第三十一話 砕かれる意思と魂
「やっぱり城の中に誰も居ない」
「……誘われてるね。私たち」
勇気を出してエミリアと一緒に入った敵の居城は、いくら手薄とはいえ何らかの抵抗があると思ってた。
けれども誰も来ないどころか、律儀にこっちへ来いといわんばかりに扉が開いている。
壁は磨かれた黒い石で出来ていて、何と無く模様が彫られているって事は解るんだけれど、先は全くの暗闇だし、照明となるのは青白いろうそくのみでそれが見える程度の明るさしかない。
「でも進むしかないよね」
エミリアの暖かい声が、この冷たい空間に響く。
そうだよね。たとえこれが罠であっても進むしかないんだよね。
あたしは何も言わずに一回だけ頷くと、いつもの天使のような笑顔、まあ天使なんだけども。それをあたしにしてくれた。
たくさんの殺風景な部屋を抜け、長い廊下を歩いていく。警戒はしているけれども、ずっと誰の気配も無い。
正直、本当に誰かが居るのか何度も疑ってしまうほど殺風景なんだよね。開いている扉を順番に進んで行ってるから、たぶん先にヘンタイ天使が待っているのかなーとは思うんだけれども、本当に大丈夫かな。そもそもこの城であってるのか不安になってきたよ。
道中、あたしもエミリアも何も喋らずに、手を繋ぎお互いの温もりを確認しあう。
ここまで何も無くって静かだと、なんだか喋った瞬間何か凄い嫌な事がおきてしまいそうで、妙な緊張感すら出てきちゃった。
「ついたね、この先から私と同じ気配を感じるよ」
あたしの目の前には今まで通ってきた扉とは異なる。身長の数倍はあるくらい大きい、薄暗く何と無くしか解らないけれども、翼の生えた女性のレリーフが施されているのかな。そんな扉が行く手を遮る。
確かに今までとは何と無く雰囲気が違う気がするかも?
じゃあ、この奥にあいつが……。
「中へ入りたまえ、我が愛しき存在よ」
そう思った時、あのヘンタイの声が扉の向こう側から聞こえた後に、扉は鈍い音を立てながらゆっくりと開いていく。あたしはエミリアと繋がれたこの手を絶対に離さないようにしつつ中へ入る。
「ようこそ私の城へ、魔界までよく来てくれた」
あたしに好きな天使の特徴を伝えた時や、城を襲った時と同様の笑顔を見せる。相変わらずの馴れ馴れしい態度と余裕なそぶりが腹立つ。むー。
「覚悟しなさい! このヘンタイめ!」
「アハァ、何を覚悟すればいいか解らないよ。お嬢ちゃん」
むうう、今度は手まで振ってる。ふざけているの?
イライラするなあ、あたしの事馬鹿にしないでよ!
「君には感謝しているんだよ。セラフィムをここまで護衛してくれたのだからね」
「護衛するのは間違いじゃないけども、あたしはあんたをぼっこぼこにする為に来たんだから!」
そうだよ、別にあんたの為じゃない。
あたしとエミリアの未来の為に、あなたを懲らしめるんだから。
あたしは短剣を鞘から抜き、切っ先をヘンタイに向け強く睨み返す。しかし相手の男はそれでもまだへらへらとした態度を変えない。
それどころか、表情は変えないまま大きくため息をつきはじめたし。
「やれやれ、君の意志とか考えなんてどうでもいいし、考慮にすら値しない事がまだ解らないのかい? 君は人間だから、人間同士仲良くしていればよい。私は天使だから、天使同士仲良くしようとしているのに、何が不服なんだい?」
まるでエミリアが自分のものであるかのように呆れながらあたしに言ってくれたけども、不服というかそもそもおかしいんだよ!
あんたこそエミリアの考えとか無視して、自分の考えばかり貫こうとしてるんじゃない。そりゃあ、エミリアは天使で、生まれ変わる前はあなたの恋人だったのかもしれないけれども、今はそんなの関係ない。だってエミリアはエミリアだもの。
「その顔は、今は人間の子だから前世の事なんて関係ないって顔だね?」
「あたしの考えを読むなー!」
「まあいいさ、君と話していても仕方がない。さてセラフィムよ、あなたは天使の力を自在に引き出し操れるようになった。そう思ってるのではないのかい?」
「ええ。この力で私の騎士を守り、そしてあなたを倒す」
持っていた銀製の杖先と自身の鋭い眼差しをヘンタイに向けて言い放つ。
やっぱり素敵だ、ぴしっと決まっている。同じ事あたしもさっきしたのに、こんなに差があるなんて悲しい気がするけれども、今はそんな事を考えている場合じゃないよね。
しかしその言葉を聞いた瞬間、ヘンタイは大きく笑い出しながらゆっくりと立ち上がり、何も無い所から瞬時に薄紫色の金属で出来た鈍器を出す。
「セラフィムよ。君は既に感づいているはずだ、私には勝てないのではないのかとね」
「そんな事ないもん! エミリアはあんたなんかに負けない!」
私に勝てないとか、どんだけ自信過剰なの。
本当にもう、腹立つ!
天使になったエミリアが、あんたと同じ力を手に入れたあたしのパートナーが、あんたごときに負けるわけないよ。
「残念だが、その予感は当たっているのさ」
あたしがヘンタイ天使に怒りをぶつけている時、ヘンタイ天使とエミリア、二人の目があったと思われた瞬間、エミリアは何かに突き飛ばされたかのように大きく後ろへ仰け反ると全身から光が溢れ、暗がりの城内を眩く照らす。
「エミリアに何をしたの!?」
「私はきっかけを与えただけさ。彼女は自ら本当の自分に目覚める」
迸る光がおさまると、エミリアは閉じていた目をゆっくりと開けていく。
何か凄い嫌な予感がする、でもきっと大丈夫だ。エミリアは、いつも通り何も変わらないはずなんだ。目覚めるとか言ってたけれども全然問題ないはずなんだ!
「エミリア! 大丈夫、どこも痛くない? 何もされてない?」
しかしあたしの願いを裏切るかのように、エミリアにはあたしの声が聞こえていないらしく、虚ろな眼差しで別の方向を見ている。
エミリアの視線を辿ると、そこにはヘンタイがいた。
という事は、あいつを見ているの?
言葉で操れるとは言ってたけども、何も喋ってなかったし、どういう事なの!
「ねえエミリア、返事をして! お願いだから、あたしの声を聞いて!」
どうしても届かせようと、あたしはエミリアの肩を持とうとした瞬間、酷く冷たい眼差しで睨まれると同時に、あたしの手は無情にもはらわれてしまう。
「人間風情が、私に触らないで」
天使の慈愛深いイメージとはまるで真逆の、まるで汚いモノを見下すかのような態度をとり、あたしの制止を振り切るとゆっくりとヘンタイの方へ向かい、先ほど出した鈍器を受け取る。
「私と君の間を邪魔するみたいだよ。ちっぽけな人間のメスごときがね。いい加減目障りだと思っていたんだ。セラフィム、君に始末を頼みたいんだがいいかい?」
「はい」
いつもの優しい笑顔は、あたしではなくヘンタイへと向けられている。
エミリアのその暖かい表情はあたしのモノだったのに。どうしてそんな簡単に奪っていくの?
……駄目だ、何を考えているんだ。今はそれどころじゃないよ、あたしがしっかりしないと。いつまでもエミリアに頼ってちゃ駄目なんだ。
エミリアが戦えない今、あたしが何とかしないと駄目なんだ!
「セラフィムは完全に天使の力を自分のモノにしたと思っていたが、真に覚醒するには私の力じゃなければ駄目なのさ。私はそのきっかけを彼女に与え、そして彼女は見事にセラフィムとして目覚めた。無知な君に説明してあげたけど、このままじゃ無駄になりそうだね。ハハッ」
「嘘だよね? あたしだよ、シュウだよ? あなたのパートナーで、あなたの騎士――」
エミリアとは戦いたくない。こんなの嫌だよ。
ヘンタイ天使が何やら喋っているけれども、今はそれどころじゃない。
あたしは無防備のままエミリアを元に戻そうと必死に訴えかけた。
しかしどんなに説得しても、どんなに訴えかけてもあたしの大事な人の表情が変わることはなく、エミリアは薄紫色の鈍器をゆっくりと横に振りかぶると、何のためらいも無く振るわれ、槌頭があたしの胸に直撃した。
その瞬間、呼吸できないほどの酷い痛みが襲い掛かると同時に、全身から力が抜けていき、まるで眠るかのように意識が朦朧とし始める。
なんで?
どうしてなの?
何故エミリアが、あたしを殺そうとしているの?
訳が解らないよ、なんで……。
あたしは困惑しながら、意識は深い暗闇へと消失していく。
同時に体からは力が抜けていき、攻撃を受けた箇所の痛みと感覚が解らなくなっていった。
そして意識が途切れる最後、天使として完全に目覚めたであろう冷徹なる表情のエミリアを見つめながら思った事……。
死んじゃうのかな、あたし。




