第十話 奈落の底に
ぴちぴちと小鳥の鳴く声で魔王と呼ばれるとある人物は目を覚ます。
しかし魔王といっても彼女が寝ていた場所は神殿の様な豪華なベッドなどではなく安い民宿の埃っぽい布団である。
彼女は眠そうな目を軽くこすると、自分の脇で寝ているクロを起こすために名前を呼んで軽くクロをなでる。
が、いつまでも起きないクロに彼女はなでる手を止めると手をグーにして音が出るほどクロの頭を殴る。その暴挙にクロは悲鳴を上げて飛び起きた。
「全く、いつまで寝ているつもりだ」
小さく溜息を吐く彼女をクロは恨めしそうに見上げる。
しかし彼女はそんなクロの視線など全く意に介さず宿を出発する準備をし始める。
すると、いつの間にかどこからともなく気味の悪い金属的な脚を生やした頭蓋骨が不自然な動きで彼女達の元へと現れる。そんなガイコツにクロは頭のひりひりした痛みを我慢しながら口を開く。
「今までどこをほっつき歩いていたんだ?」
そんなクロの問いにガイコツはカタカタと顎を鳴らしながら答える。
「ちょっと外の様子を見に行っていただけですよ。・・・それにしてもこの旅館は前のところと違って金に物を言わせれば結構融通がきくようで助かりましたねえ。また獣のせいで追われるなんて御免ですもんね?」
ガイコツの嫌味にクロは唸り声を上げるが、彼女に軽く頭を叩かれて不満そうながらもガイコツへの怒気を抑える。
***
食事を済ませて、宿を後にした彼女達はしばらく活気のある街並みを特に何の目的もなく歩いていたがクロは何やら後ろから自分達をついてくる気配を感じ取り小さく彼女に口を開いた。
「おい…………」
「ふん、言われんでも分かっている」
クロに皆まで言わせず彼女は無表情で答える。彼女はしばらく無言で歩き続けたが、不意に小さく驚いた声を出して空を指差した。
いきなりのそれに彼女達を付けていた何者かも空へと顔を上げる。
彼女はそれを確認すると、走り出した。
「なっ!!!」
彼女達を付けていた者が視線を戻すとだいぶ離れたところまで走って行ってしまった彼女達の小さな後姿が見える。何者かは小さく舌打ちすると自分も走り出した。
彼女は走りながら後ろを振り返った。
不意を突いて随分離したと思っていたが自分たちを追っていた者は自分達に追いつく勢いでこちらに向かって走ってきている。
「まずいな…………どうしたものか…………」
彼女は走りながら辺りを見渡すと町の一角に馬車が止められている場所を見つける。
彼女は小さく笑うと進む方向をその場所へと変えて走った。
その場所に着いた直後、彼女は御者と思われる男に声をかける。
「おい、時間がない馬車を出してはくれないか?」
「お嬢ちゃん、馬車が出るのはもう少し先だ。そん時にまたおいで」
しかし御者は全く聞く耳を持たず軽く彼女をあしらった。
「1金ブロンで特別に出してはくれないだろうか…………」
彼女は少し困った顔をするが、今度は金で交渉する。
一度は断ったが大金が関わってくるとなれば話は別である。御者は目の色を変えて彼女へと向き直った。
「ほう、1金ブロンねえ……今持ってるのかい?」
「持っているが……時間がないのだ……後にしてくれ。」
「それは無理だね。先払いでなきゃあ…………」
御者は、なにやら焦った様子の彼女をじらしながら人の悪い笑みを浮かべる。
彼女は仕方がなさそうに手持ちの袋から金色に光るブロン貨幣を1枚取り出し御者へと渡した。
「分かったよ、お嬢ちゃん。特別サービスだ!!」
御者の言葉に彼女は頷くと、急いで馬車に乗り込んだ。
彼女を追いかけていた薄汚れたフードをかぶった何物かは彼女が馬車に乗るのを見て舌打ちをする。
この者の正体は、エルフ族の女性。昨日彼女に襲いかかったエルフだ。
このエルフの女性は彼女の正体が気になり、昨日から彼女達の後を付けている。
御者が馬に鞭をあて出発しそうになったのを見てエルフの女性はより一層走るスピードを上げた。
「うおりゃああああ!!!」
エルフは馬車が進み出すか出さないかのほんの一瞬に馬車の後ろに手をかけることに成功する。エルフが手をかけた直後、馬車は音を立てて進みだす。
エルフの女性は振り落とされないように取り出した短剣を素早く布切れで自分の手に巻きつけると馬車の車体に突き刺した。
***
「おい!!ついてきたぞ!!」
クロはしつこく付いてくる何者かを振り返ってみて声を上げる。
クロの視界には、馬車の車体を短剣を使いながらよじ登ってくるフードをかぶった何物かが映っている。
しかし彼女はその人物に心当たりがあるのか慌てる様子もなく小さくため息を吐くだけ。
「慌てるなクロ。・・・おいもっと速くできんのか?」
「お望みなら、もちょっと早くできるぞ」
彼女はクロをなだめると、御者にスピードを上げるように頼む。
彼女の言葉に御者は馬に鞭を打って馬車のスピードを上げた。
対して馬車を這い上がってくるエルフは急にスピードが上がったことで振り落とされそうになったのを必死でこらえる。
「なんの…………これしき……」
エルフは腕に力を込めると彼女達の座る席を目指して登ってくる。
「おい!!落ちる気配がないぞ!!」
クロはキャンキャンと御者に気付かれない程度に騒ぐが、彼女はそれに対して無言のまま眉間にしわを寄せて御者へと詰め寄る。
「おい!!もっと速くできんのか!?」
「おい、お嬢ちゃんこれ以上スピード出したら捕まっちまうよ。っておい!!勝手にいじくるな!!」
彼女は渋る御者の手から手綱を奪うと馬を打ち付けた。
馬は声を上げると先ほどとは比べ物にならないほどのスピードで街を駆ける。
「ひい!!やめてくれお嬢ちゃん!!」
あまりのスピードに御者は悲鳴を上げ彼女を止めにかかるがそんなのはお構いなしで彼女はさらに馬を打ち続ける。
異様に速くなったことで先程まで何とか昇ってきていたエルフの女性も振り落とされないように必死に馬車へとしがみつく。どれほどエルフは耐えたのだろうか?・・・
町を抜け、
森に入り、
荒れ地を過ぎ…………
ごつごつとした山道を通る頃にはエルフの手の感覚もなくなってきていた。
一体どれだけスピードを出せば気が済むのだろう。これだけ速さが出ていると振り落とされた時、大けがをするだろうからエルフの手には自然と落ちるのを阻止するために力が入る。
…………だがエルフが振り落とされない限り馬車のスピードは衰えないわけで…………
エルフの女性が必死に落ちるのをこらえる限りスピードが上がり続ける悪循環が続く。
「いい加減にしろ!!」
御者は彼女から手綱を取り返すために彼女に掴みかかるが、彼女はそれに応戦し、揉み合いになる。
「何をする!!危ないではないか!!」
「お嬢ちゃんの方が危なっかしいんだよ!!!」
御者は彼女の手から手綱を奪い返すために彼女の手首を抑えるが彼女もおとなしく引き下がるつもりはない。御者に手綱を取り返されないようにしっかりと握るとぐいっと御者から手綱を遠ざける。しかしその弾みで馬が道を外れた勢いのまま崖の方へ倒れこみそれに声を上げる間もなく引きずられて馬車ごと彼女達は崖下に真っ逆さまに落ちてしまった。
どうも、この小説もようやく十話になりました。
こんな作者のつたない文章にお付き合い頂いてもらって読者の皆様には感謝のしようもありません。
今後もそれなりに頑張って行きたいです。