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半妖伝  作者: 未々山田
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5.儀式と山の神

 弥生は息を切らしながら洞窟へと駆け込んだ。幸いなことに喜助と別れてからは天狗と遭遇することはなかった。もし会っても一切構うことなく走り抜けるつもりだったが。


 弥生は洞窟に入った瞬間にわかった。喜助のいうとおりこの洞窟にはなんらかの結界が張られている。それもかなり高度な結界が。

 休んでる暇はない。弥生は洞窟の奥へと進む。


 奥に進むに連れて弥生はなにか違和感を感じる。それがなにかすぐにはわからなかったがやがて気づく。洞窟の奥にどこまで進んでも明るいのだ。


 不思議な感覚であった。日の光がこんな奥まで届くはずがない。しかし、異常なまでに明るい。そして、その明るさがどこから来るものなのかわからなかった。あたりを見渡しても光の発生源は見当たらない。奇妙な光は弥生を不安にさせた。

 弥生は不気味さを感じながらも確実に歩を進めた。


「あった」

 間もなく弥生の目の前に祠が現れた。


 その祠は木でできたなんの変哲もないものであった。祠自体が珍しいのだから変わっているというのもよくわからないが。


 弥生は腰にかけてた巾着袋からお供え物として持ってきた饅頭を取り出す。祠の扉を開けると真ん中に水晶があり、その両脇に蝋燭が立てられていた。水晶の前に饅頭を置き、巾着袋からマッチを取り出す。マッチに火をつけ、蝋燭に火を灯す。そして、最後に水晶に手を置き霊力を込めれば儀式が始まる。

 が、弥生の動きが止まる。


 なにかが起きたわけではない。弥生は自分の意思で動きを止めた。その時声が聞こえたのだ。弥生にしか聞こえない声が。

――本当に霊媒師になるの?


 弥生は思わず振り返る。が、そこには誰もいない。

 その正体不明の声がなにを言いたいのか弥生はすぐに理解した。


 霊力を込めれば儀式は始まる。儀式を行えば弥生は一人前の霊媒師となる。たとえどんなに弥生が未熟ままでも。しかし、今、弥生が儀式をやめれば、弥生は霊媒師にならなくて済む。そうすれば弥生は解放される、人々の期待から。そうすれば優秀な皐月と比べられることもなくなる。

 弥生の額に汗がじんわりと浮かぶ。


 自分は一体何を考えているのか。そんなことしていいわけがない。弥生は自分に言い聞かせる。早く儀式を終えて喜助のところへ戻らなければ。

 再び声がする。

――わたしが戻っても足を引っ張るだけでしょ?


 儀式をすれば強くなる? そんなわけはない。そんなことで強くなるなら苦労はしない。だったらここで喜助の無事を祈る方が確実ではないのか。

 声がまた聞こえる。


――また見殺すの?

 違う。あの時とは違う。葵の時とは状況が全く異なる。ここに残るのが賢明な判断である。そうだ! そうしよう! ここで喜助を待とう。それが最良なのだから。儀式も失敗したことにすればいい。そうすれば全て終わる。


――本当にそれでいいの?

 それでいい。いや、それがいい。霊媒師になれば再び訪れるかもしれない。自分のミスで人が死ぬ場面が。今度あんなことが起きたら助からないだろう。また偶然喜助が助けてくれるなんてことはない。あんな思いは二度としたくない。だったら霊媒師にならなければいいんだ。もともとわたしは霊媒師になりたかったわけでもないし、才能もない。わたしは霊媒師にならないそれが正しいんだ。

 また声がした。

――それってずるくない?


 その声は今までの声とは違った。いつか聞いた喜助の声であった。

 ずるい? なにが? なにがずるいの? だって仕方ないじゃない。わたしは霊媒師に向いてない。それはわたしが一番わかってる。だから霊媒師にはならない。これのどこがずるいっていうの?


――逃げてる気がする

 違う! わたしは逃げてなんかいない! 現実と向き合ってるだけだ! 自分と向き合ってるだけだ! そうやって出した結論を誰が一体責めるっていうの? そんな権利誰にもないでしょ?


――怒られるよ。昔の自分に

 ……昔のわたしは怒らないよね? ね?

 返事が返ってくるわけはなかった。


 弥生はその場に凍りついたように固まっていた。

 と、突如弥生は背負っていた弓を、矢を、荷物全てを床にぶん投げた。弥生はもうどうすればいいのかわからなくなっていた。


 その時、弥生の視界に荷物からこぼれ落ちたお守りが写った。葵から貰ったものだ。紐が投げられた拍子に解けたらしく中が見えていた。中には一枚の紙が入っていた。弥生は何気なくそれを取り出し広げた。


 紙にはメッセージが書かれていた。

「やー姉いつもありがとう。これからもよろしくね。 葵 太一」


 文の後ろに黄色い花びらが一枚貼られていた。

「ははっ、これじゃお守りじゃないじゃん」

 弥生は思わず無邪気に笑った。


 弥生は少しの間紙を眺めた。そして、静かに呟いた。

「これからも……か」

 弥生は天井を見上げた。そこにはごつごつの岩がひしめき合っていたが弥生の目にはまともに映らなかった。


 そして、弥生は嬉しそうに零す。

「やめたら葵と太一に怒られちゃうや」

 何を悩んでいたのだろう。霊媒師になる理由はそれで十分だ。弥生はそう思った


 弥生は丁寧に紙をたたみ、お守りの中に入れしっかりと紐で閉じた。

 そして、両頬を高い音が響くほどの強さで叩いた。

「よし」

 弥生はすっきりした顔をしていた。


 そして、水晶に手を置き霊力を込める。もう声は聞こえない。

 時間は掛かったが習った手順はようやく終えた。ここからはなにをするのか、あるいは何が起きるのかは弥生も知らない。

「えっ!」


 異変はすぐに訪れた。弥生の霊力が凄い勢いで増幅する。霊力の上昇は全く止まる気配がない。その大きさは弥生自身が恐くなるほどであった。


 霊力が上昇するにつれ。周囲の景色が変わっていく。さっきまではただこの空間が明るいと感じていたが今は違う。はっきりとわかる。光る粉が舞っている。いや正確には鱗粉だ。とても小さな、木の蔓からできたような衣装を纏った手のひらサイズの羽根の生えた女の子が飛んでいる。それも数え切れないほどに。


「これって、妖精?」

 弥生も妖精を見たのは初めてであった。

 妖精たちは優雅に宙を舞っていた。洞窟に降り注がれていた光は彼女たちが羽ばたく度に発生する光る鱗粉であった。弥生に見えなかったのはまだ妖精が見えるほどの霊力に達していなかったからだ。


 弥生は妖精たちの舞いに見とれていた。その時、ふと声がした。

「フォッフォッフォッフォッフォッフォッフォ」

 声は足元から聞こえたように思えた。弥生は足元を見た。そこにはへんてこな生き物がいた。


 体は蹴鞠用の玉より少し大きいくらいの大きさでそこから小さく丸い手と足が生えていた。肌の色は人間で言う白い肌に近かった。その体に長く白い髪、目を隠してしまうほどの白い繭、地に届くほどの白い髭。そして体には風呂敷なのかマントなのかわからない緑色の布、手には球体だからこけることもないと思われるが杖があった。


「か、神様?」

「いかにも、ワシが鞍馬山の神じゃもん」

 妖精たちが宙を舞いながらお喋りをする。


「そう、このじじいが神」「この白モジャが神」「この得体の知れないのが神」「この残念なやつが神」

 ボロカスに言われた神は肌を赤く染め怒る。


「おまえたち、酷いんじゃもん。そこまで言わなくていいんじゃもん」

 妖精たちはうふふと楽しげに笑うだけで反省の色は全く見られない。


 神と名乗る変な生き物と弥生も素直に認めれる妖精たちの会話を弥生は思わず見入っていたが、ふと我に返る。こんなことをしている場合ではないと。


「神様! 儀式はこれで終わり? もう行っていい? 私急いでるの」

 先ほどまで立ちすくんでいた女の子の台詞とは思えない。が、それは事実である。


「まだじゃもん。まだ霊力がお主に馴染んでないんじゃもん」

 山の神に言われて弥生も気づく。大きすぎる力をまだコントロールしきれていない。


「どのくらいかかるの?」

「それはお主しだいじゃもん。その霊力はお主が小さいころにワシが預かったものじゃもん。小さいときは制御できなかったんじゃもん。今なら大丈夫なはずじゃもん」


 語尾に特徴を出すやつの言っていることはわかりにくいことが多い。見た目だけでも十分キャラが立つのだから無理などしなくてもよいのに。弥生は苛立ちを募らせるが、要するに集中すればこの莫大な力を制御できるということであろう、と解釈する。


 弥生は手を合わせる。まるで神になにか祈るように。弥生にとって最も霊力を練りやすい格好だ。弥生が札に印を描く時は必ずこのポーズをとり少しでも札の効力を高める。それでも、弥生が作った札の効力は皐月が手早く作った札の効力にも今までは及ばなかったが。


 弥生は目を閉じ集中する。

 はっきりと感じる。この霊力が本当に自分のものなのかと疑う。だが間違いなくこの霊力の発生源は自分である。そう、この力は私のものである。そう思うと弥生は嬉しさが込み上がってきた。皐月の言っていたことがようやく理解できた瞬間でもあった。


 と、その時、弥生の霊力が大きく揺れる。慌てて弥生は集中し直す。弥生の気が少し緩んだだけで霊力は激しく乱れた。

 弥生は先ほどの自分の言葉を否定する。この力はまだ私のものじゃない。


 ここからが儀式の本番なんだと弥生は悟る。と、同時に弥生は焦り始めた。これほどの力を本当に自分の支配下に置けるのか。弥生を焦らす要因はそれだけではない。今は時間がない。既にかなりの時間を食っている。早く天狗と戦っている喜助のもとに戻らなければならない。喜助が苦戦しているとも限らない。未だに洞窟に来ていないのだからその可能際は高い。喜助ならば天狗一体ならなんとかなるかもしれない。しかし、この山にはもっと多くの天狗がいる。山中の天狗が集まればどんな手練でも困難を極めるだろう。


 弥生は考える。いっそ、一度戻ろうか。そう考えたが弥生はすぐにその案を棄却する。それじゃ意味がない、と。このまま戻っても何も変わらない。もし喜助が大量の天狗に囲まれていても今の弥生じゃ助けにならないだろう。それどころか足を引っ張るかもしれない。

 この力が必要なんだ。弥生は心の中で力強く言った。


「お主の力を信じるんじゃもん」

 弥生の焦りを見抜いたのか。山の神は緊張感のない声で告げる。


「ファイト」「いけるいける」「がんばー」「集中集中」

 妖精たちの黄色い声援がとぶ。弥生は目を開け周囲を見渡す妖精たちは相変わらず曲芸でもするかのように宙を舞っている。切羽詰まっている弥生と同じ場にいるとは思えない気楽さであった。


 そんな妖精たちのずれは弥生を落ち着かせた。

 気負っても仕方ない。神の言うとおりだ。自分を、いや、わたしを信じてくれているみんなを信じよう。


 弥生は一呼吸して再び目を閉じる。余計なことは考えない。弥生は無心になった。弥生の中で音が消え、色が消え、光が消え、弥生の小さな鼓動だけが残った。


 すぐに変化は現れた。弥生の体から無駄に溢れ出していた霊力は小さくなっていく。決して、力が弱くなったわけじゃない余分な霊力の消費がなくなったのだ。やがて、霊力の流出は終わり、全てが弥生の体に留まった。


 儀式は終わった。が、弥生は動かない。集中を解けば再び霊力が流れ出てしまうとかそんな理由ではない。ただ気づいてないだけである、終わったことに、霊力をコントロールできるようになったことに。

「起きるんじゃもん」


 山の神が大きな声を出す。その声の大きさに妖精たちは一斉に手で耳を塞いだ。弥生も体をビクッとさせ目を開ける。無論、寝ていたわけではない。

 妖精たちは山の神の周囲を舞う。


「じじいうるさい」「さいてー」「糞じじい」「耳痛い」「もはやセクハラ」

 山の神に思い思いの怒りをぶつける。


「今のは仕方ないと思うんじゃもん」

「言い訳すんな」「もっと考えよう」「さいてー」「エロじじい」

 妖精たちの非難は終わらない。


 神なのに扱いしょぼいなー、と弥生は思いながら見ていた。妖精たちはそんな弥生の方に一斉に視線を移す。弥生はドキッとする。自分も山の神同様何か言われるのではないかと不安になる。あの人数で悪口を言われるのは精神的にきついものがある。


 妖精たちは弥生を囲むように宙を舞い踊る。そして、歌うようにいう。

「終わった終わった」「成功成功」「大成功」「おめでとう」「凄い凄い」


 弥生に待っていたのは非難ではなく賛辞の嵐であった。妖精たちは自分のことのように嬉しそうであった。山の神に対する扱いとは大違いである。どっちが本性なのだろうか。


「ありがとう」

 弥生は祝福してくれる妖精たちにお礼を言う。その姿を見て山の神は目を見張る。弥生がさっきまでとは比べ物にならないほど大人びて見えたからだ。


 弥生の肩の力が抜ける。そして実感する。自分の成長を。弥生の顔は一気に緩む。そして大きく両手を挙げ叫ぶ。


「すごーい! なんかわたしすごい!」

 妖精たちは動きをぴたっと止める。妖精たちの視線が弥生に集中する。弥生ははっとする。そして顔を赤くする。妖精たちは互いに顔を見合し再び踊り始める。


「すごい! 弥生すごい!」「弥生さいこー!」「弥生踊ろう!」「踊ろう踊ろう」

 そう言われた弥生は迷いもなく妖精たちの小さな手を取り一緒に踊り始めた。そして、子供のように喜んだ。どうやら大人びて見えたのはなにかの間違いのようだ。


「フォッフォッフォ。踊るのはいいが、お主急いでたんじゃないのか……じゃもん」

 山の神がギリギリ語尾を守りながら言う。弥生ははっとする。喜びのあまり忘れていたことを素直に認める。


「神様、これで儀式終わり?」

「これにて終了じゃもん。しかし、なにをそんなに急いでいるんじゃもん?」


「友達が天狗に襲われてんのよ。早く戻らなきゃ」

「天狗に? ……そんなわけないんじゃもん! 天狗が人間を襲うわけがないんじゃもん」

 山の神は血相を変えていう。


「そんなこと言われても、現に襲ってきたのよ」

「違うんじゃもん! それは天狗じゃないんじゃもん!」


「だから、ここにくる途中に襲われたの! 天狗に!」

「そうだそうだ」「話聴けじじい」「もう呆けてるの?」

 妖精たちは弥生の援護をする。弥生が好きというよりも山の神が嫌いなようだ。


「呆けてなどおらんじゃもん! お主らを襲ったのは天狗じゃないんじゃもん! それは恐らく妖魔化した人間じゃもん」

「妖魔化した人間……? あれは元は人間だっていうの?」


「そうじゃもん。やつらは人間を襲い魂を喰らうんじゃもん。だから天狗が山に結界を張って外に出れないようにしているんじゃもん」

「えっ? やっぱり天狗もいるの? いったい全体どういうこと? 最初から説明して」


「いいんじゃもん。昔々あるところに大変仲の良い四人の天狗がおったんじゃもん」

 山の神はのんびりと語り始めた。しかし、弥生にはそんな時間はない。


「ごめん。手短にできない?」

「急いでるっていってんじゃん」「昔々スタートの話は大概長い」「やっぱ呆けてる」「ばーか、ばーか」


「うるさいんじゃもん! じゃあ、頑張って手短にするんじゃもん。だから、黙って聞くんじゃもん」

 妖精たちは黙り舞うのも止め、山の神の前に並び体育すわりをした。弥生は空気を読んで妖精たちの後方に同様に座りこんだ。本当はこんなことをしている場合ではないのだが。


 山の神はわざとらしく一度咳払いをしてから喋り始めた。

「そんな四人に異変が起きたのは今から十年前じゃもん。一人の天狗が悪堕ちしたんじゃもん」

「悪堕ちって?」


「悪堕ちというのは妖魔が悪くなることじゃもん」

 妖魔は悪いものと認識していた弥生にとっては理解しがたい出来事だ。


「妖魔って元々悪いもんじゃないの?」

「そんなことないんじゃもん。もちろん全ての妖魔が良いとは言えないんじゃもん。同様に全ての妖魔が悪いとも言えないんじゃもん。妖魔は千差万別なんじゃもん。種によっては必ず人間の魂を喰らう妖魔も確かにいるんじゃもん。しかし、天狗はそれには当てはまらないんじゃもん」

 山の神も喜助とほぼ同じ見解であった。


「……それはわかったけど、その悪堕ち? してどうなったの?」

「悪堕ちした天狗は人間を襲おうとしたんじゃもん。だから他の三人の天狗で封印したんじゃもん。しかし、封印しても悪堕ちした天狗の邪悪な妖気は山中に漏れてたんじゃもん。結果、山に入った霊力の弱い人間は妖魔化していったんじゃもん。そこで、三人の天狗は山に結界を張って妖魔化した人間を出さないようにしているんじゃもん。さらには、山に入って襲われている人間を助けたりもしているんじゃもん」


「ということは、最初に襲ってきた天狗は天狗じゃなくて妖魔化した人間。その後に現れたのは人間を助ける本物の天狗。……ということは、喜助がその天狗を倒したら不味いじゃない!」

 山の神は白い眉で隠れている目を微かに開く。


「お主の友達は喜助というのか?……じゃもん」

「そうよ。それがどうかした?」

 山の神は少し慌てて言う。


「かわった名前だと思っただけじゃもん。それよりも、天狗に遭遇してからどのくらいが経つんじゃもん?」

「どのくらいって……ここに来る直前よ」


「それは不味いんじゃもん! まだ喜助がここに来ないということはまだ交戦中ということじゃもん」

「まあ、そういうことになるわね」


「そうじゃもん! ということは、ずっと持ち場を離れてるってことじゃもん」

「持ち場? なんの持ち場よ?」

 弥生は嫌な予感がした。


「封印と結界の持ち場じゃもん! 天狗たちは三角形を作るように持ち場があるんじゃもん。その中心に悪堕ちした天狗がいるんじゃもん! この陣形が解かれたら封印が解かれる恐れがあるんじゃもん!」

「……それって結構不味いんじゃないの?」


「かなり不味いんじゃもん! きっと人間の魂に飢えているあいつは結界を破って村を襲いに行くんじゃもん! 結界が破られたら妖魔化した人間たちも村に向かうはずじゃもん!」

 村に天狗が向かっている。その事実を知り、弥生の顔は青くなった。


「……やっぱり、のんびりしている暇なんかなかったんじゃない! 村を襲うってどっちの村よ」

 弥生は期待を込めて聞いた。鞍馬村ではないという期待を込めて。


「それはわかんないんじゃもん。詳しいことは天狗に訊くんじゃもん」

「天狗にどうやって訊けっていうのよ!」


「今のお主ならできるはずじゃもん。今こうしてワシやそこの性悪女たちとも喋れるのが何よりの証拠じゃもん」

「誰が性悪女よ」「こんないい女を捕まえてよく言うわ」「じじいさいてー」

 妖精たちは不満そうだ。この人数を相手に口喧嘩をしても勝てるわけがないのだから山の神も余計なことを言わなければよいのに。


「みんな話せるもんじゃなかったの」

「違うじゃもん。むしろ希少じゃもん。ワシらと話せる人間は二十年ぶりくらいじゃもん」


「二十年ぶりって……お母さん以来ってこと?」

「お主のお母さんはナツじゃもん。ナツではないじゃないんじゃもん。喋れたのはナツの妹じゃもん」


「お母さんの妹……」

 弥生はナツに妹がいることは知っていたが詳しいことは知らない。


「とりあえず、もう行くわ」

「ちょっと待つんじゃもん! 渡したいものがあるんじゃもん」


「あれあげるの?」「弥生にあげるの?」「あたしは賛成」「とってくる?」

 妖精たちはどこか嬉しそうにそう言うと、慌しく洞窟の奥へと消えていった。


 いったいなんだろう。弥生が何を渡されるか考える間もなく妖精たちは戻ってきた。みんなで力を合わせて持ってきたのは黄色いスカーフだった。スカーフはこの薄暗い洞窟に保管されていたとは思えないくらい綺麗だった。それを神秘的と捉えるか不気味と見るかは人によるだろう。


「これはその彼女が置いていったものじゃもん」

 妖精たちは弥生にスカーフを手渡す。


「あ、ありがとう」

 何度も急いでいるといったのに、わざわざ引き止めてまで渡すものがまさかのおしゃれアイテムとは、弥生の呆れ具合はお礼の言葉に表れていた。


 だが、その考えはすぐに変わる。スカーフに触れた瞬間に弥生は衝撃を受ける。ただの布ではない。詳しいことはよくわからない。しかし、断言できる。これは武器だ。


「これって……」

「どう使うのが正しいかはワシもわからないんじゃもん。使い方は自分で学ぶんじゃもん。さあ、行くんじゃもん」


「弥生また来てね」「次来る時はお茶もほしいな」「弥生好きー」「弥生今度はゆっくり喋ろう」

 さっきは引き止めたが、今度は早く行けといわんばかりに別れの言葉を並べられる。弥生は山の神に頭を下げる。そして、顔を上げ妖精たちに手を振る。そして、出口へと駆け出した。


 妖精たちはその背中を優しく見守った。が、山の神は違った。



 *



 喜助と天狗の戦いはまだ続いていた。その光景はもはや戦いというよりも鬼ごっこに近いものがあった。喜助の攻撃をひたすらかわし逃げ惑う天狗。天狗を逃がさないように追い込みを掛け続ける喜助。喜助は苦戦を強いられていた。喜助はそれが不思議でならなかった。奢りなどではなく喜助は間違いなく天狗より自分のほうが強いと感じ取っていた。実際、これまで喜助が天狗に攻撃できる場面は幾度か訪れていたのだが、その度に後一歩のところで逃げられる。なにかしらの術をかけられているのかと疑いたくなるほどであった。


 しかし、これは喜助の勘違いである。実をいうと、この時天狗のほうも奇妙な感覚に陥っていた。逃げるものを回り込んで追い込める。それができるということは喜助と天狗の間に大きな実力の差があるということだ。喜助はそれだけ強い。しかし、いざというところで手を抜かれて生き延びさせられてる。天狗が遊ばれていると感じても仕方ないほどであった。


 この奇妙な現象の原因に先に気づいたのは天狗のほうであった。といっても確信を持ってはいなかった。もしかして、という程度のものであった。天狗の予想というのは、この少年は無意識のうちに手を抜いているものではないか、というものであった。


 天狗のこの予想は当たっていた。一切反撃して来ない天狗に喜助は内心戸惑っていた。なぜ攻撃をして来ないのか、心のどこかでは疑問に思ってたはずだ。しかし、喜助はそんな邪念を振り払い戦い続けていた。結局は邪念を振り払えてないからこそ戦いは長引いているのだが。


 二人は激しく動いているのに、何も変化は起きず時間だけがむなしく過ぎていった。しかし、これは正しくなかった。変化がないというのは二人の間の話しだけであって、鞍馬山のなかでは大きな変化が起きていた。


 天狗はその変化に気づいていた。山から急激に気配が消えていっているのを。そして、ひとつの巨大な妖気が生まれ、すぐに山の外に消えたことも。一方の喜助はそんなことを知る由もなかった。

 天狗は終わらない戦いに終止符を打つために賭けに出た。


 一体何度目になるだろうか、喜助が右手を伸ばし天狗を取り押さえようとする。今までなら寸でのところで天狗が上手いことすり抜けていた。本当は喜助がそうなるよう無意識に調整していたのだが。今回も同じ結果になるだろう、喜助は心のどこかでそう感じていた。


 しかし、今回は違った。喜助の手はしっかりと天狗を捕らえた。喜助はそのまま捕らえた天狗を地面に押さえつける。喜助は目的を果たしたのに少し動揺した。


「どうした? もうばてたか?」

 喜助は余裕を持った笑いを見せながら言ったつもりであったが、実際は困惑の色が強かった。天狗は観念したともいうかのように真っ直ぐ喜助の顔を見ていた。


 天狗は少しの抵抗も見せなかった。天狗はわざと捕まることにより喜助が戦いをやめるのではないかと期待した。

 喜助はためらいながらも左手を天高く挙げた。

 そして、霊力を込める。


「悪・妖・退……」

 天狗の狙いは外れた。天狗は強く目を瞑る。


「ストーーーーーーーーップ!」

 弥生の叫び声が木霊した。

 喜助と天狗は背筋をびくっとさせたあと仲良く声の主を見た。


 全力で走ってきたのだろう弥生は息を大きく乱していた。弥生は二人の前まで来るとなにか喋ろうとしたが、一旦やめて、肩を落として、膝に手をつき呼吸を整えた。


 弥生の言葉を待つしかない喜助と天狗は体勢を変えることもできないので大変間抜けな姿勢で待つこととなった。思わず二人は一度目を合わせ、同時に首を傾げた。

 ようやく弥生は顔をあげ言葉を発する。


「天狗……さん? 事情は山の神から聴きました。今の状況は?」

 天狗の強面を見て弥生は思わず敬語を使う。


「今の状況はじゃないよ! ストップってどういうこと? 俺のこの左手はどうすればいいの?」

「うるさいわね。あんたは少し黙ってて急ぎなの……でも、いちょうそのまま抑えていてね」

 喜助から見たら敬語を使う相手を取り押さえてろと頼まれるおかしな状況なのだが弥生には関係ない。一体全体何が起きているかわからない喜助は言われたままにするほかなかった。


 天狗はというと驚いた顔をするが、やがて口を動かした。喜助には天狗の口から音が発されているようには思えなかった。しかし、弥生は天狗との対話を始めた。


「はい、そうみたいです。それで、その……悪堕ちした天狗っていうのは?」

 天狗は忙しく口を動かす。喜助は耳を澄ますがやはり何も聞こえない。

 天狗のなにかを聞いて弥生は絶望する。


「やっぱり! 急いで行かなくちゃ! どっちの村かわかりますか? 喜助、なにやってんの早く天狗さんを放して」

 取り押さえておいてといったのは間違いなく弥生なのだが、と心底喜助は思うが、黙って従ったほうが賢明と判断し、渋々天狗を解放した。


 解放された天狗は服に付いた土を払いながら何か発する。弥生は「おねがいします」といいながら喜助のほうを見た。


「なにが起きてるかは道中話すわ。とりあえず、今は急いで村に戻るわよ」

 弥生が言うのとほぼ同時に天狗が指笛を吹く。すると、どこからともなく二体の天狗が現れた。この天狗たちの髭も白かった。体格は目の前にいる天狗よりは少し小さい。喜助は思わず身構えるが、弥生にそんな素振りは全く見られない。


 四人はそのまま話し込み始めた。ひとり警戒態勢をとっている喜助は滑稽であった。それに気づいた喜助はゆっくりと力を抜いていった。そして、手を顎に持っていき首を大きく傾げた。


「なにボーっとしてんのよ! 行くわよ」

 なんで俺は怒られてるのか、喜助は当然の疑問を抱いたが今の弥生と争うのは勝ち目が見えなさそうなので諦めた。


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