15、残された者の追憶 ─ 日高 夕日 会社員(38) ─
休日の午後、ソファーに寝転がってのんびりテレビを見ていると、玄関のチャイムが来客を告げた。
妻が、「わたしが出ますよ」と言って立ち上がったので、「うん」と生返事で見送る。
そのままぼんやりとテレビを見ていると、パタパタと軽い音を立てて妻が小走りに戻ってきた。回覧板か何か、たいしたことの無い来客だったのだろうなと、あくびをしながら考えていると、居間に戻ってきた妻が少し慌てた様子で小声で言った。
「あなた、ちょっと変な子供が来てるんだけど……」
「どうした、子供って。隆の友達じゃないのか?」
ソファーから顔を上げて尋ねると、妻は眉を寄せて、俺の耳元で小声で囁いた。
「それが……、お宅の娘からの伝言があるなんて言うのよ。オレオレ詐欺ってやつじゃないかって心配になって」
……娘? うちには俺と、妻の美津子と、息子の隆の3人しかいない。
娘なんていないが……まさか?
「少し気になるな。俺が相手をしよう」
俺はソファーから体を起こして立ち上がった。
うちの娘、か。もしかすると、もしかするのかもしれない。
「何か金品を要求されたわけじゃないんだろう?」
「あなた、警察に連絡します?」
不安気な顔で妻が言うので、安心するように肩をぽんぽんと叩いてやる。
「話があるというのなら、まずは聞いてみよう。心配ならお前はここにいるといい」
妻にそう言って、俺は玄関に向かった。
玄関には、ジャージのズボンとTシャツを着たジョギング帰りといった装いの少年が所在なげに突っ立っていた。
「うちの家の娘からの、伝言があるそうですね?」
少年に声をかけると、こちらに気がついていなかったようで少し驚いた顔で少年がうなずいた。
「はい、ええと、どう説明したらいいものやら……」
視線を宙にさまよわせながら少年が口ごもる。
「うちの娘というのは、真昼、のことだろうか?」
こちらから声をかけると、少年は神妙な面持ちで「はい」と頷いた。
やはりそうかと思った。
「……ご存知かもしれませんが、日高真昼は、既にこの世にはいません」
少年はいきなりそう切り出した。
「そうだろうと思ってはいましたが、はっきりと告げられると……やはり苦しいものですね」
当時を思い出そうと努力する。突然いなくなってしまった姉。
事件性を疑わせる血痕が見つかったため、当時から生存は絶望視されていた。俺は早い内に姉の死を受け入れることが出来たが、死体が見つからなかったため、両親は、いつか、姉が帰ってくることを期待していた。
「生前に残した手紙が、この家に残してあるとのことです」
「あれか……?」
手紙……。何か記憶に引っかかるものがあった。
ずっと前、何か姉と話をした記憶がある。あの時は、確か四月一日だったこともあって、ただの冗談だと思っていたために、実際に姉が行方不明になった時には思い出しもしなかった。
姉が、自分に何かあったときに開けろといったあの手紙は、どこだったか。
「真昼さんの部屋の天井裏にあるそうです」
天井裏といわれて思い出した。A-30か!
そこまで思い出して、急に目の前の少年のことが気になった。
どうみても、うちの隆と同じ中学生か、高校生くらいにしか見えないというのに、どこで真昼のことを知ったのだろう。それに伝言というのも気になる。
「ひとつ聞いていいかな?」
目の前の少年をじっと見つめると、目を逸らすことなしに少年は俺の顔を見つめ返した。
「なんでしょう?」
「君は、真昼とどういった関係……。いや、君が真昼と関係あるはずもないか……」
真昼が行方不明になったのは、もう二十三年も前の話だ。目の前の少年はとてもそんな年には見えない。後で聞いてみることにしよう。
「すまないが、少し待っていてくれないか」
俺は少年にそう告げて、二階へ向かう階段を上り始めた。
真昼の部屋は二階にあって、二十三年経った今でも当時のままに残してある。
何度か妻に片付けるように言われたが、この部屋だけは、どうしてもそのままにしておかねばならなかった。
押入れの上の段にしまわれた布団をベッドの上に下ろして、中に入って押入れの天井の羽目板をはずす。手で四方を探ると、クッキーか何かの缶のようなものが手に触れた。
取り出して埃を払うと、缶を開けてみた。
中には家族へと書かれた青い封筒が入っていた。それともうひとつ、赤い封筒が入っていて、こちらには表面に何も書かれておらず、代わりに小さな付箋紙が付いていた。
付箋紙には、姉の字で「家族以外がこの手紙のありかを伝えに来た場合、伝えてきた人の前でこの手紙を読むこと。それ以外の場合は決して開けないこと」と書かれてあった。
付箋紙を取ってみると、付箋紙の裏には「弟よ、どうせ貴様は姉の言葉を忘れていたんだろう?」と書かれていた。
当時の姉の様子が思い起こされて、目頭が熱くなった。
確かに俺は忘れていた。何かあったときには開けろと言われていた手紙のことを、すっかり忘れていた。
だけと、真昼、四月一日に言われたことがまさか本気だなんて思わないだろう?
二つの封筒を持って階段を下りると、少年は相変わらず所在無げに玄関に立っていた。
「おそらく、その手紙というのはこれのことだと思う」
少年の前に二つの封筒を示しながら片方を、家族へと書かれた青い封筒をズボンのポケットへとしまう。
「片方には家族へ、もう一方は、この手紙のありかを伝えてきた者の前で読むこと、とメモ書きが付いていた。だから、こちらの方を君の前で読むことにする」
封筒から便箋を取り出しながら、思った。
しかし、この少年は、本当に姉とどういった関係なのだろう。
じっと少年を見つめると、どこか遠い記憶に引っかかるところがあった。
姉の友人の、水無月先輩、だったか。一年しか同じ高校には通えなかったが、何かとよくしてくれた先輩にどこか似ている気がした。
「不思議だな。君に会ったことは無いはずなのに、誰かに似ている気がする。……すまない、君の名前を聞いてもいいだろうか?」
そういえばこちらも名乗ってはいなかったなと思いながら少年に問うと、少年はちょっと気まずげに「ボクの名前は、早瀬あきらといいます」と答えた。
「早瀬……いや聞き覚えは無いな……」
どこかで聞いたような気もするが、姉の周りで早瀬という姓は聞いたことがないと思う。
それにしても、本当にこの少年は一体何者なのだろうか。
「君はいったいなぜ、このうちを訪ねてきて、真昼の伝言を届けるなんていうことをしているんだい?」
俺が尋ねると、早瀬少年はちょっと困った様子で背中を振り返った。
「……そうだな。真昼のことだから、学校の図書室の、本の間に秘密のメモが隠してあって、それをたどるとうちに来たとか、そういう感じだったりするんじゃないだろうか?」
あの姉なら、そのくらいの仕掛けをしていてもおかしくないと思って言ったのだが、早瀬少年はちょっと困惑気味に、また背中の方を振り向くだけで何も言おうとはしない。
彼の後ろに、何かあるのだろうかと思ったが、特に不審なものは見えない。
首をかしげていると、なぜか小さくひとつうなずいてから、早瀬少年が言った。
「あの、信じてもらえないとは思いますが、僕の後ろに、真昼さんがいるんです」
何を言われたのか一瞬わからなかった。
「君は真昼が既に死んでいるといったが……」
「幽霊、というんでしょうか。赤いコートを着ていて、下は制服みたいです」
「そうか、そこにいるのか、真昼」
目には何も見えなかったが、何かがそっと、俺の頬に触れた気がした。
「信じて……くれるんですね……」
早瀬少年が、ぽつりと言った。
「本人の目の前では少し言いにくいんだが……真昼は少し変わっていてね。死んでいても、普通に化けて出てくるくらいに意思の強い性格だったから……。真昼が迷惑をかけてすまない。君、あいつに無理矢理ここに連れてこられたんだろう?」
人のよさそうな少年だから、真昼に適当に言いくるめられてここまで連れてこられる様子が目に見えるようだった。
「はぁ……。確かにそうなんですけれど」
少年が苦笑しながら言った。
「ところで、その手紙って?」
手元の便箋を指差されて、手紙のことをすっかり忘れていたことに気がついた。
広げてみると、姉の字で大きく、
「”この手紙を、持って来るように指示したひとがあたしを殺した犯人です”」
と書かれていた。
「は?」
少年の目が点になった。それから、俺と、背後を何度も交互に見る。
どう考えても目の前の少年には二十三年前に真昼を殺すことなんか出来ない。これはいったいどういうことなのだろうかと思ったところで思い出した。
真昼はなんと言うか、探偵物とかが好きなくせに、論理的な思考が苦手でいつも直感だけで犯人を決め付けていた。それも、こいつが犯人だったらおもしろいから、というのが大抵の理由で、めったに犯人があたることは無かった。
「え、え、え? いやだから、突き指……いやいやいや、それ違う、絶対、迷う方の迷推理だから! だから、僕は、ちょっと待ってよ?!」
慌てふためく少年を見ていて、当時の自分を思い出した。
真昼の推理はあてずっぽうでいて、結構説得力あったりするんだよな。
さすがに今回のはハズレと言わざるを得ないけれども。
「……あ」
「どうしたんだい?」
「えーっと。あの」
少年が言いにくそうに言った。
「僕、犯人じゃありませんから。あの、その、手紙の下のほうに、ウソって書いてあるって、真昼が」
混乱しているようだったので、落ち着かせるつもりで微笑んでみる。
「慌てなくても大丈夫。君が犯人だなんて思っていないよ。俺の言葉は真昼に聞こえているのかな? 今回はハズレだったねと伝えてくれるかい?」
「あの、あの、その、真昼さんが、その消え、ちゃって」
「そうか……自分の仕掛けに、見事にはまってくれて、満足していっちゃったのか」
いかにも姉らしい成仏の仕方だと思った。
「う、う」
早瀬少年は、何度もまばたきして、両手で顔を押さえてうずくまった。
「大丈夫かい?」と声をかけたのだが返事がなく、やや異常なその様子に俺は居間にいるはずの妻を呼んだ。
「美津子、すまん、ちょっと来てくれ」
倒れかけた早瀬少年を支えようと少年に手を伸ばして、初めて俺は勘違いをしていたことに気がついた。
女の子だったのか。
意識の無い少女の身体に無闇に触れるわけも行かず、俺は妻が来るのを待って、少女を部屋に運んだ。




