第七章 雨の中の刺客(1)
一層激しさを増した大雨は、容赦なく数多とゼロに降ってかかる。
だが、二人はそれでも走り続けていた。
やっと見つける事の出来た負の連鎖からへの脱出の鍵を逃す訳にはいかない。
「つまり、お前の作られた場所……確か黒田研究所だっけ?そこにウイルスコードのアンインストールデータがあるかもしれないんだな?」
数多は再度確認する様にゼロに尋ねると、ゼロはこくりと首を縦に振った。
「でも完全な情報じゃないからあまり期待は出来ないかも……」
「その時はその時だ。また新しい方法を考えれば良い」
限りなく前向きな目の前を走る少年を、ゼロは何だか眩しいものを見る様な視線で見ていた。
「翔のその思考は少し見習う必要があるかも」
「あ?そんな大した思考回路なんて持ってねぇよ」
言葉を返すと、ゼロは少し笑っていた。何で笑ってるんだという疑問が彼の頭に一瞬だけ思い浮かんだが、それは本当に瞬間的な出来事だった。
数多の思考は凍りつき、二人の足は止まる。
目の前にいたのは、片手におそらく四五口径はあるだろう大きめの拳銃を持って雨に打たれている灰色の迷彩服を着用した男。
アジェスタ第一部隊隊長、天野一樹だった。
「やっと見つけたぞ逃亡者ども」
「クソッ!」
予想外の展開だった。
数多達が前もって考えていたプランは、一人になった隊員を見つけて不意打ちをし、通行許可証を奪ってしまおうというものだった。
だが、相手は隊長である上に既に見つかってしまった。これでは不意打ちなど出来やしない。
「やらなきゃ……ならねぇのか」
数多はゼロを背後に移動させ、拳を力強く握りしめる。
その姿を真っ向から見ていた天野は口元に笑みを浮かべ、
「大したもんだ。この銃を見て逃げようともせず、しかも拳一つで挑もうとするとは。君みたいな隊員が是非欲しいもんだ」
ガシャリと重い金属の音がし、天野は四五口径の拳銃を数多に向ける。
「……逆に言えば俺みたいな人材が欲しくなるほどアンタの部隊は腐ってるって事だな」
拳銃を向けられているはずの数多は、しかしニヤリと笑って天野を挑発する。普通ならこんな自滅する様な行為は決してしない。
だが、数多には一つの狙いがそこにあった。
それは、必ず自分に向けて発砲させるという事だった。
数多の動体視力をもってすれば、拳銃の弾を何とか避けられない訳でもない。
ただし、ゼロに狙いを定められるとそれが不可能になる。押し倒して守るという方法もあるが、それでは防戦一方になるのが目に見えている。
だから彼は自らが的になり、相手を攻めるという手をとった。
「言わせておけば……言ってくれるじゃねえか」
天野の目が見開く。
どうやら挑発には成功した様だった。
「ゼロ……伏せておけ。危ない」
「う、うん」
数多は背後にいるゼロに囁く様な声で言うと、ゼロはそれに従い道の端で体を伏せる。
「どいつもコイツも俺達をコケの様に扱いやがって!!テメェみたいなクソガキに俺達下っ端の気持ちなど分かりもしないだろ!底辺にいる俺達の気持ちがよぉ!!」
怒号と共に四五口径の拳銃からは弾丸が発射される。ジャイロ効果を得て加速する弾丸は真っ直ぐに数多の下へと向かう。
しかし、弾丸が数多に当たる事はない。
数多は弾丸の場所を見極め、それを全て避けている。
だが、三発程度発砲したところで、天野はトリガーを引くのを止める。
「なるほど、さっきの奴が三〇発使って倒せなかった理由が分かった。どうやらお前は弾を避けれるようだな。しかも、目で見て」
数多は黙ったまま天野を見据える。
種がバレてしまったところで焦る必要はない。相手がどんな事をしようとも、弾丸は見える。数多はそれをひたすらに避け続け、相手が弾切れになった瞬間に攻撃すれば良いのだから。
しかし天野は手元にあった四五口径の拳銃を直し、新しい拳銃を取り出す。
先程の四五口径の拳銃よりはスマートに見え、回転式であった。
「コイツを使う事になるとはな……まぁいいだろう。これくらい楽しい方が愉快で良いからな!」
すると、天野は回転式の拳銃のトリガーを引く。
弾丸は先程と全く変わらず、ただ真っ直ぐに数多の方へと向かう。
数多もその弾丸を軽々と避けようと体勢を変えようとしたその時、
弾丸は数多の目の前でいきなり止まってしまった。
「なっ!?」
数多は思わず声を上げてしまう。
弾丸は空気中に止まったまま、一向に動こうとしない。
天野は回転式の拳銃を次々に発砲するが、どの弾丸も数多の目の前の空気中で静止してします。
まさかダミーだろうかと数多が考えると、天野は不気味に笑みを浮かべ、
「加速開始!」
天野がそう叫んだ瞬間、空気中の弾丸は動きだし、
凄まじい速度で数多のたらだへと突撃した。
「うぐっ!!」
何とかギリギリで回避した数多だったが、弾丸の一つが肩を掠ったため少量の赤い液体がそこから漏れ出す。
「クソ……何なんだあれ」
一度静止した弾丸。
だが、天野が何かを叫ぶと弾丸は動き出し、しかも速度は格段にアップしている。
普通の銃弾が見えるほど優れた動体視力にさえ映らないほどの速度。
「翔!」
すると、端で伏せていたゼロが数多の傷付いた姿を見て飛び出してきた。
「血が出てるよ!早く止血しないと!!」
「これくらい大丈夫だ。それより……お前は伏せておけ」
「嫌だ!!」
数多に向かって、ゼロは力強く叫ぶ。
「このままじゃ……翔が死んじゃう!」
ゼロの目にはクリアな何かが浮かんでいる。
悲しみを含めた、透き通る様に美しい涙。その一滴が雨と重なって地面に落ちる。
「今度はわたしが翔を守る番なんだよ!」
ゼロはまるで数多の盾になるが如く、前へと一歩踏み出す。
「ほほう、罪人同士が庇い合いか。シチュエーションとしては悪くないな」
天野は回転式の拳銃の銃口を真っ直ぐにゼロに向ける。
「や、やめろゼロ!!」
力の限り数多はゼロを目の前から退かそうとするが、ゼロは足を植物の根の様にしてその場から動こうとしない。
「翔……初めて会った時お弁当をありがとう。ラーメン零しちゃってごめんなさい。町の案内はとても楽しかったよ。そして……」
ゼロは一瞬だけ数多の方に振り返り、
「わたしを認めてくれて、優しくしてくれて本当にありがとう!!」
瞬間、ゼロの体は閃光に包まれ、周囲の電柱がバチバチと一斉に弾ける様な音をたて始める。
「ゼ、ゼロおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
数多は叫ぶが、もうその声は彼女に届いてはいない。