第十八話 愚鈍なる少女よ、その身を燃やし尽くせ
「やっとやる気になったか」
シュウの師匠となり、今御前試合の参加者として弟子の前に対峙した男は、すり足で後ろに下がり、腰を深く落として防御主体の構えを取る。それは恐らく自分でも気がつかず、無意識の内にした行為だろう。
シュウはその身に未だかつて無い程の気迫、それは覇気や殺気、怒気といった類では無い、自身の命を投げ捨てて敵を倒し続ける狂戦士が持っている、形容しがたい何かを身に纏いながら、師と仰いできた男に、今まさに敵として対峙している者とは真逆に防御を一切捨てて、全力で剣を振りかぶり斬りこむ。
少女の決死の攻撃は、悲鳴にも似た叫びと共に繰り出される。男は受け止めずに巧みな動きで剣撃をかわそうとする、しかし自身の予想していた以上の動きだったのだろうか、少し顔色を変えて避ける事を諦め、シュウの全力の一撃を受け止めるが、防御した瞬間さらに顔色は変わる。
「くそっ、こいつこんなに力があったのか!?」
表情に焦りの色が濃く出ている男を無視し、シュウは無我夢中で攻撃をし続ける。
男はシュウの激しい攻撃の前にただ防御し続けるだけだった。
まるで氾濫し誰も止められなくなった川の水のごとく押し寄せる剣撃の前に、うかつな反撃は出来ないと悟ったのだろう。それを理解している男は決して弱くは無い。
実はこの男、シュウの師匠となるかなり以前に火竜の国の近衛兵達を統括していた実績を持つ。さらに、兵士達に剣術を教えていたという過去もあったが、シュウの目的を聞いて打ち明ける事が出来ずにいたのである。
そして今回、若くして隠居していたこの男は、国王直々の願いにより試合に参加する事を決めたのである。勿論、国王はシュウがこの男に弟子入りした事も知っていてわざと参加させた事は、シュウ以外の全員が知っていた。
シュウの呼吸は荒く、自分の中の何か大切なものが壊れてしまったかのように剣を振るい続ける。その力強い一撃からは、命さえ惜しまず全てを犠牲にして、自分以外の大切なものを守る為に何としても勝ち抜くという思いしか感じられなかった。
男は自分の弟子であり、今敵として相手をしているこの少女の気持ちの全てを理解していた。
男は攻撃を受け止める度に、純粋な思いが剣や手を通じ、胸や頭へと流れていくような錯覚を感じていただろう。それを証明するかのように、防げば防ぐほど、余裕は無くなり焦りが増していくが、本人も気づかないだろううちに、戦っている途中であるにも関わらず、だんだん嬉しそうに表情が明るくなっていくのである。
「俺も本当は負けてやりたいさ、お前がここまで必死になるほど大事な人なんだろう? だがな、それじゃあ俺もお前も納得いかないだろう!」
男は満足げな光を満たした目を大きく見開くと、後ろへ跳躍しシュウとの間合いをあける。シュウはただ狂ったような目の前の敵に攻撃を繰り出そうとするが、男とすれ違った瞬間、腹部が鎧ごと切り裂かれ、真っ赤な鮮血が勢いよく噴き出した。
「まさか、俺に技を出させるとはな。本当に大した奴だ」
男は自分の攻撃が決まり、勝利を確信したのかシュウがいるであろう後ろを振り向かず、剣を鞘へと納めようとする。
しかし、何か嫌な気配を本能レベルで察知したのだろうか、武器をしまった後、磁石に吸い寄せられるかのように恐る恐る後ろを振り向いた瞬間、ふらつきながらも腹部を真っ赤な血で染めたまま、男に襲い掛かる騎士の少女がいた。
シュウの攻撃に重みは無く、回数と速さも大幅に減少してしまい、虚しく空を斬る。しかしそれでも諦めず、切り裂かれた腹部から出血したまま男へと斬りかかっては回避される一連の動作を繰り返す。
剣を振るうたびに血が飛び散る凄惨な光景に、観客達の中から二人の戦いに目を背けたり、気分が悪くなって口に手を押さえるものや、前かがみになって胸からこみ上げてくる嫌悪感を押さえつけようとする者も現れ始める。
「おい、本当に死んじまうぞ!」
男は攻撃をかわしつつも、自分の弟子をなだめようとするが、話を聞かないと言うよりかは聞こえていないに近い。
試合が始まった当初は白かったリングも、今は少女の血で真っ赤に染まっていた。血溜まりの中で、師弟が戦う様子に最初は大声で煽っていた観客も口を閉じ、唾を大きく飲み込みこの戦いの行く末を静かに見守るようになっていく。
会場が奇妙な静寂に包まれ、辛そうに大切な人から贈られた剣を振るうシュウの、苦しそうに吐く息と、その時生じる痛々しい声のみが聞こえるだけとなる。
「見殺しになんて出来るわけないだろう? 俺が救ってやらないと」
このままでは本当に死んでしまう弟子を救うため、再び男の表情が厳しくなると、今まで回避行為に徹していた男は敢えて再び剣を抜き、シュウの攻撃を受け止めようとするが、この判断が戦いの白黒をつける一手となってしまう。
男はシュウの攻撃をぎりぎり受け止める。しかし次の瞬間、対戦相手の男は勿論、観客の全て、そして国王やエミリアですら驚く光景を目の当たりにする。
シュウの、何が何でも相手を倒す願いが篭った剣は、シュウ以外の全ての人が予想していた通り、師匠の弟子を救おうとする強い意志が込められた剣によって受け止められてしまう。
男は、手首を捻って自身の刀身の向きを変え、受け止めた攻撃を流そうとする。
力一杯打ち込んだ攻撃はそのまま下へ流され、シュウの剣は金属と金属が擦れる音と共にスライドされていく。
この後、行き場を失った剣を握り締めたシュウに隙が生じ、男の反撃によって誰もがこの戦いの白黒がつくと思われたその瞬間。
「なにい!?」
男は目の前の現象に、想像すらしていなかっただろう。擦れ、流されていく剣から激しい爆発が生じ、男はその衝撃に巻き込まれて後方へと大きく吹き飛ばされてしまった。
「ほう、面白い技を使う。知っていたのか?」
「確かにあの剣は雷の属性を持つ金属で作りました。けれどあの子はその事を知らないはず。多分、一定以上の力と剣の属性、そして摩擦によってあの様な現象が起きたのかと」
今まで頬杖をしながら試合を静観していた国王は、姿勢をリングの方へ少しかがみ、隣にいたエミリアに問いかけつつ、自分の大切な人を必死になって取り返そうとする騎士を見る。彼の問いかけに、普段波風がたっていない海面のように、穏やかな表情しか見せないエミリアが、珍しく驚きと戸惑いを色濃く見せながら返答をした。
国王とエミリアが思いがけない攻撃を考察している最中、男は剣を杖代わりにて転倒を免れようと、剣をリングへ突き立てて勢いを殺そうとする、しかし剣は頑丈な石で出来たリングに突き刺さると、甲高い音と共に即座に砕けた後、男の全身が五回程回転し、最終的にリングへ大の字になったまま今起こった現象を信じられないような表情で天を見つめる。
「勝負そこまで! 勝者、風精の国の使者!」
思わぬ展開と結末、そしてシュウのまさに命をかけた懸命な戦いっぷりは、会場を大きく沸かせ、観客全員は立ち上がり惜しみない歓声と拍手を彼女へ送り続ける。
喝采が健気な少女へ降り注いだ瞬間、血まみれになった鈍色の騎士はその場で崩れるように倒れて動かなくなってしまう。
「今の成績は?」
「二勝二敗、次の試合で決まります」
国王の問いかけに、側近は抑揚の無い声で返答をすると、玉座に座っている火竜の国最強の戦士は全てを握りつぶしてしまいそうな大きい手をぐっと強く握り締め、立ち上がる。
「そうか、中々楽しめそうだな」
サラマンドラは、ぎらつく目で試合参加者の控え室に運ばれていくシュウを見送りつつ、体を震わせながら微笑んだ。




