第八章 灰色の先の世界
数多は天野の迷彩服から一つのフラッシュメモリの様な物を取り出す。
このフラッシュメモリの様な物が通行許可証だ。
いつもは敗者の物を決して取ったりしない彼だが、今回ばかりはそんな事は言ってられない。
苦しそうにギュッと目を瞑って倒れている少女。
きっと彼女は体内でウイルスコードと戦っているに違いない。
そして、彼女の戦いを止めるためにはアンインストールプログラムが必要だ。
「絶対にお前を助けるからな。助かったら何でも教えるし、どこへでも連れて行ってやる。だから……」
数多は眠ったままの少女に視線を向け、奥歯を力一杯噛み締めてから、
「絶対に死ぬなゼロ!!」
返ってこない返事に虚しさを感じ、雨の音が余計に耳につく。
数多はそれ以上何も言わず、彼女の体を負ぶって、天野から拝借した通行許可証にあるボタンを押す。
通行許可証の使い方は走っている時、ゼロから教えてもらった。
もしかしたら、彼女はこうなる事を予想していたのかもしれない。
そう思うと、数多の心は痛み、自分の無力さをとことん感じてしまう。
だから彼は決心した。
例えこの身が果てようとも彼女を救い出そうと。
通行許可証からは立体映像で移動場所や移動後の時間について表示されている。
彼は移動場所を黒田研究所に定め、もう一度ボタンを押す。
すると、数多とゼロの体は閃光に包まれ、瞬間、二人はその場から消失した。
時空移動にはそこまで時間がかからなかった。
ものの数秒で移動は終わり、数多は未来の地を踏む。すっかり暗くなっている空には金色の月が輝いていた。
「な、何だよ……これ」
しかし、目の前の風景を見て、彼は驚愕する。
黒田研究所はそうやら町の中にあったようだったが、彼にはそこが本当に町なのか判断できない。
立ち並んでいるビルはほとんどが廃墟と化しており、窓ガラスは割れ、ヒビが入っているものまでもあった。
道路は舗装されず、地震が起きた後の様に抉れて地面が剥き出しになっている。信号にいたっては光るどころかそのほとんどがひん曲がっている。
まさに生き地獄、逆境だと彼は痛感する。
こんな土地に人間はいるのかどうか、それすら分からない。
そんな事を考えていると、どこからか銃声が響き、その音が少しずつ数多のいる場所へ近づいていた。
彼はゼロの話を思い出す。
この世界ではギャングの抗争多発している。と彼女は言っていた。確かにこんな無法地帯の様な場所でそんな事が起こっても、余り違和感を感じない。むしろそちらの方が合っている様な感じさえしてくる。
「とりあえず抗争に巻き込まれるのは真っ平ゴメンだ。隠れ場所は……」
数多は町の風景から目を逸らし、振り返ると、そこには三階建ての小さなビルがあった。
ビルの窓ガラスはほぼ割れており、入口には赤外線のバリケードが張られ、侵入禁止と白い文字が点滅している。
ビルの表札には黒田情報制御研究機関と記されていた。
ゼロの生まれた場所であり、全ての始まりの場所。
そして、この戦いの終結の場所でもある。
「さて……どこから侵入しようか」
おそらく正面から入る事は不可能だろう。
元々、この赤外線は侵入者防止のために張られた物だ。こんな物を真正面から潜るのはほとんど自滅に等しい。
次に彼は窓からの侵入を考えるが、凝視してみると透明な膜の様な物が張られている。
「何だコレ……」
試しに数多はアスファルトの破片を手に取り、その膜へ向けて破片を投げる。
すると、破片は倍速となって数多の下へと返ってくる。
「あっぶね!?」
数多は瞬時に見極め、凶器と化したアスファルトの破片を避ける。
破片は勢いを衰えず、抉れた道路を越え、反対側のビルに穴を空けた。
もし数多の動体視力が並の人間程度だったら、彼の額には風穴が空いていただろう。
「防止というより、撃退ってところだな。つくづく物騒な世の中だぜ」
数多は肩の力を抜き、溜息を吐く。
しかし、これでは侵入出来ず、最悪の場合抗争に巻き込まれてしまう。それに、何よりここを突破しなければアンインストールプログラムを手にする事が出来ない。
「こうなったら正面突破だ!!」
ゼロだって自分を犠牲にして助けてくれたんだ。これくらい出来なくてどうする!
数多は心の中で叫び、赤外線の張り巡らされた入口へと体を突っ込む。
瞬間、赤外線のバリケードはビュバという電子音と共に数多の目の前から消えてしまった。
「あ……れ?」
思わず声が漏れ、彼はもう一度入口に視線を向ける。
ビルの入口には再び赤外線のバリケードが張られている。
通行許可証には様々なパスを登録する事が可能であり、時空移動のパスから遊園地の入園パスまでもがこれ一つに記録出来る。
数多の持っている通行許可証は元々天野の物であり、その中に捜査許可のパスが入っていたため侵入する事が出来たのだが、その事を彼は知らない。
「ま、まぁいいや。侵入出来たんだし」
ともあれ、結果は結果だ、と彼は強引に結論付けて天野から拝借したライトを点け、周囲を模索する。
一階はエントランスとなっており、受付があるところを見ると、研究所というより民間の会社の様にさえ見えてくる。
数多はぐるりとエントランスを回り、エレベーターとエスカレーターと建物の案内図がある事を発見する。だが、なぜか非常階段だけは見つからなかった。
エスカレーターは電力がストップしており階段と変わらず、エレベーターに至ってはその扉すら開かないだろう。
更にこの建物は地上より地下の方がフロアが多く、地上三階に対して地下は一〇階もある。
こんな場所で仕事をしていたら太陽光が恋しくなるだろうな、と数多は思って再び案内図に目をやる。
地上三階、地下五階までには各フロアの詳細が示されているが、地下六階から一〇階は空白となっている。
つまり、その間のフロアで余り表に出したくない研究が行われていたに違いないと数多は予想する。
「片っ端から探すしかないのか……」
しかし、五つの広大なフロアを一人で捜索するとなると骨が折れそうだ。
だが、自分の身を削る覚悟が彼にはあった。
数多は動かないエスカレーターへと踏み出し、地下へと下って行く。
案内図に詳細が示されていた地下五階までのフロアはひたすら無視していき、詳細のない地下六階に到達すると彼はその場に踏み止まる。
「さて、捜索開始だな」
ゼロが背中から落ちそうになったので、数多は抱え直し、ひたすらフロアを歩いて回る。
六階、七階、八階と見ていくが、アンインストールプログラムと思われる物はどこにもない。ある物と言ったら、液晶の割れたコンピュータや作りかけの基盤、更には薬莢や小型の拳銃などの研究所に相応しくない物までも存在していた。
激戦の爪痕が生々しく残り、壁には弾丸が埋め込まれ、赤い染みが所々に残っている。
「残酷……だな」
数多はライトを壁から逸らし、次に進む暗闇の空間を照らす。
地下九階、そこへ続くエスカレーターには今までに見た事がない程の薬莢が溢れていた。
おそらく、この先こそがこの研究所の『本当の闇』の部分なのだろう。激戦をしてまで秘密を守り、そうして撃沈していった血みどろの世界。
そんな中を彼は薬莢の大群を足で退かせながら進んでいく。
暗闇の世界は果てしなく暗黒で、何となく冷たい感触が数多の肌に触れた。