第二章 『ゼロ』という名の少女
ピィー、という甲高い音を出してやかんは湯が沸いた事を知らせてくれる。
「おっ、沸いたな」
キッチンの椅子で携帯電話を扱っていた数多はポケットにそれを突っ込み、やかんを手に取ってカップラーメンに湯を注ぐ。
あとは三分間待ってやっと食べる事が可能になる。
なんて便利なんだろうかと数多は考えながら、カップラーメンを持ってキッチンからカーペットの敷かれている狭いリビングへ移動する。
リビングには木製のテーブルやテレビなどと色々と充実している。
逆に言えば、家具が充実し過ぎてリビングが狭くなってしまっているのだが、当の本人は狭い事を余り気にしていないので大丈夫なのだろう。
数多は木製のテーブルの上に湯の入ったカップラーメンを置き、残り時間を計る。
「あと一分か」
空腹の彼にとって、たった一分とて長く感じる。
小刻みに時間は過ぎていき、残り五秒になったところで数多はカップラーメンの蓋を手に取る。
「二、一、よっしゃいっただっきま~……」
数多は割り箸を割り、カップラーメンの蓋を外そうとした瞬間、
凄まじい閃光と共に、ガシャーンとテーブルの上から何かが突如落下してきた。
「な、何だってんだ……てか、何だこれ」
食べ頃のカップラーメンは容器から流れ出し、カーペットに垂れてしまう。
幸い、木製のテーブルは破損する事なくその形を保っていた。
しかし、数多の目はカップラーメンにも、テーブルにも向いてない。
少年の目が捉えているのは、床に転がっている一人の少女だった。
金色の長髪は腰のところまで伸びており、赤いリボンでまとめられた一房の髪の束を横から垂らしている。黒を基調とした服とスカートは、ところどころに緑色の線が入っており、サイバーな雰囲気を感じさせるデザインとなっている。
「どこからぶっ飛んで来たんだよ・・・・・・」
数多は天井を見てみるが、そこには冷たい白いコンクリートが塗られた天井があるだけだった。
「とにかく、事情を聞いてみるとするか」
数多は少女の肩を掴んで揺する。
もしもの事を考え、頭の中に一一九の番号を思い浮かべる。
「う、う~ん・・・・・・はっ!」
すると、少女は勢い良く起き上がり、周囲を観察する様に見渡す。
「タイムスリップには・・・・・・とりあえず成功だね。あとは時計をこの時代の時間を合わせて、元の時間はクロノメーターに・・・・・・」
「あのさぁ・・・・・・」
何やら作業中の様だが、数多はそんな事気にも留めず、
「不法侵入だぞ、アンタ」
ピクリと少女の肩が動く。
どうやら、ようやく数多の存在に少女は気がついてくれた様だった。
「不法・・・・・・侵入?」
「ああ、このまま警察呼んだら確実にアンタは連行されるぞ」
「れんこう?」
話が噛み合わない。どうやら彼女は連行がどういう意味なのかを知らない様だった。
「つまり警察に連れて行かれる事だ」
「そ、それは勘弁して欲しいかも!」
ようやく話が通じ合い、少女は焦り始める。
「だったらまずここに何しに来たのかとか、そんな事を明確にだな・・・・・・」
数多が少女の素性を尋ねようとした時、どこからか腹の鳴る音が聞こえ、彼は途中で言葉を止める。
「はぁ・・・・・・お腹減ったなぁ」
音の発生源は少女だった。
そういえばと思い、数多は自分の腹を気にする。
空腹。
さっきの騒動で夕食になるはずだったカップラーメンは無惨にも零れてカーペットに広がっている。
「あのさ・・・・・・」
「は、はい・・・・・・」
小刻みに震えながら、少女は彼の冷たい目を見る。
「俺は今からコンビニ行ってくるから、アンタはそのカーペットを片付けておいてくれ」
「えっ?」
少年からの急な要望に、彼女はまた他の焦りを覚える。
「で、でも警察に・・・・・・」
「んなことは後回しだ。アンタも腹減ってるだろ?俺も夕食が無くなっちまったから腹減ってるんだ」
「無くなった?・・・・・・あっ 」
少女はカーペットの酷い惨状を見てからようやく気づく。
「ごめんなさい」
「なっちまったもんは仕方ない。じゃあ後片付け頼むぞ」
「う、うん」
数多は財布と通帳を手に持つと、部屋の扉を閉め、コンビニへと向かう。
「うおっ!さむっ!!」
暗くなった町はより一層冷え込み、彼はなるべく速く戻ろうと自然と小走りになっていた。
一方その頃、少女は少年から言われた通りカーペットを外して洗濯しているところだった。
「洗剤を入れて、スタートっと」
次々と手慣れた様に彼女は洗剤を適量入れてからボタンを押す。
すると、消音機能の付いた洗濯機は回り始め、その間彼女はカーペットのないリビングの床に座っていた。
「早くご飯が食べたいなぁ~♪」
彼女は上機嫌だった。
人と触れ合うことが、こんなにも温かいものだということを初めて知ったからだ。
今までには、こんな事は決して無かった。
なぜなら、彼女は今まで『人』としてではなく、
『道具』として使われていたのだから。
「ただいま」
扉が開く音がし、数多は寒さに震えながら二人分の弁当を手に持っていた。
「お帰りなさぁ~い」
「・・・・・・いつの間にかここの住人になったな」
「あっ・・・・・・ごめんなさい」
彼女はしょんぼりと俯いて、自分の立場をわきまえる。
「嘘だようそ。ちょっとからかってみただけだ。さてと、冷めない内に食うぞ」
「えっ・・・・・・あっ、うん!」
割り箸を割り、ちょっと遅めの夕食となる。
「そういえばよぉ、名前聞いてなかったな。何て言うんだ?」
「ゼロだよ」
「ゼロ?変わった名前だな」
「そうなのかな?ところであなたは?」
「数多 翔、数字の数に多いであまただ」
彼は揚げ物にソースを掛けながら答える。
「へぇ、珍しい名前だね。今まで聞いたことないよ~」
ゼロは魚のフライを箸で串刺しにし、口に運んでいく。
「そういえば・・・・・・さっきから気になってたんだけど、箸の使い方おかしいぞ」
「そう?わたしはずっとこうやって使ってきたんだけど・・・・・・」
「違う。全くなってない。こうやってだな・・・・・・」
数多はゼロに箸の握り方のレクチャー始める。
細かい部分にも気を遣うのが彼の性である。
それから一時間かけて(内三〇分は箸の握り方のレクチャーだが)夕食を食べ終えた二人は、食後の休憩を取っていた。
「そういえば、さっきタイムスリップがどうとかこうとか言ってたけど、あれは何なんだ?」
数多は思い出す。
先程、閃光と共にゼロは突如現れ、確かにタイムスリップなどと言っていた。
「タイムスリップはタイムスリップだよ。時渡りって言った方が良いかな?」
「いや、タイムスリップで大丈夫だ。・・・・・・へぇ、面白いな」
数多は必死で箸の握り方をマスターしようとしているゼロを眺めながら言う。
「あなたは馬鹿にしないの?タイムスリップしたなんて事を聞いて」
「はぁ?別に馬鹿にすることでもないし、この広い世界それくらいあっても良いんじゃねぇの?それにそんなのがあった方が面白そうじゃん」
「・・・・・・今まで会った人とは少し違うかも」
「俺がか?」
「うん」
彼女は大きく首を縦に振ってみせる。
彼女は今まで何万何百もの人々を見てきた訳だが、彼のような何でも受け入れる人と会ったのはこれが初めてだった。
「他とは違う・・・・・・か」
数多は思い返す。
実はそんな事を彼は過去に数人の人からも言われた事がある。
(確か西織からも言われたっけかな)
しかし、どこが普通の人と違うのかがいまいち実感出来ない。なので、数多は考えるだけ無駄だと思い、そこで思考する事を放棄した。
「ところで、これからどうするつもりだ?」
「ん?何が?」
「何がって・・・・・・今晩の宿の話だよ」
「・・・・・・忘れてた!!」
ゼロは握っていた箸を手元から落とし、木の乾いた様な高い音が部屋に響く。
「ど、どうしよう!お金は持ってないし、野宿用のテントも持ってないよぉ~!!」
一人でパニック状態のゼロをいかにも冷静な目で見ていた数多は、
「仕方ない、俺の布団でも使え。俺は寝袋で寝るからよ」
「へ・・・・・・?」
全ての動きを止め、ゼロは数多の方を見る。
意外過ぎる言葉に思わず唖然となる。
「どうした?もしかして寝袋の方が良いとか・・・・・・」
「そうじゃなくて、本当に泊まって良いのって事だよ」
「あぁ?今から探しても宿なんてないだろうし、こんなクソ寒い中をを歩くのも嫌だろ?だからよぉ・・・・・・」
数多はいかにも面倒臭そうに説明していると、
いきなり、ゼロは数多に向かって抱き着いてきた。
「ありがとう!本当にありがとう!!」
思わずゼロの目からは涙が零れる。
こんなに人に優しくされたのは、おそらく生まれて初めてかもしれない。
この世界にも、こんな人間がいるなんて。
「・・・・・・当然の事をしただけだ」
数多にはなぜ彼女が泣いているのかが分からない。
だけど、彼女を感動させた何かがあるはずだと思い、彼は彼女を受け止めたのだった。