがどうにかなったなんて気にしていないし、結果としてエミリアを救えたから良かったと思ってるんだよ。
「私の手も身も心も、何もかも全て汚れてしまった! 自殺だって考えたけど、自分で死ぬ勇気も無くって、本当にどうしようも無い、ここから消えて無くなりたいよ」
なんでそういう事いうの?
あたしの大事なエミリアなのに、折角頑張って取り返したエミリアなのに、また居なくなるなんて絶対に嫌だ。どうして自分でそんな事言っちゃうの?
何だか凄い悲しくなってきたし、イライラしてきたよ。むう。
「消えたいなんて言わないでよ! じゃああたしが頑張ってこんな体になってエミリア取り返したのも無駄だって言いたいの?」
「いっその事、私なんて見捨ててくれればよかった。そうすれば――」
エミリアの余りにも弱気で無責任な言葉に、怒りが頂点に達した時だった。
彼女の弱気な声を遮るようにぱちんと、甲高い音が暗い部屋に響く。
気がつくとあたしはエミリアの頬を引っ叩いていた。
じんじんと叩いた感触が手に残っていて、何だか凄い後味が悪くって、でも苦しんでいる大切な人からは目を背けちゃ駄目なんだ。逃げちゃ駄目なんだ。
「あたしのパートナーである魔術師エミリアは、どんな時でも優しい笑顔をしてくれて、いつも余裕があって、何でも出来て美人で巨乳で、もうとにかくぐうの音が出ない程の万能完璧超人なんだ! 弱音ばっかり吐いて悶々としているエミリアなんてエミリアじゃない!」
「それは押し付けだよ……、ううっ……」
怒りに任せて自分の思いをぶちまけちゃったよ、エミリアは泣き出しちゃったし。
確かにおしつけてたかもしれない、自分の理想像をエミリアに映してただけなのかもしれないよ。言い過ぎたね、ごめんね。
「あなたに、私の気持ちなんて解らない!」
でもね、エミリアはあたしの自慢なんだ。それは絶対に変わらない。
だからもうそんな弱い事言って欲しくない!
あたしにエミリアの気持ちは解らない。けれど、そんなにヘンタイ天使にされた事が嫌だったら!
「んんっ」
あたしはエミリアの顔を強引に掴み、涙で濡れたエミリアの瞳を強く見つめた後、自分の唇とエミリアの唇を無理矢理あわせて、ヘンタイ天使がしていた事と同じ事をする。
最初は何が何だか戸惑って反応が遅れたのか、何の抵抗も無かったけれども、僅かな時間の後にエミリアは力いっぱいあたしの手を振り解こうとしてきて、それにあわせてあたしも離れる。
「シュウ、な、なにをするの……!」
「あたしが染めなおしてあげる。エミリアの体も手も心だって、エミリアの全てを、あたしの色に染めてやるんだ」
振り解かれた手を少し見た後、泣いているエミリアの顔を直視しながらあたしは決意した。
今からする事は間違いかもしれない、傷ついたエミリアがさらに傷ついて、壊れてしまうかもしれない。
けれどもこの方法が、今のエミリアを救う唯一の方法だと、あたしは思ったから。
「深淵なる力の解放」
「シュウ、どういう事……?」
あたしは悪魔の姿へと変身する。
エミリアが正気を保ったまま、この姿を見せるのはこれが初めてだよね。
「ねえエミリア、悪魔になったあたしは嫌い? あなたは天使であたしは悪魔、だからもう離れ離れにならなきゃいけない?」
「そんな事あるわけないよ。シュウはシュウだよ。私のパートナーで、これからも私の騎士だよ」
ありがとうね、そう答えてくれると信じていたけれども凄い嬉しいよ。
あなたがパートナーで良かった。
「解放と変質のルーンを組み合わせ、刻印術、コンプルーションイマージ発動」
「な、これは!?」
そしてあたしの刻印術により、エミリアは天使の姿に無理矢理変化させる事に成功する。
自分でも気がつかずに天使へと変身してしまったエミリアの表情は、悲しみよりも困惑の色が強い。
「あたしはエミリアを愛している。もう絶対に離さないんだから。天使としても魔術師としても、エミリアの全てが欲しいの」
あたしは天使のエミリアを再びベッドへと押し倒し、そっと告げる。
凄いどきどきしている。
でも、あたしの大好きなエミリアがこんな近くにいる。もう誰にも邪魔されない。
……エミリアを、あたしのモノにしたい。
あたしはエミリアを欲し続けた。それに対し、最初は戸惑っていたエミリアもやがてあたしを受け入れ、次第にあたしを求めるようになった。それからはお互いの温もり、愛情を幾度も感じあい、体を交わらせて確認し続けた。
とても心地よい、こんなに気持ちいいなんて。
あたしとエミリアは、この長くも短い幸福な夜を共に過ごした。
翌朝。
一人では明らかに広いと思う、普段エミリアが寝ているベッドの上にはあたしがいて、そして穏やかな表情をエミリアが、あたしの隣で眠っている。
「朝だよ。ラプラタ様のところへ行こう」
このままエミリアの可愛い寝顔を見続けてもよかったけれども、エミリアが立ち直った事を伝えなければいけない、そして全てを聞かなければいけないんだ。
あたしはエミリアにそっと呼びかけると、あたしと夜を越えた人はゆっくりとまぶたを開け、今までに見せた事の無い、情愛に満ちた笑顔をあたしに見せてくれる。
「おはよう。いこっか」
夜が明けると同時に二人の変身は解けてお互いに生まれたままの姿だった為、それぞれ人間の時の格好に着替え終えると、手をぎゅっと強く握って執務室へと向かう。
「シュウ、ありがとね。愛してるよ」
「うん、あたしもエミリアの事、愛してる」
なんだろう、ますますエミリアが可愛くって仕方が無い。
あたしはそんなエミリアの言葉に我慢できず、夜の間に散々した深い口づけを再びする。
そんなあたしをエミリアは何も言わず、むしろ求めるかのように同じ様に答えてきた。
「続きは、ラプラタ様に真実を聞きにいった後だね」
そ、そうだ。イチャイチャしてる場合じゃないや。
ラプラタ様にいろいろと聞きたい事があるんだ。
あたしは我に返ると少し恥ずかしくなってしまい、よそよそしいそぶりを見せて誤魔化そうとしつつ、執務室へと歩みを進める。
その態度にエミリアは、にこにこと笑顔で見ているだけだった。
「立ち直ったみたいね。ああ、こういう時は、昨夜はお楽しみでしたねって言うべきかしら」
執務室へと入ると、ラプラタ様が意地悪そうな笑顔で茶化してくる。
な、ななな何で知ってるの!?
恥ずかしいよう!
「うわああああっ、しー! しー! 言っちゃだめですよおー!」
「シュウはとっても激しかったですよ。ふふ」
な、なんてことを笑顔で言っちゃてるの!?
エミリアまでからかってるし!
というか、エミリアは恥ずかしくないの!?
も、もうううううううう。ばかあーーー!
「さて、ここへ来たって事は、初夜の出来事の報告ではないよね」
「ええ、全ての真相を聞く為に来ました」
照れてる場合じゃないや。
ラプラタ様に聞きたいことが山ほどあるんだ。
「解ったわ、ここまで来たあなた達なら聞くべきだと思う。全てを話すわ」
今までの和やかな雰囲気は消え、宮廷魔術師長としても違う、また別の雰囲気が執務室内を支配し始める。




