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8月31日の憂鬱  作者: あまやま 想
高校時代
14/19

高校3年生

 三年生になり、あっと言う間に高校総体も終わり、役員改選の時期を迎えた。幸と僕はお役御免となり、新しい委員長と副委員長が後輩から選出された。次は女子が委員長、男子が副委員長の組み合わせとなった。図書委員長でなくなった僕は大学受験に向けて、受験勉強に専念することになる。朝補習だけでなく、夕補習も始まった。それでも、僕はちょくちょく図書室へ向かった。それは幸も同じだった。彼女は公務員を希望していたので、十月の採用試験に向けて、勉強を続けていた。二年の頃、図書委員会を二人で引っ張っていた時のように毎日は会えないけど、それでも僕らは幸せだった。少なくても、僕は幸せだと信じて疑わなかった。

 家の中は相変わらずだった。僕が日本国内における法学の最高峰である司法専修大学に行くと言っても、父はずっと冷たいままだった。母は珍しく手を取り合って喜んでくれた。海美は小学三年生になり、さらにしっかり者になってきた。妹はこれまでと変わることなく、僕を慕ってくれているが、これも長くてもあと二、三年だろう。さすがに中学生になれば、距離ができるに違いない。妹でなく、弟ならよかったのに…。弟ならきっと、男同士でずっと良好な関係を築けただろうに…。そんな訳で、家から僕の居場所が失われてから、もう四年ぐらいだろうか。

 もし、中二の時に、あの過ちを犯さなければ、今でもこの家での居場所はあったのだろうか? そんなのは愚問だ。居場所なら、中州高校の図書館がある。それでよかった。家族が満たしてくれないものは、他で満たせばいい。家族に愛されていなくても、愛してくれる人は必ずどこかにいる。それだけでよかった。

 この年の夏休みも、いつもと同じように妹の誕生日から始まったが、僕は学校での夏期補習や塾での夏期講習で忙しくて、それどころでなかった。もし来年、県外の大学へ行くことになれば、家で海美の誕生日を祝える最後の機会だったかもしれないのに…。そんな中でも、補習や講習の合間をぬって、図書室へ行くことは欠かさなかった。幸も忙しい中、顔を出せる時は図書室へ来た。そして、それぞれの近況を語り合った。彼女は公務員試験の勉強とか、最近の音楽とかを語り、僕はセンター試験のことやら学校での笑い話などを話した。また、忙しい中、うまいこと予定を合わせて、デートにも出かけた。初体験を過ごしたのも、この夏だった…。付き合い出してから、八ヶ月もかかるとは思わなかったけど、お互いに奥手でそっちはなかなか進まなかった。僕も男だから、嫌いではないけど…。やっぱり、相手のあることだし、ただ一緒にいるだけで楽しかったので、あまり気にしないようにした。

 八月三一日の誕生日には肩掛けバックをプレゼントにもらった。黒くてしぶいデザインで、コンパクトなのにたくさん物が入れられると言う優れものである。一年前にもらった五つ星のキーホルダーは家の鍵につけていたが、せっかくなので肩掛けバックのチャックに付け替えた。

「この組み合わせ、よくない? プレゼントをあげた人のセンスがいいよね」

「もう、ヒロ君ったら、また、そんなことを言って…。照れるでしょう?」

 こんなやり取りの一つ一つが楽しい。一つ一つの思い出が、丁寧に飾られた骨董品のように記憶の中にきれいに並べられている。家では誕生日のことなんか、すっかり忘れられていたけど、それでよかった。下手に誕生日祝いなんかされたら、幸との素敵な思い出が台無しになる。幸がいれば、他に何もいらない。そう思っていた十八歳の夏の出来事…。

 幸はいつも足の爪にだけ青のマニキュアをぬって、右足首には銀色のアンクレットをつけている。ただ、マニキュアもアンクレットも靴下の下に隠されていて、そのことを知っているのは僕だけだった。水泳や体育の授業がある時は、何もつけていないらしい…。マニキュアもアンクレットも人に見せるためにつけるモノなのに…。ある時、不思議に思い、聞いてみたら…

「もう、ヒロ君ったら…、なんで、そんな野暮なことを聞くの? 照れるでしょう…」

と、彼女が恥ずかしそうにするので、僕まで恥ずかしくなった。そして、うれしかった。

 このように幸は江戸っ子のように、裏生地に絹の入った木綿の羽織を着て、一人だけ粋がるところがあった。変に着飾ったり、見せかけの派手さを求めたりせず、人に媚びない姿勢が本当に好きだった。ところが…。

 十二月に入ると、幸は念願の公務員試験に合格し、一足先に受験勉強から解放された。一方、僕は一月のセンター試験を前にして、さすがに余裕をなくしていた。いつものように図書室で勉強していたのに、幸の足が図書室から遠のいていることに全く気付かなかった。

 実は彼女は悩んでいたのだ。四月から市役所職員になり、地元に残ることが決まった。しかし、僕が県外の法専を希望している以上、合格が決まれば遠距離恋愛になる。それが彼女にとってつらかったらしい。愚かにも、僕がそのことに気付いたのは卒業式の日、彼女から別れを告げられた時だった。努力の甲斐あって、法専に受かったと言うのに…。三月の一ヶ月間は、ショックの余り大学なんてどうでもいいと思ったほどだ。

「毎週末、幸に会いに戻って来るからさ…。別れるなんて、言わないでくれよ!」

「できもしないこと、言わないでよ! 飛行機で二時間もかかるのよ。それに四月から、お互いに新しい生活が始まれば、きっと自分のことで精一杯になるから…」

「どうして、そんなことを言うんだい?」

「だって、気付いてくれなかったじゃない! 私が悩んでいたのに…。ヒロ君、受験のことで頭が一杯だったから…。目の前にいても、このありさまなんだから…」

 そう言って、彼女は川沿いの静かな道から、自転車でさっそうと消えて行く。幸の最後の一言に僕は何も言えなかった。どうして、気付いてやれなかったのか…。ひたすら、自分を責めることしかできなかった。今でも、あの日のことを思い出すと心が痛む。

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