9、誰にも見つからなかった手記 ─ 早瀬 晶 高校二年生(17) ─
少々残酷な描写があります。ご注意下さい。
この手帳が誰にも見つからないことを祈ると同時に、それでもわたしの罪を誰にも告げずにこの世を去ることの恐ろしさに耐えかねて、今、これを記しています。
わたしは、罪を犯しました。それも、殺人という非常に重い罪です。
殺意はありました。ですが、わたしが殺してしまった相手にではありません。
わたしは、間違ってしまったのです。殺す相手を。
殺してしまった相手の名前も素性も知りません。ですがわたしは確かに彼女の命を奪ってしまいました。胸をナイフで3回突き刺した後、下腹部を何度も執拗に刺しました。
まだニュースや新聞で死体が見つかったという話は聞いていませんが、時間の問題でしょう。
わたしが殺意を抱いていたのは、兄にしつこく言い寄る女でした。苗字は知りませんが、兄はその女のことをさなえ、と呼んでいました。いつも制服の上に赤いコートを羽織っていたので、わたしはすっかり赤いコートが嫌いになってしまいました。間違って人を殺してしまうほどに。
あの日、あの女が兄の部屋からそそくさと出てきた日、本当ならわたしは友人の家に泊まる予定でした。その日は両親も出かけていて、兄を一人残すのが不安になったわたしは、予定を変更してうちに戻ったのです。それなのに、うちにはあの女が居て、そして出て行ったあとの兄の部屋には男と女の匂いが充満していました。
ああ、兄は汚されてしまったのだなと、この時わたしは「さなえ」を殺すことを決意しました。
長い間、兄を慕っていました。決して告げられることのない思いでありながら、それはひと時も失われることはありませんでした。正直にいって、自分が少々異常であるという自覚はあったと思います。実の兄に、情欲を覚えるというのは。しかし、自分が決して得られないものを横から持っていかれるというのは、正直ひどく腹立たしいものでした。
さなえを殺す準備に二週間かかりました。学校から帰る時間、通る道を調べ、眠らせるための薬品と、鉄槌を下すための武器を用意しました。
そして、川原の側の茂みに隠れて、さなえが通りかかるのをじっと待っていました。
夜はまだ冷えるので、予定よりもずいぶん遅れて赤いコート姿が見えたときには、わたしの手はすっかりかじかんでいました。
側を赤いコートが通り過ぎるのを、見つからないように息を潜めてやりすごして、3つ数えてからそっと赤いコートのあとをつけました。寒いからか、フードを深くかぶっていて顔は良く見えませんでしたが、コートは確かに見覚えのある、あの女の物でした。
足音を殺したままわたしは、後ろから赤いコートの女の顔に、薬品をしみこませたハンカチを当てました。ハンカチを当てた手の薬指を思い切り噛まれて、声を上げかかりましたが、すぐに女はおとなしくなり、わたしは赤いコートの女を引きずって、川原の茂みへともぐりこみました。
最初に、コートの上から武器を両手でしっかりと握って、思い切り胸を突き刺しました。女は一度、びくん、と痙攣してから動かなくなりました。刺してしまってから、声を出されたり、痛みで気がついて逃げ出したりしないように、口にさるぐつわをすることや、手足を縛ることを思いつきましたが、女は最初の一突きで、絶命したようでした。
二度目以降、どこを刺しても反応がまったくなくて、人間ってこんなに簡単に死んでしまうものなのかと困惑したのを覚えています。
あらかじめ掘って置いた穴に埋めようとしたところで、女の顔が月明かりに照らされて、このとき初めて、わたしは誤って別の人間を殺してしまったことに気がつきました。
赤いコートは確かにさなえのものでした。もしかしたらさなえの友人か何かで、コートを借りていたのかもしれません。
虚空を見つめる虚ろな眼差しが、あたしがあなたに何の悪いことをしたっていうの、と無言で問いかけているような気がして、そう思った瞬間、自身の罪の重さに気がつきました。
わたしは、何の罪も無い人間を、まちがいで殺してしまった。
しばらくその場で呆然としたあと、それでも死体は埋めなければならないと、心の中で手を合わせながら見知らぬ少女を土の下に埋めました。
わたしが自分で自分の命を絶つ決心をしたのはこの時です。
あの売女を殺したとしても罪だなんてこれっぽっちも思わないけれど、間違って殺してしまった少女に対してはわたしは謝る言葉を持ちません。
もし神がこの世にいるのであれば、願わくば、わたしが誤って殺してしまった少女に魂の安らぎを。そしてわたしが死んだらどうか兄の娘に生まれ変わらせて欲しいです。
もし悪魔がこの世にいるのであれば、どうぞあの売女に鉄槌を。
早瀬晶




