大学4年生
とうとう四年の前期を迎えた。最終学年、大学生活最後の四月、もう三年前のような初々しさはない。新入生との距離がどんどん広がっていくのがよくわかる。この三年間でたくさんのことを経験した。もう、卒論に関する単位と司法試験に役立ちそうな単位の八単位しか取らなかった。
あっと言う間に五月になり、最初の関門である短答式試験が終わった。短答式はこれで三度目になるが、今までで一番すらすらと解けた。次は論文式試験である。運良く最初の関門を合格したので、七月に向けて頑張った。卒論指導教官も
「論文式が終わるまでは、試験に専念しなさい!」
とおっしゃってくれたので助かった。サークルはキャプテンが一橋から、後輩の七岡にバトンタッチした。彼がキャプテンになってからは、一橋もさすがにサークルに顔を出さなくなった。一橋は卒論でプロファイリングについて、文献の読み込み・プロファイリングに関する実験などを進めているようだ。また、警察庁に入るために国家公務員一種の公務員試験を受けている。彼女はいつ勉強していたのだろうか? 一橋はすごい人物である。五月下旬に一種試験の一次試験は終わった。
国家一種の一次試験に受かり、次は六月中旬に行われる二次試験である。二次試験は各省庁で行われるので、まず官庁訪問を行い、それから意中の官庁の試験を受けることになる。一橋は警察庁を志望しているので、警察庁を訪問し、二次試験を受けることになる。二次試験が終わると、合否に関係なく、また官庁訪問に行くらしい。どうやら、官庁訪問も試験の一部のようである。キャリア組にはたくさんの法専OBがおり、官庁訪問や面接は有利に働くとのこと。
四年になると、みんな就職活動一色である。なんか落ち着かなくて、そわそわしていたら、あっと言う間に七月の論文式試験の日を迎えた。一年前は合格できたが、前の年に合格したからと言って、合格の保証はない試験である。それでも、一年前の合格にあやかって、今年もぜひ合格したいところである。そうしないと、指導教官や予備校の先生に申し訳ない。また、バイトのシフトで無理をしてもらった他の人々にも申し訳ない。そう思ったのがよかったのか、論文式試験も運良く合格できた。後は口述試験だけである。ちなみに一橋も二次試験に合格したようだ。後は最終面接だけである。そうして、四年前期が終わった。一年の頃に比べて、四ヶ月が経つのが本当に早い。
この年の盆は珍しく実家に帰った。無事に山手女子中学校に入学した海美はうれしそうだった。昔のようにベタベタとまとわりつくことはないが、それでも楽しそうに学校や友達の話をしてくれるのは、兄としてうれしい。父と母は
司法試験に対して
「今年こそいけるんじゃないか」
と言ってくれた。父を見返すためにも、ぜひそうあって欲しいと密かに願った。
盆過ぎて、すぐに大学に戻って、予備校、時々バイト…に通い詰めの毎日に戻った。さすがにもう四年生になったので、今年の夏はサークルの夏旅行には行かなかった。かつての大宮さんのようなポディションを狙うのも悪くないが、あのようなことができるのはきれいな女性に限る。男には無理な話だ。冗談はさておき、公務員試験の最終面接を無事に終えた一橋は今年も参加したと言っていた。この年は高知へ行ったと彼女が電話で教えてくれた。実は最近、一橋と話すことがちょっとした楽しみになっている。大学四年間、彼女が常に近くで支えてくれていたことにやっと気付いた。気付くのがあまりにも遅過ぎたかもしれない。それほど、僕は頭でっかちになっていたのかもしれない…。そんなことを思った二二回目の八月三一日だった。
とうとう、四年の後期になった。大学最後の半年。口述試験と卒論の二つの山場があるが、まずは口述試験である。卒論で前期に進められなかった分は、夏休みに共感に呼び出され、何とか穴埋めをした。そしたら、十月の口述試験が終わるまで、また試験対策に専念してもよいと言われたので遠慮なくお言葉に甘えた。もう、卒論ゼミ以外の卒業に必要な単位は全て取っていたので、今回は卒論ゼミの二単位しか取らなかった。おかげで、とことん口述試験対策に専念できた。
そして、十月の口述試験。一年前は試験官の質問にうまく答えられなかったのに、今回はすらすらと答えることができた。これまで、大学や予備校で数え切れないほど、口述の練習をしてきた甲斐があった。本当によかった。これなら、受かろうが落ちようが悔いは残らないだろう。口述試験が終わってからは、これまでの遅れを取り戻すべく、卒論に専念した。また、バイトにも精を出した。こうやって、コンビニでバイトできるのも、あと半年足らず…。そう思うと、バイトだけでなく、大学生活における全てが愛おしく感じられる。
十二月、口述試験の結果が来た。ドキドキしながら開ける。通知用紙には「合格」の二文字があった。思わず、雄叫びを上げてしまった。これで来年四月から司法修習生になれる。まずは実家に電話した。
「そうか。それはよかった。でも、これからがまた大変だぞ。一年半にわたる司法修習がある。その後に、司法修習生考試がある。これに合格して、初めて判事補・二級検事・弁護士登録になれる資格が得られるんだ。まあ、頑張れ! 母さんに変わるぞ」
父には他にも言いたいことがあったはずなのに…。結局、結果報告しかできなかった。まあ、いいや。
「まずは合格おめでとう! お父さんも海美もすごく喜んでいるよ。修習生活が終わったら、私達が鍛えてあげるからね!」
「いや、しばらくは外で修行しようかな…。親子だと甘えてしまいそうだし…。馴れ合いはよくないと思うから…」
「そうね。それもいいかもね。でも、その前にきちんと大学を卒業するのよ」
「わかってるって…」
そう言って、電話を切った。これまで味わったことのない幸せな余韻が体中に広がっていく…。この時ばかりは、父とのいがみ合いもどうでもよく思えた。
それから、一橋にも電話した。大学四年間、無事にここまで来れたのは彼女のおかげだった。もし、一橋と出会わなければ、今の僕はなかった。あまりにも身近過ぎて、大切な存在になっていたことにも気付かなかった時もあった。僕にとって、一橋奏は特別な存在である。異性なのに何でも気兼ねなく相談できる気さくな人。それがいつからか大切な人になっていた。彼女はもうすでに警察庁の内定が決まっていた。
「もしもし、大原です」
「もしもし、一橋です」
「今、電話、大丈夫?」
「もちろんよ。あっ、司法試験の合格おめでとう!」
「何で知ってるの?」
「私の情報網をなめないで欲しいな…」
「今からちょっと会えないかな?」
「何で?」
「どうしても、会って伝えたいことがある」
「電話じゃダメなの?」
「ダメだね。これだけは会って伝えないと…」
「分かった。じゃあ、今から30分後にプラ・ビダの部室でいい?」
「ありがとう。では後ほど…」
これから先、どうなるか分からないけど、とりあえずは今から三〇分後が山場である。これまでずっと遠い先ばかり見つめていたけど、遠くばかり見ていても見えないこともある。時には足元をしっかり見よう。そうすれば、八月三一日の憂鬱も少しは和らぐかもしれない。大人になっても、相変わらず八月三一日は夏の終わりが色濃くて、どんなに楽しいことがあっても、どこからか憂鬱な気分が襲ってくるけど…。
それと中二の時に母に言われた一言
「悪いことをしたら、一生反省し続けないといけないこと。それと悪いことをされた側も、一生傷を背負っていかないといけないこと」
が今も深く胸に突き刺さる。弁護士として仕事をする以上、この言葉だけは絶対に忘れない。