高校2年生
特進コースでも、また図書委員を引き受けることとなった。さらに六月の生徒会役員改選を受けて、図書委員長を引き受けることになる。副委員長にはクラスが変わって、別のクラスから、また図書委員になった香山さんがやることになった。クラスが別々になったと言うのに、また一緒に仕事をすることになった。二人で常任委員長会議に出席したり、図書委員会を引っ張っていったりする中で芽生えた気持ち。一年の時から、何となく気になっていたが、ほとんど話す機会はなかった。でも、今は違う…。話す機会は増えたけど、クラスが違うので会える時間は減ってしまった。でも、仕方ない。特進コースは他のクラスより授業時間が多いし、朝から補習もある。そうやって、あっと言う間に一学期が終わり、夏休みに入った。
七月二一日、海美は八歳になった。妹は小学二年生になり、どんどん勉強ができるようになっていった。僕と違って、何をやっても器用にこなす妹に、両親は相変わらず夢中だった。僕は劣等感こそ感じていたが、前の年よりはマシになった。
八月三一日、僕は明日からの新学期に備えて、図書委員全員で蔵書点検を兼ねた図書室の整理をしていた。昼前には図書室整理を終えて、副委員長以外はすぐに帰ってしまった。二人でこの日の活動報告や、二学期の活動計画などを立てていた。二時間ほどで全てを終えて、帰ろうとしていた時である。
「大原君、この後、二人でマックでも行かない?」
「あっ、いいね。一緒に行こうか」
願ってもいない誘いに、僕は心の中でガッツポーズを取った。二人で一緒にマックへ行く途中も、マックでもたくさん話した。教室のこと、大学受験や就職試験のこと、委員会のこと、それから少しだけ恋愛話もした。別れ際、香山さんは五つ星の小さなキーホルダーを
「誕生日プレゼントだよ…」
と言って、僕に渡してくれた。そして、彼女はそのまま、自転車で走り去って行く。僕はしばらく、呆然と立ち尽くしていた。生まれて初めて、誕生日っていいものだな…としみじみと感じた。
誕生日の出来事をきっかけに、香山さんとよく一緒に帰るようになった。二学期に入ってから、学校へ行くことが楽しくて仕方なくなってきた。こんなことは生まれて初めてのことだ。高校に入ってから、学校は家からの避難場所になっていたのに…。特に図書室で委員会活動をしている時は楽しくてたまらない。表向き、委員長として、毎日活動しているだけなので、司書の大村先生も大喜びだ。
「今年は委員長も副委員長もしっかりしているから、本当に助かるよ。ところで、図書委員長と副委員長は必ず結ばれると言うジンクスがあるけど、大原君はどう思う?」
「いや、どう思うと聞かれましても…」
「そうよね。大原君は真面目だから、ついからかってしまうのよね…」
そう言って、大村先生はカウンターでカラカラと笑っている。笑っている所だけ見ると、ただの噂好きのおばさんにしか見えない。しかし、この先生はとぼけているようで、いろいろと見抜いているふしがあった。知っているのか、知らないのか、よく分からないけど、ありがたいジンクスがあるものだ。
プレゼントをもらった以上はお返しをしないといけない。そう思い、香山さんの誕生日を聞いたところ、十二月二日が誕生日とのことだった。そこで、彼女の誕生日にプレゼントを渡した上で、自分の気持ちを伝えることに決めた。図書室ではいつも一緒だし、帰りもいつも一緒だ。何より、誕生日プレゼントをもらっている。これはどう考えても、鉄板だろうよ。これで振られたら、思わせぶりもはなはだしい。早く、十二月にならないかな…。まだ十月だ…。あと、二ヶ月もあるし…。
「このように、名君と言うのは続かないは世界史とか日本史とか問わず、歴史の常識です。例外なのは、帝政ローマ時代の五賢帝時代だが、これは世襲ではなく、貴族の中から有能な者を選んで、後継者にするシステムだからです。初代がどんなに優れていても、世襲では必ず変なのが出て来る。その結果、近代に入ってから、多くの国々で民主主義を政治の世界に取り入れることになりました」
倉本先生の世界史の授業。彼の授業は分かりやすくていい。もともと、歴史は得意だったが、倉本先生のおかげで、さらに得意になった。それにしても、血縁をあてにするのはいかがなものか。先生がおっしゃっているように、ある家系に有能な人ばかり生まれることはありえない。
日本でも鎌倉時代は源氏の権力を、北条氏に乗っ取られた。室町時代は初代・足利尊氏と三代目・義満、江戸時代は初代・徳川家康、三代目・家光、八代目・吉宗を除けば、大した功績を残していない。それなのに、二十一世紀の現代でも身内で固める同族企業があったり、身内なら信じて疑わない人がいたりすることが信じられなかった。僕は全くと言っていいほど、身内を信じていない。血のつながりがあっても、しょせんは自分と違う人間である。何かあれば、家族でも平気で裏切るに違いない。
実際、僕が中二の時にやらかして以来、父はずっと僕に対して冷酷である。いくら、昔、万引き犯のせいでひどい目にあったと言っても、やり過ぎではないだろうか。母は最近、少しずつ僕が立ち直っていくのを見て、喜んでくれるというのに…。もしかして、まだ足りないのだろうか? 今は担任ではないけど、倉本先生の言うようにやれば、また父を振り向かせることができるのか? よく分からないけど…。こんなことで悩んでも、全く面白くないので、香山さんのことを考えよう。十二月まで、あと一ヶ月…。
「あの、これ、誕生日プレゼント…」
「うわっ、ありがとう! 大原君、私の誕生日を覚えてくれていたんだね…」
そう言って、香山さんはすぐにプレゼントを開けた。彼女が開けるとミトンの革手袋が出てくる。彼女はさっそく手袋をつける。その一連の動作を見ているだけで、僕は本当に幸せになる。もう、このまま、世界が終わっても悔いはない…。
「急に寒くなったから、そろそろ手袋を買おうと思っていたんだ。本当にナイスタイミングだよ。大原君、本当にありがとう」
「それはよかった。だって、ここ何日か、香山さん、ずっと寒そうにハンドルを握っていたから…」
一緒に帰る時、信号待ちのたびに、手に息をかけたり、手をゴシゴシこすったりしていたのを、僕は見逃さなかった。何事も事前調査が重要である。
「あのさぁ、ちょっと公園に寄って行かない?」
「えー、今日は寒いから嫌だよ…。夜になったら、もっと冷え込むって、天気予報で言ってたし…」
あれっ、何かおかしいぞ。この流れだと、普通、公園に行って、二人でベンチに腰掛けながら、告白すると言うパターンになると思ったのに…。
「じゃあ、一分だけ、立ち止まってくれない?」
もう、この日を逃したら、ダメな気がしてきた。まわりに人がいないことを再度、確認した。川沿いの静かな道。幸い、人も車も、今はいない。
「一体、どうしたの? わかった…。一分だけだよ…」
そう言って、彼女は僕に合わせるように止まってくれた。一分だけって…、生まれて初めての告白にしてはハードルが高い過ぎるような気がする。しかし、かえってバシッと真っ直ぐに決めることができて、いいかもしれない。
「あのぅ…、そのぅ…、すっ、好きです。つっ、付き合って下さい!」
もう、出だしは口が絡まって、うまく言葉がでてこないし、ずっと噛みっぱなし…。でも、どうにかこうにか言いたいことは、なんとか伝えることができた。これであとは香山さんから返事をもらうだけ…。あれっ、何かおかしい…。彼女は呆然とただ立ちつくしている。いやいやいや! どうなっているの? どう考えても鉄板だったよね? えっ、まさかの勘違い? わずか一分足らずの時間で、僕の頭の中はいろんなことが駆け巡り、もうぐちゃぐちゃである。
「へ、返事は、期末テストが、おっ、終わってから、図書室でするから…。じゃ、じゃあね…」
な、なんだ、その返事は? なぜか、香山さん、すごく動揺しているし、さらに謎は深まるばかり…。香山さんはさっそうと自転車に乗って行くと、あっと言う間に消えて行った。僕はただ、天を仰いだ。すると、冷たい北風が伸ばした首筋にたくさん入り込み、慌てて顔を下に向けて、首を引っ込めた。明日、どうやって図書室へ向かえばいいのか…。委員長になってから、図書室へ行きたくないと思ったのは初めてだった。…とは言うものの、テスト期間は委員会活動がなく、テスト勉強をするために集まった生徒が三〇名ぐらいいるだけだ。図書委員の特権として、カウンター横の小部屋で休んだり、勉強したりできる。休み時間や放課後は、教室にいるよりもここにいる時間の方が長い。こんな時も、ここに入り浸っているのは僕ぐらいだった。他の人は、普段から部活やら塾やらで忙しいようである。二年になっては、香山さんもここによく来るようになったが、期末テスト中は一回もここへ来なかった。中間テスト中はちょくちょく来ていたのに…。
テスト最終日、部活動が再開した。テストから解放された生徒は部活へ言ったり、早々と帰って遊んだり、と思い思いに過ごしている。テストが午前中に終わり、昼間が自由になるテスト最終日…。いつもなら、解放されたのびのびとした気分が満喫できるのに…。委員会活動はテスト翌日から再開するため、テスト最終日の図書室はいつもガラガラである。しかも、この日は大村先生が用事のため、早々と帰ってしまったので、図書館に僕以外誰もいなかった。窓から差し込む、西日に当たりながらぼんやりと考え事しながら、本をめくる…。陽気に誘われて、うつらうつらとしている時だった。突然、ドアが開いて、僕はハッと目を覚ました。
「おまたせ! やっぱり、ここにいたんだね。ちょっと、大原君、聞いてよ。今日、私、日直だったの…。こんな日についてないよね。それにしても、佐田の奴め、職員室にいたのに、返事をしないから、全く気付かなかった…。私は何度も教室や職員室を探したのよ。いつもなら、職員室に入れるから、先生を捜して、日誌を渡して帰れるのに…。あいつ、存在感がないから、他の先生も気付いていないし…。私達にはいつも『返事をしろ!』って言うくせに…。お前こそ、返事しろって感じだよね…」
香山さんはいつものノリで図書館にやって来た。まるで告白のことなど、なかったかのようにいつも通りだ。キミハ、ボクニ、ナニヲ、モトメテイルンダイ? 聞けるなら、聞いてみたいものである。とりあえず、しばらく、いつもの会話を続けることにする。ちなみに佐田は存在感のない数学の先生である。
「それは大変だったね。まあ、佐田は本当に影が薄いから仕方がないよ。それにしても、日誌を他の先生に頼んで、佐田の机の上に置いてもらえばよかったのに…」
「あいつは日誌を直接手渡しでしか、受け取らないのよ…。もし、担任が日誌を受け取らなかったら、日直やり直しでしょ?」
「確かにそうだね。向井なんか、『そんなことで俺を呼ぶな! 日誌なら俺の机にでも置いておけばいいだろう!』って感じだけどな…」
「それ、いいな…。向井の投げやりな感じ、嫌いだけど、そう言う時はいいかもね!」
まさか、このまま、日直日誌の話で終わるのか? そんなことはさすがにないと思うけど…。しかし、不安になる。向井は公民の先生で、倫理と現社を教えている。彼は何事も超越しているようなまなざしで授業をするし、生徒と接する。彼みたいに何でもお見通しだったら、いいのにな…。それから、しばらく沈黙が続いた。彼女が本を読み出したのだ。僕もさっきまで読んでいた本の続きを読もうとするが、全く文字が入ってこない。帰れるなら、もう家に帰りたかった。しかし、家に帰っても、居心地が悪くて仕方ない。まだ、ここにいた方がマシだった。
「香山さん」
「何、どうしたの?」
「いやいやいや、この前の返事を…、聞かせて欲しいんだけど…」
もうダメなら、ダメで、ばっさり切ってくれた方がまだいい。生殺しのような状態が長く続くのだけは、ごめん被りたい。彼女はまた呆然として、ただ僕を見るだけだった…。
「ああ、やっぱり、僕の勘違いか…。でも、せめてダメならダメときちんと言ってもらえないかな? このままじゃ、気持ちの整理がつかない…」
「違うの! 違うの! 全然ダメじゃないから! すごくうれしかった…。でも、まさか、あんな所で言われるなんて、全く思っていなかったから、すごく恥ずかしくて…」
とりあえず、最悪の事態は免れたらしい。だが、まだ、一番重要な言葉は出てきていない。それが聞けない限り、先には進めない。
「本当はすぐに返事を言わないといけないって、ずっと…思ってた。でも、どう切り出していいのか、全然分からなくて…。こんな私でよければ、よろしくお願いします」
「それって、OKってこと?」
香山さんは顔を真っ赤にしながら、小さく頷いた。それを見ていて、僕も何だか恥ずかしくなってきた。でも、うれしさのあまり、心の中では大きくガッツポーズを決めてしまった。それにしても、うまくいって本当によかった。こうして、僕らは付き合うことになった。