第十四話 本当に怖くて辛いのは何?
「走れ走れ走りまくれ! 戦いの途中でバテても敵は待ってくれないぞ!」
「ひいいいいい」
日も昇らないうちからあたしは叩き起こされ、寝ぼけながらも渡されたぼろぼろの稽古着に着替えると、すぐさま師匠に追われながら火竜の都の外を延々と走らされる事になってしまった。しかも、追いつかれたら木刀でお尻を引っ叩かれるという理不尽さ!
あたしは既に十回は追いつかれておしりぺんぺんされている。しかも手加減しているのか解らないくらい、結構痛い。
これ以上叩かれまいと必死で逃げてるけども、もう何周したんだろう。息苦しいし、疲れたし、眠いし、いきなりこれってどういう事、厳しすぎるよ。
「走るのやめい、よく頑張った」
はぁはぁ、やっと終わった。ようやくランニング地獄から解放される。
そう思いながら、走り続けてぱんぱんになった足を投げ出して座った瞬間、木刀で頭を軽く小突かれる。
「誰が休めと言った、次は素振り三百回。それが終わったらまた走るぞ」
嘘でしょおおおおお!
休憩無しとか。も、もう無理だよ!
「む、無理です。死んじゃう……」
「そうか、無理か。死んでしまうか。そうかそうか」
さっきまでの厳しさはまるで無くなり、師匠は笑顔であたしを見つめた後、強く肩を叩く。
苦しいのが伝わったのかな、これでこんな地獄から解放される、と思った矢先。
「弱音を吐いているうちはまだ頑張れるもんだ。叩かれたくなかったらさっさとついて来い!」
いたいいいい!
背中を木刀で叩かれてじんじんする……、うぐぐ、結局終わらないのね。
午前中はランニングと素振り、後はスクワットとか腕立て伏せとか、何だか基礎トレーニングだけで終わってしまった。
「よーし、昼飯にするぞ」
「は、はい」
ご飯はあたしが料理出来ないと昨日寝る前に伝えておいたお陰か、師匠が代わりに作って持ってきてくれるのだけども。
「なんだ? 食わないのか?」
「う、うーん……」
何だか疲れすぎてて食欲でないや、食べないと駄目なんだろうけども。はぁ。
決してまずいわけでなくって、むしろおいしい方だと思う。でも駄目だ、やっぱり食べる気力が湧かない。お腹も空かない。
結局、あたしはおかずを少しだけ無理矢理口に運び、少しの食休みの後、再びみっちりしごかれる。
本当に死んじゃいそうで、何度も吐いて、気を失って、その度に叩かれて、なんだかとても女の子の扱いとは思えない、苦痛な時が終わる頃にはすっかり日が暮れていた。
「よし、今日はここまで。明日も早いからな、しっかり寝ておけ」
「は、はいい……」
全身が痛い、意識がぼんやりとして、ふらふらで、こんな事になるなんて予想もしていなかったよ。
このままじゃ、御前試合の前にあたしが死んじゃう。どうにかなっちゃう。
うう、辛いよう、苦しいよう。
あまりのきつさに、目と胸からこみ上げてくるものを抑えられずにいる。何度も何度も目をこすっても、溢れる涙が止まる事は無く、泣かない様にとすればする程、情けない声は止まらなくなっていく。
「そうだ、こんな苦労しなくっても、こっそりお城に忍び込んでエミリアを救出すればいいじゃん!」
一瞬のひらめきが脳内を駆け巡る。それはまるで逆境の中、神様が救いの手を差し出してくれたかのようだった。
あたしは一切迷わずに師匠の家とは逆方向にある、火竜の国の王城へと向かう。
いざお城に入ってみると中は思った以上に人が少なく、最初は隠れながら進んでいたけれども、あまりにも誰も居ないからそれも馬鹿らしくなってきてやがて道の真ん中を歩いて城内を探す。
なんでここまで手薄なんだろう、夜襲とかされたら危ないよね。
それとも、夜襲なんか返り討ちにしてやるくらいの気持ちでいるのかな?
あの国王だったらありえそう。
エミリアをお嫁さんにするとか言ってたから、牢獄では無いと思うけども、ここかな。
風精の国と同じだったら、お城の高い所ほど偉い人の普段使う部屋があるから、一番目は国王自身と考えて、たぶん二番目か三番目くらいに高い場所にある部屋を探し出すと、その部屋の扉を音をたてない様にゆっくりと開ける。
自分の体が通れそうな隙間が出来ると、あたしはすぐに部屋の中へと入り扉を急いで閉じた後に周囲を見回す。
暗くてよく解んないや、もしも違ってて返り討ちにされたらどうしよう。
あ、あれは!
正直、そこまで期待しては居なかった。あたしの運の無さは国一番と言ってもいいくらいだし、お馬鹿な予想だから外れる覚悟で来たけれども、何とそこには幸運にもエミリアがいた。
珍しくあたしの予想が当たったよ!
やっぱりこうなる運命だったんだね!
「エミリア! えっ……?」
しかし、あたしはエミリアの姿を見て少し戸惑ってしまう。
普段のワンピースに同色のマントを羽織った魔術師姿では無く、背中が大きく開き、肩が出ている真っ赤なロングドレスを着ており、髪型はおだんご状に束ね、ドレスと同じ色の濃いアイシャドウをつけている。
そして、あたしを見る目線は普段のエミリアからは想像もつかないほど冷たい。
「あなたは誰?」
「誰って、シュウだよ! ちょっと訳あってこんな格好だけども、迎えに来たよ!」
ああ、こんな汚い格好だし折角綺麗にしてた髪型もぐしゃぐしゃだったから解らなかったんだよね。
「私はそんな人知らない」
「知らないって、何言ってるの? さあ、早くここから出ようよー」
どういう事なの?
あたしの事知らないって、訳が解らないよ。
変な事言ってるし、ともかく連れて行かないと!
あたしは表情を変えないエミリアの手を取ろうとするが、エミリアはあたしの手を叩き、誘いを拒絶する。
「無礼な口を利かないで、私は火竜の国の后よ?」
何言ってるの?
なんでその気になっちゃってるの?
さては!
あの曲者国王にきっと酷い事されちゃったんだね。むむう、こうなったら仕方ない。強引にでも連れていこう。
しかし、再びエミリアのここから逃がそうと無理矢理に手を引こうとするが、それすらも断られてしまう。
「触らないで」
「な、なんで……。どうしたの?」
エミリアはここから出たくないの?
あたしを見捨てて、お后様になりたいの?
「私が知っているのは、御前試合に勝って約束をちゃんと守る人だけだよ。ずるい事する人なんて覚えていない」
その言葉を聞いた瞬間、あたしの体をまるで電気が走ったかのように痺れ、そして酷く寒くなっていく。
たとえここから脱出出来ても、この国を出る事は不可能なんだよね。しかも、脱走が見つかったらあたしもエミリアもタダじゃ済まされない。
それを全て考えた上で、この追い込まれた状況から脱出するにはあたしが試合に勝つ事しか無いってエミリアは解っていたのに、あたしがこんな的外れな事をしたから怒っているのかもしれない。
「ごめんね、本当にごめんねエミリア」
前々からエミリアを守るって自分の中で決めていた事だったのに、ちょっと辛い目にあっただけで楽しようとしたあたしって本当に最低。
でも、そんな最低なあたしでもエミリアはまだ待っていてくれているんだ。そうだよね?
もうこうなったら死にもの狂いでやってやる。特訓の途中でも、試合の途中でも、命をかけてあたしは乗り越えるんだ!
「エミリア、あたし、負けないから。必ず試合に勝って迎えに行くから」
あたしは来た道を戻り、師匠の家へと戻る事にした。
エミリアを救出する作戦は成功しなかったけれども、大事な何かを思い出させてくれたような、気がする。




