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半妖伝  作者: 未々山田
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3.喜助と爺ちゃん

 翌朝、朝食の場に現れた喜助のおでこはまだ赤く腫れていた。その横で弥生は少し顔を赤らめながら喜助を睨んでいた。

 それを見たナツは、


「あらあら、一日で随分と仲良くなったのね。夕べは長いことお風呂場で話してたみたいだし」

「誤解を招く言い方するな!!」

 弥生は噛み付きそうな勢いで言う。


「爺ちゃんが友達とは裸の付き合いをしたほうがより親密になれるって言ってましたから」

「更に、誤解を招く言い方をするな!!」


「弥生も大人の階段を上り始めたか」

 皐月は目を細めて感心する。


「上ってない。誰かひとりくらい私が変態の毒牙にかかったことを心配してくれないの」

 すると、ウメ婆は喜助に向かって右手の親指を立て、よくやったといわんばかりにニヤッと笑った。それに対し喜助も同様のポーズを取り八重歯を見せて笑った。


 その光景を見て弥生はうなだれた。

「ここにはあたしの味方はひとりもいないのね」

 そんな弥生を無視して、みんなは朝食を始めた。弥生もぶつぶつ文句を言いながらご飯を取り始めた。


 朝食が終わりに差し掛かったところで喜助が切り出す。

「ウメ婆、明日、俺も弥生の護衛として鞍馬山まで行っていいですか?」


 突然の申し出にウメ婆の右目がカッと開く。それでも一般人の通常時の半分の大きさである。そして弥生の顔を見る。弥生は頷く。これは喜助の独断ではないことを示すためだ。弥生にとっても喜助が多少の変態だとしても、一緒に行ってくれるのは心強い。むしろ、裸を見られた可能性(お湯に浸かっていたから見えてないはず)があるのだから死ぬ気で護衛くらいしてもらわなきゃ納得がいかない。

 ウメ婆は少し考えていた。


「霊媒師の協力は禁止なんですよね、俺は霊媒師じゃないからいいじゃないですか」

 喜助が付け加える。しかし、それは意味ないことだと弥生はわかっている。そんな言い分はただの屁理屈だ。独り立ちのための儀式なのだから、霊媒師であろうとなかろうと人の手を借りてしまっては意味がない。


 ウメ婆はお茶を飲み終えたあとに

「よいじゃろう」

 とだけ言った。


「ありがとうございます」

 喜助は深々と頭を下げ礼を述べた。横で弥生もありがとうといいウメ婆に頭を下げていたが弥生の顔はあまり嬉しそうではなかった。それが喜助には不思議でならなかった。


 ナツと皐月は何も口出しせずそれを見ていた。



 *



 弥生は庭で弓の練習をしていた。的を射る確立は低い。そもそも集中していない。邪念でいっぱいなのは横で見ていた皐月から見ても明らかだった。しかし、皐月はなにも言わずに家の中へと引っ込む。


 入れ違いに喜助が家から出てくる。皐月はすれ違い際に、

「頼むぞ」

 と、喜助の耳元で小さな声で言った。


 喜助はなにを頼まれたか曖昧だったがとりあえずしっかりと頷いといた。

 喜助は庭に出ると、縁側に座ってただ練習する弥生を見ていた。喜助が庭に出てきた目的は特にない。ただ暇だったからである。それでも目的をあえて挙げるとするなら先ほどの弥生の表情が気になったので様子を見に来た、というくらいだ。


 喜助が現れたら弥生は喜助に無駄に突っかかると思われたが、意外にも弥生は喜助に気づかないふりをして弓の練習を続けた。


 無意味な沈黙が続く。

 喜助は皐月の言葉をなんとなく理解した。喜助には弥生がなにかに怯えているように見えた。しかし、なにに怯えているかは喜助にはわからなかった。


 そんな弥生を見てなにか話さなければとは喜助は思うが、喜助はその術を知らない。喜助は人との、友達との接し方を知らない。それは、喜助の生い立ちと大きく関係する。



 *



 喜助はとある島で祖父に育てられた。母親は喜助が弥生に話したとおり、魂が鬼に奪われ目を覚ますことはない。父親も家にはいない。両親がいない、そんな寂しい状況とは裏腹に喜助は祖父のもとですくすくと育った。


 喜助が五歳のときである。二人が暮らす家は村から離れた場所にあった。祖父はいつものように村まで食料の調達に向かおうとした。普段なら大人しく留守番をする喜助が村まで一緒に行きたいと強く言い出した。子供の心理としてはなんら特別なことではない。ひとり家に残るのは楽しいことではない。そして、なによりも村へ行ってみたいという思いが喜助にはあった。


 喜助は以前から村へ行きたいということは祖父にしっかりと伝えていた。しかし、その度に祖父はまた今度な、とはぐらかした。幾度も先延ばしにされた喜助の不満は募りに募ってその日限界を迎えたのである。


 それでも祖父は頑なに喜助を村に連れて行くのを拒んだ。喜助は大声で泣きながら駄々をこねたが祖父は一切取り合わなかった。

 結局、その日も喜助の願いは叶わず家に置いてかれた。


 残された喜助は家から祖父を消えて見えなくなるまで目で追い、しっかりと村があると思われる方角を記憶した。その後は、大人しく祖父の帰りを待った。


 数日後、祖父は山に山菜をとりに向かった。いつもなら喜助もついて来てその辺で虫取りをしたりして遊ぶのだが、珍しく喜助は家に残ると言い出した。祖父は不審に思いながらも、無理に山に連れて行く必要はなかったので喜助を置いてひとりで山へと向かった。


 無論、喜助がなんの目的もなく家に残るはずはなく、企みがあった。

 喜助は祖父が山に行ったのをしっかりと確認すると、すぐに家を出た。


 喜助は祖父にどれだけ村へ連れて行ってと頼んでも無駄だという結論に達した。だから、祖父の目を盗みひとりで村に行くことにしたのだ。


 喜助の胸は期待と不安でいっぱいだった。村とは一体どんな場所なのか。喜助の鼓動は高鳴った。


 喜助が妄想を膨らます間もなく、村には拍子抜けするほどあっさり着いた。喜助が家を出てから半時も経っていない。その光景もなんら特別なものは何もなかった。自分が暮らす家と似たり寄ったりの小屋が点々とあるだけだ。喜助にはわからなかっただろうが村というほどの規模でもない。集落と呼ぶほうが正しいだろう。


 なんの変哲もない村を見て喜助は思う。祖父はなぜ村に連れてきてくれなかったのか。疑問を抱きながら喜助は村を練り歩いていると、喜助と近い年齢であろう少年たちを見つけた。


 喜助に緊張が走る。実は喜助は祖父以外の人と話したりしたことがなかった。緊張するのも無理はない。


 喜助はゆっくりと少年たちに近づいた。頭の中ではなんて声をかけようか、そんな簡単なことでいっぱいだった。


 少年の一人が喜助に気づく。喜助を指差し、他の少年たちになにかいうが緊張のせいか喜助には聞き取れなかった。少年たちは一斉に喜助を見た。その瞬間、その場の空気が変わったことは喜助でもわかった。


 少年たちの目は異形のものを見るようであった。それにも怯まず喜助は震える右手を上げ、悩みに悩み抜いて選んだ言葉、といっても平凡な挨拶なのだが、

「こんにちは」

 と、消え入るような声で言った。


 その声は少年たちには届かなかった。少年たちはすでに喜助から逃げるよう走り出していた。悲鳴のような声をあげながら。


 待って。喜助は声に出したつもりだったが、ひどく動揺した喜助の口からはただ息が漏れただけだった。


 なにがいけなかったのか。その場にひとり取り残された喜助は呆然としてその場に立ち尽くした。幼かった喜助はやがてわんわん泣き出してしまった。


 と、意外にも泣き喚く喜助の前に逃げ出した少年たちはすぐに戻ってきた。ただし、大人を何人か連れてだ。


 喜助を見た大人たちは一瞬で顔色が変わった。そして、幼い喜助に罵声を浴びせ始めた。傍か

ら見れば異常な光景であった。大の大人が寄ってたかってひとりの幼い少年に汚い言葉を吐き続けているのだから。


 喜助はなにをいわれているかはわからなかったが、彼らが怒っていること、そして、自分はここに来てはいけない存在だということは理解できた。

 混乱する喜助の頭に小石がこつんとあたった。


 少年たちが喜助に石を投げ始めたのだ。大人たちはそれを止めるどころが一緒になって石を投げ始めた。


――なんで? なんで? 

 喜助にはなぜこんな仕打ちを受けるかなどわかるはずがなかった。


 喜助はたまらず全力で走り出した。

 走り出す間際、最後にしっかりと聞こえた。

「出てけ、厄災! 二度と村に近寄るな!」


――なんで? なんで?

 その言葉は喜助の耳にいつまでも残った。


 息を切らし、目を真っ赤にして喜助は家に戻った。家にまだ祖父は帰っていなかった。喜助は布団にもぐり再び大きな声をあげながら泣き続けた。


 陽が傾いてから祖父は家へと帰ってきた。喜助は居間で本でも読んで待っているものだと思っていたが居間に喜助の姿はなかった。祖父は喜助の名を呼んだが返事はなかった。おかしいなと思いながら寝床へと足を運んだ。寝床には布団が敷かれていて、子供ひとり分の膨らみができていた。喜助が布団の中にいるのは明らかであった。祖父は安堵のため息を漏らしながら布団をめくった。祖父は驚いた。喜助は眠りのなかでも泣いていた。


 家にひとり置いていったから泣いたとかそんなちゃちな理由ではないことは喜助の様子を見てすぐにわかった。目はすっかり腫れ、枕もびっしょりと濡れていた。どれだけの間泣いていればこんな風になるのだろうか。考えただけで祖父はぞっとした。


 いったいなにがあったのか。祖父が悩む間もなく誰かが乱暴に戸を叩いた。

 喜助は知らなかったが、この家にはわけあって誰も訪ねてこないはずである。しかし、雑なノックは止まない。間違いなく今誰かが家に来ている。


 来る筈のない訪問者。泣き疲れて眠る喜助。祖父は全てを察した。

 戸を開けると案の定、村人たちが立っていた。村人たちは怒りに震えながら口々に言った。


「どういうことだ! あのガキは村に絶対に入れるなと言ったはずだぞ!」

「うちの子供になにかあったらどうする気だ」

「あんなガキは島に置いとけねえ、島から出てってくれ」

 祖父は黙ってひたすら非難の嵐が過ぎるのを待った。


 数分後、村人たちはようやく静かになった。といっても、喋り疲れただけで満足はしていないようであった。

 祖父は息切れしている村人たちにぽつりと言う。


「うちの喜助がなにかしましたか?」

 その一言に村人たちは血相を変えて捲くし立てる。

 再び、祖父は村人たちの怒りを、知らん顔をして話を聞き流す。

 その態度にとうとうひとりの村人が祖父の胸倉を掴み叫ぶ。


「ふざけてんのか! じじい!」

 祖父はゆっくりとはっきりと、言う。

「もう一度言う、うちの喜助がなにかしましたか?」

 祖父が放つ迫力に村人は思わず手を放す。喜助の目からは静かな怒りが見て取れた。他の村人たちもぴたりと黙り込んでしまった。


 その時、群集の後ろから場違いな笑い声があがる。笑い声の主は村人たちに道を開けるよう頼む。村人たちはすぐに道を開ける。


 長い白髭を蓄えた老人がゆっくりとその道を進む。白髪の量から年齢はかなりのものと予測できるが、それに反して体はがっちりしていて老いを感じさせなかった。


「キイチよ、お主のいいたいことはわかるがそれでは約束と違うではないか」

 キイチとは喜助の祖父の名だ。


「長老もひとが悪い。いたのなら最初から出てきてくださいよ。そしたらこんな若造どもの戯言を聞かずに済んだというのに」

 キイチの言葉に反応し、その若造どもは身構えたが、長老に手で制される。


「若い者たちの言葉に耳を傾けるのもじじいの役目じゃろ。それで、今回の件、どう始末を付ける気じゃ? 確かに喜助はなにもしていないが約束を破ったことに違いはないぞ」

「約束は喜助を村に入れない、村人に近づけない……でしたかな?」


「そうじゃ。それを条件に喜助を育てても良いとしたはずじゃが?」

「そうでしたな……なら今回は問題ないですな。喜助が私に内緒で勝手に村に行ってしまっただけじゃからな」

 喜助の言い分に村人の怒りは頂点に達した。


「ふざけんなよ糞じじい!そんな理屈が通るとでも思ってんのか!」

 興奮のあまり倒れるのではないかと心配するほどの村人とは相対的に、キイチはあまりにも落ち着いた口調で答える。


「そうは言われてもな、喜助ももう自分の足で歩くし、自分の意思を持って行動する年齢になった。そんな喜助の行動をこの老いぼれが制限するのは最早不可能、交わした約束など喜助が成長した時点でなんの意味もないんじゃよ」

 さすがに長老も怪訝な表情を浮かべる。


「そんな言い分で今回のことは不問にしろとでも?」

「そうじゃ」

 喜助の言葉に村人たちがざわめく。そして、誰かが呟く、正気か、と。キイチはそれを聞き逃さない。


「正気かじゃと……?」

 キイチは落ち着きを保ってはいたが、その声は怒りに震えていた。


「それはこっちの台詞じゃ! お前らはあんな小さな子供のなににいったいそんな怯えてるんじゃ!」

 キイチの怒声が響く。

「喜助はただの子供じゃ。それをお前らは……」


「キイチ、前にも言ったじゃろ、お前の言いたいことはわかる……じゃが」

 長老はなだめるように言う。


「わかるじゃと……いったいなにがわかるというんじゃ」

「お前の気持ちじゃ!……だから、どうか落ち着いてくれ友よ」

 キイチは黙って長老の顔を見た。村人たちも静かに二人の様子を見守る。


「お前の気持ちはわかる……じゃが、喜助はあまりにも、そう、あまりにも特別な子じゃ。それがわかっているからこそお前も約束を承諾したんじゃろ」

「そうじゃ……喜助は特別な子じゃ。それは私も、お前も、島の大人たちは全員わかってる。じゃがな、喜助はそんなこと知らない。たとえ知ってもどうしようもない。そんな喜助の気持ちを、生まれながらに罪を背負わされた喜助の気持ちを本当にわかると言えるのか?」

 キイチの涙ながらの訴えに長老も村人たちも何も言い返せなかった。


「喜助が村に行くのを、普通の生活を送るのを許してくれないか」

 キイチは搾り出すような声で言った。キイチの言葉に村人たちはなにも言えなかった。そして、一斉に長老の顔を見る。


 長老は村人たちの表情から村人たちがなにを望んでいるのかがすぐにわかる。判断を委ねられた長老はゆっくりと首を横に振り、

「済まぬ」

 と、だけ告げた。


 キイチは体を震わせた。そして、顔をあげ長老の顔を睨む。長老はそれを正面からしっかりと受け止める。次の瞬間、キイチは長老に飛び掛ろうとした。


 その時だった、いつからか喜助は起きてやり取りを見ていた。喜助の目には自分をいじめた人々が今度は爺ちゃんをいじめているように映っていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。もう村には行きません。だから爺ちゃんをいじめないで……」

 喜助はその後も泣きながら何度も何度もごめんなさいと言い続けた。


 喜助の言葉は村人たちの胸に響いた。どう見ても喜助は祖父思いの優しい少年。村人たちにもそれがはっきりとわかった。村人たちの中に喜助を許したいという気持ちが芽生え始める。しかし、邪魔する。村人たちは喜助の顔を見るとどうしてもある男の顔を思い出してしまう。その顔は村人に恐怖として植え付けられている。


 自分の気持ちに反して喜助を許すことのできない村人たちは目を伏せ、どうすることもできずその場に立ち尽くした。


 長老はそんな村人たちを見て嬉しいようにも、悲しいようにも見える不思議なため息を吐いた。


「お主らは先に村に戻れ」

 長老の言葉に村人たちは素直に従い、無言のまま家から出て行った。

 家には喜助とキイチ、長老の三人だけとなった。


 長老は泣きじゃくる喜助の頭をゆっくりと撫で、尋ねた。

「喜助よ、爺ちゃんは好きか?」

 喜助は顔をあげて大きく何度も頷いた。


「そうか。それはよかった」

 長老は嘘偽りのない笑顔を見せた。


「おじいちゃんはだれ?」

「わしか? わしはキイチの、爺ちゃんの親友じゃ……ところで喜助よ、ひとつ約束をしてくれないか? もう二度と村には来ない、村人にも近づかないと」

 喜助は目を伏せ少しの間黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「そしたらもうおじいちゃんをいじめたりしない?」

 自分のことよりも祖父の身を案じる喜助を見て長老は切なくなった。なぜこんなにも良い子がこんなにも辛い目にあわなければいけないのだろうか。しかし、嘆いても長老にもどうにもできない。


「……勿論じゃ」

「じゃあ、約束する」

 キイチはそのやり取りを悲しそうに見ていた。


「そうか。それじゃ指きりじゃ」

 長老はそういい小指を立て喜助の前に差し出す。


「おじいちゃんは爺ちゃんの友達なんだよね? じゃあもうひとつ約束して、また遊びに来るって、爺ちゃんが寂しくないように」

 喜助は大きな声で言った。


 意外な言葉にキイチと長老は目を合わせ笑った。

「別にわしは喜助が居れば寂しくなどないは」

 キイチが不満げに漏らす。長老はそんなキイチを無視して言う。


「ああ約束じゃ」

 その言葉を聴いて喜助も小指を差し出し、長老の小指に強く結ぶ。

 そして嬉しそうな声で叫ぶ


「指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ます! 指切った!」

 喜助は大きく手を上下に振り、掛け声とともに指を解く。


 長老はそんな喜助をどこか悲しげに見た。そして、キイチの方に向きなおし、

「今回のことは不問とする。次はないと思え」

 そう言い残し家を出た。喜助とキイチはその背中を見送った。

 と、途中で長老は振り返り言う、


「喜助、またなー」

 喜助はバイバイと大きく手を振った。長老は今度こそ村へと戻っていった。

 以来、喜助が村に行きたいと言い出すことはなくなった。


 その晩、喜助はキイチに色んなことを訊きたかった。なぜ自分は村には行ってはいけないのか。なぜ自分は村の人たちにも忌み嫌われてるのか。しかし、喜助はその全てを我慢してひとつだけ尋ねた。


「ねえ、爺ちゃん。友達ってどういうものなの?」

 喜助の意外な質問にキイチは少し戸惑ったが、


「喜助、お前にもいつか友達ができるはずだ。その時の楽しみにとっとけ」

 と、キイチはそう言った。


 しかし、以後十年、現在に至るまで喜助には友達はできていいない。



 *



 喜助は思う。爺ちゃんは色々なことを教えてくれた。綺麗な魚の食べ方とか、熊は足が短いから下り坂が苦手とか、眠れないときは羊を数えたら逆に目が覚めてしまうとか。でも、困っている友達に何を話せばいいかは教えてくれなかった。そもそも、弥生が困っているという確証もないのだが。

 どのくらい悩んでいただろうか。結局、喜助は何もできずにいた。


 一方の弥生は喜助がただそこにいるだけで、何がしたいのか全く理解できず苛苛した。それでも弥生が無視し続けたのは喜助がなにかを言い出すという期待を持っていたからであろう。

 その時、声がした。


「やー姉、きー兄」

 予期せぬ形で二人の間の気まずい沈黙が突如破られた。


 声の主は葵と太一だ。いつのまにそんな呼び名が決まったのか、どうやらきー兄は喜助のことを指しているらしい。

「葵に太一、どうしたの」

 弥生は手を止め取り合う。


「お母さんが昨日のお礼にこれをって」

 そう言い。風呂敷を手渡した。弥生はそれを受け取ると丁寧に開ける。中には大量のおはぎがあった。


「お母さんのおはぎはとっても美味しいんだよ」

 太一は自慢げに言う。太一がそういうだけあって、見栄えも上々であった。


「そう、じゃあみんなで食べようか。変態、あんたも食べるでしょ」

 弥生は二人に対するものと比べてきつい口調で喜助に言う。それでも喜助は一切動じずけろっとしている。


「おはぎってなんだ?」

「あんたおはぎも知らないの? まあ、いいわ食べればわかるよ」

 呆れた顔をしながら弥生は葵と太一を家へと促す。

 四人は縁側に並び座った。


「お母さん、葵と太一がおはぎもって来てくれたから、お茶頂戴」

 弥生はできる限り大きな声で家の中にいるであろうナツに話しかける。


「あら、本当に。葵ちゃん太一ちゃんわざわざありがとうね。今持って行くから少し待ってて」

 すぐに家の奥からナツが返事をする。


「先にいただこうか」

 弥生はおはぎを三人に配る。が、喜助への渡し方はどこか雑である。


「いただきまーす」

 四人は声を揃える。そして、かぶりつく。


「うおっ、なんだこれ、超旨い」

 喜助が感激する。太一は嬉しそうな顔をして言う。


「でしょ! お母さんの料理は凄いでしょ」

「うん。この村の人はみんな料理が上手いんだな」

 喜助は感心して言う。


「お褒めの言葉ありがとうございます、変態さん」

 弥生は興味なさげに言う。


 弥生の言葉に葵と太一は首を傾げる。葵が口いっぱいに頬張ったものを飲み込むと切り出す。

「ねえねえ、きー兄は変態なの?」

「いや俺は変態じゃないよ、健全だよ」


「健全ってどういうことよ。葵、気をつけなさい、そいつはど変態だから」

「やー姉があー言ってるけど、ど変態なの?」


「いや俺はど健全だよ」

「ど健全ってなによ! いい、こいつは乙女のお風呂を覗こうとするど変態なのよ」


「きー兄それはダメだよ」

「覗いたわけじゃないんだけどな。そうかー、でも俺は爺ちゃんとよく一緒にお風呂入ってたぞ。葵は入んないの」


「お母さんとかとは一緒に入るけど、男の子と女の子は一緒に入っちゃダメなんだよ」

「ふーん、そうなんだ」


「そうなんだじゃないわよ! 当たり前でしょ!」

「なんでダメなんだ?」

「なんでだろう? やー姉なんで?」


「なんでって……」

 弥生は言葉を詰まらす。なんで男女が一緒にお風呂に入ってはダメかなど説明する必要もないはずである。まして、葵や太一のような子供に説明するならまだいいが、自分と同じ年齢の男に説明しろなどもってのほかである。


 固まる弥生に追い討ちをかけるように太一まで、なんで? と言い始める始末である。

 弥生はこのおかしな状況に混乱し始めた。まるで自分の思考がおかしく、男女が一緒にお風呂に入ることがやらしいと考える自分こそが変態なのではないかと。

 弥生は顔を真っ赤にして固まったままでいた。


 そんな弥生を喜助はほっといて葵に尋ねる。

「男と女が一緒はダメなら、お父さんともダメなのか?」

 ひとり変な方向に走りかけていた弥生が思考を正常に戻す。喜助が地雷を踏んだからだ。弥生は慌てて話題を変えようとするがそれよりも先に葵が俯いたまま答える。


「わかんない。お父さんいないから」

 遅かった。いや、今からでもまだ間に合う。そう思った弥生は再び話題を変えようとするが、またしても出遅れる。


「そっか。俺も父さんいないし、弥生もそうだし、お揃いだな」

 なんと無神経な発言だろうか。お父さんがいないことがお揃いで嬉しいやつなどはいないであろう。弥生は喜助を睨むが喜助は全くそれに気づかない。


「きー兄もお父さんいないの?」

「そうなんだよ。生きてはいるみたいだけど、どこにいるかはよくわかんないんだ。まあ家出みたいなものかな」

 喜助は明るく答えるが、母親は仮死状態で父親は家出。喜助はかなり複雑な家に生まれたようだ。しかし、こんな時代なのに生きているのははっきりしているということが弥生には引っかかた。行方不明者の多くは死んだものと考えるのが今の常識である。


「ふーん。そうなんだ。いいなー、生きてるのがわかってるなら。私たちのお父さんはね生きてるかわかんないんだ。お母さんはもう絶対に亡くなってるっていうけどね」


 葵は寂しそうに呟く。太一も悲しそうな顔をしながらおはぎに噛み付いていた。

 重たい空気が流れる。喜助も察知したのかなにも言わない。こういう空気が流れたときこそ無神経を発揮してほしいと弥生は願うが、喜助は微動だにしない


 そこに状況を知らないナツがお茶を運んでくる。

「みんなお待たせ。冷めないうちにどうぞ」

 ナツはお茶を四人に渡して弥生の横に置いてあったおはぎをひとつ軽快に口に運ぶ。


 そんなナツとは裏腹に四人は暗い顔をしたまま無言でお茶を飲み始めた。

 ナツはもういい大人である。この場に流れるしんみりとした空気を敏感に察する。


「あれれ、どうしたの? なんかみんな暗いね」

 いい大人だが決して言葉選びが上手いとは言えない。ナツには正面突破という選択肢しかないようである。


「ナツさん、お父さんってどういうものなんですか?」

 喜助が唐突に質問をぶつける。四人が一斉にナツに視線を注ぐ。


――どういうものといわれても……。

 これは難問だ。ナツはそう感じた。


 この場にいる子供全員が幼いうちに父親をなくしている。父親というものを褒めればより一層悲しさが増すだろうし、かといって貶すわけにもいかない。ほどよい印象を与える必要がある。

 悩んだ結果ナツが出した答えは


「みんなのお母さんの最愛の人よ」

 自信有りげに答えるが、


「お母さん、答えが完全に大人目線になってる。子供目線の答えを頂戴よ」

 そりゃそうか。ナツは我ながら間抜けだと思った。


 しかし、フォローしてくれると思っていた弥生までがこの話題を切る気がない。答えを頂戴とまで言う始末だ。やはり、弥生も幼くして父親を亡くした身として気になるのだろう、お父さんというものが。


 少し悩んだナツが思いつく。

「あー、そっか、わたしのお父さんのことを思い出せばいいのね。そうね……わたしののお父さんは……ウメ婆のパシリみたいな存在だったわね」

「パシリって! お爺ちゃんってそんな扱い受けてたの」


「そうよ。うちは代々女性が強い家系だからね。お父さんが喧嘩で勝ったところは一度も見たことないわ」

「お爺ちゃん……」

 弥生はかすかに残る記憶の中のお爺ちゃんに同情する。


「うちのお父さんもそうだったのかな?」

 葵が首を傾げて太一を見る。弟である太一が知るはずもなく見合わせて首を傾げる。


「うーん、どうだろう。帰ったらお母さんにきいてみな……」

 ナツの言葉に弥生は慌てて首を振って目で合図を送る。喜助には母親もいない。だから、ナツの台詞は少々まずい。喜助は帰っても母親に聞くことができないのだから。


 弥生の意図を理解したナツがしまったと顔をしてチラッと喜助を見る。当の喜助は知らん顔をしてた。


 あれ? と弥生は思う。ナツに合図を送ったはいいが、よく考えれば喜助に母親がいないことをナツは知らないはずである。弥生がその事実を知ったのは昨夜の風呂場でのことなのだから。父親の話は喜助の質問からわかるが……。合図を違う風に解釈したのだろうか。だとしたら喜助のほうは見ないだろう。弥生が知らぬうちに話したのか。弥生はそのことに問おうと思ったが、また冷やかされそうなのでやめた。


「うん。そうしてみる」

 葵は笑顔で言った。お父さんのことを聞くのが楽しみなのだろう。

 なんとか小さな窮地をしのいだナツはそれを見たあと家の中へと戻った。


 気分が晴れたのか、葵と太一は足を楽しそうにパタパタとさせながらおはぎをもうひとつ頬張った。喜助もそれを真似た。


 そんな二人の姿を見てほっとした弥生は立ち上がり再び弓矢の稽古を始めた。

 特にすることのない三人は弥生の特訓を眺めることにした。矢が的を射抜くたびに葵と太一はおーっと歓声をあげる。喜助は拍手を送る。弥生はやりにくさも感じるが、喜助はともかく葵と太一まで追い出すわけにはいかないので黙々と稽古を続けた。


「ねえねえきー兄もやっぱり特訓とかしてたの?」

 唐突に太一が目を輝かして言う。


「うーん、特訓かー。みたいなことはしたかなー」

「じゃあ、僕も特訓したらきー兄みたいに強くなれるかな?」

 男の子は強さに憧れるものだ。太一も例外ではない。


「それは無理だ」

 喜助はばっさりと太一の憧れを切り裂く。


「えっ!」

 黙って練習に打ち込んでいた弥生が思わず声を漏らす。放たれた矢は大きく的をはずす。

 信じられないという顔で喜助を見る。空気は読めないやつとは思っていたがここまでとは。子供相手になんて冷たいのだろう。


「そっか……」

 太一はがっくりと肩を落とす。


「そうだよ太一には無理だよ」

 葵は太一の肩をぽんぽんと叩いて慰めなのかどうか怪しい言葉をかける。


「うう」

 太一は泣きはしないが、やはりショックなのだろう。子供特有ともいえるうめき声で悲しさを伝える。


「太一が弱くても大丈夫だよ、やー姉がついてるから。皐月おばちゃんがやー姉は凄い霊媒師になるって言ってたってお母さんが言ってたよ」

 葵の純粋な眼差しが痛いほどに弥生に突き刺さる。


「う、うん。ありがとう」

 突然の葵からの信頼に弥生は戸惑いつつも応える。

 弥生は心の奥では否定していた。弥生には村を守るほどの力がない。少なくても弥生自身はそう思っている。


 そんな動揺する弥生を喜助はしっかりと見ていた。

「うー、そうだけど、僕も強くなってみんなを守りたいんだ」

 純粋な太一の言葉は弥生を苦しめる。


 弥生は太一のようにみんなを守りたくなどない。

 いや、この言い方は正しくない。みんなを守りたいという気持ちは弥生にもあるが実力がついてきてない。なのに、みんなは弥生を信頼している。弥生は村を守れると信じて疑わない。だんだんその信頼は重たくなっていった。


 弥生も言いたい。強くなってみんなを守りたい、と。少し前なら言っていた。しかし、今はそれを口に出せない。自分は強くなれないし、みんなを守れる自信がないから。

 そんな弥生の複雑な思いなど知らない喜助は呑気な返事をする。


「そうか……みんなを守るか。うん、それぐらいならできるかも。頑張れ太一」

 なんじゃそりゃ。弥生は怒りを通り越して呆れる。数秒前まで無理だと言ってたやつがそんなことを言い出すとは。手のひらを返すとはこういうことかと思う。さらには、みんなを守るくらいならできるとぬかした。守る。そのことが如何に難しいか知っている弥生にとっては聞き捨てならなかった。

 そんな弥生の思いをよそに、太一の顔はみるみる明るくなった。


「うん、がんばる。何したらいいかな?」

「うーん……わからん」

 台詞とは裏腹に自信に満ちた声だった。


 やっぱダメだこいつ。喜助に突っかかるのは無駄だと判断した弥生はため息を吐く。

「きー兄はどんな特訓してたの?」

「それは秘密」


「えー、いいじゃん教えてよー」

「いいや、ダメだ。お爺ちゃんに誰にも言うなって言われてる」

 喜助から再び秘密が出てきた。些細なことではあるが喜助はやはり素性を隠したがっている。それが弥生には引っかかる。


 ここまでで弥生がわかったことは喜助はお爺ちゃんの言いつけを守って旅しているということだ。このルールを利用すればもっと色んな情報が引き出せると睨んでいる。事実喜助は何を隠すべきかの基準は曖昧である。例えば、母親の魂から鬼の奇石が創られた事などの最重要になりそうな秘密はあっさり話したりしている。


「お爺ちゃんが言うなら仕方ないね」

「うん、そうだね」

 葵と太一があっさりと引く。

 仕方ないのか? 弥生はまたしてもひとり違う価値観となってしまった。こいつらみんな爺ちゃんっ子か。


「もう、そろそろ帰るね。やー姉、明日がんばってね。はい、これお守り」

 葵は立ち上がり弥生に手作りの簡易なお守りを渡す。


「えっ、うん、ありがとう。頑張るね」

 弥生は意表を衝かれた。葵たちまで知っているのか。弥生にとっては嬉しいことでない。葵と太一は大きく手を振ると家へと帰っていった。


 二人の影が完全に消えたのを確認して弥生は口を開こうとした喜助のほうが早かった。

「明日本当に頑張るの?」

 喜助の問いに弥生はドキッとする。


「はぁ? 頑張るに決まってんでしょ。そんなことよりもあんたもっと空気読みなさいよ」

「えっ、なにが」

 喜助は本気で言っている。だからこそ厄介だ。


「いい? 父親がいないってわかったら話題を変えるとかあるでしょ。二人ともまだ子供なんだからもっと気を使いなさい」

「いや俺もいないんだけど」


「今言いたいのはそういうことじゃない! それになんで太一にあんな冷たいこと言うのよ」

「あんなって、どんな?」


「どんなじゃないわよ! 強くなるのは無理とか言ったやつよ」

「あー、あれか。でも実際難しいだろ? 太一が強くなるのは? それに俺みたいにとなると尚更だ」

 喜助は当然のようにいう。引っかかる言い方ではあったが喜助の言い分は弥生にもわかる。太が求めるた強さは妖魔を倒せる強さだ。妖魔と戦うためには高い霊力が必須だ。霊力は生まれながらの才能によるところが大きく努力でどうにかなるものではない。そして、太一はお世辞にも霊力が高いとは言えなかった。


「確かにそうけど……でも、そういう問題じゃないでしょ?」

 弥生は言いたいこと上手くは言えなかった。が、喜助に言いたいことは伝わったの。喜助は弥生の方を真っ直ぐ見た。


「ううん、そういう問題だよ」

 喜助は冷たく言い放った。

 曖昧な会話ではあったが二人の中でなにを議論しているかはしっかりと噛み合っていた。


「ったく、太一は子供なんだから嘘でも強くなれるっていってあげればいいのに」

「嘘はダメだって爺ちゃんが言ってた」


「また爺ちゃん? 少しは自分で考えれば? いい? 吐くべき嘘もあるのよ」

「うん。爺ちゃんもそう言ってた」


「なら、なんであんな風に言ったのよ?」

「さっきは嘘を吐くべきじゃなかったから」

 弥生は黙って喜助を睨んだ。睨まれても喜助は弥生から視線をはずさない。


「なら、弥生はさっき太一に強くなれるよって言えばよかったって思うの?」

「そうよ。だから今こうして怒ってんでしょ」


「そんな嘘吐いても太一を苦しめるだけだよ」

「なんで太一が苦しむのよ……いや、もういいわ」

 弥生は争うのをやめた。どこまで言っても平行線なことがわかったからだ。稽古に戻る気も起きない。そのまま家へと戻ろうとした。


「それは弥生の方がわかるんじゃないの?」

 弥生は喜助の言葉の意味を図りかねた。ほっといてそのまま行こうとした。


「でもみんなは嘘を吐いてるわけじゃないと思うよ」

 弥生ははっとして立ち止まる。喜助の言いたいことがわかってしまったからだ。

 振り返ってなにか言い返そうとしたが言葉が見つからなかった。喜助はまだ真っ直ぐと弥生を見つめてた。


 弥生は無言で戻っていった。

「うーん、友達って難しいんだな」

 喜助はひとりで呟いた。その姿はどこか嬉しそうでもあった。


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