妹が生まれてから(3)
六年生になってから、初めて疑問に思ったことがある。我が家では、なぜか父と母の誕生日を祝わない。父は六月一七日、母は十月十日なのだが、二人は全くと言っていいほど、誕生日の話をしない。弁護士の仕事が忙しいと言う事もあるだろうが、それにしてもあんまりではないか。そこで、その疑問を二人にぶつけたところ、意外な答えが返ってきた。
「どうせ、歳が一つ増えるだけだからな…。もう、四七になるし…。誕生日ではしゃぐのは大人げないだろう?」
「また、お父さんはそんなことを言ってから…。お母さんは祝ってもらえるなら、毎年やって欲しいなぁ…。お父さんみたいに、もう四七になるからとか言わないんだから。でも、やっぱり無理かな…。この仕事、すごく忙しいし、広道と海美の誕生日を祝うために、休みを取るだけでも大変だからね」
父と母が全く違うことを言うのも意外だったが、もっと意外だったのは、母が毎年誕生日を祝って欲しいと言う事実だった。物心ついた時から、一度も父と母の誕生日祝いをしていないから、二人とも興味がないと思っていた。
しかし、母はそうではなかった。確かに二人は忙しい…。特に母は今、海美がいるので、別の意味でまた忙しかった。でも、家にいる時間がそれなりにあるから、その気になれば、母は自分の誕生日祝いをできるはずなのに…。もしかしたら、母は自分で自分の誕生日を準備したくないのかもしれない。ちょっとしたプレゼントなら、小六の僕でも準備できる。でも、さすがに料理やケーキなどは作ることも買うことも無理だ。そこで月に一度の父の休日を使って、父に思っていることを話してみた。
「そうか、広道も立派になったな…。父さん、うれしいよ。よし、たまには母さんの誕生日を祝おう。でも、その前に父さんと海美と広道の誕生日がある。たまには、父さんも祝って欲しいな…。よし、来月は一七日に休めるようにしよう。そうすれば、広道は父さんの誕生日も祝える。やっぱり、どちらか片方と言うのはよくない」
「あれっ? 父さん、この前、『誕生日は歳が一つ増えるだけだし…』なんて言っていたのに…。この前と言っていることが全然違うし…」
そう言うと、父は珍しく顔を赤らめた。僕はますます父のことが分からなくなった。一つ分かったことは、父が案外ひねくれていると言うことか。
そして、僕が生まれてから初めて、父の誕生日を家族で祝うことになった。この年は偶然にも一七日が第三日曜となり、父の日と誕生日を一緒に祝った。
「誕生日と父の日が重なると、なんかめでたさが二倍になっていいな…」
「何言っているのよ。誕生日祝いなんかしなくてもいいって、言ってたくせに…」
「まあ、たまにはいいじゃないか…」
父と母のやり取りがいつになく楽しそうに見えた。僕は父にネクタイをあげた。母はクールビズ用の品のいい長袖のシャツをあげていた。海美は保育園で作った父の似顔絵をあげていた。父の絵だと言われないと、何の絵か全く分からない…。しかし、海美が
「お父たん、これあげる」
と言って渡すと、父だけでなく、家族全員がメロメロになってしまうのであった。ちなみに海美は、母の日にも保育園で母の絵だと言われないと何の絵か全く分からない絵を書いて、母に渡していた。やはり、この時も同じようなやり取りがあって、みんなメロメロになった。
夏休みを迎える前に同じクラスの小石から突然話しかけられた。普段、あまり話をしたことないのに、急に話をかけられたから少しびっくりした。
「大原の父ちゃんと母ちゃんって、すげえな!」
「何が?」
「だって、お前の父ちゃんも母ちゃんも弁護士やっているだろう?」
「うん」
「うちの母ちゃんが言ってたけど、『大原法律事務所はすごい』ってよ」
「そうなのかな…」
「そうなのかなって…。弁護士って言うのは、うーんと勉強しないとなれないんだろう。お前だって、今からたくさん勉強しないと、後が継げないから大変だな。うちは本屋だから、そんな心配はしなくてもいいんだけどね」
最後の二言が余計であるが、確かに小石の言う通りであった。六年生になってから、週に三回塾に通うようになった。何でもあの名門、灘山中学校受験のためらしい。始め、僕はあまり乗り気ではなかったけど、父から弁護士になるのに必要だからと言われて、渋々やっている。きちんとやっていると、父も母もほめてくれるので、それに乗せられているような気がする。それに父から見せてもらった黄金のヒマワリのバッチの感激が強かったこともある。ホイホイとのせられて、いつの間にか、夏休みは塾の集中講座に参加することが決まっていた。
七月二一日、海は三歳になった。いつもなら、この日から夏休みが始まるので、それだけでウキウキするのに、この年はそうはならなかった。なぜなら、塾の集中講座のせいでお盆を除いて、ほぼ毎日塾があるからだ。残りの三人はそんなことはおかまいなく、楽しそうに海美の誕生日祝いをしていた。全く、のんきなものだと、勝手に思い込んでいた。
夏休みの塾は変な熱気がこもっていた。それぞれが親の期待を背負って、私立中学受験の合格を目指して頑張る。僕は灘山中学校への合格に向けて、コツコツやっていこうとしていた。しかし、なかなか思うように勉強ははかどらなかった。他の同じクラスの連中はさっさと宿題を終わらせて、楽しそうに遊んでいた。そんな姿を横目に見ながら、塾に通うのは本当につらいものがある。
ああ、低学年の頃は、何もかもが楽でよかったよ。今となっては、小学一年生の時に宿題をすっぽかして遊んだことも、八月三一日に親子三人で宿題に追われたことも、何だか懐かしく思えた。海美が生まれてからは、海美中心に家族が回るようになって、何かさびしく思えた。弟や妹がいると、どうなるかと言う事は弟や妹がいる連中からいろいろ聞いていた。でも、やっぱり実際に体験してみないと、分からないことも多い。さすがに九歳も歳が離れていると、兄弟ゲンカはしないけど…。でも、今まで一人占めできたものを分け合わないといけない時とか、ふと一人だったらよかったのにと思うこともある。
「大原君、三権分立とは何か答えなさい」
「……」
「大原君?」
「……」
「おい、大原! 何をぼんやりしているんだね?」
「は…はい、すみません」
やっぱり、僕は勉強が好きではない。勉強せずに父さんや母さんみたいになれたらいいのに…。弁護士になりたいけど、勉強はしたくない。今思えば、とんでもない発想だが、子どもの頃は非現実なことを大真面目によく考えていた。
八月三一日、僕の誕生日には四人で遊園地へ行った。二九日で夏期講習も終わり、僕は束の間の自由を味わった。もちろん、宿題も塾の合間にきっちりと進めており、もうすでに終わっている。
それにしても、この夏はきつかった。こんなことなら、学校がある方が楽だとさえ思えた。この夏はいつもの年のように変な憂鬱感を不思議と感じなかった。やっぱり、僕は勉強が嫌いなんだ。ジェットコースターに乗りながら、そんなことを考えた。
「うみも乗るぅ。お父しゃんといっしょに乗るぅ…。う、う、うぇーん…」
海美は父と僕と一緒にジェットコースターに乗れなかったので、大泣きしていた。身長九〇センチではジェットコースターだけでなく、バイキングも、ゴーカードも乗れない。乗れるのは観覧車とコーヒーカップぐらいだった。ここでも海美は母と、僕は父と一緒に動くことが多かった。
十月九日、一日早いが母の誕生日祝いをした。この日は体育の日だった。昔だったら、十月十日が体育の日であったが、法律が変わって、今では十月の第二月曜が体育の日となってしまった。この場合、法律が変わらない方がありがたかった。
昼過ぎから父と二人で料理の材料やケーキを買いに行ったり、おいしいごちそうを作ったりした。こんなにたくさん料理を作ったのは、初めてだった。父は普段、料理などしないので料理などできないと勝手に思い込んでいた。ところが、手際よくグラタンやら、野菜サラダやら、シチューやら、を作っていくのでびっくりした。母と海美は朝から買い物に出かけていて、家にはいなかった。これも父の計らいによるものだった。
夕方、全ての準備を終えて、母の帰りを待っていた。母が帰って来ると、すぐに僕らは玄関まで出て、母を出迎えた。
「好美、誕生日おめでとう!」
「お母さん、お誕生日おめでとう!」
「お母しゃん、おたんどうびおめでとう!」
海美とは、特に何も打ち合わせをしていないが、うまいこと合わせてくれた。さすがは我が妹である。
「ちょっと、照れるじゃないの! それに私の誕生日、明日なんだけど…」
「だって、明日、仕事だし…」
「だって、明日、学校だし…」
そりゃ、僕らだって、できることなら、きちんと十月十日にしたかった。父だけならできたかもしれないが、僕は平日休めないので仕方ない。この準備は父と二人でしないと意味がない。
「冗談よ。二人ともありがとう!」
「うみは?」
「そうね。海美もありがとう!」
「よし、早速食べよう。早くしないと、広道と二人で作ったごちそうが冷めてしまうよ」
父がそう言うと、四人は一目散にテーブルヘ付いた。そして、四人でごちそうを食べながら、母の誕生日を祝った。人のために何かをするって、案外気持ちいい。父は「ミル」と言うスペイン語で「千」と言う意味の香水を、僕はピンク色のエプロンを母にあげた。母はうれしそうだった。